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第一話 侵略者

「あんたら、何か気持ち悪いね」


 突然の言葉だった。

 いきなり、目の前の中年女性は僕らにそんなことを言った。

 何が気持ち悪いというのか。僕らの何が気に入らないと言うのか。


「……なんすか、いきなり。失礼じゃないですかねぇ?」


 僕の右隣にいた青年が中年女性に喰ってかかる。左隣にいた女の子は、信じられないと言わんばかりの表情で目に涙を浮かべ始める。

 何も言えずに固まってしまった僕に対し、青年は中年女性に尚も言葉を浴びせた。


「アンタさあ、俺たちより年上かもしれないけど、そんな偉そうに言える立場なの?」


 確かに。

 この人は別に上司でもなんでもない。ただのバイトの同僚だ。こんなことを言われる筋合いはない。

 しかし、中年女性は吐き捨てるように言った。


「あんたらは将来に希望を持っているだけ。将来の夢があるということを免罪符に何もしたくないだけ」


 その顔は、どこか達成感に満ちている。


「なりたいのなら、さっさと正社員になればいいじゃない」




 一ヶ月前。


「ヨキさん、おはようございます」

「うん、お疲れ島津さん」


 時刻は午後十時の十分前。アルバイト先であるコンビニエンスストアの更衣室で、店員の制服を着た僕、向井世希むかい よきは同じバイト先で働く女の子、島津叶衣しまづ かなえに挨拶を返した。

 既に太陽は完全に沈んでいる時間帯に関わらず、おはようという挨拶をするのは特にルールがあるわけではない。出勤した店員はそう挨拶するという一種の風習になっているのだ。

 僕はこのコンビニの夜勤で働いている。これから明日の午前九時までここで働かなくてはならない。

 正直言えば夜勤はつらい。仕事内容がではない。人間が本来活動していない時間に起きて働くことがつらいのだ。

 だが贅沢は言っていられない。夜勤で働かなくてはお金がない。

 生活していくためにも、就活のためにも。


「おはようっす」


 そして今夜の僕の相棒となる男が、遅刻寸前でようやくやってきた。

 彼の名前は郡山司郎こおりやま しろう。都市部の大学に通う大学生だ。

 彼もまた、明日の朝までここで働く。つまり、僕は彼とほぼ二人きりで過ごすことになる。

 そのため、店員同士が気が合うかは重要なのだ。夜勤の場合は特に。一緒に働く店員と気が合わないからシフトを変えたり、バイト自体を辞めるのは特に珍しいことではない。

 そして僕は、郡山くんのことをちゃんと仲間として認めていた。


「郡山くん、危なかったね。もう少しで遅刻だったよ」


 咎めるような言い方にならないように、出勤時間について言及する。


「ああー、目覚ましかけたんスけどね。どうにも目覚めが悪くって。すんません」


 どうやら彼に遅刻しかけたことへの罪悪感はないらしい。


「おはようシローくん。あれ、寝癖ついてるよ?」

「え、マジで? うわ、かっこ悪いじゃん俺」


 島津さんも郡山くんに挨拶する。ちなみに彼女は郡山くんより年下である。

 

「さて二人も来たことだし、私はもうあがりますね」

「うん、お疲れさま」


 夕勤である島津さんは、夕方の五時から夜の十時までのシフトであり、ちょうど夜勤である僕らと入れ替わる形になる。なのである程度は夜勤の人と仲がいいのだ。


「うっす、またねカナエちゃん」

「はーい、それじゃ」


 Tシャツにジーンズといったラフな私服に着替え、纏めていた髪をほどいた島津さんが僕たちに手を振った後に店を出ていく。

 そして島津さんと一緒に働いていた夕勤の高校生たちも帰宅し、僕たちは仕事を始めた。


「じゃあさ、僕はいつも通りレジを見ながらデイリー品の補充をするからさ、君はフライヤーの清掃やってて」

「はい、わかりました」


 レジ横に並べるホットスナックは深夜帯はあまり売れないので追加で揚げることはない。そのため、今のうちにホットスナックを揚げるためのフライヤーを清掃をする必要があるのだ。

 清掃中はレジを見ることが出来ないため、僕が品物の補充をしながらレジでお客の対応をする。その間に郡山くんにフライヤーの清掃を任せ、それが終わったらドリンクの補充や雑誌の返品や陳列。ヒマがあれば店内の清掃。やることはたくさんある。

 だが深夜というのは基本的にお客さんはあまり来ない。だから一通りの業務が終われば割とヒマなのだ。

 先述の通り、つらいのは仕事内容ではない。仕事中に猛烈に襲ってくる眠気、そして昼夜逆転による日常の気だるさだ。

 トラックで運ばれてきたおにぎりを補充しながら考える。僕がなぜこうなってしまったか。


 高校卒業後、僕は印刷工場に就職した。だが僕はそこでのあまりの過酷さに心が折れてしまった。

 力仕事自体はいやではなかった。問題はその量だ。

 毎日の残業は当たり前、そして残業代が出ないのも当たり前。求人には週休二日制と書かれていても、実際には土曜日曜も働かされた。

 そして僕を最も追いつめたのは、上司の怒声だ。


『このクズが』『使えねえな』『何でも教わろうとするんじゃねえ、言われなくてもやれ』『何で俺の思い通りに動かねえんだ』


 自分の指導力不足を棚に上げ、入ったばかりの僕に碌に仕事を教えようともせずに自分が楽をすることだけを考える。そのくせ周りには僕がいかに無能か、自分かいかに有能かを必死にアピールしていた。

 その上司のおかげで印刷工場の離職率はかなり高く、先輩にも『ここはいつまでもいるような所じゃないぞ』と言われた。その先輩はその発言をした一ヶ月後に辞めた。

 そして僕も過労により自宅で気を失ったことで、入って四ヶ月でその仕事を辞める決意をした。会社は自宅で倒れたのならこちらの責任ではないと頑なに主張していた。

 こうして僕は無職になり、しばらくは働くこと自体を控えていた。

 しかし、そうした生活を数ヶ月も続ければ、家族からの視線も冷たくなった。

 

 いつ働き出すのか。いい歳して家でゴロゴロして恥ずかしくないのか。隣の○○くんは……同級生の××くんは……

 

 そうなればこの生活を続けているわけにもいかない。僕は重い腰を上げ、仕事を探し始めた。

 しかし、高卒でさらに新卒で入った会社を数ヶ月で辞めている僕のような人間がまた正社員の仕事に就くことはそう簡単ではなかった。

 問題は僕の経歴だけではない、僕の気持ちの問題もあった。

 どうしても前職のことを思いだし、工場の求人を避けてしまう。しかし、事務仕事や営業の仕事は大卒限定だったり女性を望む求人ばかりだったので、僕の就活は困難を極めた。

 さらにお金も無くなってきたので、僕はとりあえず繋ぎとしたアルバイトから始めることにしたのだ。

 そして、都市部から少し離れたコンビニの求人を見つけ、僕はそこで働くことになる。


 そして、僕はそのままここで五年間も働き続けている。


 繋ぎのつもりだった。しかし、前職での経験から正社員というものにある種の恐怖を抱いていた僕は就活において二の足を踏んでいた。

 気づけばバイトリーダーのような立場にもなっていたし、何人もの後輩を指導することにもなった。

 コンビニのバイトは、夕勤は学生が多い。夜勤に入るときに夕勤の学生バイトとよく話した。

 

 そして彼らのほとんどは、就職や進学を機にバイトを辞めていった。


 正直言って、今の状況には焦りを感じている。

 僕は今年で25歳。世間ではまだ若者の部類ではあるが、やることが決まっていないフリーターと言うには決して若くない微妙な年齢。

 そう、僕はもう夢を追うだの自分探しだの言っているような歳ではないのだ。


「ヨキさん、清掃終わりました〜」


 そんなことを考えているうちに、郡山くんがフライヤーの清掃を終えたようだ。


「じゃあ俺はこれから返品する雑誌下げてきますね」


 そう言いながら郡山くんは雑誌コーナーに向かう。

 発売日から一定期間経った雑誌は、販売元に返品することになっている。彼は慣れた手つきでハンディスキャナーを操作し、返品する雑誌を棚から下げている。

 僕はそれを横目で見つつ、食品の廃棄作業を始めることにした。


 

 午前三時。

 ドリンクの補充や店内の清掃も終わり、朝刊や朝のデイリー品が運ばれてくるまで暇な時間帯。

 この時間はお客さんもほぼ来店しないので、実質休憩時間に近い。かといって座っていたりマンガを読んでいるなどということは出来ないので、必然的に店員同士の雑談が増える。

 

「そう言えば郡山くんは、勉強の方はどうなの?」


 郡山くんは今年で22歳の大学四年生。大学院への進学を希望し、勉強をしているそうだ。


「あ〜、順調っすよ。まあ九月の試験までまだ数ヶ月ありますし、このペースなら余裕っスね」

「それは良かった」


 彼も大学院でやりたいことがあるのだろう。僕とは違う。未来に恐れをなして停滞している僕とは。


「それで、ヨキさんの方はどうっすか? この間面接受けたって言ってましたけど」

「ああ……ダメだったよ。上手く答えられなかったからね」

「そうっすか……まあ、そういうのは運もありますからね」


 面接か……

 僕は彼に嘘をついた。仲間である彼に嘘をついた。


 面接など、受けていない。


「ですけどね、ヨキさんもなんか資格とか取るべきだと思うんすよ」

「う、うん、そうだね……」

「俺の話になっちゃうんすけどね、去年簿記二級取ったのってやっぱり正解でしたね。資格とか持っていないと初めて会う人間にアピール出来ないじゃないすか」

「うん……」

「だからですね、ヨキさんはまず資格取りましょうよ。それと、海外でボランティアとかしてみたらどうですか? 海外出ると視界が広がりますよ」

「うーん、さすがに海外に行くお金は無いなあ」

「まあ、そうですよね。難しいこと言ってすみません」


 郡山くんは、何かと僕にアドバイスをしてくれる。

 正直言えば、少し鬱陶しいと思ったこともあったが、彼も僕のためを思って言ってくれているのだ。それはありがたい。

 そして彼は、僕を仲間として認めてくれている。


「ヨキさんは仕事できるんですから、もっと自信持ってくださいよ。面接でももっと強気でいかないと」

「そうだね、もっと頑張るよ」

「俺も院に進学したら、もっと経営のこと勉強して、いずれは自分で仕事興したいと思っているんすよ。まあ、そのためにはまずどこかに就職する必要もありますけどね」

「そうだね、応援しているよ」

「はい、ありがたいっす」


 郡山くんは経営学部に籍を置いているらしく、院でも経営学を学びたいそうだ。

 正直言って、僕には難しいことはよくわからないが、郡山くんには高い志があるのだろう。

 その彼が、僕にアドバイスをしてくれたり、僕の話を聞いてくれるのは嬉しく思う。


 以前、僕と郡山くん、そしてさっき帰った島津さんの三人で食事をしたことがあった。

 島津さんはまだ19歳なので、僕たちもそれに合わせてお酒は飲まないことにし、三人で将来について語り合ったのだ。


「私、ファッションアドバイザーになりたいんですよ〜」

「えっと、それはどういう仕事なのかな?」

「まあ平たく言えば、アパレルの販売員ですね。でも、ただ販売するだけじゃなくて、お客さんの好みや見た目に合わせた組み合わせとか、季節や流行に合わせた商品展開を考えたりするから、結構知識がいるんですよ〜」

「へえ、すごい仕事じゃない。そのために勉強しているんだっけ?」

「はい、今は服飾の専門に通ってまして、そこで勉強しているんです」


 島津さんが専門学生ということは知っていたが、やはりちゃんと将来の夢があるんだ。僕とは違う。


「カナエちゃん、就職したら俺のファッションも考えてくれたりしてくれる? この間買った服が似合わないって言われちゃってさ」

「シローくんは、流行に流されすぎて自分に似合っているか考えなさすぎなんだよ。正直、今日の服もちょっとって感じだもん」

「う〜わ、手厳しい〜」


 島津さんと郡山くんが楽しそうに会話している。それを見て、僕は少し寂しさを感じた。


「そう言えばヨキさんって、前は正社員で働いていたんスよね?」

「あ、うん、といっても随分前のことだけどね」

「え、すご〜い! やっぱりヨキさんって正社員の経験あるんですね。道理で大人っぽいって思いました」

「普通だよ、ていうかそもそも大人だし」

「あはは、そうですよね」


 島津さんの賞賛の言葉を、素直に嬉しく思う。


「ヨキさん、俺たちが就活するときにはちょっとアドバイスしてくれます? 先輩として」

「うんいいよ。でも、僕も今就活に手こずっているから、いいアドバイス出来るかわからないけど」

「何言ってるんですか。一度は就職しているんですから、すぐにまた就職できますよ」

「そうっすよ、俺たち三人で一緒に頑張りましょう!」

「そうだね、ありがとう二人とも」


 その日は先輩として食事代は僕が持った。

 まあ、フリーターである身では少々痛い出費ではあったが、特に島津さんは一回りも年下なのだ。割り勘というわけにはいかない。

 でも、楽しい食事会ではあった。共に歩む仲間として、僕は二人をかけがえのない存在だと認識している。

 彼らと共に歩めば、いずれ僕の就職も決まるだろう。大丈夫、後は僕の気の持ちようなのだ。


 だから一刻も早く、面接を受けなければならない。勇気を出さなければならない。


 いつまでも甘えてはいられない。『怖い』などとは言っていられないのだ。



 数時間後。


「おつかれっした〜」


 日もすっかり昇り、昼勤のパートの人への引継も終わり、僕らの退勤時間が来た。


「じゃあまたね、郡山くん」

「はい、おつかれっす」


 郡山くんが帰宅し、僕も帰り支度を始める。

 しかし、僕に声をかける人物がいた。


「向井くん、ちょっといいかな?」

「あ、オーナー、お疲れさまです」


 声をかけてきたのは、この店のオーナー兼店長である中年男性だった。もちろん本名は知っているが、バイトやパートの全員が彼を「オーナー」と呼んでいる。

 このコンビニは大手コンビニチェーンのチェーン店ではあるが、所謂「直営店」ではなく、フランチャイズ経営の店舗である。

 なので、コンビニチェーンとフランチャイズ契約をした彼がこの店のオーナーとなり、経営を取り仕切っている。

 オーナーはもともとこの店が入っているビルを所有している家の息子であり、土地も建物もコンビニ本部が用意したものでなく、オーナー一家の所有物である。そのため、コンビニ本部に支払うロイヤリティーは本部が土地や建物を用意する契約よりは割合が少ないらしく、店の経営も順調だとは聞いた。

 しかしオーナー自身は、バイトの急病や無断欠勤などが起こった場合は急遽店に出なくてはならないため、中々自分の時間が作れずに困っているらしい。

 なので今日も、オーナーは朝から疲れた顔をして、僕に声をかけてきた。


「あのさ、ちょっと話があるから事務所に来てくれない?」

「はあ、わかりました」


 何だろう。僕の勤務態度に問題は無いはずだ。もしあるなら、とっくに指摘されている。

 心当たりが全くない故の不安を胸に秘めながら、オーナーと共に事務所に入る。


「まあ、座ってくれ」

「はい、失礼します」


 オーナーに促されるままに、椅子に座る。そしてその後に、彼は話を切り出した。


「えーとさ、君がここに入って何年になったっけ?」

「はい、もうすぐ五年ですね」

「そうか……」


 オーナーは顎に手を当てる。これは彼が考え事をする時の癖なのだと理解するのに、結構な時間がかかったことを思い出した。


「実はさ、今週求人誌に求人出したんだよ。ほら、今人手が足りないだろ?」

「そうですね、特に昼のパートさんが足りないとか」

「そうなんだよ。それでさ、何人か応募があったんだけどさ、その面接に君も立ち会って欲しいんだよ」

「え?」


 僕が、面接に立ち会う?

 繰り返しになるが、僕はバイトである。そして、面接をするのは経営者であるオーナーの仕事である。

 なのに、バイトである僕が面接に立ち会う? どうして?


「あの、面接に立ち会うと言っても、僕は何をすれば……?」

「うん? まあ、最初はそこにいるだけでいいよ。それで、面接の要領がわかったら、君が応募者の面接をして欲しいんだ」

「僕が面接を!?」

「もちろん、俺もその場に立ち会うし、質問は俺が考える。要は君に人を雇う仕事をさせておきたいんだ。今後のために」

「今後?」

「……君さ、就活の方はどうなの?」

「いえ……まだ手こずっています」

「じゃあまだ、ここを続けるってことでいいんだね?」

「……はい」

「そうか、それならもう少ししたら君にまた伝えることがある。とりあえずは明日の夕方面接があるから、それに立ち会うことは出来る?」

「は、はい。大丈夫です」

「それなら決まりだ。夕方の五時半にここに来てくれ」

「わかりました」


 突然のオーナーの申し出に戸惑いながらも、僕は強烈な眠気に襲われたので、話が終わった後にすぐに店を出た。



 翌日。


「はい、それでは面接を始めます。履歴書をお願いします」


 僕はオーナーと共に応募者の面接をしている。と言っても、今日は僕は質問をしなくていいと言われた。面接の流れを掴んでくれとのことだ。

 応募者は昼勤を希望している中年の女性だった。白髪を茶色に染めた髪を後ろに纏め、薄く化粧をしてシャツの上に薄いカーディガンを羽織り、ジーンズを履いていた。


「こちらが履歴書です。本日はよろしくお願いします」

「はい、えーとお名前は……」

黒峠輝代くろとうげ てるよと申します」


 オーナーが僕に履歴書を見せる。確かに履歴書には同じ名前が書かれていた。割と変わった名字だ。年齢は52歳と書いてある。

 事前にオーナーに言われたが、履歴書の情報は絶対に漏らすなと言うことだった。まあ当然のことだし、オーナーも『君がそんなことはしないと思っているから面接に立ち会わせる』とは言っていたが。

 

「はい、ありがとうございます。えーと、黒峠さんは昼勤をご希望とのことですが」

「ええ、出来れば朝九時から夕方五時までの間でシフトを組んでいただきたいのですが」

「こちらもそのつもりでしたのでそこは大丈夫です。それと、履歴書によるとスーパーでのお仕事をされていたようですが、コンビニのご経験は?」

「いえ、ありません。ですがスーパーではレジ業務や品出しなどを経験しているので、大体の流れはわかっているつもりです」


 履歴書の経歴には、高校卒業後に民間企業で経理事務を十年経験し、結婚と同時に退職。その後、子育てのために仕事からは離れていたが、子供の学費を稼ぐためにスーパーのパートを始め、一年働いた後に今に至るそうだ。

 志望理由には、同じく家計の足しにするためと、スーパーでの経験が活かせると考えたためと書いてあった。

 

「そうですね、黒峠さんの希望のシフトに特に問題はありませんし、もしよろしければ来週の月曜日から早速入っていただきたいのですが」

「ありがとうございます。月曜日からで大丈夫です」


 こうして僕は一言も話すことなく面接は終わり、黒峠さんが新しく入ることになった。

 しかし、少し気を抜いていた僕に黒峠さんが発言する。


「すみません、失礼ですがそちらの方は……?」

「ああ、彼はうちのバイトの向井くんです。ちょっと理由があって、面接に立ち会わせていたのですよ」


「……たかがバイトにそんなことをさせるんですか、この店は?」


「……!」


 黒峠さんのその言葉に、何か攻撃的なものを感じた僕は思わず顔をしかめた。


「いや、彼は結構バイトでも古株でしてね。実は彼に……」

「この人が私の個人情報を漏らさないという保証はありますか? こんなフリーターに」

「それは大丈夫です。私は彼のご家族とも親交がありますし、彼の個人情報は私が握っているので、彼が行方をくらますことは出来ませんし、そのリスクを冒してまで彼が情報を漏らすメリットがありません。尤も、私は彼がそれをしないという確信のもと、ここに立ち会わせています」

「……わかりました」


 オーナーと言葉で黒峠さんは引き下がったが、完全には納得していない様子だった。


「それでは、失礼します」


 黒峠さんが帰った後、僕はオーナーに話しかける。


「……結構、きつそうな人でしたね」

「まあね、しかし君を立ち会わせるのはまずかったかな。これからのために必要だと思ったんだけど」

「僕がバイトだと聞けば、やはり信用しにくいんじゃないですか?」

「うーん、俺の考えでは、君はもうすぐバイトではなくなるんだけどね」

「えっ?」


 今、オーナーは何て言った? 僕がバイトでは無くなる?


「ああ、口が滑ったな。とりあえず今日は君も、もういいよ。あと、今度の面接は君にも質問してもらうからね」

「わ、わかりました」


 詳しく話を聞きたかったが、言ってくれなさそうなので引き下がることにした。


 

 その後。

 予定通り、黒峠さんは月曜日からシフトに入り、僕と顔を合わせた。

 だが、面接の時のように、僕に対する不信感を隠そうとはしなかった。さらに、こんなことを言われた。


「あんたさ、フリーターなの?」

「え、ええ。就活をしていますが……」


「私さ、あんたみたいなの大嫌いなんだよね。目的も無くブラブラしている男」


 僕は、この言葉を言われた時から予感していたのかもしれない。


 ――この人が、僕らの居場所を壊していってしまうことに。



第一話 完

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