第2話 呪いの一族の少年
四月二十ニ日、土曜日。
居間で朝食を済ませた壮太郎が廊下に出ると、白銀色の縄が腹に一瞬で巻きついた。壮太郎を拘束する縄の先を手に持ち、姉の琴子が勝ち誇った笑みを浮かべる。
「あはあ! ようやく捕まえたわよ、壮! さあ、学校に行くわよ!!」
上機嫌な姉がスキップ混じりに廊下を進む。
土曜日は学校で半日授業がある。琴子は土曜日は壮太郎を学校に連れて行こうとしなかった為、完全に油断していた。
術を解呪しようと縄の呪具へ目を向けると、壮太郎では解呪が不可能な高度な技術と知識によって作られた術式が描かれていた。
「じいちゃん! 何で姉さんに呪具をあげたの!? 酷いよ!!」
呪具の製作者であろう祖父に恨みを叫ぶ。
居間にいる祖父が返事をする前に、琴子が壮太郎を玄関まで引っ張って行った。玄関には琴子と壮太郎のランドセルが置かれていた。
「私が嘘泣きして、お祖父様に頼んだのよ。ほら、靴を履きなさい」
「性悪すぎない!? 姉さんが好きな人に振られた時、相手の人を”見る目が無い”って悪く言ってたけど、その人は見る目あるよ! 姉さんと一緒にいたら絶対に苦労するもん!」
「壮ちゃーん? 今、お姉ちゃんの殺意メーターが振り切れちゃう言葉が聞こえたんだけど気のせいかしらぁ? さあ、楽しい学校に行きましょう! 逃げ出したら、お姉ちゃん色々やっちゃうかも〜」
「色々って何!? ちょっと、姉さん!! 待ってよ!!」
姉はグイッと乱暴に縄を引っ張る。
二度と行かないと思っていた地獄の場所へ、壮太郎は強制的に連行された。
***
本校舎の二階にある一年ニ組のプレートの下にあるドアを姉が開く。
姉に背中を押されて、壮太郎は教室へ入った。
クラスメイト達が一斉に静まり返って壮太郎に注目する。徐々に広まるヒソヒソ声は、壮太郎を異物として排除しようと画策していた。
予鈴が鳴った。あと五分で朝の会が始まる。
すぐに出て行きたいが、まだ姉が教室の前の廊下にいた。姉は「席に着け」と顎で示す。
壮太郎が苦りきった表情で自分の席に着くと、姉は去っていった。
ドアが開き、担任の女性教師が教室内に入ってくる。
壮太郎が学校に来ている事に、女性教師は僅かに目を見開いて驚く。女性教師の目が細められ、嫌悪の表情を向けられた。
逃げる機会を失った事に、壮太郎は溜め息を吐いた。
朝の会や一時間目と二時間目は、陰口を言われて消しカスを投げられる程度で平穏無事にやり過ごせた。
中休みの時間になった時、取り囲まれる気配を感じて壮太郎は顔を上げる。
「何で学校に来てんだよ。お化け男」
「トイレの花子さんの所に行けよ」
「幽霊しか友達いないもんなー」
意地の悪い笑みを浮かべたクラスの男子三人組が壮太郎を見下ろしていた。
面倒臭いと思いながらも、壮太郎は三人組を睨みつける。
「残念ながら僕は人間だし、この学校に花子さんはいない。友達が出来ないんじゃなくて、君達みたいな人と友達になりたくないだけだよ」
三人組は醜悪に顔を歪める。三人組の一人が、壮太郎の机を蹴りつけた。
「バーカ! お前に友達が出来ないのは、お前が皆に嫌われているからだよ!」
「学校に来んな! 嫌われ者!」
「かーえーれ! かーえーれ!」
三人組は心底楽しそうに「帰れ」を連呼する。次第に周囲にも広がり、教室にいた他の子達も真似して「帰れ」の大合唱になった。
壮太郎はランドセルを持って教室を飛び出す。勝ち誇る奴らの嫌な高笑いが教室内に響いた。
早く家に帰りたいが、一階の昇降口付近には職員室があり、ランドセルを持って一階に降りれば、教師達に見つかってしまう。姿を消す呪具を使えばいいのだが、中休みの間は昇降口を出入りする生徒が多く、ぶつかって騒ぎになる可能性があった。
中休み後に帰る方がいいと考えた壮太郎は、本校舎と新校舎を繋ぐ渡り廊下に出る。渡り廊下に人の姿は無く、壮太郎はホッと息を吐いた。
壮太郎はランドセルを足元に置き、廊下の目隠しフェンスに背を預けて座った。
離れた場所にある校庭から、楽しげな笑い声がたくさん聞こえてくる。除け者にされたような疎外感に胸が騒ついた。
(やっぱり僕は人間には向いてない)
俯いた壮太郎の頭に浮かぶのは、七紫尾の狐の言葉。
人間ではない存在になるという誘い。
上手く人間の輪の中に入れない壮太郎には、とても魅力的に思えた。
(………このまま、七紫尾の狐の元に行こうか)
「待って! 行っちゃダメだ!!」
壮太郎は弾かれたように顔を上げる。
声がした方へ視線を向けると、新校舎の方から男子二人がこちらへ走ってくる。
おかしな光景に壮太郎は眉を寄せる。
前を走る涙目の高学年の子を、険しい顔をした低学年の子が追いかけているのだ。
高学年の子の肌の上を黒いナニカが這い回る。
飛び降りようとしたのか、高学年の子が渡り廊下の柵に足を掛ける。低学年の子が後ろから高学年の子を羽交締めにして必死で止めていた。
(あの黒いのは邪気を利用した呪いか。……しかも、だいぶ強いな)
邪気は、誰かを害する悪意の感情。
体の外部に作用し、悪意を向けられた相手に怪我や病気や不幸を招いたりする。
また、邪気は呪術に力を与える効果もある。邪気によって力を得た呪いが、高学年の子を苦しめていた。
(誰かに恨まれて呪われたか。もしくは、何かの呪いに手を出したか)
低学年の子の体が緑色の光を纏う。壮太郎はハッとした。
結人間、天翔慈、鬼降魔の三家が扱う事が出来る力は、三家の人間の目には『光』として映る。
結人間は一族全員が白銀色の力。天翔慈と鬼降魔は多種多様な色の力を持つ。
(そういえば、小学校には鬼降魔の子がいるって姉さんが言ってたな)
鬼降魔の子は、呪いを解呪する為に力を使っているのだろう。
(だけど、あの子に解呪出来るかな?)
高学年の子に掛けられた呪いは、一目で三家の術では無いと分かる物だった。
三家以外にも、呪術を扱う家はある。家が違えば、術式や技法、道具も異なってくる。
同じ日本語でも方言があるように、場合によっては外国語と思える程に違いがあるのだ。
解呪は呪いを分解する為、呪いの法則を見つけて読み解かなければならない。適切に読み解けなければ、呪いが捻れて悪化する危険性がある。
高学年の子の体には、邪気を増幅させる術式と邪気を利用して体を害する術式があった。
鬼降魔の子は呪いを読み解き、邪気を増幅させる術式を破壊した。呪いの力が一瞬緩まったのか、鬼降魔の子が高学年の子の体を床へ引っ張り倒す。
(あの子、結構出来るみたいだね。でも、最後の一つは解けないかな)
鬼降魔の子も手こずっているのか、邪気を利用した呪いの解呪が進まない。
増幅は止まったが、既に大量の邪気が高学年の子の体に纏わりついていた。
高学年の子は白目を剥き、体を痙攣させる。鬼降魔の子は悔し気に顔を歪めた。
(残念だったね。まあ、人を助けても良い事なんてないよ)
興味を失った壮太郎の視界に、銀色の煌めきが映る。
鬼降魔の子が手に持っている銀色の棒が太陽の光を反射していた。
研いだ鉛筆のような形の金属製の棒は、鬼降魔の術者が主に使う『銀柱』と呼ばれる呪具だった。
鬼降魔の子は銀柱の鋒で自分の掌に傷つけると、血を利用して術式を紡ぐ。
高学年の子を襲う邪気を鬼降魔の子が自分の体へ移そうとしているのだと、察した壮太郎は眉を釣り上げる。
「ああもう! バッカじゃないの!?」
壮太郎は思わず声を上げる。鬼降魔の子が驚いて顔を上げ、壮太郎を見た。
「そんな事をして、君まで共倒れしてどうするの!? 本当にバカ! 見てられないよ!」
苛立った壮太郎は、早歩きで二人に近づいた。
戸惑う鬼降魔の子を無視して、壮太郎は高学年の子の体に浮かぶ術式に手を翳す。
壮太郎の掌から結人間の力である白銀色の光が生まれ、高学年の子の体を這う黒の術式を包む。
壮太郎は物心ついた頃から、優れた術者である祖父に呪術を教えられている。
まだ未熟ではあるが、例え三家の術では無くても呪いの法則を見つけて解く事が出来る力と知識を身につけていた。
白銀色の光が黒の術式を侵食する。高学年の子の体から黒い術式が剥がれて宙に浮く。壮太郎が手を横へ払う仕草をすると、黒の術式が解け、塵となって消えた。
高学年の子の痙攣が止まり、苦し気な息から健やかな寝息へと変化する。
「すごい……」
鬼降魔の子の呟きに、壮太郎はハッとする。
(つい助けちゃった。面倒事に巻き込まれる前に逃げないと)
「ありがとう! 俺だけじゃ助けられなかった! 君は凄いね!」
真っ直ぐな尊敬を込めたキラキラした目が壮太郎を見つめる。どういう顔をしたら良いか分からず、壮太郎はそっぽを向いた。
「別に。大した事じゃないし」
ツンとした壮太郎の態度も気にせず、鬼降魔の子はニコリと笑う。鬼降魔の子は立ち上がると、壮太郎へ握手を求めて手を差し出した。
「俺は鬼降魔丈。一年五組。君は結人間の子?」
白銀色の光で、壮太郎が結人間家の人間だと分かったのだろう。無視しようとしたが、丈に期待の眼差しで見つめられた。壮太郎は苦い顔で口を開く。
「結人間壮太郎」
「壮太郎君か。よろしくね」
握手は出来なかったが、名前を教えて貰えて嬉しかったのか丈は微笑む。丈は高学年の子を見下ろして眉を寄せた後、真剣な顔で壮太郎を見る。
「壮太郎君。お願いがあるんだけど」
「嫌だ」
壮太郎が間髪入れずに断ると、丈が悲しそうに眉を下げる。居た堪れない気持ちになり、壮太郎は仕方なく口を開く。
「話を聞いてあげるくらいならいいよ」
丈は嬉しそうに頷いた後、再び真剣な顔で口を開いた。
「俺と一緒に、この学校にある呪いを解いて欲しい」
周囲の木々がザワリと大きな音を立てる。
結びの一族である結人間壮太郎。呪いの一族である鬼降魔丈。
二人の出会いは、一つの呪いと共に訪れた。