第4話 四階の怪異
『壮太郎君。調べてきたよ』
あと十分で四時間目の授業が終わる頃、侑希が壮太郎の教室にやってきた。
壮太郎はノートに『話して』と書く。侑希は頷き、話し始める。
『霊友達に聞いて回った話では、四人とも自分のクラスの子をいじめてた。結構酷い事をしていたみたい。……あとね、四人とも四階にいる怪異に連れて行かれてた』
予想外の言葉に、壮太郎は目を見開いて驚く。侑希は説明を続けた。
『普通の子達は知らないと思うけど、この学校の本校舎には四階があるの。怪談や霊力を集めて生み出された、怪異の世界。四人は四階の怪異の内の一つに招かれた』
(四階がある事に僕も気づいていなかったけど、長い間学校にいる姉さんですら気づいていなかったのかな? この学校は、一体どうなってるの? 他にも怪異があるって事?)
壮太郎は眉を寄せる。壮太郎の疑問に気付いたのか、侑希が口を開く。
『この学校には九つの怪異があるの。君が今調べているのは『七番目、閉じ込められた怪異』。生まれてからずっと眠っていたのに、目を覚ましてしまったみたい』
(九つ……。少し気になるけど、もう学校に来る気は無いし。とりあえず、鬼降魔の子が調べている事だけでいいか)
ノートに『どうやって四階へ行くの?』と書くと、侑希は首を横に振った。
『四階には行かない方がいい。招かれた四人は、怪異が帰したから戻って来れただけ。もしかしたら、現実世界に帰れなくなるかもしれない』
壮太郎は侑希をじっと見つめる。圧力を感じた侑希は苦い顔で口を開く。
『四階に繋がる黒い扉、『一番目、怪異に繋がる怪異』を通れば行けるよ。ただ、決まった場所にあるわけじゃないの。怪異に求められるか、もしくは怪異を求めた子供の前に現れる』
侑希は壮太郎の真正面に立ち、屈んで目線を合わせる。
『壮太郎君は他の人には無い力を持っているみたいだけど、まだ幼くて力も不十分。四階の怪異達は、君一人では太刀打ち出来ないよ』
頷かない壮太郎に、侑希は溜め息を吐く。
『壮太郎君は強情だね。だけど、忠告はさせてもらうよ。黒いノートの持ち主に会ったら、全力で逃げて』
意味が分からず、壮太郎は眉を寄せた。侑希は真剣な顔で口を開く。
『この学校の怪異達を生み出した黒いノート。『零番目、始まりの怪異』には、人の欲望を叶える怪異の生み出し方が載っているの。そのノートが……』
言葉を紡いでいた侑希が突然目を見開いて固まる。壮太郎の肌が粟立つ。
ーーーー後ろに、何かいる。
『ア゛アアア』
低い呻き声と荒い息遣いが近づいてくる。壮太郎の背中に冷や汗が伝った。
侑希は壮太郎の後ろにいる何かを睨みつけ、『あっかんベー』をする。
『鬼さんこちら!』
侑希が囃し立てながら教室のドアの前へ行くと、壮太郎の背後にいたモノがズルリと這うように移動する。
艶のある黒い塊に、切り取られた複数の人の体の一部が無秩序にくっついた異形のモノ。
侑希は壮太郎に向かってニッと笑って親指を立てると、教室を出て行く。異形のモノは八本の手足を素早く動かして這い進み、侑希を追いかけて行った。
壮太郎は思わず席を立ち上がる。
数秒遅れで授業の終了を知らせるチャイムが響いた。
「結人間君。号令がまだでしょう?」
女性教師の注意は、壮太郎の耳に届いていなかった。
壮太郎は教室を出て廊下を見る。既に侑希や異形のモノの姿は無かった。
後ろから肩を乱暴に捕まれ、壮太郎は教室内に引っ張られる。壮太郎が振り返った瞬間、強い力で頬を打たれた。壮太郎は教室の壁に頭をぶつける。頬と頭に痛みを覚えながら、目の前に立つ人物を見上げれば、女性教師が冷たい目で壮太郎を見下ろしていた。
女性教師は溜め息を吐いた後、静まり返った教室を見て口を開く。
「日直の人は号令を。掃除の時間ですよ」
クラスの子達は、壮太郎を見て意地の悪い笑みを浮かべていた。
号令が終わり、クラスの子達は掃除をする為に担当する場所へ移動する。
教室掃除担当の壮太郎は、掃除の時間を無視して廊下に出る。
侑希を探しに行こうとした壮太郎の右太ももに痛みが走った。
「うわ! すげえ良い音がした!」
「いいスイングだろう?」
「次、俺な」
意地の悪い笑みを浮かべた三人組の声が背中越しに聞こえる。壮太郎の足を、三人組の一人が箒の柄で殴ったようだ。
壮太郎は三人組を振り返り、睨みつける。
「何だよ。お前が掃除をサボろうとしたから、俺達が止めたんじゃないか」
「悪いのは俺達じゃなくて、お前でーす!」
「おい、皆。こいつ掃除サボろうとしてるぜ」
三人組に同調した周囲の子達が壮太郎の悪口を言い始めた。壮太郎は震える拳を握りしめる。
「だからって」
言い返そうとした壮太郎の足元に、濡れた雑巾が投げつけられる。汚れた水が飛び散り、壮太郎の上履きを濡らした。
「お前が来ると、皆が嫌な気分になるんだよ!」
「もう二度と学校に来んな! ばーか!!」
三人組以外のクラスの男子二人が壮太郎に暴言を吐く。壮太郎は息を呑む。二人は入学式の日に壮太郎に話しかけてくれた子達だった。
壮太郎は奥歯を噛み締め、その場から逃げ出した。
周りの音も景色も遠くに感じる。掻き毟られた心が悲鳴を上げていた。
人の中に、一秒でも長く居たくなかった。
壮太郎は足に力を込めて走る。
「壮太郎君!」
突然腕を掴まれて振り返ると、箒を手にした丈がいた。
「壮太郎君、大丈夫?」
急に人間の言葉を忘れたように、壮太郎は返事が出来なかった。
「顔色が悪い。それに頬も少し腫れてない? 一体、どうしたの?」
丈はハラハラとしながら、心配そうに壮太郎を見つめる。顔を隠すように俯いた壮太郎の手を、丈がそっと掴んだ。
「とりあえず保健室に行こう?」
丈は箒を廊下の壁に立て掛け、壮太郎の手を引いて歩き出す。壮太郎は手を引かれるまま、前を歩く丈の背中を見た。
(この子に伝えておかないと)
壮太郎は、もう二度と学校に来ないつもりだ。侑希の事も気掛かりだが、姉にお願いして調べて貰えばいい。丈と会うのも、これっきりだろう。
「ねえ、さっきの呪いの話だけど……」
壮太郎が伝えようとした時、丈が足を止めて首を傾げた。
「あれ?」
先程まで廊下が続いていた筈なのに、二人はいつの間にか見知らぬ教室の入口に立っていた。
開かれたドアの先には、端に寄せられた机や椅子、古いスチール製のキャビネットが置かれている。
キャビネットには呪術の術式が描かれていた。キャビネットの扉には、マグネットで古びた紙が貼られている。端の方が少し黒ずんだ紙の上には、赤い文字で人の名前が書かれている。
壮太郎と丈は息を呑んで顔を強張らせる。目の前にあるのは、紛れもない呪いの儀式の場だった。
壮太郎はハッとする。術式の構築の特徴が、調べていた呪いとよく似ていた。
二人は呪いを受けた子達が話していた『知らない教室』の入口に居た。
「何で? 僕達は対象にならない筈……」
壮太郎は戸惑い呟く。丈は首を傾げた。
「対象?」
「ここは、君が探していた『知らない教室』なんだと思う。呪いを受けた子達の共通点は『誰かをいじめる子』なんだ。ここに僕達がいるって事は……」
会ったばかりで、丈の事は何も知らない。人を助けようとしていた事や、知らない教室を探しても辿り着かなかったという話から、対象ではないと思っていた。
壮太郎は繋いでいる手を振り解き、敵意を込めて丈を睨みつける。
「君も誰かをいじめる人間なの?」
丈の目が見開かれる。
体に衝撃が走り、視界が揺れる。
壮太郎は『知らない教室』の中へ体を突き飛ばされた。