昔の話
オズから注文を受けて3日後。できた!と大きな声をあげて眠るウィロウの元へ駆け寄ったレイラは、ベットに潜り込むとその小柄な体を揺すってウィロウと何度も名前を呼ぶ。うう、とウィロウが小さく呻くと邪魔だと言わんばかりにレイラの体をベットの外へと押し出した。
「起きてー! ウィロウってばぁ!」
「…ねむいし……なに…?」
「ルシカの魔法具を作るための材料の書き出しがやっと終わったの。呪いは時間が経つにつれ強まっていくってこの前説明したじゃない?だから早く出発しないと…」
ごしごしと目をこすると、ふわぁと大きな欠伸を1つ漏らすウィロウに、レイラが服を押し付ける。そのままリビングの方向へと駆け足で行ったかと思えば、ガチャガチャとうるさく何かの音を響かせてまた部屋へと戻ってきたレイラは、寝ぼけ眼で服に着替えているウィロウにため息をつくと、また1ヶ月前のように鱗で服が破れる前にと、とっとと服を着替えさせた。ウィロウはフラフラとおぼつかない足取りで洗面所へと向かうと、パッチリと目を開けて戻ってきた。
「ところでレイラ、その呪いが強まるとかなんとかって奴、私聞いた覚えがないんだけど」
「…ウソ」
「ホント。もう出るの? 朝ご飯何が良い?」
「あ、ホットケーキサンドが良い!」
「りょーかい」
ホットケーキサンドというのは、ウィロウが詩の頃よく作っていた料理だ。作り方は至って簡単。ホッケーキを焼いて、少しお皿に置いて冷ます。その間に中に入れる具材、レイラは生クリームと蜂蜜、それに畑で育てている苺もどきを3つ入れ、ホットケーキを折るようにして完成。苺もどきとはウィロウがつけた名前で、レイラが魔法の力で好きなときに好きなだけ種から成長させ大きくし過ぎたせいで遺伝子に何か変化でも起きてしまったのか巨大化してしまった苺である。ちなみにこの世界の苺はギィチといい、蜂蜜と行っているものは魔物の胃液だ。黄色いので見た目は大体一緒だが、前世の記憶があるウィロウにとっては少し食べづらいものがある。
「はい。で、呪いが強まるって何…って、聞いてないなこれ」
置かれたホットケーキサンドを一心不乱に食べるレイラ。初めてこの料理を作った時からレイラはこれをいたく気に入ったようで、酷い時には朝ご飯にホットケーキサンド、昼ご飯にもおやつにもホットケーキサンド、夜ご飯までホットケーキサンドと甘すぎる食生活を送っていたこともある。流石に病気になると、最初は喜んでもらえるのが嬉しくて作っていたウィロウも朝ご飯とおやつのみと規則を定めた。
「はふー…美味しかった。あれ、ウィロウはまたリドリヤジュース?」
「朝からそんなに食べられる気はしないよ。ほら、そんなことより“呪い”について詳しく教えて」
「あ、うんうん…その前にお酒…」
「酒瓶叩き割るよ」
「今すぐ話します!」
レイラが言うには、呪いというものはとても繊細なもので、繊細ゆえに人間や妖精などの多種族の力を借りて生きているのだという。呪いは宿主の年齢によってどのくらい強いものになるかが変わり、人間の年齢くらいなら60代でも死ぬことはなく普通に暮らすのなら大丈夫なのだが、長寿である魔女や妖精、竜などは呪いを受ければ死に至ることが多い。歴史的に有名な人物は8割ほどは呪いで死んでいると言っても過言ではないのだ。
今回の呪年にかかる呪いは、使える魔力が半分になること。オズやルシカが住んでいるソッコ帝国では魔力に頼って暮らしている人が大半で、働く人はほぼ魔法使い。魔力が多ければ多いほど有能な魔法使いとされ、ルシカは魔力が半分なのに他の同年代の子供と同じくらいの魔力がある。だからこそ呪年に産まれたことを後悔しており、そんなルシカを見かねたオズが今回注文をしにきたと言うわけだ。
「だから早くしないとね。朝と共に出発しよう」
「待ってよ、レイラは全然寝てないよね? そんな状態で旅になんか行かせられないよ」
「うん…そうだね、今回の旅は危険になると思う。呪年の呪いは古来から続く呪い。人為的なものでない以上、材料だってこの森で揃うわけなんてない」
「…死んだら、どうするの」
「私は魔女なんだよー? 死ぬわけないじゃない」
「絶対なんてないんだよ!!」
しまった、とウィロウが口を抑える。死ぬことは、ウィロウにとっては簡単に済ませられる問題ではないのだ。自らも死んでこの世界にきたから。死ぬことは、良いことなんかじゃない。あの時、詩の時にはもう死ぬしかないと思っていた。女の人が好きで、誰にもそのことを言えなくて、友達だっていたはずなのに全てを投げ出して飛び降りた。今思えば、言えばよかったのだとウィロウは思っている。気持ち悪いと言われようと、一緒にいてもらえなくなっても、1人くらいは友達で居てくれる子がいたかもしれない。
死んだら、全てが終わる。けれどそれは当人にとってだけで、“死んだ”ということは周りの人の心にずっと残り続けるのだ。
「ウィロウ」
「ッ、ごめん…私、ちょっと外出てくるから」
「ウィロウ!」
後ろを振り返らずに扉を開けて出ようとすると、その手をレイラに掴まれる。
「ごめん、そういうつもりで言ったわけじゃないの、あのねウィロウ、私は」
「1人で行くんでしょう」
「違うの、ウィロウ聞いて」
「いいよ、もう独りぼっちで家を守るのも慣れたよ。お薬を買いにくるお客さんもきちんと対処できるし、ご飯だって作れる。…もう、子供じゃないよ」
だから慰めなくたっていいと、ウィロウはレイラの手を振りほどいて外へと飛び出る。何か言われるのが怖かった。もういなくてもいいと言われたらどうしようなんていう考えが頭をぐるぐる回る。
気がつけば、いつもの木の場所に来ていた。ウィロウの母親が死んだ場所。太い幹に座り込むと、上がっていた息を整える。母親は、ニュウペリという下級女神。ほぼ妖精のような立ち位置に位置しており、人間を誘惑する力も備え持っている。その中でも母親は赤髪であり、金髪が普通だったニュウペリ一族には厄介者扱いをされていた。赤髪は淫乱、赤髪は頭が悪い、赤髪は人相が悪い、赤髪はいつも私たちを睨んでいる…
この話は全て、材料集めの旅に出たレイラが聞いてきてくれた話だ。移動して暮らすニュウペリ一族をなんとか見つけ、赤髪のニュウペリは居なかったかと2ヶ月かけて母親が暮らしていた一族を見つけ出した。それからどうやって母のニュウペリがドラゴンと出会ったかは分からないが、どうしてそこまでしてくれるのかウィロウは不思議だった。
「そのくせ、私のことは旅には連れて行かないし」
危険だなんだと言われ続けて5年間。確かにこの姿では5年しか過ごしていないが、詩の頃から記憶は続いているので実質20歳である。もうお酒を飲んだって良い年齢なのだ。そんな“大人”の年なのに子供扱いをされ続ける事にイライラとする気持ちがウィロウには抑えられなかった。
「ウィー」
「…」
「やっぱりここに居た」
ウィー、というのはレイラが勝手に作った愛称の様なもので、レイラが酔っ払ったときや喧嘩中にはよくそういう風に呼ぶことが多い。すとんと隣に座ると、レイラの雲の様に真っ白な髪がふわっと花の香りを仄かに漂わせる。ウィロウはレイラの気まずそうに下を俯く琥珀色の瞳を見つめた。今の自分とも、詩の頃とも違う綺麗な瞳。それを見ているうちに、段々申し訳ない気持ちが湧いてくる。
レイラは悪くない。ワガママな事を言っているのはウィロウの方なのだ。そりゃあ素材調達のために危険な場所に行くのはそういう店をしている上で仕方のない事だし、ウィロウだって理解している。レイラにとってはウィロウは5歳ちょっとの子供だろうし、何年生きているかは分からないがオズは子供の頃から会っていたと言っていたので、その時からずっとこの姿だとするならば、ウィロウなんて赤ん坊ぐらいにしか思えていないのかもしれない。
「ごめん、レイラ」
「え」
「べつにレイラは何も悪くないよ、私が…私がワガママ言ってるだけ。もう怒ってないから、早くルシカの魔法具の材料取ってきなよ」
「もう、ウィロウってば…結論を急ぐ癖は5年経っても変わらないね」
「癖って何」
レイラは愛おしいとばかりに微笑むと、ウィロウの小さな頭を優しく撫でた。ウィロウは何、と少しうざったそうにしつつも、嬉しそうに緩んでしまう頬を押さえようとする。
「もー! 可愛いんだから!」
「ちょ、れ、レイラ!」
「今回から一緒に旅に行こうって、言おうとしてたの!」
「…ウソ」
「ホント。それなのにウィーったら拗ねちゃうんだから…まぁ、拗ねる原因は私だったんだけど…」
ウィロウの顔が一気に赤くなる。とんでもない勘違いをして、勝手に拗ねて家から飛び出していたのだと気がついた瞬間に顔に火がつくんじゃないかというくらいに熱くなって、もごもごと言い訳の様な言葉が口から漏れる。
「早く行こ、ウィロウ」
「…うん」
レイラの手はいつでも暖かい。ウィロウ自身の手すら冷たくなる様な冬の日でも、雪かきをした後ですら暖かいその手がウィロウは好きだった。
「レイラ」
「んー?」
「好きだよ」
「ふふ、何いきなり。私もウィロウの事、だーい好きだよ」
ウィロウは思う。自分は隠し事ばかりをしていると。転生してウィロウの体になった事や、本当は詩という名前がある事。そして一番は、レイラが好きだという事だった。自分が同性愛者だという事は以前から分かっていたが、レイラは最早母親の様なものだと割り切って過ごしていたので何も感じる事などなかった。だが、2年前の冬。あの日から、レイラの事が好きで好きで堪らなくなってしまった。
あの日は雪がちらちらと降る寒い日で、ウィロウの誕生日だった。冬の時期に拾われたウィロウは、その時期が誕生日だとレイラが決めた。この家にはカレンダーがなく、ウィロウも今日が何日かは分からないので詳しい日付は知らないが、買い出しに行くときなどに見えるカレンダーの12という数字を見る度に、今月が誕生月かと嬉しくなる。だがその日はレイラは素材集めでおらず、今日までには絶対に帰ってくると言われていただけにショックだった。仕方なく適当な料理を食べ、戸締りをしようと外に出た途端に誰かに引っ張られ近くの森へと連れ込まれる。誘拐か何かと身構えていたウィロウだが、白いボブの髪が雪の地面に滑り落ちた黒帽子から覗くのが見え、一気に体の力が抜けた。
「レイラ、どこ行ってるの? それに帰るならちゃんと連絡、を…」
そのあとの言葉は続かなかった。なぜなら、目の前に広がる景色に心が奪われてしまったからだ。ぽっかりと不自然に空いた森の穴に差し込む月夜の光。切り株で作られた椅子。同じく切り株の机には、湯気を立てるシチューと、コップになみなみと注がれたリドリヤジュースが合った。
「びっくりした?」
「レ、イラ…これって」
「誕生日プレゼントだよ、ウィロウ」
切り株生の椅子に座ると、くすりと今までに見た事がないくらいに妖艶に笑ったレイラがワイングラスをウィロウの目の前に出した。チン、とリドリヤジュースの入ったコップを軽くぶつけると、それが合図だったかの様に辺りがキラキラと輝き出す。
「おめでとう、ウィロウ」
すっとレイラがウィロウの手を壊れ物でも扱うかの様に触ると、軽いキスをした。その瞬間に、どうしようもないくらいにレイラの事が好きになってしまった。自分でも手の甲にキスくらいで惚れるなんてちょろ過ぎると分かってはいたが、素材集めが意外に遅れプレゼントを用意できなかったから、なんとか誕生日が終わる前にはおめでとうの気持ちを伝えたかったと純真無垢な瞳でそう言われれば、あまりの嬉しさに言葉も出なかった。前世でさえ、親の仕事の都合が悪ければ放って置かれた誕生日の日もあった。義父がいなければイベント事は絶対にしないと決めている義母は自分の信念を帰る事無く、結局そもそも誕生日を覚えているかも怪しい義父が帰ってくる事はかなり、稀だった。
そんな環境で生きてきた詩の頃を思えば、今レイラにそれで惚れてしまうのも無理はないかもしれない、とウィロウは自分に言い聞かせ続けている。だがレイラの好きは娘や息子に対する好きと一緒。親子愛なのだ、ウィロウとは違い。そんな事を悶々と考えているうちに家へと着くと、身支度をウィロウの分も済ませていたレイラのために、今日のおやつ分のホットケーキサンドを焼いてあげたウィロウは、餌を前にした犬の様にじっとそれを見つめるレイラの視線を気にせず、大きめの革製ショルダーバックに潰れないようそれを入れた。
「行こうか」
レイラが差し出した手をそっと握り返し、家から一歩踏み出した。