異世界糧秣事情
「昨日は魔族の軍勢を撃退したから、しばらくは安心だぜ」
「この店で食事すると気分が乗って魔族討伐にも力が入るってもんだ」
「ちがいない、生き残ってここで食事をするのが最大の楽しみだからな」
こんな会話が繰り広げられているこの場所は、剣と魔法が存在するファンタジー風の異世界だ。
そして俺は普通の日本人男性。
半年前にブラック企業を辞めてブラブラしていたが、今はなぜかこの世界で食堂のマスターをしている。
「しかしこの店の料理はどれも絶品だな」
「今まで何十年も生きてきたが、こんな柔らかいパンは食ったことがなかったぜ」
「塩コショウも使ってこの値段じゃあ、店は大丈夫なのかい?」
客の賛辞に、本来なら嬉しいはずだが、俺は苦笑いを浮かべるしかなかった。
実は俺は料理人ではない。
いわゆる1人暮らしのおっさんだったから、自炊はあまりせず、軽い炒め物や煮物しか作れないのだ。
そんな俺がなぜこの状況になっているかというと・・・、
〜回想〜
「貴方に私たちの世界を料理で救ってほしいのです」
「は?」
〜回想終了〜
という訳で、ある日突然目の前に現れた女神様に頼まれて食堂を開くことになったのである。
だが、先にも言った通り、俺の料理は店に出せるレベルじゃない。
では何を売り物にしているのかというと、100円ショップや業務向けスーパーで買ってきた食パンや缶詰を紙皿に取り出して提供しているのだ。
なんて店だと思うかもしれないが、この異世界の食文化は遅れていて、パンは固い黒パンだし、塩コショウも非常に高価なためふんだんには使えない。
しかも魔族の侵略に押され気味で人類の勢力圏は半分以下に削られており、あと10年耐えられるかどうかという戦況らしい。
材料の確保も悪化しているそうだ。
そんな世界の食事レベルからすれば、平成日本で売られている1斤100円の食パンは、それだけで驚くべき料理なのである。
ちなみに、店に出しているのは、食パン2枚(6枚切り)とゆで卵1個の基本セットと、
そこにオイルサーディンやコンミート、ニシンのトマトソース漬けなどを選んで足すシステムになっている。
値段は基本セットが銅貨4枚、オプションは日本の缶詰価格100円につき銅貨3枚だ。
つまりオイルサーディンなら銅貨3枚、コンミートやニシンのトマト漬けなら6枚になる。
銅貨1枚の価値は日本円にすると100円程度なので、基本セット+オイルサーディンで700円、
日本でこの価格だと炎上間違いなしだが、この世界では柔らかいパンと塩気が効いた肉や魚を食べられて銀貨1枚(銅貨10枚分)に満たない価格は破格な様で、店の営業日はいつも大盛況。毎回完売である。
ちなみに、この店の営業は3日に1度となっており、営業しない日は、日本での休息と食材を買う日だ。
食材は、家の近所にある100円ショップや業務向けスーパーを回り、乗用車の後部座席やトランクに積めるだけ買い込み、約100人分を確保している。
資金については、異世界のお金が増えても俺の日本での貯金が無くなっては意味がない。
これは女神様の力で、自分が数枚用意した日本の500円硬貨とこちらの銀貨、そして使用済みの空き缶を触媒に、『本物』の500円硬貨を大量に生み出している。
もちろん自分の分の利益も十分に確保できているし、最初に出した触媒用の500円硬貨は、様々な発行年のものを用意しているので問題ない。
女神様曰く、力が戻れば紙幣も作れるそうだが、今は500円硬貨で我慢という訳だ。
なお、女神様が料理ができない俺を選んだのか、力が戻る方法が言えないのかは、今の女神様の力で世界の理に関することを述べてしまうと、力を激しく消耗するためらしい。
すでに異世界と日本を繋ぎ俺を呼んだことで相当の力を消耗したため、これ以上の理に関する発言は身の消滅にもなりかねない事。
ちなみにこの世界で普通のことは問題ないそうなので、住民も知っている世界事情などは最初に教えてもらったほか、
人の姿に変身してウエイトレスをしてもらっていたりする。
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「今回はどんな料理で私の舌を満足させてもらえるのかな」
「最近は商売よりこの日が楽しみで仕方ありませんよ」
「前回のツナマヨとやらは絶品だった、今日も期待しているぞ」
「楽しみ楽しみ〜」
今日も食材が売り切れ無事閉店となったが、この日は4人の客がまだ残っていた。
ここにいるのは、お忍びでよく店に来ている貴族、売り上げの銅貨を銀貨に両替してくれている商人、魔族退治で名を馳せている冒険者、そして商人に頼んで連れてきてもらった庶民の子供だ。
これから、この4人に新しく出そうと思っている食品の試食をしてもらうところである。
試食など、なぜそんな面倒なことをしているのかというと、
2か月ほど前、新メニューとして出した魚の煮物の缶詰が不評だった時に納得がいかない俺は、
「異世界の人間は、日本人の出す料理なら、初めての味付けでも嫌いな食材でも宗教的理由で食べてはいけないものでも、全部ありがたがって受け入れるのが常識だろう!」
と逆切れしてしまい、客と一触即発の事態になってしまった。
その時は女神様の力で記憶操作をしてもらい事なきを得たが、女神様の力を消耗させてしまったことなどを反省し、
新しいメニューを出したい時に、試食会を開くことにした。
ちなみに、この4人である理由は、普段食べているものが全く違う4人全員に受け入れられれば大丈夫だろうという考えだ。
「今回は甘いデザートです、ご期待ください」
と言いながら、さっそく3人の目の前にクッキーを数種類提供する。
元々砂糖が少なく、しかも食材の入手自体が苦しくなってきているこの世界では、貴族といえども甘味は滅多に食べられるものではない。
俺の耳に、3人の喉が鳴る音が聞こえた。
なお、12枚入り100円のクッキーなので、缶詰と同じく12枚で銅貨3枚で売ろうとしたら、王都中の住民が押し寄せかねないと女神様に止められた。
そのため、クッキー1枚を銅貨3枚で販売することになった。
俺としてはぼったくりな気がして申し訳ない気持ちだが、これでも客が殺到して大変だった。
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なんだかんだでこの世界で食堂を開いて約10カ月、こちらの商売は好調で日本の貯金も増え生活は順調だが、未だに女神様が俺を呼んだ理由が分からないのが気になって仕方がない、というもやもやとした日々を送っていた。
そんなある日の営業時に事件は起こった。
「あ、紙皿が足りない・・・」
普段は基本セットの食パン&ゆで卵、そして缶詰の盛り付け用に別々の紙皿を使っているのだが、この日は紙皿を補充し忘れていたため不足してしまう。
あわてて枚数を確認したところ、基本セットだけに使用すれば大丈夫だったので、しかたなく缶詰は缶のまま蓋を開けた状態で提供することにした。
「ほう、今日は金属の器なのだね」
「先ほど蓋を外していたが、蓋をしたままなら2〜3日くらいは保存できるか? ぜひ仲間にも食べさせたい」
いつもの様に食事をしている商人と冒険者が、興味気に聞いてきた。
それに対して、俺はパッケージの消費期限を確認してこう答える。
「ええ、食材にもよりますが、1〜2年は保存できますよ」
数か月後、この一言がきっかけで世界を救うことになるとは、今の俺には全く想像がつかなかった。