第3話 浮遊霊の少女
気絶した高学年の子を新校舎に居た教師に任せた後、壮太郎と丈は渡り廊下に戻った。周囲に人がいない事を確認し、丈は呪いについて話し始める。
「俺は呪いを受けた人を偶々見て、この学校にある呪いを知ったんだ」
先週、丈が保健室の前で教師と話をしていた時。四年生の女子生徒が一人でフラフラと廊下を歩いていた。
新校舎で過ごす学年の生徒が本校舎に来るのは、保健室か職員室のどちらかに用事がある場合が多い。
女子生徒は保健室を目指しているのか、職員室を通り過ぎた。
女子生徒を心配して丈と教師が歩み寄った時。職員室と保健室の間にある展示用のガラスケースに女子生徒が頭をぶつけた。命に別状はなかったが、女子生徒は病院に運ばれて頭を数針を縫う事になった。
「”貧血で倒れたせいでガラスケースにぶつかった”と先生は思っていたけど、違う。四年生の人は、自分からガラスケースに頭をぶつけていた。四年生の人の体には、渡り廊下から飛び降りようとした人と同じ術式が纏わりついていた」
術式を調べようとした丈は、音を聞きつけて集まってきた教師達によって女子生徒から離された。丈がもう一度女子生徒を見た時には、術式は消えていた。
女子生徒は誰かに個人的な恨みを向けられ、一度だけ効力を発揮する呪いを受けたのだと丈は解釈した。
「だけど、その次の日。呪いの被害に遭った人が新たに二人出たんだ。二人目は俺も後から知ったけど、自分の手の甲を彫刻刀で突き刺したみたい。三人目の人は俺が保健室にいた時に運び込まれてきた」
昼休みに丈が怪我をして保健室にいた時。骨が折れるまで自分から鉄棒を殴り蹴り続けたという五年生の男子生徒が、教師達によって保健室に運び込まれた。丈が見た時には男子生徒の体に術式は無かったが、邪気と呪いの残滓が纏わりついていた。
立て続けに起きた出来事。複数人が被害に遭っている事から、『個人』ではなく『集団』で狙われている可能性があると丈は考えた。
「呪いを受けた人は皆、おかしな行動をする前に『知らない教室に居た』って同じクラスの人に話してたみたい。たぶん、それが呪いの在処だと思う」
「何で知ってるの?」
この地域は集団登校がなく、学校行事以外で他学年と交流する事は無いと姉の琴子から聞いている。
被害に遭った人達は新校舎側にいる生徒。姉が何も話さなかった事から考えて、噂として広まってもいないだろう。
丈の両肩に緑色の光が集まる。現れたのは、緑色の光を纏う二匹の鼠だった。
「俺の加護の『子』に調べさせたんだ」
鬼降魔家は干支の動物の加護があり、加護には様々な使い道がある。
丈は自分の視覚や聴覚を加護と共有する事で、誰かが話している所を見聞きしたのだろう。
(鬼降魔の加護か。初めて見るけど何だろうこれ? 少しだけ神使に似てる。色んなモノを混ぜ合わせて作ったみたいな………変なモノだな)
壮太郎は丈の加護を見つめて眉を寄せた。
「加護に『知らない教室』を探してもらったけど、新校舎も本校舎も呪いがある教室が見当たらない。さっきも新校舎を調べに行ってたんだけど、結局分からなかった。ねえ、壮太郎君。一緒に探してくれない?」
「何で? 三家の呪いでも無いし、君の友達が被害を受けた訳でもないでしょ?」
「確かに友達じゃないけど。呪いなら、俺に何か出来る事があるかもしれない」
真っ直ぐな丈の言葉に、壮太郎の心が騒つく。
意地の悪い気持ちが胸の中にジワジワと広がり、目の前の気に入らない存在を排除したくなった。
「くだらない。君は人間を知らなすぎる。鬼降魔の力を使って人を助けた時、君は除け者にされるよ。人間は皆、自分とは違うモノを除け者にして酷い事をする。嫌な奴だらけの人間なんて助けてやる必要ない!」
怒りを露わにする壮太郎に驚いた後、丈は首を傾げる。
「『皆』って誰? 壮太郎君は、世界中の人全員に会った事があるの?」
「は?」
「この世界には、びっくりする位たくさんの人がいるらしいよ。壮太郎君が知っている『皆』は何人かでしょ? 壮太郎君が知らないだけで、違っても仲良く出来る人がたくさんいるかもしれないよ?」
怒るわけでも教えるわけでもなく、純粋な疑問として言葉を紡ぐ丈。壮太郎が言い返す言葉を探していると、丈がふわりと笑った。
「俺は壮太郎君と友達になりたい」
壮太郎は目を丸くする。驚きすぎて、心に渦巻いていた黒い気持ちが霧散した。
三時間目の予鈴のチャイムが響き渡り、丈がハッとする。
「俺の教室は遠いから先に行くね。また放課後に話そう! 約束!」
丈が笑顔で言って、壮太郎の前から去る。
丈の姿が見えなくなった後、ようやく壮太郎の思考が動き、一方的な約束を取り付けられた事に気づく。
「ちょっと!? 僕、帰るつもりだったんだけど!?」
***
結局、壮太郎は学校に残った。
(別に、あの子に友達になりたいと言われたからじゃないし。途中で帰ったら、姉さんに家で何かされるからだし。半日だけだから……)
壮太郎は心の中で自分に言い訳をする。放課後に丈と会った時に、協力しないと断ればいいだろう。
授業を聞き流しながら、壮太郎は先程見た呪いの術式をノートに描いて眺める。
(『知らない教室』が呪いの大元がある場所だとして、気になるのは『知らない教室に居た』という話だ。自分の意思じゃなくて、強制的に連れて行かれたって事だよね。四人には、呪いの対象になる何かがあるのかも)
頭の中で仮説を立てていた壮太郎は、ふと視界が薄暗い事に気づく。
顔を上げれば、担任の女性教師が鋭い目で壮太郎を見下ろしていた。
「今は算数の時間よ? どうして落書きなんてしてるの?」
女性教師は壮太郎の落書きを見て、不気味な絵にギョッとしたのか目を見開く。女性教師は壮太郎のノートを奪い取った。
「ようやく学校に来たと思ったら、本当に駄目な子ね」
女性教師が壮太郎を睨みつけて馬鹿にする。クラスメイト達もヒソヒソ声で壮太郎を嘲笑った。
授業の終了を知らせるチャイムが鳴り響く。
女性教師は壮太郎のノートを取り上げたまま教壇へ戻る。日直が号令を掛け、三時間目が終了した。
壮太郎は教室を出て、足早に廊下を進む。廊下の角を曲がって姿を消す御守りの呪具を握りしめ、壁に背中を預けて立ち止まる。複数の足音が聞こえ、三人組が姿を現した。
三人組は壮太郎が居ない事に驚いて視線を彷徨わせる。不思議そうに顔を見合わせた三人組は、周囲を見回しながら踵を返して去って行った。
(本当に嫌な奴らだな)
嫌がらせをするつもりで追いかけて来たのであろう三人組に、壮太郎は溜め息を吐いた。
『福丸さん。今夜開催する”不審者おじさんと夜の鬼ごっこ大会”に骨格標本が参加するって』
『やった! 人体模型君と骨格標本君の理科室二大巨頭が参戦するとなれば、会場は盛り上がるね!』
『えー? でも、あの二体って、結構壊れやすいだろう? 途中で壁にぶつかったりして、体の一部をバラ撒いたりしないか?』
『それなら鬼ごっこの後に”落とした体を皆で集める大会”を開けばいいよ。あの二体だけじゃなくて、他にもはしゃいだ人が首とか目を落とすかもだし。これで出場予定枠の三十体が埋まったし、参加者達に声を掛けてくるね!』
頭上から聞こえてきた話し声に、壮太郎は顔を上げる。
天井を通り抜けて三階から二階に降りてきた浮遊霊が三体いた。
おかっぱ頭の淑やかそうな大人の女性。
五、六年生くらいのツインテールのセーラー服姿の女の子。
四、五年生くらいのパジャマ姿の男の子。
壮太郎は手を伸ばしてジャンプし、浮遊霊の女の子の腕を掴む。浮遊霊達は目を見開いて驚いた。
『な、ななな何をぉ!?』
『何だお前!』
女性と男の子の浮遊霊が声を上げる。女の子の浮遊霊は自分の腕を掴んでいる壮太郎を見下ろし、目をパチクリとさせた。
『君、誰? どうして私の腕が掴めるの?』
壮太郎は答えず、女の子を見上げて口を開く。
「ちょっと頼みたい事があるんだけど」
抗議しようと前のめりになった男の子を視線で制した後、浮遊霊の女の子は壮太郎の前にふわりと降り立つ。
『何か訳ありかな? いいよ。お姉さんに話してごらん』
「今月この学校で自分から怪我をするおかしな行動をした生徒が四人いたんだけど、その人達が誰かをいじめていたとか、誰かにいじめられて無かったかを調べて欲しいんだ」
四人に掛けられた呪いには邪気が絡んでいた。
呪いの大元の場所にあった邪気が纏わり付いただけの可能性もあるが、『邪気を増幅させる術』が掛けられていた事から、本人が元々邪気を持っていたか、誰かに邪気を向けられていたという事になる。
先程の浮遊霊達の話からして、目の前の浮遊霊の女の子は学校にいる幽霊達に顔が広いようだ。情報を集めるのに適していると、壮太郎は判断した。
『いじめ……。本当、そういうのって無くならないよね』
浮遊霊の女の子は顔を顰めた後、拳を握りしめる。
『わかった! この学校の子供達のヒーロー、福丸侑希ちゃんが調べて来てあげるね!』
正義感に燃える浮遊霊の女の子、侑希が大きな声で請け負う。張り切っている侑希に、壮太郎は少し引いた。
侑希は壮太郎の名札を見て、名前を確認する。
『壮太郎君か。よろしく! 私の事は”侑希お姉ちゃん”って呼んでね!』
(面倒臭そう。頼む相手を間違えたかな)
壮太郎は少し後悔する。
侑希達と別れ、周囲に人がいない事を念入りに確認して術を解除する。
三人組に絡まれない様に、壮太郎はチャイムと同時に教室に戻った。