第5話 怪異の対象
「ギャハハハ!」
「スッゲー吹っ飛んだな」
「お化けだから擦り抜けると思ったけどな!」
教室の冷たい床の上に倒れた壮太郎の耳に、男子三人組の意地の悪い声が届く。背中に鈍い痛みを感じ、壮太郎は顔を顰めた。
「壮太郎君!」
丈が壮太郎へ駆け寄る。心配そうに壮太郎の体を助け起こした後、丈は廊下に立っている三人組を睨みつけた。
「一体何をするんだ!?」
丈の怒りにも怯まず、三人組はニヤニヤ笑いながら教室へと入ってくる。
「おい、お前。お化け男の友達か?」
「友達なわけないじゃん」
「お化け男に友達がいるわけないし〜」
三人組が声を上げて笑う。
「お化け男?」
何も知らない丈は戸惑う表情を浮かべた。
「そいつと一緒にいたら、お化けに取り憑かれるぞ?」
三人組の一人が得意気に口を開く。
「クラスの女子の一人が授業中に頭が痛いって言ってさ。先生が保健室に連れて行こうとしたら、急にそいつが『霊がいる』って言い出したんだ」
「何も無い所に向かって喋り出してさ、凄く不気味だった。そいつが喋ってる途中、女子が苦しんで倒れたし。しかも、そいつは倒れた女子の背中を殴ったんだ」
「手に鋏を持ってたし、頭おかしいだろう? そいつがお化けを使って女子に呪いを掛けたんだって皆が言ってる」
三人組が話したのは、壮太郎が除け者にされる原因となった入学式の翌日の出来事だった。
たちが悪い霊がクラスの女子に取り憑いてしまった事に気付いた壮太郎は、霊と話して穏便に引き剥がそうとした。
霊が抗って女子を苦しめてしまったが、放っておけば霊に操られた女子が周囲の人間を危害を加えていただろう。
壮太郎が殴ったのは、女子の背中の上にいた霊。女子を殴りつけてはいない。手に鋏を持っていたのは、霊に操られた女子が持っていた物を取り上げただけだ。
違うと叫ぶ事は無意味だと分かっていた。
壮太郎がいくら言葉を重ねても周囲には響かなかった。むしろ、どんどん人が離れていった。
騒ぎの翌日。自分を取り巻く周囲からの嫌悪や悪意に耐えられなくなって、壮太郎は学校から逃げ出した。
(どうせ、見えない人は信じてくれない。人間なんて……)
「それは違う。壮太郎君は、その子を助けようとしたんだと思うよ」
壮太郎は息を呑む。
三人組は適当に言っているだけだが、壮太郎は霊に命じて人を襲わせる事も出来る。結人間家が霊や妖の力を借りて様々な事をするのは、丈も知っている筈。
しかし、丈は壮太郎が『人を助ける為に行動した』と疑いも無く信じている。
「何で、そんな事が言えるの? さっき会ったばかりなのに……」
戸惑う壮太郎に、丈は微笑む。
「壮太郎君が、さっき会ったばかりの俺や呪いを受けた人を助けてくれたからだよ」
壮太郎は唇を噛む。涙が出そうになるのを必死で堪えた。壮太郎と丈を見た三人組は面白く無さそうな顔をした。
「あーあ。お化け男の味方するとか、バッカみてえ」
「お化け男の仲間のお前も倒してやろうか?」
「嫌われ者のお化け男を倒したら、俺達クラスのヒーローだよな」
三人組の嘲笑う声に混じった小さな物音を壮太郎の耳が拾う。音の出所が分かった壮太郎はニヤリと笑った。
「僕をお化け扱いしたいなら、勝手にすれば良いよ。ただ」
カリカリカリ。
何かを引っ掻く音がする。
音の出所へ視線を向けた三人組の顔が引き攣った。
古いキャビネットが振動で揺れている。引っ掻く音は、明らかにキャビネットの中から聞こえていた。
「僕より先に、君達がお化けになるかもね」
ギイィッ。
軋む音を立てながら、キャビネットの扉がゆっくりと開く。
三人組の顔が引き攣り、固まった。
ビチャ……。
水気を含んだ音が教室内に響く。
開いた扉から溢れた黒い水が床に広がる。
バンッ!!
キャビネットの中からはみ出した黒い手が叩く勢いで扉を掴む。
三人組の誰かが、「ヒッ」と情けない悲鳴を上げた。
壮太郎は無感情な目で、背後にある黒い手を見つめる。
『サ………カ…………ン……サ………』
しゃがれた声が聞こえる。キャビネットの中に何かがいた。
黒と白と茶色が混じったボサボサの髪。灰色と赤と黒を混ぜ合わせた肌は干からび、黒い斑点が散らばっている。骨しかない程に痩せ細った風貌。壮太郎達より背が高いが、明らかに子供の背丈の異形のモノ。
(これが呪いを引き起こした、『七番目、閉じ込められた怪異』か)
怪異が一歩前に足を踏み出す。
キャビネットの外に出た怪異は呻き声を上げながら、一番近くにいた丈に近づく。怪異は体を直角に折り曲げ、丈の顔を逆さまに覗き込み、じっと見つめた。
『チ……ガウ』
怪異は丈への興味を無くす。次と言わんばかりに、首を伸ばした怪異が壮太郎の顔を覗き込んだ。
怪異の目の中にある三つの瞳孔が壮太郎を見つめる。
『チガ……ウゥ』
怪異は壮太郎へも興味を無くし、勢いよく首を曲げて男子三人組を見た。
「「「わああああああああ!!!」」」
三人組が大きな悲鳴を上げて一斉に踵を返し、教室の外へ出ようと走り出す。
教室の扉がひとりでに勢いよく閉まる。三人は涙目になりながら開けようとするが、扉はびくともしない。
怪異は折れ曲がった手足を床に付き、四つん這いで進みながら三人組へ近づく。三つに分かれていた瞳孔が一つに集約して、黒々とした大きな瞳孔が三人組を映した。
『イタ』
怪異がニタリと口角を上げる。怪異の口から黒い液体がビチャビチャと音を立てて溢れた。
『イタイタイタイタイタイタイタイタイタイタイタイタ』
狂った様に同じ言葉を繰り返す怪異。
三人組は悲鳴を上げる事すら出来ず、ガタガタと歯を鳴らしてドアの前にへたり込んだ。
「一体、何が起きているの?」
丈が戸惑いの声を上げる。少しでも丈を『対象』だと疑ってしまった事に、ばつの悪さを感じた壮太郎は目を逸らす。
「ごめん。僕は君を誤解した」
「え?」
丈の目に怪異は見えていない。『人外』を見る目を持たず、『対象』でもないからだ。
丈からしたら、キャビネットの扉がひとりでに開き、教室の扉がひとりでに閉まって、三人組が突然何かに怯えている様にしか見えないだろう。
「さっき言いかけた話の続きだけどね。君が探していた呪いは、君が見つけられなくて当然なんだ。君が探してた呪いは、最初は確かに『呪い』の形をしていたんだと思う。だけど、この空間のせいで『怪異』となった。これは、鬼降魔の手に負えない」
壮太郎は怪異の『対象』となった三人組を見る。
怪異が三人組を引き込む際に、近くに居た壮太郎と丈が巻き込まれる形で連れて来られたのだろう。
怪異の体から零れ落ちた黒い液体が、ミミズの様に蠢きながら教室の床を這う。
液体は三人組の肌の上を這い進み、三人組の体に呪いが刻まれていく。
三人組の体に浮き出た呪いの術式に気づいた丈は目を見開く。
丈は三人組に駆け寄り、呪いを解呪しようとする。邪気を増幅させる術式を破壊された怪異は目を見開き、恐ろしい形相で丈を睨みつけた。
『邪魔……オ前モ』
怪異が丈へ手を伸ばした。