第三話
「わーっ。夢じゃなかったぁ!」
寝起き一発目に彼女は周囲の風景がいつもの見慣れた幼稚園では無い事を察して叫んだ。
頬をぎゅーっとつねってみるも、鈍い痛みと共にこの世界が今は彼女にとっての現実であるという事実を痛感するばかりだった。
「なに朝っぱらからデケー声出してんだ」
彼女を呼んだ可愛いらしい声の主は全身をちっとも可愛いらしくない衣装に身を包んでいた。
簡素な藁を束ねて足半分から胸まで巻きつけたような腰蓑を着用しており、片手には打製石器を彷彿とされる木の枝と石を蔓の紐で十字状に交差して結びつけた武器を携えていた。
「は、はるかちゃんがいるぅ〜……! ……ってかなんですかその格好! 完全に古来の南蛮部族じゃないですか‼︎ 今にも狩りに出掛けそうな雰囲気漂わせてるじゃないですか!」
「バカヤロー! みたいじゃなくて行くんだよ‼︎ 朝飯ひと狩り、行こうぜ‼︎」
「そのキャッチコピーはそこはかとなくやばいニオイがしまーす‼︎」
かくして部族スタイルに扮したもう一人の児童、皆代はるかと純然たる日本人スタイルの黒髪ロングの児童、榎本つぐむは自分たちの朝食を求めて狩猟に乗り出した……。
◇ ◇ ◇
彼女たちは紛れもない幼稚園に通う園児だ。
つい、最近までは。
といってもこの世界で時間の概念が旧世界と共通するのかは定かではなかったが。
榎本つぐむ。5歳。
日本の××県、〇〇市に存在する伊勢海幼稚園のいるか組年長に所属する至って普通の園児である。
特技らしい特技はこれといってないものの、代わりに苦手な事も少ないという一見平凡ではあるが、優秀なバランス型園児であった。
遅刻・欠勤・忘れ物の無い健康優良児の鑑ともいえる彼女は園でも一目も二目も置かれるエリート幼児だった。
先生がたにまじって時には自身が先頭に立って園児たちを進んで指揮・統率する将来有望な若手主任であった。
ある意味で子供らしからぬ真面目な性分で、ゆくゆくは優秀な小学校に受験し、更に中学・高校と受験エリート街道を駆け上り、将来は暗雲立ち込める社会に希望の光をもたらすバリキャリか女性政治家になるだろうとまことしやかに噂されている人物であった。
このようにやり手ではあるが、そんな華々しい栄華を誇る彼女には黒い噂も絶えない。
親ぐるみのコネクションを園に張り、賄賂・横領の悪質なあの手この手で引率の先生方から園長先生にまでその魔の手を広げて評価を操作しているというとんでもないモンスター・チャイルドであるという裏の顔を持つ彼女は――
「あの。勝手に人のモノローグに劣悪な捏造工作挟み込まないでくれませんか。誤解されるじゃないですか」
「事実なんだから仕方ねーだろー。俺たちセンコーに売って情報密告してたんだからよ」
「人聞きの悪いこと言わないでくださいよ! 私はただみなさんがあまりにも言うこと聞かなくて先生方を困らせているからちょっと注意しただけです」
そうそんな傑物たる彼女が唯一思い通りにならない人物たちがいた。
その中心人物として、集団の一角に王のように居座っていたのがこの幼児、皆代はるかであった。同じく伊勢海幼稚園のいるか組に属する年中さん。
その奇想天外で驚天動地な自由奔放過ぎる発想とバイタリティを持つ彼女は、げに天下の伊勢海幼稚園とてその扱いにほとほと困って、持て余す程だった。
彼女を他の園児同様の『常識』の枠に当てはめて痛い目を見た新任教師の多いこと多いこと。
基本的に旧世界における幼稚園の小さいものに限らず、社会全体の「ルール」や「マナー」などには縛られない小娘であり、園児らしい玩具や遊具には一切の興味を示さず、大人顔負けのIT産業に参列してみたり、園にある自動車の運転を試みたり、株トレードに園長先生のパソコンを用いて手を出したり(もちろん結果は大敗北)、窓ガラスの強度を確かめる為に園のガラスを軒並み叩き割るなど、その言動の全ては並の園児とは一線を画する、ある意味つぐむとは正反対のベクトルで傑物の怪児童であった。
時代に白と黒を残す両者は時の王者として、幼稚園に君臨する光と闇であった。
別の意味で将来を期待(不安に)させる彼女は、それでも毎日楽しそうに園で過ごしていた。
なんの因果でこんな世界に来てしまったのか、つぐむにとってはそこだけが気がかりだった。
狩りの最中もはるかとその事を思い出す為に、これまでのいきさつを話し合おうと考えていた。
「よー見てみろよコレ。昨日のクロニクル・スネーク・ウォーリアードラゴンの幼体だぜ。その辺うろちょろしてやがったから狩ってきたぜ」
はるかは先程自身の手で狩猟したトカゲの子供を意気揚々と見せびらかしていた。
子供とはいっても大きさは軽くはるかの全長に及びそうなものだった。
「1日おきに名前が変わるんですかそのモンスター……っていうかダメでしょ子供に手を出したら!」
「殺るか殺られるかの厳しい世界で今更何言ってんだ」
「厳しいのははるかちゃんの考え方でしょ⁉︎ それに火もないのにどうやって食べるんですかそれ。尻尾みたいに持ち歩く事になりますよ」
「いやな、それなんだけどよー昨日の尻尾、処分に困ったからとっくに食ったんだわ。ニクが柔らかくて中々乙な味わいだった」
「結局生で食べたんですか⁈ ダメですよ! もしなんか細菌にあたりでもしたら……」
「まーそう慌てんなよ。確かに今朝がたから水質で血便混じりの下痢がとまらねぇけどよ」
「それやばい症状発してるじゃないですか⁉︎ ていうか現在進行形で⁉︎」
「おしめの替え売ってねぇかなぁ。無さそうだからもう葉っぱにすっかなって思ってる。つむぎはどう思う?」
「つぐむですってば……そういう間違いされる事が多い身ですけども……。いやだから生はアウトですってば。もうちょっとだけ我慢して火のあるところ探すか森を降りて人里に向けて進行しましょうよ。もしかしたらそこでオムツ類も手に入るかもしれないじゃないですか」
この世界が自分たちのいた世界と同様の文化レベルを保持しているならば、とつぐむは念頭に置いていた。
昨日、はるかが出会って(殺めた)というおじさんの存在から、人間が生きて最低限度の文化レベルを有しているであろうという希望的観測は一応持っていたのだが。
幼い足でてくてくと懸命に歩いていると、運良く火が点っている地帯を発見することができた。
そこは木々を抜けた先にある開けた大地であり、一面だだっ広い平原のようであった。
しかもそこには出払っていたからか、誰もいなかった。
「あそこでとりあえず朝食にしましょう……もうお腹ぺこぺこです」
目が覚めてから今朝までの丸一日、つぐむは何も食べてきていないのだ。というのもまず目覚めてから数分後、今は尻尾をはるかの胃に納められた巨大なリザードに追いかけられ、食事どころではなくなり、その後はるかに出会うもロクに食べられるものを入手するに至らず、今の今まで結局何も食べられなかったというワケだ。
「だらしねぇなぁ。俺みたいになんでも良いからメシを喉に詰め込んでおけば今頃腹なんてへらねぇもんだぜ」
「そのお陰で全部下痢として吐き出したのによくそんな事が言えますね……はるかちゃんも口直ししよ!」
そこは間違いなく誰かが火を焚いていた痕跡があり、石を並べて椅子のようにしていた様子が窺い知れた。
一際大きい石をテーブルの代わりに、主にはるかが狩猟してきたであろう獲物たちを並べた。
肝心の火は今も消える事なく元気に勢いよくパチパチと音を立てながら燃え盛っていた。
普段なら危ないから大人以外は近づいてはならない火の出る空間だが、その大人が今はいない上、非常事態のため非行もやむなしという事である。
採ってきた獲物を木の枝に突き刺し火にくべる。
これまで火の近くに行ったことのないつぐむは、その熱さで手が真っ赤になった。火傷したわけではないが、なんだか不思議な感覚だった。
「あーんもうじれってぇな。こーいうのはがーっと焼いてぱーっと食やいいんだよ‼︎」
「あああ! やめてください! 火傷じゃ済まない大惨事になりますし、せっかくのお肉が黒焦げになっちゃいますって!」
「心配すんな! これでもこんがり肉焼きでは一度足りとも失敗した事が無ぇんだ! ゲームの中だけどな‼︎」
「尚のこと任せられませんよ! ゲームと現実は違うんです! はるかちゃんはそこで火の番でもしててください!」
そうこうしているうちに充分火の通って程よい焼き目になったリザードの肉は、バーベキューさながらの食欲を刺激する香ばしい香りを鼻腔に注ぎ込んでいた。
勢いよく齧り付きたくなるのを堪えて、熱々のお肉に精一杯口を窄めて息を吐いて冷ますと、身の部分に向けて大きく口を開けてかじった。
「熱っ! ……でも美味しい〜……こんな美味しいお肉食べたことないです……!」
「大袈裟なやつだなぁ。こんなのギロッポン行きゃブロックでステーキ肉がゴロゴロよ」
「今時ギロッポンなんて言葉使う人初めて見ましたよ……園児らしからぬ豪遊してるんですねはるかちゃん……」
「いや。行きつけのバーのオヤジがそう言ってた」
「園児がバーなんて行きつけるな‼︎」
「安心しろって。昼間にミルクを一杯かっくらっただけだからよ。流石の俺も酒に手を出すほど人生荒んじゃいねぇよ」
しかしここまでのはるかの奇想天外っぷりから鑑みれば、それはいささか信憑性を欠く発言であることはつぐむのみならず聞いた人間誰もがそう考えるであろう出来事だった。
「むしろ昼間っからひっきりなしに酒を煽ってたのは母ちゃんの方だぜ。白昼堂々と酒瓶片手に『ダンナの低収入が』うんたらかんたら、『私の人生こんなんじゃなかった』等々……。ひどい時は俺が泣いても頭をしこたま瓶で気絶するまで殴り飛ばして……」
「こんなところで思わぬ家庭の闇が曝け出された⁉︎ やめてくださいよそんな言う方も聞く方も絶対辛い思いする悲しい話は! 背負いきれませんよ。もたれますよ胃にも後にも。歴史に残るトラウマとして今後の食卓を蝕み続けますってそのトピック」
「嘘嘘。ブランデー、ブランデー。日本酒は辛くて飲めないって」
「いや肝心なところ全然否定できてないんですけど……。ホントに虐待の憂き目なんかに遭ってないですよね⁉︎ 私信じても良いんですよね⁉︎」
しかし肝心なところを聞くとそれを無視するように黙りこくってはるかは食事を淡々と続けた。
一抹のやばさを全身で感じ取り、震えながら子供リザードの丸焼きを完食した。
「さーて腹も膨れたところで……えーとどこまで話したっけ。猥談も差別用語も満載のトークショーを披露してお茶の間が大爆笑の渦に包まれたところからだったっけ?」
「訴えられたいんですか。このご時世話す内容には気をつけないと刺されますよ。違いますって。これまでの経緯とか、どうやってここまで来ちゃったのかとか色々聞きたいんですよ。覚えてる限りで構わないので」
歯に詰まった獲物を木の枝の先っちょでちーちーとやりながら、はるかは石の上に胡座をかいて行儀悪く座っていた。
「んーそりゃあアレじゃねーの? 今流行りの『異世界転生』ってヤツじゃねーの?」
「い、異世界転生⁉︎」
その思いもよらぬ発想と発言につぐむは座っている石から転げ落ちそうになるほどの衝撃を受けた。
異世界転生――。
昨今のライトノベル界や漫画を魅力してやまない、メディアではもうすっかり世間に浸透したお馴染みのテーマ。
普通の日常を生きていた人間がなんらかの原因で死に至り、RPGやTRPG、VRMMOゲームさながらのドラゴンだかエルフだかが生息する、いわゆる〝異世界〟と呼ばれる世界に第二の人生を授かるストーリー。
転生時に女神様からチート的な能力を与えられたり、与えられなかったりして、主人公だけが本来の世界の記憶や知識を持ったまま異世界で生きることになり、そこで様々な出来事を経験し、また自分の能力を駆使して他の誰も寄り付かないほど大暴れをする――『無双』を行ったり、その世界に巣食う邪悪な魔王を撃破して勇者になったり、物語では悪役令嬢や聖女と呼称されるキャラクターに転生して、破滅や婚約破棄、その他パーティ追放など自身に与えられた過酷な運命に立ち向かっていったり、或いは与えられた超絶能力と近代人にありがちな慎重重視な思考できままに異世界でのんびりと何者にも縛られずにスローライフを謳歌したりと、様々なジャンルで様々な試みがなされている。
その多くは――
「長い。説明口調乙って感じだな。今時の読者なら3秒で読み飛ばしてるぞ。連中は200文字程度でも脱落するような生き物だからな」
「だから昨日からなんなんですかその変な例えは……ていうか昨今の読者文字に弱過ぎでしょ……流石にそれは舐めすぎだと思いますが」
「より簡潔に、ハッキリと、具体的にわかりやすくするならこうだ」
異世界転生。人気。ジャンルいっぱい。うざい。
死ぬ。女神に会う。人生もう一回、やったね。
「酷過ぎる紹介を聞いたもんだ‼︎ というか後半なんか自分の感想混ざってませんでしたか⁈ いくら幼稚園児でももうちょっとマシな文章思い付きますって‼︎」
「じゃあつぐむやってみろよ」
「えっ? い、いやぁ……いざそう言われてみると中々に難しいものが……じゃなくて! あの、だから‼︎ 経緯ってか……えっ。ほ、本当に異世界転生なんですかこれ。じゃ……じゃあ私たち……」
さっきからつぐむの頭によぎってくるのは一つの嫌な推察。
転生という概念にはつきものの。当たり前の事象。
「死んじゃったって事ですかぁ〜……⁉︎」
「正解! ザッツライト! 大正解あんた大統領今夜はパーティーオールナイト最高だよ当ったりいぃぃぃ! 言い逃れできないほど正しい天才ブラザー・ブラボー‼︎」
「微塵も悲しいとかそういう感情ないんですね‼︎」
崩れ落ちて落ち込むつぐむとは対照的に明るくなるはるかだった。
その埋め難い両者のギャップに苦しんでいる暇もなく、はるかは思い出せる限りの情報をつぐむに提供した。
「話をしよう。あれは確か三千飛んで五百四十二年も昔の……」
「オイ」
「まぁ幼稚園児の死因なんて大体不注意による誤飲か溺死だろうな」
「よくもまぁそこまで自分たちの死を冷静に分析できますね……」
「冷たい世の中だからこそ、自分の事くらい自分で解るようになっておかねーといけねぇかなって」
「世にすれてる‼︎」
「ほら、もうアタシらいいトシしてるじゃん? いつまでも甘えている訳にいかないってさ……」
「まだ5歳ですよ‼︎ はるかちゃんに至っては4歳‼︎ まだまだ充分甘えていい年齢だよ! 存分に甘やかしていこうよ‼︎」
こうしてはるかの自分語りが始まった。
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☆☆☆☆☆
「いやなんで英語なんですか」
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