第一話
「助けてください! なんかドラゴンみたいなのに食べられそうなんです‼︎」
一人の幼子が全力疾走で森を駆け抜けている。
相手は彼女の数倍――否、数百倍の大きさを誇る巨大なトカゲのような生物であった。
森の緑に紛れるような苔色の体色に、ヌメヌメと光っている生臭い鱗。真っ赤に伸びた舌は獲物を捕らえるために発達した全長10メートルもの長さで、トカゲの口元に絡みつくように伸び縮みしていた。
足はやや短く、四足歩行で地についており、静寂な森中に響き渡る足音を鳴らしながら機敏に動き回っている。
邪魔な障害物を破壊し尽くすように、草木やキノコを薙ぎ倒していきながら眼前の幼児を追い詰めていた。
「な、なんでこんな目にぃ〜……」
彼女はここに来てより推定もう20回ほどは連呼したであろう台詞を、涙ながらに息切れして発していた。
日頃運動会やかけっこや鬼ごっこなどの遊びの一環で鍛えた自慢の俊足も、さしもの化け物相手では優位性を発揮するに至らず、捕まる一歩手前のギリギリまで持ち堪えるのがやっとだった。
ゼエゼエと呼吸を乱し、小さい肺から既に吐き尽くした白い吐息で森を埋めていると、間も無くレースの終着点とも言うべき巨大な樹が両者の目前に聳え立っているのが確認できた。
ひたすら直進で走り続けていた彼女にとって、差し迫る大木をF1レーサー並みに急カーブしてかわすことなど敵わず、ついに袋小路の逃げ場のない舞台に追い詰められてしまった。
「も、もうダメだ〜!」
絶体絶命の窮地に立たされ、幼女は目を瞑って絶望的な視界を閉ざした。
――ああ。私ここで死んじゃうんですね。まだ五歳なのに。まだやりたい事いっぱいあったのに。
いきなりこんな訳の分からないところに来ちゃって、変なドラゴンみたいなのに追いかけられて。
さようならみんな。私が居なくてもどうかお元気で――
辞世の句を頭の中で一通り読み終えた彼女は、さぁ殺せと言わんばかりに自身の肉体を差し出すように両手を羽のように広げた。
それは紛れもない降伏と服従のサインだった。
大トカゲにそれを理解できる知性があったかは甚だ不明だが、舌なめずりをして乾いた眼を大きく開いたところを見るに、完全に食事の態勢に入った事は疑いようのない事実だった。
トカゲの粘性に富んだ唾液に濡らした牙が、幼な子を丸呑みしようと噛み付かんとしたその時――
「諦めんなよ!」
木の上から甲高い声がした。直後に地鳴りでもあったような轟音が炸裂する。
何事かと思って彼女が閉ざした世界に今一度目を向けてみると、先程まで生殺与奪のサーキットを駆け巡っていたトカゲが物も言わずに伸びており、そこには赤髪の二つ結びの女児が座り込んでいた。
それは彼女にとって見慣れた、良く知る人物であった。
「はるかちゃん⁉︎」
この場に決しているはずのない存在の突然な出現に、黒髪の幼子は戸惑いを隠せないばかりだった。
「どうしてそこで諦めるんだ! お前……もうちょっと頑張ったらなんかこう奇跡がふぁーっと起きて、倒せたかもしれないだろ! やれるやれる。やれるって思わなきゃ殺られるんだって! 尻込みして息切らしながらへこたれてんじゃないよホントにもうはいそこで正座!」
「私、責められる立場なんですか⁉︎ そんでもって折角の再会の言葉がそれ⁉︎」
かくして、黒髪の幼女榎本つぐむと赤髪の皆代はるかは、異世界に鎮座する森の奥地で再会を果たす事になった。
◇ ◇ ◇
「それにしてもここ、どこなんでしょうか」
「さぁな。何でも聞いたら人が答えてくれると思ってんなら甘々だぜ。てめぇの事くらいてめぇで勝手に判断しやがれ」
「なんでそんなバッサリ言い捨てちゃうんですか。あといつまで正座してれば良いんですか私……」
ぬかるんだ地面に両足を膝から水平につけたまま、つぐむはしばらくそこから動いていなかった。
はるかはそんなつぐむを見下ろすようにトカゲの上に乗ってふんぞり返っていた。
「あと誤解を一つ訂正しておくぜ」
「なんですか」
「こいつドラゴンじゃなくてヘンドリフォン・ドリミアンゼ・スラッシュファルコンリザードフォレストガードナーだぜ」
「何て⁉︎」
聞き慣れないゲームの専門用語のような単語が耳に飛び込んできたつぐむは、当たり前のように耳を疑い、叫び声を上げた。
「いや五千歩くらい譲ってドラゴンじゃないのは認めますけども、ヘ、ヘンドリ……フォ、フォレスト? 何なんですか! 今時ゲームのモンスターでもそんなに長い名前の奴いないでしょう! 下手したら名前の欄2行いっちゃうじゃないですか‼︎ ていうかなんではるかちゃんがそんな事知ってるんですか!」
「知らん。今俺が命名した気がするし、ここにくる道中モンスターグリモワールを持っている金持ちのイケメン紳士に遭遇した気もする」
「可能性があるかないかで言えば、どう贔屓目に見積もっても確実に前者のケースですね……金持ちとイケメンの必要性ったら……」
ため息混じりに呆れるつぐむなど全く意にも介さず、はるかは「じゃ行くぞ」とリザードに乗るのは飽きたと言うようにぬめりを帯びた背中を滑り台のようにして降りた。
「待ってくださいよ! 行くってどこにですか?」
「決まってんだろ! 生きて……いくんだよ!」
「え、ええ〜…………」
格好つけるように落ちてた葉っぱを引きちぎって口に咥えたはるかを、もうどうしようもないといった眼差しでつぐむは見つめていた。
行く当てもないので再びつぐむは前方のはるかを見失わないように注意しながら森の中を歩いて行った。
それまでは静寂を守り続けていた森も、はるかについていって歩いていくに従って次第に薄暗く、喧騒に満ちたものに変貌していった。
その様子がなんだか恐ろしくなり、つぐむははるかのスモッグを掴みながらゆっくりと歩を進めていた。
「おいそんなに纏わりつくんじゃねぇよ。歩き辛ぇじゃねぇか」
「何もそんな邪険に扱わなくても良いじゃないですか……不安なんですよこの先」
「心配すんなって。もしこの先バケモンに出くわしてもとりあえず先手で目と喉は潰すからさ」
「いや怖過ぎるでしょそれ。はるかちゃんがバケモンになってるじゃないですか」
やがて二人の旅路が終結するように、陽の光に満ちた世界に飛び出した。
「おおーっ。ここは見晴らしが…………って崖ぇ⁉︎」
そこは今にも崩れそうな崖が存在する、陽気な日差しを浴びてピクニックするにはちょっと狭苦しいスペースが残されている大地だった。
よっこらせとはるかは何の躊躇いもなくその場に腰を下ろした。
それに合わせてつぐむも渋々座り付いた。
「よーし、ほんじゃましこたま腹でも満たすか」
「普通にお腹すいたんですね……。でも申し訳ないんですが私何も持ってきてないですよ」
「大丈夫大丈夫。こんなこともあろうかとさっきのフォレストリザードから尻尾引きちぎっておいたから」
そう言うとはるかは園児服の胸ポケットから森の木々数十本にも匹敵するほどの大きさの肉を取り出した。
「いやどんだけ手際良いんですかついさっきのさっきで! そんで今それどうやって取り出したんですか⁉︎ どう考えてもポケットの大きさに合ってないでしょ! てか名前途中で変わってません?」
「いやな。この世界どうやら一度拾ったもんがデカさ関係なく入手アイテムとして変換されるみてーでな。手当たり次第ポッケにぶちこんでたら結構色々溜まっていったぜほら」
矢継ぎ早のように繰り出されるツッコミに対して、息つく間もない速度ではるかはぽいぽいと自身の矮小なポケットから入手したアイテムを放り出した。
苺と柘榴を足して二で割ったような容貌の果実に、明らかにその辺でへし折ったであろう木の枝、鉄製の車輪一個、その他ガラクタや虫の死骸がびっしりと詰まっていた。
「いくらなんでも拾いすぎでしょう」
「幼稚園児ってなんでもかんでもポケットに詰め込みたくなる生き物じゃん?」
「確かにその気持ちは分かりますけど……。はるかちゃん絶対ゲームとかでも片っ端からアイテム拾ってカバンとかパンパンにしちゃうタイプでしょ」
「よく知ってんな小僧」
「いや年下でしょうが」
はるかは得体の知れない木の実を軽く口に放り込んで、飲み込む前に「ぺっ!」と汚い唾と共に地面に吐き出した。
その様は完全に往年の貫禄あるオヤジ俳優であった。
「そう言う時は7:3の法則で換金アイテム値段順に多め、回復アイテムを困らない程度に残して後は全部食うか捨てるかするぜ」
「コアゲーマーが過ぎますよ……生まれてからまだ四年かそこらの身空でどんだけゲームに精通してるんですか……。それなら初めからめちゃくちゃ拾わなければもっと楽なのでは……?」
「いついかなる状況になるか分からないからな。目につくもんは拾えるだけ拾っておいても損はねぇよ。まぁそれで後換金所行ってしょっぱい金額吐き出しやがったら店主締め上げて、店の前で売れなかったアイテム撒き散らすんだけどな」
「完全に八つ当たりじゃないですか。威力業務妨害も甚だしいのでやめてあげてください」
つぐむはしげしげとはるかのポケットから取り出された品々を一通り見定めるように覗き込んで、あちこちつついていた。
中でも彼女のお眼鏡にかなったのは、木の実の方だった。
赤い実をぷらぷらとさせながらつぐむはじっと揺れる果実を見つめた。
「これ…………食べられるんですか?」
「ああ。それ食ったら多分全身の血が噴き出して失血死するからやめとけ」
「いやなんでそんな危険極まりないアイテムここまで持ち込んでるんですか! 私みたいな無知な人間が誤飲したらやばいじゃないですか! 早めに捨てておいてくださいよ!」
「なんかの時に役に立つかな〜って。でなんでそれに致死性の毒があるかって言うとだな。森ん中で目ぇ覚めた後しばらく歩いてると、木のとなりに居たおっさんが『み、……水ぅ……』って皺まみれの顔苦痛に歪ませてもがいてたからよ。まぁ水なんて気の利いたモンなかったから、代わりに落ちてたその木の実口ん中にぶち込んだんだ。で、そしたらおっさんが血ぃ噴いて死んだ」
「おっさん殺しちゃったんですか⁉︎」
「多分称号『駆け出しのおっさんキラー』をトロフィー獲得したと思う」
「獲得するわけないでしょう! それただおっさん殺害しただけじゃないですか! 誰が与えるんですかそんな人殺しの称号! ていうか人殺しに駆け出しもクソもないでしょ!」
「おいおいてめぇクソとか仮にも女の子がそんな汚ねえ言葉遣いしてんじゃねぇぞぶち食い殺がすぞボケ」
「今のはるかちゃんより汚い言葉遣いしてる人類いないですし、今のはるかちゃんには絶対言われたくないですよ……盗賊の頭でも敬語で謝罪して逃げ出しますよ」
「嘘嘘。本気にした?」
茶目っ気たっぷりにはるかはツインテールを持って揺らして見せた。
その仕草に一体どんな意味が込められていたのかつぐむはまるで理解できなかったが、その発言にほっと胸を撫で下ろした。
「あ、なんだ……殺しはしなかったんですね」
「おっさんは無事土に埋葬したよ。きっとちゃんと安心してあの世に還って逝ったとおもうぜ」
「殺っちまった方は事実なんですか⁉︎」
「トロフィーは出なかったけどな…………」
「だから出る訳ないでしょう! なんでそこそんなに残念そうにしてるんですか! どんだけ『駆け出しのおっさんキラー』欲してるんですか‼︎」
「今の時代資格の一つや二つ、持ってておかねーとキツいだろ? 何の気なしに大卒ぶら下げてハロワに就活行っても追い返されちまうからな」
「園児が今からどんな心配してんですか! 私たちまだ幼稚園すら卒園してないんですよ⁈ どんだけ先を見据えてるんですか! 第一そんな物騒な称号持っててもアサシンやハンターみたいな血生臭い職業にしか就職先無いでしょ!」
つぐむのツッコミに、はるかは大層面白いといった表情で手を叩くばかりだった。
なんだかトカゲと競争していた時よりもどっと疲れが湧いてきたのをつぐむは感じていた。
まだ見ぬはるかの殺めたおっさんに黙祷をし終えると、つぐむは改めて視察を続けた。
提供されたアイテム群に食べられるものが殆ど無いと確信したつぐむは、仕方なく未だはるかが手にぶら下げている巨大なトカゲの尻尾を目にした。
「どうする? 焼かずに食っちまおうか」
「生肉は流石にまずいんじゃないですか?」
「んー昔生肉食った事あるけど結構イケるお味だったぜ。あの焼いたやつの香ばしさってのも中々なんだが、生特有のあの冷たい感触も」
「いや味の話じゃなくて。ていうか、何生肉なんて食べてるんですか! 危ないでしょう園児が‼︎ 大人でも軽く死にますってそれ!」
「大丈夫大丈夫。万が一には腹の中の異物ごと掻っ捌きゃ、最悪生命だけは助かるだろ」
「何をどう間違っても助かりませんってそれ……菌に身体を蝕まれるよりも先に死にますって……」
しかしそうは言っても、辺りを見回してみて何処にも火があるような場所は見受けられない。
ライターやマッチに代表される現代の生活必需品たる便利物は、いち幼稚園児の身分を出ないつぐむが持っているはずもなく、ただただその場であたふたするしか出来なかった。
「仕方ね起こすか」
はるかは持ち物に入れていた木の枝を取り出して天に向かって掲げた。
「何日かかると思ってるんですか……」
「うおおおーっ‼︎ 気合いだ! 気合いだ! 気合いだ‼︎ 気合いだ気合いで気合いが気合いの気合いに気合いだ‼︎」
「暑苦しいだけですって‼︎ っていうか気合いしか言ってないですし‼︎ 今は諦めて大人しく火元を探しましょうよ!」
背中から確かに炎の様に熱いオーラをしきりに放っているはるかではあったが、肝心の手元の木々からは火どころか煙すら立ち上っていなかった。
仕方なく二人はもう一度森に入って行った。
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