第六話
「今だ!」
振り下ろされた巨人の足を両手で掴むようにして、手のひらを宙に向ける。
すると今度はズシンという巨大な足音はせず、巨人の動きも踏みつける直前で停止していた。
惨状を予想して目を覆っていたつぐむも、指の隙間から微かにその景色を捉えると息を呑んだ。
やがて急停止していた巨人を、投げるようにして足を小さな小さな手のひらで掴んで振り回した。
巨人はバランスを大きく崩して背を地につけて苦しそうに梅いた。
「くたばれ巨人! 龍・騎・一・閃‼︎」
どこからか手にしていた木の棒を両手でバットを構えるように持つと、巨人の腹に向けて勢いよく殴りつけた。
するとゴム毬でも弾くように巨人の腹部は大きく形を変えて湾曲し、肉体が森の方にまで吹き飛んだ。
巨人は下顎で大きく上顎を打ちつけると、生えていた牙の全てを地に落として沈んだ。
「う、……嘘でしょ?」
誰よりもその声を人一倍あげたかったのはつぐむだった。
そのあまりにも壮絶なジャイアントキリングの現場に、開いた口も呑んだ息もしばらく元に戻らなかった。
木の棒にぺっと唾を吐き付けてこねくり回し「楽勝だぜ」とはるかは呟いた。
その瞳は達成感と高揚感で焚き火のように真っ赤に燃えていた。
迫り来る巨人を無事ハントしたはるかたちは、倒した巨人からドロップアイテムでも拝借するように、巨人の衣服や袋を漁っていた。
しかしその大きな袋に抱いた夢一杯の期待を大きく裏切るように、中身は野草が数本と錆びついたオレンジ色のガラクタが入っているのみだった。
「なんだよどいつも値打ちのないクズ同然のガラクタばっかじゃねぇか。これならまだ貧民街のガキの方が良いもん持ってそうだぜ。ったくとんだハズレ玉だったな親分」
「いやなに凄腕盗賊団のニヒルな看板役みたいな事言ってるんですか。そんで親分て。はるかちゃんの方がよっぽど大親分ですよ。襲われた側なのに何さも狙って奪ったみたいな雰囲気出してるんですか」
「アタシどっちかっつーと社長よりも課長とか係長になって甘い汁だけ啜っていたいタチなんだよね」
「欲望に正直過ぎる……。タチっていうかもうタチが悪いですねそれは……」
巨体と討伐難易度に釣り合わないしょっぱいドロップアイテムを手に、一行は休息を終え再び動き出した。
森の中を歩いている最中、つぐむがふと思いついた疑問を口にした。
「あの……大丈夫だったんでしょうか。さっきの巨人……」
「襲ってきたのはアッチなんだし、憲兵やサツに何聞かれても正当防衛の一点張りで通しゃむしろ保険下りるから安心しとけって」
「いやどんな心配してると思ってんですか。違うんですよ。あの、さっきの巨人にたとえば仲間が居て、倒されたのを知って集団で襲いかかってこないかな……と」
「連中にそんな蜂みてーな習性と社会性があるもんなのかね。単独行動なんか許してるところを見ると、隊の統率や指揮はバラバラの最低レベル。図体だけデカくて他は取るに足らねぇ連中だろうぜ。それにもし集団だったとしても、あいつぼっちって事になるし。巨人なんて所詮人よりでかいだけが取り柄のぼっち集団だぜ」
「短時間で凄いボロクソに罵るじゃないですか! 巨人になんか恨みでもあるんですか。逆に全世界の巨人から恨まれても知りませんよ。そんでめちゃくちゃ合理的に上級ハンター目線で状況判断してるじゃないですか。その手のプロか何かですか」
まるで幾つもの戦場を経験してきたようなはるかの風格に、つぐむは若干の信頼感まで覚えていた。
言ってて全世界の巨人なんてそう何人もいるもんじゃないだろ、とつぐむは心の中で自分の発言にさえツッコミを入れていた。
《つぐむ。今のは面白かったぜ》
「いや何ナチュラルに人の頭の中覗いて語りかけてきてるんですか。いつそんな技能開放したんですか」
「だってさっきアタシが大声だしたから狙われたろ? だから次からは頭に話しかけて自分だけは狙われないようにして、いざと言うときはつぐむ囮にして逃げようかなと」
「最低過ぎるでしょそのやり方……もっとその優秀な技能を人の役に立つ事に使ってください」
しばらくの歩きっぱなしでつぐむが疲れてくると、はるかは休憩を申し出た。
本当はまだまだ歩いていられたのだが、つぐむが彼女の中で第一優先なのだろう。
ごくごくと水筒に入っていた水をつぐむは美味しそうに飲み干した。
「ぷっはぁ……生き返りました……」
「今の面白いブラックジョークだね! とっくに死んでるっていう……ぷっ! ふっ……ふふふ」
「その悪意満載の益体もない付け足しの所為で後味最悪になったんですけど。笑えないですよそんな黒過ぎる冗談……。それにしてもよく水筒に水までなんかありましたね。道中川なんて無かったのに……」
「そりゃそうだろうよ。だってそれアタシのションベンだし」
ぶーっと空中に飲料としていた飲んだ水筒の中身を噴水のようにぶち撒けた。
堪らずげほげほと激しく咽せるようにつぐむは咳き込んだ。
「大丈夫? はいお水」
「あっ……ありがとうござじゃなくて‼︎ どうせまたおしっこなんですよね⁉︎ これ、なんて永久機関ですか⁉︎ ていうか何人様に自分の尿を飲料として差し出してるんですか!」
「アタシがなんか言う前につぐむが飲んじゃったんだろ」
「それは完全に私の不徳の致すところではありますが、にしたってなんか止めるなりなんなり無かったんですか?」
「だって直後……『美味しい〜』なんて言うもんだから……ぽっ」
「頬を染めるなーっ、顔を赤くするなーっ! 照れるなーっ‼︎ 初めから中身が分かっとりゃそんな事言わんかったし飲まんかったわーっ‼︎ うええ……まだ口の中がニガイ気がする……」
「出したての無菌だぜ? そんな訳ねぇだろ。あのな。汚いって前もって情報が与えられているから『不味い』だとか『苦い』とかっていうマイナスな印象になるんだぜ。これをプラシーボ効果って言ってな、逆に『これはとっても素敵なレモネードだよ』って信じ込んでおきゃ、『苦味』が『程々に渋みがあって美味しい』とか『甘さ控えめで全身に染み渡る』とかっていうプラスな印象にもなるから薬の服用前に医者が患者に説明する際にも用いられる手法だったりするんだぜ? ま、つまり人間思い込みが肝心ってこった」
得意満面の笑みで持ち前の持論を展開するはるかを殺意を込めた眼差しでつぐむは見つめていた。
「それでも限度ってモンがあるでしょうが……」
「現にさっきだってつぐむ『美味しい』って言って飲んでたじゃねぇか。美味そうに喉鳴らしながらさ。普段俺たちが食ってた某国の冷凍餃子とか肉まんとかあんだろ? あれだって動物の死骸だとか、人の内臓とかたまに入る時あるけど、事前に公表せず『これは餃子と肉まんで、これはこうこうこういう味のするものだ』って頭が認識しちまえば、中身なんて大した問題にはならねぇべ? それと同じようなモンさ」
「いやすんげぇ大した事ある問題ですよ⁉︎ 事実だとしたら大問題じゃないですかそれ! もう私何を信じていいのか分かんなくなってきましたよ‼︎」
「自分を信じればいいんじゃないかなぁ」
「やかましいわ!」
尿まみれの口と吐き気を抑えて、内心落ち着かない心持ちでつぐむはゆっくりと木々に腰掛けた。
木陰が流れ出た大量の大汗を乾かすように冷たい空気を送り込んでくれた。
なんとかそれで気持ちを新たにしたつぐむは、はるかの話を聞いた。
「それじゃあ転生してから私たち、バラバラになって違う場所でそれぞれ目覚めたんですね」
「ああ。最初の目覚めなんかひでぇもんさ。いきなりコブラだかマムシだかの口腔内でのスタートだもんよ」
「それは流石にやば過ぎるし嘘でしょ!」
「いやぁ粘液でホント全身ベトっててよ。あと口腔内ってホントに臭っせぇんだな。2日は匂いが取れねえかと思ったぜ。まあ咄嗟に速攻で顎をへし割って命からがら逃げてきたけどなガラガラヘビから」
「妙に真実味を帯びたような虚実を入り乱らせないでください。本気にしちゃいますから。あとそれ命からがらの人間が咄嗟に出来ることじゃありませんから。最後のギャグも面白くないです」
「バッサリ行くなぁ〜。あ、でも異世界だって認識してからはこうだな――」
――目が覚めてからどのくらい時間が経過しただろうか。
ここはどこで私は誰。いや私が誰かは分かっている。
ミリオシア・ハイソーネス皇女。元公爵夫妻の一人娘で、とある罪状を無実の身に押さえつけられ、こうして国を追われて鬱蒼としたジャングルまで逃げ切った次第だ。
「全く思い出せていないに等しいんですけど⁉︎ 誰なんですかハイソーネス皇女! 一体全体誰の記憶と混同してるんですか! 真面目にやらないんなら聞きませんよ!」
「いぢいづ口うるせえ奴だっぺなぁ〜……オラの田ん舎にはおめさみてぇなそったら口の立つオンナさ居ながったっぺよ?」
「皇女とは無縁の田んぼ道生きてる農家のおっさんじゃないですか……どんだけ訛ってるんですか。田舎舐め過ぎでしょう」
――あれから時間は過ぎ去った。
やがてこの世界を歩くうちに、一つの結論が私の頭の中を駆け巡る。
およそかつていた世界とは思えないほどの生態系を見せるこの森や、この世界全体を覆い尽くす空気感。
知らない天井、知らない空、知らない味の植物。
紛れもなくここは異世界である。それも私が恋焦がれ、憧れていた御伽噺のような世界。
そこで私は一抹の思いから、自身のしなければならなかった事をようやく思い出す。
「異世界着いた⁉︎ まずは便所探さなきゃ!」
「何でですか。もっと他にやるべき事あるでしょう」
「だってよ。異世界における便所問題って、誰もが必ず一度は頭をよぎる事案じゃん? 最悪雉打ちかお花摘みの二択になるじゃん?」
「よりにもよって思いつく事案がそれだったんですか? あとそれどっちにしろ野外放出ですよね? 秒で野に解き放った人間がそんな事で悩まなくて良いじゃないですか」
つまるところ皆代はるかはこの異世界に来ても、なんら困る事なくいつも通りの生活を謳歌していたという事だった。
しかも何故か巨人さえ一撃の元に仕留めてしまう超常的な身体能力を持って転生を為していた。
かくいう榎本つぐむは一切のスキルや能力に目覚める事なく、転生以前と変わらぬ全く同じスペックでこの世界に顕現している。
「もしかして女神様による祝福イベントでもあったんでしょうか……私の及び知らぬところで……」
「まぁだとしたらドンマイグッドパートナーだな。けど安心しろよ。この先何があってもアタシがお前を守るからよ無能」
「なんか素直に喜んでいいのか怒った方がいいのか分からない発言ですね……」
しかしどれだけ小憎らしい悪ガキだったとしても、他に縋るもののないこの弱肉強食自然淘汰が平然とまかり通る世界では、特別な力を持たないかつての主任は手を焼いたはるかに助けてもらう他なかった。
先が思いやられる気持ちで胸いっぱいになったつぐむは、ひっそりとその場で白い息を吐き出すばかりだった。
そうしていると、つぐむはふと目についた気になるものがあることに気付く。
「これは……キノコ……?」
この時2人はまだ知らなかった。
そこが悪魔も恐れる毒キノコ溢れる、この森で最も危険な地帯『きのこの森』である事を……。
※この作品はフィクションです。実際の人物、団体とは一切関係ありません。
「……こういう忠告文って、もっと早く出すべきなんじゃないですか?」
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