クジャクアスター
ベッドに飛び込んだ。
帰宅して間もない部屋は外と同じく肌寒い。
だが彼女の顔は火照っていた。
飲んで帰って来たからとか、走って帰って来たからというわけではない。
「はぁ……」
浅いため息が漏れた。
まだメイクも落とさないまま、ひんやりとした枕に顔を埋める。
「んー」
彼女の名はひとみ。彼女がこんな有り様になったのは、帰宅途中に彼女の身に起こった出来事のせいだ。
会社帰り、この日もひとみは経由駅で乗り換えをした。
乗り換える路線はその駅が始発駅になる。
ひとみは特別急いでいない時には、一本電車を見送って次の電車を待ち座って帰ることが多い。
今日もひとみは電車を待つ列に並ぶ。
程なく電車が到着し彼女は乗り込んだ。今日は端の座を確保できた。
ひとみはバッグからスマートフォンを取り出し日課のソーシャルゲームを始めた。
彼女は壁を作りがちで、こういった場所では自分のスペースを守るために周りから意識を遠ざけることが多い。
電車が走りだしても彼女はスマートフォンを一心に操作し続けていた。
しばらくすると途中の駅で別路線からの乗り換え客が乗り込んできた。
空席は既になかったが座席の前は空いた状態で、そこを埋めるように人の波が流れてくる。
それでも満員という状態にはならず、つり革が一個飛ばしに使われている程度だった。
いつもの光景だ。
ひとみの座った座席の前も例外ではなく乗客がするりと入ってきた。
ひとみの前に立った男は邪魔にならないよう、たすき掛けしていたフィールドバッグを後ろから前にずらした。
ミリタリー系のフィールドバッグがひとみの目の前に鎮座する。
ひとみは思わず前を向いた。
(だっさ……)
正直センスのいいものとは言えないバッグだった。階級章や特殊部隊のワッペンが貼り付けられている。
ひとみは目線を上げようとするがすぐに思いとどまる。
(あーこれはきっとミリオタだわ)
ひとみは面食いである。それは恋愛対象以前に全ての異性に対してもそうであり、不細工とは関わりたくないし、なるべくなら見たくもないという思いがある。
(見ない方がいい、きっと残念な感じだよ)
彼女自身もゲームやアニメなどに対してオタクな面がある。相手の顔がどうかということもあるのだろうが、若干同族嫌悪であるとも言える。
ひとみはすぐにソーシャルゲームを再開して、そのまま下車する駅まで顔を上げることはなかった。
『間もなくぅ、○○○~○○○です。お出口はぁ右側ぁです』
ひとみの下車駅が近付く。
スマートフォンをバッグに仕舞い、再び前を見据える。
(あ、まだいたんだ……)
目の前にはミリタリー系のバッグが変わらずそこに構えていた。
ひとみは意味もなく少し機嫌を損ねるのだった。
電車が停車し、彼女の右後ろでドアが開く音がした。
彼女は目を伏せながら席を立とうとした。
(この人もこっち見てなかったら立つときぶつかっちゃうな。少しは見ないと……)
ひとみがそう思った時だった。
前に立っていた男は彼女が降りやすいよう少し後ろに下がったのだった。
(あ、ちょっとどいてくれた。軽く会釈くらいはしとくかあ)
彼女は右側にある手すりに掴まり立ち上がりながら素直に頭を下げたが、元々俯いていたためほんのわずかな動きではあった。
これでは伝わらないのではないかと彼女の生真面目な一面が顔を上げさせた。
(あ……)
目が合った。
目が釘付けになった。
目が離せなかった。
二人はお互いを見つめ合っていた。
立ち上がったひとみはその男の前から電車の出口へと向かってはいたのだが、お互いに目を離さないまま相手を目で追い続ける。
男は面食いのひとみにとって決してイケメンとは言えない顔立ちだった。
それでも彼女は彼から目を離せなかった。
手すりの位置まで来たひとみはそこでやっと出口の方へと目を向けた。
時間にして2秒弱。ほんの一瞬だったがひとみにとってはもっと長く感じられた。
電車を降りるとひとみは振り向いたが、彼の姿は見つけられなかった。
後ろに続いて降りて来る乗客の波に押されるように、すぐ近くのエスカレーターへと歩いた。
下りのエスカレーターに乗りながら、自分が降りたドアの方に目をやる。
やはり彼の姿は見つけられず、エスカレーターは下がっていき電車さえも見えなくなった。
ここはひとみの部屋。
照明はついているがまだ暖房はついていず、寒いままだ。
「うわあ、まだドキドキしてる……」
静寂の中、彼女に聞こえるのはいつもよりも大きく早い自身の鼓動だけだった。
「あぁ……」
ひとみはそんなことがあるわけないと、ずっと信じていなかった。
彼女はロマンチストというよりリアリストだ。
「嘘ぉ……」
自分に起こったことをまだ受け入れられずにいる。
「ふぅ……」
深呼吸をしてなんとか落ち着こうと試みる。
だがすぐに彼の顔が浮かんでくる。
ニヤニヤしている自分の顔に気付き再び枕に顔を埋め、脚をじたばたさせた。
「なんでよお……」
彼の顔を思い返す度、胸が苦しくなったり、笑みがこぼれたりする。
「はぁ……」
もう認めるしかなかった。
「一目惚れ……しちゃった……」
ひとみ、初めての一目惚れである。
彼女は面食いではあったが、いいなあとは思うことはあっても、一目で恋に落ちることはなかった。
顔が全てと思ってはいたが、自分でそれは違うと心のどこかで気づいていたのかもしれない。
彼のなにがそこまで引きつけてしまったのかは彼女にも分からない。
何度も何度も繰り返し思い返す。
彼と見つめあった時間は僅かだったが、思い返す度にスローモーションのようにゆっくりと時間が流れていくように思えた。
さながら映画のように。
運命の出逢いを果たした二人のように。
「お先に失礼します!」
次の日、ひとみは定時を過ぎた後、少し時間を潰してから会社を出た。昨日と同じ時間になるように。
「また会えるかなあ」
この日から帰りの電車が楽しみになった。
今日も彼女は同じ時間の、同じ車両の、同じ席に座りあのダサいバッグの彼が現れるのを待つのだった。
クジャクアスター、花言葉は『一目惚れ』。
逆引きで適当に調べたので正しいのかはちょっと自信がないです。
まあそういうわけで一目惚れのお話しです。
読んでいたたきありがとうこざいます。
初めて女性視点で書いてみましたが、やはり私は女心を分かっていないんだなあと反省しております。
結局なにがしたかったのか私にもよく分からないまま終わってしまいましたが、いろいろ試せたという点では(内容はさておき試みとしては)良かったと思います。