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第三話 転機


 僕らは同じ志を持つ仲間であると思っていた。

 確かにそれぞれの置かれている状況は違うものの、このコンビニで共に働き、共に望む未来に向かって歩いている仲間だと思っていた。

 だからこんなことを言われる筋合いはない。


「あんたら、何か気持ち悪いね」


 僕らの関係が不自然だと言われる筋合いはない。




「……なんすか、いきなり。失礼じゃないですかねぇ?」


 郡山くんが黒峠さんに食ってかかる。

 確かに先ほどから彼女の言葉は明らかに敵意が含まれている。個人的な感情が含まれている。そんなものをそう簡単に他人に向けていいはずがない。

 

「アンタさあ、俺たちより年上かもしれないけど、そんな偉そうに言える立場なの?」


 そうなのだ。

 黒峠さんは確かに僕らより遙かに年上だ。だけど立場としては僕たちと同じ、コンビニで働く非正規労働者に過ぎない。

 だから僕が、ここまで一方的に攻撃される謂われはない。そうであるべきなのだ。

 だが、だがそれでも、僕は反論が出来なかった。

 二の足を踏む僕をよそに、黒峠さんは更なる言葉をぶつけてくる。


「あんたらは将来に希望を持っているだけ。将来の夢があるということを免罪符に何もしたくないだけ」


 その顔は、どこか達成感に満ちている。

 将来に希望を持っているだけ……? 僕らが? 違う。僕らは将来に向かって進んでいるんだ。……確かに僕は進むことを躊躇しているかもしれないが、郡山くんと島津さんは確かに進んでいるんだ。

 なぜ僕らがこんなことを言われなければならない。何も知らないこの人に。


「なりたいのなら、さっさと正社員になればいいじゃない」


「え……?」


 ここに来て、僕はようやく言葉を発することが出来た。


「え? じゃないわよ。どうせあんたは、キツいことも責任を負うこともしたくないんでしょ? だからこんなところでブラブラとフリーターなんかしてんのよ。その癖、『僕は将来のために努力してます』みたいなポーズは取ってやることやった気でいるから、見ててイライラすんのよね。早く辞めてくんないかな?」


 黒峠さんの口から次々と言葉が流れ出てくるのを聞いて、ようやくわかった。僕と彼女の認識の違いに。


 黒峠さんは、僕があえてフリーターをやっていると思っているのだ。

 

 彼女にとって僕は、正社員になろうともせず、かといって大きな夢を追っているわけでもない、言葉通り『ブラブラしている男』なのだ。そうであると確信している。

 そして彼女は、正社員になるということがどれだけ大きなハードルなのかを理解していない。それはそうだ、彼女が高校を卒業して就職したのはもう二十年以上も前の話だ。時代が違う。彼女は今の時代の就職活動というものを経験していないのだ。

 だから僕が正社員にあえてなっていないものだと考えている。僕の苦悩も知らずに。

 ……こんな、こんな理不尽があっていいのだろうか。


「おいおい、何様のつもりだよ」


 呆れたように呟く郡山くんだったが、黒峠さんは彼にも攻撃を始めた。


「あんただってそうよ。あんた大学四年だっけ? それなのに碌に就活も勉強もしているように見えないけど?」

「失礼っすね。あんたの見えないところでしているんですよ」

「その割にはちょくちょく店に来ているじゃない。それも向井くんとよく連んでいるし。どうせアレでしょ? 心の中ではこの人を見下しているんでしょ?」

「なっ……!?」


 なんてことを言うんだこの人は。郡山くんはそんな人じゃない。何の根拠があると言うのだ。


「自分より下の人間を見て、努力していない自分をごまかそうとしているんでしょ? そっちの島津さんもそう。あんたらはお互いに見下し合って、努力しないことの言い訳をするために付き合い、仲良しゴッコをしている。だから気持ち悪いのよ」

「あんた、いい加減に……!」


 隣にいた郡山くんが今にも怒鳴り声を上げようとした時だった。


「おう向井くん、来てたのか」


 事務所の扉が開き、オーナーが入ってきた。


「なんだ? 皆してこんなところに集まって」

「いえ、別に……」


 さすがにオーナーの前で騒ぎを起こしたくなかったのか、郡山くんも引き下がり、黒峠さんは黙って事務所から出て行った。


「まあいいや、ところで向井くん。ちょっと話があるんだけど、時間ある?」

「は、はい。大丈夫です。何でしょうか?」

「あー……。ここじゃちょっとアレだからさ。発注作業終わったら俺の家に来てくれる?」

「はい、わかりました」


 ここで話せないことなのか?

 そんな疑問を抱いたが、考えても仕方がないので手早く発注を済ませ、オーナーの家に行くことにした。



 三十分後。

 僕はコンビニと同じビルにあるオーナーの自宅を訪ねた。


「お邪魔します」

「おお、来たか。まあとりあえず座ってくれ」

「はい、失礼します」


 オーナーに促されるままに座り、お茶をいれる彼の背中を見る。

 この家に住んでいるのは彼一人だ。嘗ては奥さんも住んでいたが、コンビニの仕事を手伝わされることに嫌気が差して、別居状態らしい。そのせいなのか、オーナーの背中はひどく小さく見えた。

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」


 出されたお茶を一口飲んだ後、話を切り出す。


「それで、お話とは?」

「うん……実はね。二号店を出そうと思っているんだ」

「え?」


 二号店。つまりこのオーナーが経営する店がもう一つ出店されるということだ。

 オーナーはコンビニチェーンとフランチャイズ契約を結び、そのコンビニチェーンの一つの店としてコンビニを経営している。コンビニチェーン全体から見れば、全国に数多く存在する店舗が一つ増えるだけだが、オーナーからすれば店を複数持つというのは一大決心だろう。

 なにせ、一つの店でさえ店員のシフト調整や急な欠員の穴埋め。さらに商品展開や売り上げの計算に追われているのに、もう一つ店を持つとなれば、その苦労は単純に考えても二倍になる。

 それに二号店を出すと言っても、この辺りにそんな土地があっただろうか。


「いやさ、裏通りに別のコンビニチェーンの店舗があるじゃない。あそこが再来月末に閉店するんだよ」

「はあ……」

「それでさ、本部から他のチェーンに土地を取られる前に店を出してみたらどうだって提案されたんだ。土地代も店舗建設費用もその他経費も本部が出すってことで」

「そ、それでその話に乗ったんですか?」

「仕方ないんだよ。他のチェーンが新しくできたらそちらにお客を取られるかもしれない。確かに余裕はないけど、こちらも生活があるからね……」

「……」


 オーナーの決断。

 いや、これは決断なのだろうか。もしかしたら、実質的な強制なのではないだろうか。


「そして向井くん、ここからが本題なんだけど」

「はい?」


「君にその二号店の店長を任せたいんだ」


「……え!?」


 店長? 僕が? コンビニの?

 突然の話に頭が追いついていない。頭に単語は入っているが、その単語を処理し切れていない。

 僕が……店長?


「あ、あの……」

「ん、何で君かって?」

「はい……」

「まあ、君ももうウチに来て長いし、仕事も理解している。何より君は教え方も上手いしね。君しかいないと思ったんだよ」

「……」


 本当だろうか。

 確かに僕はあの店で長く働いている。コンビニの勝手もわかっているだろう。

 だけど本当に僕という人間が評価された結果だろうか。


 ただ単純に、若くて時間があり、素直に言うことを聞く人間なら誰でも良かったのではないだろか。


「……それで、どうかな?」

「……」


 正直言って、すぐに了承は出来ない。

 オーナーを見ていれば、いかにコンビニの経営が大変かはわかる。もし店長を引き受けたら、今まで以上に過酷な生活になることは目に見えている。

 だけど……

 コンビニの店長、すなわちそれは……


 『正社員』になることを意味する。


 そう、なれるのだ。僕がこの五年間、少しずつ遠ざかっていったその立場に。

 この場合、コンビニチェーン本部の社員というわけではなく、このオーナーに雇われて店の経営を切り盛りする立場、所謂「雇われ店長」というものになるのだろう。

 確かに過酷な労働にはなるだろうが、オーナーの人柄はいいし、何よりあの時のように恫喝されるということはない。そして何より、面接で経歴を指摘されることもない。店長を引き受ければ僕はもうフリーターではない。コンビニの店長という立場を持った、立派な社会人。社会の一員だ。

 

 胸を張って、自分の立場を人に紹介できるのだ。


 だけど僕は……この期に及んでもまだ躊躇っていた。


「……まあ、いきなり言われてもすぐに返事は出来ないよね。たださ、こちらもあまり時間がない。出来れば一週間以内に返事をしてもらいたい」

「わかりました……」

「本音を言えば、君が首を縦に振ることを願っているよ」

「……」


 その言葉に何も言うことが出来ないまま、僕はオーナーの家を後にした。



 翌日。


「え、ヨキさんが店長に?」


 僕は郡山くんをファミレスに呼び出し、店長にならないかと誘われたという話をした。


「すごいじゃないですか! ヨキさんの頑張りが認められたんですよ!」

「そうかな……」

「そうじゃなきゃ、店長なんて任されませんって! それで、いつから?」

「いや、まだ返事を待ってもらっているんだ。僕も少し考えたかったから……」

「いやいや、なりましょうよそこは。折角のチャンスですよ?」

「チャンス……」


 チャンス。それはどういう意味だろうか。


 このチャンスを逃したら、僕は正社員になれないという意味だろうか。


 ……いけない、考えすぎだ。郡山くんはそんな人じゃない。彼は仲間なんだ。


『どうせアレでしょ? 心の中ではこの人を見下しているんでしょ?』


 何故か黒峠さんの言葉を思い出してしまう。

 僕の心には引っかかっていた。郡山くんと島津さんが僕を見下しているという黒峠さんの言葉が。本来なら何て事のない杞憂、そのはずだった。

 だけど僕はフリーターだ。

 フリーター。その言葉が僕の体に重くのしかかる。この肩書きが僕の動きを制限している。外部からの攻撃を守れなくしている。

 フリーター、だから仕事が出来ない、だからだらしがない、だから大人じゃない、だから世間を知らない、社会を知らない。それらの言葉による攻撃は僕の心を何回も打ちのめしてきた。

 実際に言われたわけじゃない。だけどそう言われているような気がするのだ。そしてその疑念は僕の心に油のように貼り付いて離れない。

 だから僕は、郡山くんを信じられずにいた。黒峠さんによる明確な攻撃が僕の疑念を呼び覚ましてしまったから。

 どうしてだろう、どうしてここまで僕は弱いのだろう。


「ヨキさん、どうしました?」


 郡山くんの言葉で我に返る。折角来てくれたのに、無視してはダメだ。


「ああ、ありがとうね。うん、店長の話、引き受けることにするよ」

「そうですよ。いやあ、ヨキさんもいよいよ店長かぁ」


 郡山くんは、快活に笑う。

 その笑顔が、どこか作り物めいて見えた。



 その夜。

 

 自宅に戻った僕は、携帯電話で雇われ店長について調べていた。しかしやはり、雇われ店長という立場は基本的にコンビニオーナーのパシリのようなものに近いらしい。

 月給制になり安定した収入を得られる一方、急な出勤や在庫管理、スケジュール管理などに追われても給料が上がるわけでもない。しかも、あくまでその店舗のオーナーに雇われるわけなので、転勤なども無い代わりに昇進するということもない。あるとすれば、オーナーから店を売り渡される可能性だけだ。


 つまり雇われ店長になれば、辞めない限りその先ずっとコンビニの仕事から抜け出せないものと思っていいだろう。 


 そんなことを考えていると、SNSの書き込みの中に雇われ店長について書かれている内容がいくつかあるのを見つけた。どの書き込みも、『雇われ店長なんて辞めた方がいい』『オーナーのパシリ』などといった内容だ。

 そして僕はある書き込みを見つける。


『今日、バイト先のフリーターがコンビニの雇われ店長にならないかと誘われているって相談してきたけど、俺なら迷わず断るね。未来が無いもん。あの人はそんなことわからないだろうから、なればいいって言ったけど』


 ……これは。

 これは、郡山くんだろうか。いや、そんなはずはない。郡山くんがこんな書き込みをするはずがない。

 だけど、僕はその確信が持てなかった。いや、薄々気づいていた。


 郡山くんが、僕を見下していることに。


 いつもの会話でもそれが現れていた。郡山くんはやたらと僕にアドバイスをしたがる。それは、僕を下に見ていたから、僕という人間が大人でないと思っていたから。

 だが僕はその事実から目をそらしていた。なぜか? 


 決まっている。僕は仲間が欲しかったのだ。自分と同じ、底辺にいる仲間が。


 そうなのだ。僕も郡山くん、そして島津さんを見下していた。自分と同じ状況の人間がいると思いこむことで、自分はまだ危険な状況ではないと思いこもうとしていたのだ。そのために二人を利用していたのだ。

 なんて汚い。なんて自己中心的なんだろうか。

 僕にとって、『仲間』とはそういう存在だったのだ。郡山くんが僕を見下していたように、僕も郡山くんを利用していた。地獄に引きずり込もうとしていた。

 

 僕は黒峠さんの言うとおり、フリーターという現状から抜け出す気が無かったのだ。


 そこまで考えた僕は、結論を出した。




「そうか、引き受けてくれるか!」


 翌日。再びオーナーの自宅を訪れた僕は店長の話を引き受ける意志を伝えた。

 オーナーは心から喜んでくれた。まあそうだろう。少しでも自分の負担が減るのだから。こうして僕はオーナーに正社員として雇われることとなり、コンビニチェーン本部が行っている店長のための講習を受けながら、少しずつ店長としての道を歩んでいくこととなる。


 そして数ヶ月後、無事二号店が完成し、僕はそこの店長として収まることとなる。そんな時だった。




 郡山くんが院試に落ち、島津さんが専門学校を中退したと聞かされたのは。




第三話 完

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