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悪魔の絆


 虹色の鳥が空を駆ける。

 ゆっくりと、子供の歩調に合わせて空を飛ぶ。

「虹色の……鳥……」

 子供達は導かれるように、夜の街を歩く。

 虹色の鳥を目印にして、自分がどこを歩いているのかも理解しないまま、虚ろな瞳で歩き続ける。

 鳥は導く。

 地獄の釜へ。

 鳥は誘う。

 生贄の祭壇へ。

「行かなきゃ……」

「呼んでる……」

「鳥が……」

「おいでって言ってる……」

 子供達はふらふらと、鳥に導かれる。


「くそったれっ! マリアの言った通りじゃねえか!」

 そんな子供達の様子を見たイリアードは、さっそく連れ戻そうとする。

 目の焦点が合っていない子供の両肩を掴んで、家に戻れと言い聞かせる。

「……?」

 しかし子供は首を傾げるだけだった。

「どうして止めるの?」

「鳥が呼んでるのに……」

「行かなきゃいけないのに……」

 心底不思議そうに。

 見えない鳥を指さすのだった。

「鳥……って、やっぱりアレかよ……」

 イリアードは指さされた方向を見るが、鳥の姿は見えない。

 そもそも、夜に鳥が飛んでいる姿などはっきりと捉えられる筈がない。

 しかし子供達には見えている。

 術中に嵌っているからこそ、見えない鳥を視認する。

 そして闇へと導かれる。

「くそ……!」

 子供達についていけば証拠が見つかる。動かぬ証拠を突きつければ貴族が相手であろうと断罪することが出来る。

 しかしこの状況では悪魔が絡んでいることは確実だ。

 このままオラルド伯爵の屋敷まで見送って、そこで証拠を突きつけたとしても、自分たちは返り討ちに遭うのが目に見えている。

 あっちに直接手出しをするのはマリアの役割だ。

 彼女の神聖言語ホーリーワードは悪魔にだって十分に対抗できる。


 マリアがレティーと契約したことにより神聖言語ホーリーワードを全く使えなくなったことを知らないイリアードは屋敷の方角に視線を向けてから決意した。

「警備隊全員に通達! 子供達は強制的に警備隊舎へと連行しろ! 抵抗されたら意識を刈り取れ! 下手に家へと連れて帰っても同じように出て行く可能性がある! 朝まで俺達が保護するんだ!」

「りょ、了解!」

 意識を刈り取ってでもという方針に若干怯んだ部下達だったが、今の子供達を見る限り、その方が効率がいいことは確かだ。

 言葉が通じる状態ではない。無駄に時間を浪費するよりは、多少手荒でも子供達の安全を確保できる方法を優先するべきだ。

 そうと決まったら警備隊の動きは速かった。

 予め用意していた眠り薬を染み込ませた布を、次々と子供達の口へと当てていく。

 これはマリアから言われていたことだ。

 術中にあるのなら言葉は通じないかもしれない。当て身を喰らわせるよりは薬で眠らせた方がいいと。

 本当にこんなものを使うとは思っていなかったイリアードだが、まさか子供達に次々と当て身を喰らわせるわけにもいかず、警備隊員のはずなのに誘拐犯のような気分になってしまうのだった。

 全員を眠らせたところで片手に一人、つまり両手に二人抱えて警備隊舎に連れて行くのだった。

 夜なので人目は少ないが、傍から見ると警備隊が組織だって子供達を眠らせて誘拐しているように見えてしまうのだった。

「ちっくしょ~……頼むからあとでフォローできるようにしっかりと解決してくれよ、ブラック・マリア」

 肝心なところが他力本願という情けない状況だが、それでも自分が出来ることはすでに果たしたので、そこまでの負い目はない。

 これはマリアには出来ないことであり、マリアはマリアで自分にしか出来ないことをしている最中なのだろうから。

 役割分担として割り切るしかない。

 だから、信じて待とう。

 いつも滅茶苦茶で、でも凄く頼りになる破天荒な友人を。


 ちなみにイリアードが意識を失わせて救った子供の中には、ティムの姿も含まれていた。

 セレナを探そうと夜の街をうろついていたのだが、その途中でお菓子に仕込まれた術の効果が発動してしまったのだ。

 このまま屋敷まで行けばセレナに会えたかもしれないが、それはセレナと一緒に死ぬという意味でもあるのだった。

 ティムはギリギリの所で命を救われている。

 そしてその事を知ったティムは後日、イリアードに深く感謝するのだった。



 ティム達が保護されているのと同じ頃、マリアはオラルド伯爵の屋敷から高度百メートル程の場所に浮遊していた。

 百メートルも離れれば夜の間は誰かに見咎められることはないと判断したのだが、しかしそれはあくまでも人間に対してであり、同じ悪魔だとそういう訳にもいかない。

 マリアとレティー。

 そしてオラルド伯爵と契約した悪魔ダルセリオ。

「お久しぶりですね、レティー」

「ああ、久し振りだ。ディオン」

「そちらのお嬢さんは初めましてですね。まさかレティーと契約するほどの力があるとは思いませんでしたけど」

「ん? レティーと契約するのって難しいの?」

 ダルセリオの言葉にマリアが首を傾げる。レティーの魔界における立場を知らないのだから当然だろう。

「とても難しいですよ。レドラウス・ペンドラゴンは公爵級悪魔であり、魔界で唯一魔王と拮抗する実力の持ち主です。前回の即位式では現魔王とレティーとどちらが魔王になるか分からなかったぐらいにね。まあレティーは面倒くさがりな性格なのでその地位をあっさり譲ってしまったようですが」

「そうなの?」

 レティーに振り返って問いかける。

「まあ、そうだな」

 決まり悪そうに頷くレティー。

「なんで魔王にならなかったの?」

「忙しそうだったから」

「………………」

「俺は基本的に怠け者なんだ。怠惰に過ごすのが悪魔の本分なのに、魔王なんかになったら書類仕事やら統治やらに追われて遊ぶ暇も女といちゃいちゃする暇もないじゃないか。そんな面倒臭いこと誰がやるか」

「………………」

 とことんまで面倒臭がりのレティーだった。

 しかし権力に附随する仕事量が半端なく大変だというのは想像に容易い。レティーの性格では受け入れがたいのも無理はないだろう。

「まあレティーはそういう性格ですよね。そんな怠惰で無気力な貴方を好ましく思っているのは確かです」

「いや、俺は男といちゃいちゃする趣味はないからその発言は取り消して貰いたいな」

「僕だってありませんよ。友人として好ましいという意味です。気持ち悪い勘違いしないで下さいよ」

「そうか。友人としてか。でも俺ってば友達いないキャラ目指してるしなぁ。それも迷惑かも?」

「なに痛々しいキャラ作りしてるんですか」

「え? 痛々しいか? 孤高のレティー様って感じでイカしてないか?」

「……レティー。それはあたしから見ても痛々しいと思う」

「なっ!?」

 空気の痛さに耐えきれなくなったマリアが口を挟んでしまう。本当は悪魔同士の会話に余計な茶々を入れたくなかったのだが、自分の契約者がこれ以上痛々しい醜態を晒すのはパートナーとして我慢できなかった。ましてそれが未来の旦那になるかと思うと、今から矯正しておく必要性をひしひしと感じてしまう。

 そしてマリアにまで否定されて思いっきり凹んでしまうレティー。

 これが魔王に匹敵する公爵級悪魔だと思うと非常に情けないというか、魔界のことが心配になってしまう。

「で、話を戻しますけど、とにかくオツムは痛々しくとも力はもの凄く強いレティーと契約するにはそれなりの条件が必要になるのです」

 そして凹んでいるレティーを無視してマリアと会話を進めるダルセリオ。素晴らしいスルー能力だった。

「ふむふむ。例えば?」

「一般的な例をあげますと、人間が本来持ち得ないほどの悪意を秘めている場合、です。強烈な悪意に引き寄せられてレティーが喚ばれます。しかしマリアさんはそこまでの悪意を秘めているようには見えない」

「まあ、違うね」

「そしてもう一つは、レティーの魔力を受け入れられるほど強力な力の持ち主」

「多分そっちかな。神聖言語ホーリーワードならエクストラスキルまで極めていたし。単純な力ならそれなりだと自負してる」

「しかし今はその力を失っていますね」

「うん。レティーと契約したら全く使えなくなった。まあ困ってないからいいんだけどさ」

「今のマリアさんは悪魔と契約した人間という立ち位置でありながら、中級悪魔程度の力がありますよ」

「うわ! 下がった!?」

 契約前は公爵級悪魔であるレティーすら追い詰めることが出来ていた神聖言語ホーリーワードに較べると、中級悪魔程度というのは酷い下がりようだった。

「まあ下がっていますね。しかし僕が恐ろしいと思うのは、契約して間もないのにそこまでの力を使いこなしているということです。レティーから魔力供給を受ける身とは言え、完全に使いこなせば伯爵級悪魔である僕ですら倒されかねない。僕たちの弱点である神聖言語ホーリーワードではなく、純粋魔力のぶつかり合いにもかかわらず」

「才能があるってこと?」

「ええ。神聖言語ホーリーワードといいこの件といい、貴女は力を扱うことに対する才能がずば抜けていますね。それを受け入れるだけの身体を持っているということも特筆すべき事実ですが。本来ならば人間がそれだけの魔力を受け入れることは出来ません。その前に肉体が崩壊します」

「ふーん……」

 とにかく自分は色々と凄いらしい、ということを言われているのだが、マリアにとってはどうでもよかった。

 今為すべき事はダルセリオを突破してオラルド伯爵の企みを潰すこと。

 そして子供達を助けだすこと。

 自分の素質やその他諸々については後回しで構わない。

「ところでディオンさん。あたしはオラルド伯爵に用事があるんだけど、通してもらえるのかな?」

「そこが困ってしまうんですよね。ウィズからは何人たりとも通すなと言われているのですよ。しかしレティーとマリアさんを相手にするには少々力不足でして」

 本当に困ったように肩を竦めるダルセリオだった。

「じゃああたしだけでも通してもらえるのかな?」

「そうしてあげたいのは山々なんですけどね。僕としては邪魔をしてくれたマリアさんにも一矢報いたいというか、そんな気持ちもあるんですよねぇ」

「邪魔? これからするつもりはあるけど、まだやってないでしょ?」

 何のことか分からず首を傾げるマリア。

 それに対してむっと眉を寄せるダルセリオ。

「しっかり邪魔したじゃないですか。今日手に入る子供達はマリアさんの所為で保護されてしまいましたよ。わざわざ眠らせてくれたものだから意識にアクセスして誘導することも出来ない。ここまで的確な邪魔をしてよくもまあぬけぬけと言ってくれますね」

「えー。あたしはただイリヤに注意を促しただけじゃんか。実際に行動を起こしたのはイリヤ達なんだから、あたしをそこまで恨むのは筋違いじゃない?」

「ルートや睡眠薬の入れ知恵をしたのはマリアさんじゃないですか」

「うーん。そりゃそうだけどさぁ」

 たったそれだけのことでここまで根に持たれているマリアにとっては理不尽な話だった。

「レティー。ディオンさんって結構粘着質なの?」

「鳥もち並には粘着質だな」

「うわあ」

 鳥もち並と来ましたか。そりゃあ粘着質ばっちりだ、と肩を落とすマリアだった。

「マリア。子供達は恐らく地下だ。あの光っている場所の地下にいる」

「レティー?」

「ディオンの相手は俺がしてやる。マリアは子供達を助けに行くといい」

「え? え? 何その『俺が食い止めている間に行ってくれ』みたいな正義的行動。ちょー似合わないんだけど」

「ちょーを付けるな」

 折角格好良く送り出してやろうと思ったのに、とぼやくレティーだった。気持ちは分かる。今のは明らかにマリアが酷い。

「マリアは俺の契約者だ。悪魔として契約者の願いを叶える義務がある。そしてマリアの願いは子供達を助けること、なのだろう? 単純な役割分担だ」

「なるほど。でもいいの?」

「構わん」

 仲間と争うことに対して気遣いを見せるマリアだが、それは見当違いな気遣いと言えた。悪魔にとって仲間と争い合うのは日常茶飯事であり、そこを心配されるのは悪魔にとっての侮辱でもあった。

 マリアもそこまで解っていたわけではないが、それでも優先順位を間違えるようなことはしなかった。

 子供達を救うのが第一目的であり、レティーはマリアが心配するほど弱くないと信頼する。

「分かった。じゃあちょっと行ってくるよ」

「気を付けろよ。ディオンの言う通り、マリアは以前ほど無敵というわけじゃない。魔力しか使えない今は普通よりも少しマシ、程度なんだ。肉弾戦ならまだしも、俺の魔力を使うときはそこを考慮するように」

「分かった。忠告ありがと」

 マリアは礼を言ってから紅い光が立ち上る場所へと降下していった。

 ディオンはその様子を見守っていた。

「?」

 てっきり攻撃を仕掛けると思っていたので警戒していたのだが、その様子もない。

「行かせてもよかったのか?」

「よくはありませんが、レティーを前にして他のことに意識を割けるほどの余裕もありません」

「ふん」

 その認識は正しい。もしもディオンがマリアに攻撃を仕掛けていたのなら、そのタイミングでレティーはディオンに襲いかかっていただろう。致命傷の一撃を用意していたはずだ。

「レティーと戦うのは久し振りですね」

「そうだな。魔界で俺と戦いたがるのは魔王ぐらいのものだ」

「仕方ありませんよ。レティーの実力だと魔王ぐらいしか相手になりませんから」

「そう言いつつもお前は戦う気満々じゃないか」

 特に武器を構えているわけでもない。

 魔力を集中しているわけでもない。

 そこにいてにこやかに会話をしている。

 しかし悪魔にとってはそれだけで戦闘態勢だ。

 常時戦場が悪魔の不文律。

 会話すらも戦いだと言えよう。

「そりゃあ契約者であるウィズの願いを叶えなければなりませんからね。せめてレティーを足止めしなければ彼女の計画は破綻してしまう。だったら頑張るしかないでしょう」

「ふん。俺を相手にいい度胸だ。それにマリアだってなかなか手強いぞ。俺の契約者なだけあってその力は強力無比だ。魔力こそまだ持て余しているが、身体能力は人並み以上。あの女伯爵に相手取れるとは思えないな」

「そうでもありませんよ。言ったでしょう、彼女にも一矢報いたいと。儀式の間にはウィズだけではなくオラルド伯爵家の衛兵を固めてあります」

「その程度ならマリアは簡単に蹴散らすぞ」

「でしょうね。ブラック・マリアの悪名は僕も聞き及んでいますよ。人間にしては破格の身体能力だと思います。ですがかつてのブラック・マリアならまだしも、今のマリアさんでは僕が用意した相手には勝てませんよ、絶対に」

「?」

神聖言語ホーリーワード遣いを雇っています。教会所属ではなく、フリーランスの悪魔祓いですよ」

「っ!!」

「ふふふ。察したようですね。今の・・マリアさんは神聖言語ホーリーワードを使えない。レティーと契約して間もない彼女は悪魔としての力も使いこなせない、つまり身体能力を除けばそこらにいる悪魔と大差ない。本職の悪魔祓いにかかればひとたまりもないでしょうね」

「貴様……」

 マリアを待ち受けている危機を聞かされたレティーは、ダルセリオを睨みつける。

「そこをどけ、ディオン」

「お断りします。僕の役割はレティーの足止めですからね。マリアさんには死んで貰いましょう。契約者が死んでしまえばレティーにウィズの邪魔をする理由はなくなるでしょう?」

「………………」

 どれだけレティーが憤ったところで、契約を果たすべくマリアが死んでしまえば干渉権を失ってしまう。マリアを殺されたという理由で仕掛けることは出来ないのだ。

 それが悪魔の掟であり、正しい姿。

 しかしレティーはマリアを失いたくはない。

 契約者だからというのももちろんあるが、マリアと過ごす時間をまだ失いたくないのだ。

 彼女ともっと一緒にいたいと願ってしまっている。

 だからこそこのままではいられない。

 悪魔失格であろうとも、マリアを助けるために動かなければならない。

「分かっているのか、ディオン。この状況ならば、契約者の願いに沿ったこの状況ならば、俺はお前を殺すことが出来る。悪魔としての法に逆らうことなく同胞を討つことができる。そしてお前は俺には及ばない」

「分かっていますよ。言われなくともその程度のことは分かっています。ですが僕も悪魔の端くれだ。契約者の、ウィズの願いを叶えるためにここで背を向けるわけにはいかないのですよ」

「そうか」

「ええ」

「ならば死ね」

 レティーはダルセリオへと襲いかかる。

 手加減も容赦もする気はなかった。一刻も早くダルセリオを下してマリアの元に駆けつけなければならない。

 契約のため、何よりも契約者を失わないために。

 嫁にすると決めた、あの不器用で優しい少女を救うために。

 二人の悪魔が夜の空でぶつかり合うのだった。


 マリアは一直線に地下へ向かっていた。

 魔力を扱えるようになったマリアは、同じ力である魔力の流れを読み取ることが出来る。流れの中心は地下の広間。

 恐らくはそこで何らかの儀式が行われている。

 隠し扉を見つけて、蹴り飛ばすように扉を開き、そして階段を降りていく。

 子供達がいる場所へ。

 セレナがいる場所へ。

 マリアは駆け抜けていく。

 そして、辿り着いた。

 地獄の終焉へ。

 世界の舞台裏へ。

「……なんだ……これは……」

 魔法陣があった。

 紅い光で描かれていた魔法陣。

 その周りを囲んでいるのは小さな棺。

 その一つ一つに子供達が収められている。

 内側から少しずつ。

 外周の棺はまだ埋まっていない。

 恐らくそこは今日埋まるはずだったのだ。

 イリアード達が助けた子供達、ティム達がそこに入るはずだった。

 空っぽの棺は役割を果たせず空虚な闇を抱えている。

 そして子供達の収まった棺は……


 くるしいよ……

 こわいよ……

 たすけて……

 いたいいたいいたいいたい……

 ここはどこここはどこここはどこ?

 どうしてこんなところにいるの?

 どうしてこんなめにあっているの?

 どうしてこんなにいたくてくるしいのにまだしねないの……


 声にならない声が耳に届く。

 届いたのは耳ではなく脳かもしれない。

 怨嗟の声ではなく恐怖の声。

 子供達はゆっくりと、少しずつ、命を吸い取られていた。

 その中にはセレナもいた。

 流す涙は乾いてしまい、暗い天井を眺めている。

 自分の置かれた状況を理解できないまま、ただどうしてと問い続ける瞳がそこにはあった。

「ようこそ、シスター・マリア。わたくしの世界へ」

 そしてその中心にはウィンチェスト・オラルド伯爵の姿がある。

 子供達の精気を吸い取り、命を糧として君臨する闇の女帝。

「わたくしの世界……ね。随分と悪趣味だね、オラルド伯爵」

「おぞましい光景だということは認めましょう。しかしお互い悪魔と契約した身。この程度のことで眉をしかめるのはどうかと思いますわね」

「一緒にしないで貰いたい。あたしはこんなことをするためにレティーと契約したわけじゃない」

 どうやらレティーとマリアの関係もディオンから聞き及んでいるらしい。マリアもその可能性は考慮していたので今更驚いたりはしない。

「そうですわね。貴女がどんな願いで彼と契約をしたのかは知らないし、興味もないですわ。それでもお互い悪魔に頼った者同士、仲良くしたいというのがわたくしの本音ですけどね」

「つまり?」

「邪魔をするな、ということですわ」

「生憎と、身内を生贄にされた状態で引き下がれるほどあたしは薄情じゃない」

「ふふ。ならばこうしましょう。貴女の身内という子供なら連れて帰って構わない。何人いるかは知らないけれど、その程度は妥協しましょう」

「それも却下。そんな取引で一人だけ助かったなんて知ったらセレナは自分を責める。そしてあたしの事も責めるだろう。あたしはセレナに嫌われるようなことはしたくない」

「交渉決裂、かしら?」

「最初から交渉をした覚えはないよ。あたしは伯爵の凶行を潰しに来た。どういう理由でこんな事をしているかは知らないけど、これ以上は許さない」

「許さない、か。笑わせてくれるわね。自分の方こそ許されざる者の癖に」

「人のことは言えないでしょ。それにあたしはレティーの力を使って誰かを犠牲にするようなことはしていない。これからもするつもりはない」

「ならば何のためにその力を手に入れたの? その魔力はどんな望みを叶えるために使われるの?」

「伯爵には関係ない」

「そうね。確かに関係ないわ。貴女とわたくしは相容れない。でも邪魔をされるのは困るのよ」

 そう言ってオラルド伯爵は右手を天井に掲げた。

 すると魔法陣の光が一層輝きを増し、子供達の声が一層大きくなる。

 命を急激に吸われている子供達は発狂したような声を上げ続けた。

「やめろっ!」

 マリアはそれを止めるべくオラルド伯爵へと襲いかかる。

「っ!?」

 しかしそれは叶わなかった。

 オラルド伯爵を守るように現れた男が、マリアの進撃を止めていた。

「何者だ!?」

「ただの雇われ悪魔祓いだ。名前はファルド」

「フリーランスか!」

「その通り」

 神聖言語ホーリーワードはランティス教会所属の聖職者のみが学ぶことを許される。しかし一度は教会に所属して神聖言語ホーリーワードを身につけた後にフリーランスの悪魔祓いとして活躍する人間がいる。

 教会の仕事に時間をとられず、悪魔祓い専門として密度の高い経験を積んでいるので、聖職者の悪魔祓いよりも厄介な場合が多い。

「邪魔!」

 しかしマリアにとってそんなことはどうでもいい。

 大事なことは子供達を助けること。

 その為に邪魔者を排除すること。

 マリアは魔力を集中してファルドへと放つ。

「ふん。脆弱な魔力だな」

 しかしファルドは片手でそれを防いだ。

「っ!」

「ブラック・マリアの悪名は俺も聞き及んでいる。エクストラスキルまで鍛え上げた神聖言語ホーリーワードをあっさりと捨てた挙げ句、手に入れた力はこの程度か。全くもって嘆かわしい」

「………………」

 神聖言語ホーリーワード遣いとしてのマリアは、フリーランスの間ではそこそこ名前を知られていた。

 その気になれば一線級で活躍できる悪魔祓い。しかしどういう理由からか、退廃の街サリナから出ようとしない変わり者。

 オラルド伯爵に雇われてからマリアの堕落を聞いたとき、対決するのを楽しみにしていた。

 しかしマリアはレティーと契約して日が浅い。

 神聖言語ホーリーワード遣いと戦うには扱える力が小さすぎる。

 神聖言語ホーリーワード遣いとしての実力ならばマリアの方が遥かに上回っていただろう。

 しかしその力を失い、半端な魔力しか使えなくなったマリアはファルドの相手にはならない。

 オラルド伯爵はダルセリオからレティーと契約したマリアが邪魔しに来ることを警告されていた。

 オラルド伯爵自身も、あのブラック・マリアならば悪魔と契約してもおかしくないと思う程度には彼女のことを理解している。

 とにかく常識の通じない破天荒な性格なのだ。その所為で何度かぶつかり合ったこともある。

 その過程で理解した。

 マリアはランティス神など信じてはいない。

 彼女が信じているのは自らが良しとした在り方なのだ。

 だからこそ、その在り方を貫く為には悪魔とだって契約する。

 その話をダルセリオから聞いたとき、むしろ納得してしまった。

 マリアがやってくるのならば徹底的に戦力を固めなければならない。

 悪魔と契約したことで神聖言語ホーリーワードスキルを失っているマリアは、多少格が落ちても同じ神聖言語ホーリーワード遣いこそが天敵だとダルセリオは教えてくれた。

「わたくしの邪魔は許さないわよ、マリア。幾度となくぶつかってきて、貴女の所為で失敗した事業もたくさんあるけれど、今回だけは、今回だけは邪魔させない」

 怨嗟の声をマリアに届けるように、オラルド伯爵は続けた。

「邪魔させない邪魔させない邪魔させない……邪魔は……させない!!」

「………………」

 マリアにはいちいち反応してやる余裕はなかった。

 目の前の神聖言語ホーリーワード遣いファルドに対するだけで手一杯だったのだ。

 自分の不利は理解した。

 引き出せる魔力がまだ大きくないことも分かっている。

 だからこそ集中する。

 魔力を集中して、神聖言語ホーリーワードを弾く。

 聖弾を放ってくるファルドに対して、マリアは高密度の魔力を纏わせた拳でその聖弾を叩き落とすという手段を取った。

 魔力で神聖言語ホーリーワードを相殺するには、およそ五倍のパワーが必要になる。真っ当なシールドで防御していたらすぐに魔力が枯渇してしまう。レティーから借り受けている魔力も無限ではないのだ。

 レティーは今マリアが扱えると判断しただけの魔力を貸し与えている。

 それが中級悪魔程度というのは通常の契約者としては破格の量だが、契約前に神聖言語ホーリーワード遣いとしてレティーを圧倒したマリアの力量を信頼してのことだ。

 扱える魔力は足りなくとも、そのコントロールと身体能力でファルドに拮抗してみせる。

「驚いた。まさかそんなやり方で拮抗してみせるなんてね」

「ふん。こちとら実戦経験は豊富なのよ」

「なるほど。だが所詮は小手先の悪足掻き。そのやり方では大技には対応できないだろう?」

 ファルドは呪文詠唱に入る。

 詠唱が必要な神聖言語ホーリーワードは威力が大きい。

 これを発動されたら今のマリアでは防げない。

「させるかあっ!」

 先手必勝。

 呪文を完成させる前に一撃を叩きこむ。

 願うだけで発動する魔法と違って、神聖言語ホーリーワードには呪文詠唱が必要になる。

 もちろん前もって準備していればワンアクションで発動可能だが、少なくともファルドの大技は詠唱を必要としている。だったら喉を潰して詠唱不可能にしてしまえば発動は阻止できる。

 クロスレンジまで接近して喉に一撃を叩きこむ。

 マリアが行動に移った瞬間だった。

「っ!」

 地面から生えた光の鎖がマリアの身体を締め上げる。

「うわあああああっ!!」

 破魔属性を帯びた光の鎖は、レティーの契約者であるマリアの身体を容赦なく攻撃した。激痛に叫ぶマリアは、意識が遠のきそうになるのを必死で繋ぎ止めた。

 かつてマリアがレティーを召喚した際に用いたものと同じ鎖だった。

 あの時は魔法陣に仕込んでおいたものを合図一つで発動させたのだが、今回も同じような準備を予めされていたらしい。

「くっ……」

 一過性の激痛が過ぎて、ようやく鎖の機能が拘束のみになった。

 あの時はレティーも同じ状況だったはずだが、本人はけろりとしていた。思ったよりも効果が薄いのではないかとあの時は首を傾げたのだが、何のことはない。

 もともとの耐久力が違いすぎたのだ。

 強力な悪魔であるレティーと。

 悪魔の力を借りただけの人間であるマリアと。

 レティーは確かにあの時ピンチだったけれど、それはあくまでもソウルブレイカーに対するものだったのだ。

「すっごく……痛いなぁ……」

 身体から煙を立ち上らせながらマリアが唸る。

「それはそうだろうな。アルカナバインドは悪魔にだって十分な致命傷を与える攻撃なんだ。半端な力しか持たない契約者が喰らったらひとたまりもないんだぜ、本当は」

「………………」

「さて、どうします? 伯爵様。このままぶっ殺してもいいんですけど何か因縁があるようですし、このままの状態で儀式を見せるとかそういう趣向でいっちゃいます?」

 マリアを拘束して気を緩めたファルドがオラルド伯爵へと振り返る。

「そうね。彼女にはわたくしが不老不死になるところを見届けて貰いましょう」

「不老不死……だって……?」

 縛られたままのマリアが呟く。

「ええ、そうよ。わたくしはこの子達の命を吸い取って、我がものにする。それだけで数百年は生き長らえるでしょうね。そして命が枯渇し始めたら再び儀式を行うの。これでわたくしは不老不死を手に入れられるわ」

「ふざけるな! 子供達の命を何だと思っている!」

 陶酔したように続けるオラルド伯爵に対して、激昂するマリア。激痛が身体を苛んでいるはずなのに、その意志は逆に燃え上がっている。

「何を憤る必要があるの?」

「なんだと?」

「あの子達は大半が孤児よ。貧民街スラムに巣食う害虫のようなものじゃない。何も出来ない無力な命。食べ物を与えられるのを待っている、他者の慈悲を乞うだけの命。虫けら同然のゴミじゃない」

「貴様!」

「そんな役立たずの命でもね、こうすれば貴いわたくしの役に立てるのよ。むしろ感謝して欲しいぐらいだわ。このわたくしの糧になれるのだから」

「寝言をほざくな! 貴様の私利私欲のために失われていい命なんてない!」

「それを決めるのは貴女じゃない。わたくしなのよ、マリア。ファルド、もう少し痛めつけて頂戴。というか止めを刺しても構わないわ。どうせこの女はしぶとそうだから数分は生きながらえるでしょう。儀式を見物して貰うにはそれで十分よ」

「やれやれ。残酷な伯爵様だ」

 ぼやきながらもファルドはその言葉に忠実に、新たなる神聖言語ホーリーワードを放った。

 白い光で構成された槍。

 それをマリアの心臓へと突き刺した。

「あ……!」

 心臓に突き刺された槍は一瞬で砕けた。

 しかしそれは確実にマリアの心臓へとダメージを与えている。

 レティーと契約した証である刻印も一緒に破壊されて、マリアはその場に崩れ落ちた。


 霞む視界の中、途切れそうになる意識と戦いながら、その狭間で過去を見ていた。


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