第三十五話
ストック無くなった
それから少しの時が過ぎた1567年(永録十年)九月、葛城の領内は平穏だった。武田の東美濃侵攻や伊勢長島一向一揆があったが全てを撃ち破り、武田とは同盟を結んで一先ずの戦はなかった。
「戦が無くても兵力は増強しなければならない。特に第二大隊はな」
武田との戦闘で壊滅的な状態だった第二大隊は戦力を回復して第一、第三、第四と共に各一個連隊へ増強していた。また畿内では三好の勢力を南淡路から完全に叩き出して淡路は葛城の勢力範囲だった。
北は朝倉が降伏して葛城家の末席に加わり加賀への防備を固めている。
東は相変わらずの均衡状態であるが遠山夫人が武田勝頼に嫁いだ後は武田との関係も良好であった。関東は北条が牛耳り、里見と佐竹の三極状態だが八月に発生した三船山合戦で北条は里見に惨敗している。なお東北はいつもの事である。
畿内から西へ目を向ければ四国では三好の残党勢力が阿波、讃岐を所有しており伊予には河野、土佐は本山、安芸、一条、西園寺、長宗我部等の勢力が軒並み連ねている。
中国地方では前年の永録九年(1566年)に毛利元就が四年間の戦いの末、尼子氏の息の根を止めて戦国大名の尼子氏は滅亡していた。
また、三村元親が兵二万を率いて備前に攻め行った。しかし浦上氏で頭角を現していた宇喜多直家により総崩れとなり敗北した。(妙善寺合戦)
そして九州はというと、毛利と大友が筑前にて衝突していた。大友宗麟の重臣高橋鑑種が毛利に寝返って秋月種実や龍造寺隆信を誘い大友へ蜂起していた。
このように、葛城家以外ではほぼ史実の行動をしている諸大名達だった。そして肝心の将和はというと……。
「動かないで下さい将和様」
「うむ」
岐阜城にて側室帰蝶に耳掻きをされていた。この時虎姫は摩耶姫と鍛練して市姫は飛鳥姫から和歌を教えてもらっていた。
カリカリカリと耳掻きの棒で将和の耳奥に点在する耳垢を帰蝶は取り除く。
「これは良い代物ですね将和様」
「うむ、耳垢は定期的に取らないと耳が聴こえなくなるからな」
「あら、それじゃ私のもお願いします」
「それくらいは御安い御用だ」
本来、耳掻きは江戸時代に発明された物だが、川崎軍医の具申によって百年以上早くに発明され世に出されている。また岐阜の城下町には銭湯屋が出始めている。城下町に住む人間には中々ウケていたのであった。
「はい、右耳は終わりましたよ。反対側に向いて下さい」
「む」
将和は帰蝶の言葉に反対側――帰蝶側に頭を動かす。
「きゃ、もう昼間からは駄目ですよ」
「何もせんぞ」
嬉しそうにする帰蝶の言葉に将和は溜め息を吐きながら耳掻きをしてもらう。帰蝶はカリカリと奥で壁にへばりつく耳垢を剥がしていく。
「ん」
「動かないで下さい」
耳掻きがチクリと鼓膜付近まで来たのを将和が違和感を出すが、帰蝶は気にせず壁にへばりついた耳垢を剥がす。帰蝶は剥がした耳垢を外耳道を通して外に出す。
「取れましたよ」
「うむ、済まぬな」
将和は妙に風通しが良い感覚を覚えつつ帰蝶の膝枕から起き上がる。
「ほれ、次は帰蝶だ」
「少し恥ずかしいですが……お願いします」
帰蝶は恥ずかしそうにしながら将和の膝枕に頭を寄せて耳掻きをしてもらう。
「ん……んぅ……」
「……悶えるのはやめてくれ」
将和の耳掻きに帰蝶が悶えて将和は何とも言えない表情をする。
「棒が気持ち良いところに当たるので……」
「ふむ(まぁ溜まってるからなぁ)」
流石に戦国時代の人間は耳掻き自体が知らないので耳垢が溜まるのも仕方ない。将和は悶える帰蝶に悶々としつつ耳掻きをするのである。
「スッキリしました将和様」
「そうか」
なおこの後、帰蝶に耳掻きをしていたのが虎達にバレて全員に耳掻きをする事になる。
「さて、評定をする」
将和は岐阜城に集まった面々を見渡す。
「まずは戦況報告です」
加藤が諸将に地図を見せる。
「若狭の武田と丹後の一色は葛城への恭順を拒否したので朝倉にも軍の派遣を要請して長秀殿を総大将の二万が若狭へ。第一連隊を含む織田信興殿を総大将に同じく二万が丹後へ赴き現在両国を攻略中です」
「信興の補佐は?」
「一益殿が補佐を行います」
「ふむ」
一益は玄人なので信興を補佐するには問題なかった。
「それと丹波はどうだ?」
「正信殿の根回しで波多野氏は恭順しております。また、豪族の赤井直正を調略して所領安堵で恭順しています」
赤井直正は史実でも勇猛ぶりから丹波の赤鬼と呼ばれ恐れられていた。
「播磨への工作はどうか?」
「別所が此方に恭順するとの事です。同じく小寺氏も恭順すると……」
史実でも別所氏は信長に早くから恭順をしていた。更に小寺氏も史実より早くに恭順をした。小寺氏の下には両兵衛、二兵衛と並び称された黒田孝高がいた。
「正信、とりあえず水面下で黒田孝高の引き抜きを頼む。加藤も応援に行っても構わん」
「御意」
「了解です」
「それで本願寺は?」
「あれ以降は大人しいものです。顕如殿の自制の言葉に抑えているようです」
「ふむ、大人しいのであれば過ぎた事はないが、念のために用心はしよう」
「分かりました。それと四国ですが……」
「三好長治の残党が阿波と讃岐にいたな」
「暫くは様子見でしょう。先に但馬や播磨の全てを手中に治めたいです」
「毛利と睨み合うぞ?」
「このまま行けば二年後には尼子が決起しますので暫くは睨み合いで良いと思います」
「分かった」
「問題なのは紀伊です。雑賀衆が分裂しているようです」
「雑賀が?」
「はい」
雑賀衆は初め、本願寺側についていたため数正の調略を拒否していた。しかし本願寺が葛城に協力するようになったので雑賀の内部でいざこざが起きていた。つまり葛城に付く派(雑賀孫一)と反葛城派(土橋氏)が史実同様に分かれていたのだ。(史実でも親織田派と反織田派に分かれた)
「ふむ……」
「親葛城派を支援しますか?」
「向こうが要請してからにしよう。それと根来衆は?」
「最初は部隊に反発しましたが、今は精鋭ですな」
根来衆は編成途中だった第四連隊に組み込まれていた。最初は根来衆も反発したが龍興の奮闘により今では精鋭部隊の一つになっていた。
「……龍興には嫁を紹介してやらないとな」
「感謝しきれませんね」
史実に比べて葛城家の中では評価が高い龍興だった。
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