セレナの失踪
「マリアねーちゃんっ!」
朝からランティス教会の扉を激しく叩いたのは、廃墟に住まう少年ティムだった。
「マリアねーちゃん! 起きてくれよっ! 大変なんだっ!」
「んぁ~……?」
マリアの朝は早くない。
どちらかというと寝坊する日の方が多かったりする。
今も寝惚けまなこのまま、片手で目を擦りながら、更にはシスター服ではなくパジャマ姿で扉をのろのろと開いている。
そんなマリアの様子をやれやれとため息混じりに観察しながら、レティーは聖堂の長椅子に腰かけていた。
悪魔が堂々とくつろいでいるあたり、サリナのランティス教会は神様の加護など皆無だと理解できる。
「おはよ~、ティム。仕事に行かなくていいの?」
街の修繕を手伝っているティムは、今の時間帯だと仕事に行っているはずだ。生活もあり、マリアの紹介でありつけた仕事ということもある。自分から仕事をさぼるとは考えにくい。
もしかしたらクビになったのかもしれないと心配になったりしたのだが、どうやらそういう事でもないらしい。
「マリアねーちゃん! セレナがいなくなった!」
「え……?」
セレナは今日から黒鹿亭の手伝いに行くはずだ。酒場なので仕込みは早くても昼からであり、今の時間帯にいなくなるのはおかしい。
「どういうこと? いなくなったっていつから?」
今にも泣きだしそうなティムに較べて、マリアの方は落ち着いている。
落ち着きすぎていると言ってもいいぐらいだ。
しかしこれはマリアが薄情というわけではない。マリアはセレナがいなくなったことについて動揺もしているし、心配もしている。
ただ、こういう事態に慣れてしまっているだけだ。
何度も味わってきた喪失感。
失いたくないと思いながらも、いざという時は割り切ってしまう。
そんな冷静さ、いや、冷酷さが備わってしまっている。
「とにかく落ち着いて。落ち着いて話してくれないと、状況が分からない」
「う、うん……」
礼拝堂にティムを招き入れてから、詳しい話を聞こうとする。
セレナは昨日まではいつも通り廃墟にいたという。
次の日からマリアが紹介した黒鹿亭で働くことになるため、少しでも早く休まなければならないのだが、逆にドキドキしてしまって眠れなかったのだという。
職種は違っても先に働きに出ているティムに色々な話を聞きながら、心構えみたいなものを整えていたらしい。
ドキドキしたりわくわくしたり、とにかく落ち着かない様子だった。
そんなセレナを宥めつつ、ようやく寝かしつけたところでティムたちも眠ることにした。
そして朝、目を覚ますとセレナの姿がなかった。
「最初は早く目が覚めて外に出かけたんじゃないかと思ったんだ。散歩とか、下見とか。でもいつまでたっても帰ってこないし……」
ティムは涙をぬぐいながらたどたどしく話す。
「ティムやセレナが道に迷うってことはあり得ないから、何かに巻き込まれたと考えるのが妥当かもしれないね」
「うん」
貧民街で生きる子供たちは、街の構造を知り尽くしている。
盗みを働いていたころに、逃げたり隠れる場所を確保したりするため、周辺の地理を徹底的に叩き込んでいるのだ。
ティムたちもかつてはそうやって生きていたので、街の地理には詳しい。散歩をしていて迷うということはまずありえない。
「分かった。あたしの方でも探してみる。ティムも、仕事場に一度顔を出しておいで」
「今はそんな場合じゃないだろ!」
「ティム。仕事を優先しろと言っている訳じゃない。だがティムが休んだらその分他の誰かがしわ寄せをくらうことになるんだよ。つまり迷惑をかけている。だったらせめて事情を話しておくのが筋でしょ」
「………………」
「ティム」
「……分かった。事情を話して今日は休ませてもらう」
「よし。じゃあ行っておいで」
「うん」
ティムはそのまま駆け出して行った。その小さな背中が見えなくなるのを確認してから、マリアはレティーを振り返った。
「一つだけ教えて」
「なんだ?」
「夜に見た『赤い光』とセレナが見た『虹色の鳥』。この二つは関係あるの?」
「どうしてそう思う?」
答えが分かっている問いかけに対して、わざと混ぜっ返すような言い方をするレティー。
その態度にイラついてしまうマリアだが、それを辛うじて抑え込む。悪魔相手に感情的になっては付け込まれると理解しているからだ。
「虹色の鳥なんてものは、本来存在しない」
「ふむ」
「本来の現実で存在しないものは、幻想に属する。つまり悪魔が関わっている可能性が高い。あり得ないものを見たセレナはいなくなった。そしてあたしはレティー以外の悪魔が発する魔力光を見ている。これが答え」
「それで? マリアはどうしたいんだ? 見たところそこまで心配している訳ではなさそうだが」
「心配はしてるよ。慣れている自分に嫌気が差すけど」
「つまり、最悪の事態も考慮しているのだな」
「考えたくないけどね」
「いや。常に最悪の結果を考えておくことは重要だ。悲劇的な現実から目を逸らしたところで、未来が変わるわけではないからな。その点、マリアの態度は評価できる」
「だけどまだ足りない。情報が足りない」
「だから?」
「魔法を使う」
「随分と手抜きな真似をしてくれるな。本来は情報収集、そこから情報整理、という過程を経て結末へとたどり着くものだろう? それが人間として生きるルールだ」
「知ったことじゃない」
「………………」
マリアは平然としている。
人間のルールを破る?
それがどうした。
|そんなものはとっくに破っている(・・・・・・・・・・・・・・・)。
レドラウス・ペンドラゴンと契約したその瞬間から、シスター・マリアは人間であることを捨てている。
人間として守るべきルールを、今のマリアが守る必要はないのだ。
「目的の為なら手段は選ばない。それがどれだけ酷い裏切りだとしても」
「悪くない」
「………………」
そんなマリアを、レティーは愉快そうに称えた。
「やってみるといい。マリアが望むやり方で。『誰かを助ける』ために動くのならば、それは契約の範囲内だ。ほかの悪魔にも文句は言わせん」
「そうこなくっちゃ!」
マリアはさっそく魔法を使うことにした。
セレナを探すための探索魔法。
ルールを無視して、マナーを破壊して、結果だけを求める。
手順は必要ない。
悪魔の力は願いの具現。
マリアが願った通りに魔法は発動する。
「……あれ?」
しかし事はそう都合よくは運ばなかった。
マリアは人間であり、悪魔の力を使うには限界がある。もともと自分の力でないものを扱っているのだから、それは当然の結果だった。
こちらが悪魔の力を使うように、あちらも悪魔の力を使っている。
同じだけの力がぶつかったら、その力は行き先を失って消滅してしまう。
セレナの気配を追いかけていると、唐突に途切れてしまった。
「……セレナの気配が、分からなくなった」
「当然だな。向こうの悪魔が結界を張っているのだろう」
「結界?」
「ああ。恐らく何らかの儀式を行うのだろうな。魔力の散逸を避けるための空間固定結界のようだぞ」
「分かるんだ」
「俺を誰だと思っている」
「おっぱいマニアのアホ悪魔」
「……どうやら話し合いが必要なようだ」
「この事件が解決したら夜通しで付き合ってあげるわよ」
「ベッドの中でか?」
「テーブルを囲んで」
「ちっ」
「舌打ち禁止」
緊張感に欠けるやりとりである。
今がどれだけ切羽詰まった状況か、マリアは理解している。
しかしだからこそ、いつも通りでいなければならないと思っている。
冷静さを欠いたら負けだ。
不真面目だろうが緊張感がなかろうが、いつも通りに振る舞うことこそ最善なのだ。
……これがいつも通りの振る舞いというあたりに問題を感じないわけでもないが、そこは余裕があるときに改めて考えればいい。
「ううん。魔法を使うのは駄目、となるとやはり夜を待つしかないかな」
「どうしてそう思う?」
「悪魔が何かをしようとしているなら、あの魔力光は今日も発見できるはず。だから夜になればその魔力光がある場所に向かえばいい」
「ふむ。それまであの子供が無事な保証はあるのかな?」
「そこは信じるしかない。少なくとも手掛かりがないまま闇雲に探し回って体力と精神力をすり減らすよりも、時を待って万全な状態で仕掛ける方が勝算が高い」
「正解だ。だが外した時のリスクは計り知れないぞ」
「そうだね。だから出来るだけのことはしておくつもり」
「たとえば?」
「ひとまず情報収集、かな」
マリアは支度を調えてロードレック侯爵の屋敷へと向かう。
イリアードに面会するためだ。
「マリア!」
面会を申し込むと、イリアードはすぐに出てきてくれた。表情からは余裕が無くなっている。やはり何か事件が起きたらしい。
「子供がいなくなった?」
マリアは先回りして問いかける。
「やはり知っていたのか」
「知り合いの子供もいなくなったからね。セレナっていう女の子」
「ああ。こっちも失踪届が何件も出ている。貧民街の子供達だけじゃない。一般家庭の子供達も何人か行方不明になっている」
「夜のうちに?」
「ああ。夜中に家を抜け出したらしい」
今は追跡調査をしているところだが、手掛かりは見つかっていないらしい。
「誘拐の線は薄いと思うよ」
「俺もそう思う。同じタイミングでこれだけの人数を誘拐することは不可能だ。組織だって動くにしても限界がある」
「それはあたしも同感。それよりも共通点ってなかった?」
「共通点?」
「いなくなった子供達の共通点」
「……と、言われてもな。家柄も年齢も性別もバラバラだし。とくに共通することは無かったと思うんだが」
「オラルド伯爵のお菓子は?」
「は……?」
唐突にそんな事を切り出したマリアに首を傾げるイリアード。何を言いたいのかが理解できないらしい。
「だから、いなくなった子供達はみんな、あのお菓子を食べていなかった?」
「そりゃ、この辺りの子供達はみんな食べてるだろうよ。しかし毒でも仕込まれたっていうんならまだしも、いなくなった理由にはならないだろ」
「……毒じゃない。魔法が仕込まれてたかもしれない」
「魔法?」
「うん。セレナがあのお菓子を食べた後、虹色の鳥が見えるって言った。幻覚を見せて、それを無意識で追いかけるような、そんな魔法が仕込まれていたとしたら……」
「待て待て。魔法って、それじゃあ悪魔の仕業だっていうのか?」
この街に悪魔祓いは存在しない。ランティス教会は形だけのものであり、マリア自身も正式なシスターというわけではない。
退廃の街サリナは、悪魔の苗床になっている可能性がある。しかしそれを祓うだけの光は存在しないのだ。
災害に見舞われたら、見過ごすしかない。
対抗できるだけの力を持っていないのだから。
今までも、悪魔の仕業だと分かったものに関しては放置するしかなかったのだ。
息を潜めて、嵐が通り過ぎるのをじっと待つだけ。
人間とはこれほどまでに無力なのかと歯噛みしたことも一度や二度ではない。
かつてのマリアは神聖言語を遣うことが出来たし、その気になれば悪魔祓いを行うこともできたが、正式なシスターではあっても正当な神聖言語遣いではないマリアにはその情報が入ってこなかったのだ。
マリアの元に情報が届く頃には悪魔は全ての仕事を終えていた。
「その可能性は高い。だけど悪魔の仕業というよりは、彼らと契約した人間の仕業と考える方がしっくりくる」
「契約……?」
「そうだよ。悪魔は契約で動く。悪魔が自分の都合だけで動いたのなら、こんなまどろっこしいことはしないと思う。する必要がない」
「それはそうだが……」
「だからここはオラルド伯爵を調べてみるのが無難だと思う」
「む、無茶言うなよ。相手は貴族だぞ。証拠もない状態で捜査ができるか!」
怪しいと決めた相手は容赦なく断罪するイリアードだが、それでも権力という壁は分厚すぎる。
貴族出身の次男坊。家を継ぐことが出来ず、しかしだからこそ貴族の力というものを思い知っている。
イリアード自身がどれほどやりたいと願っても、組織が、ロードレック侯爵が、上司がそれを許さない。
証拠固めを始めようにも、悪魔が関わっている以上、積極的に乗り出す者は少ないだろう。
悪魔に関われば自身も呪われてしまう。
そう考える者が多いからだ。
「まあ無理にとは言わない。子供達がお菓子を食べていたかどうかを調べるだけでも無駄じゃないと思うし」
「それは……」
そうなのだが、とイリアードの歯切れが悪くなる。
彼もやはり悪魔という存在が怖いのだろう。
自分のために彼らと契約をしようと思えるマリアの方が異常なのだ。
「それにお菓子を食べていたということが分かれば次の被害を防げる」
「なに?」
「恐らくだが、効果が現れるまでに個体差がある。セレナが虹色の鳥を見たように、他の子供もお菓子を食べて虹色の鳥を見たんだと思う。だけどティムや他の子供達も同じようにお菓子を食べたけど、虹色の鳥は見ていない」
「だったら違うんじゃないか……?」
「そうとも限らない。薬と同じように、同じものが多数に同じ効果を及ぼすとは限らない。効きにくい子供もいるだろうし、時間差だってあるかもしれない。昨日見えなかった虹色の鳥は、今日見えるかもしれない」
「な、なるほど……。だがあのお菓子を食べている子供が多すぎる。一人一人を見張るなんて不可能だ」
「別に一人一人を見張る必要はないってば。子供達が誘導されているのはオラルド伯爵の屋敷なんだから、そのルートを張っていれば今日にでも失踪予定の子供達を鰻登り的に捕獲できるんじゃないのかな」
「なるほど! 顔に似合わず冴えてるな!」
「顔に似合わずは余計だーっ!」
そこまで馬鹿そうな顔はしていない、と回し蹴りを喰らわせるマリア。イリアードは壁まで吹っ飛ばされた。
「貴族が絡んでいるなら起こってしまった事にはまだ手出しできない。だけどこれから起こるかもしれないことを防ぐことは出来る。あたしはあたしでやることがあるから、オラルド伯爵の屋敷、そこのルート警備をイリヤには頼みたいんだ。名目は何でもいいよ。これだけ子供達が行方不明になっているんだから、夜間警備の理由はいくらでもでっち上げられるでしょ?」
「でっち上げ言うな」
「じゃあオラルド伯爵がちょー怪しいのでルート警備をさせてくださいって馬鹿正直に申請してみなさいよ」
「無理だ」
「根性なしめ。とにかく頼んだわよ」
そう言いつつもイリヤがそれ以上動けないことは知っているのでマリアも深くは突っ込まない。お役所仕事というのはいつでもどこでも板挟みとの戦いなのだ。
「マリアはどうするんだ?」
「あたしはオラルド伯爵を探ってみるよ。夜に動いてみるつもり」
「だ、大丈夫か?」
「まあ大丈夫だと思う。頼りになる居候もいることだし」
ちらりとレティーに視線を向けるマリア。
レティーは我関せずと言いたげに鼻を鳴らした。
しかしマリアがピンチに陥れば必ず助けてくれることも分かっている。大事な花嫁を傷物にするわけにはいかないからだ。
「それにあたしなら組織のしがらみに縛られることはないからね。まあ精々暴れてくるよ」
「マリアの暴れてくるは暴風レベルだからな。聞いただけで震え上がる」
「失礼な! 器物破損とかほとんどやらかしてないじゃん!」
「アレをほとんどと言ってしまうあたりがマリアの恐ろしいところだ」
「うるさいうるさい! ってゆーか壊したのあたしじゃないし!」
事実だった。
今までマリアが『暴れて』街のあらゆる場所を壊した前科は、決してマリアだけの所為ではない。 マリアに対抗して暴れる敵が、遠慮容赦なく重量級武器を使ってきたりするので、その際に破壊されてしまうのだ。
マリアはその攻撃を避けるだけで破壊を広げていく。
そこに存在するだけであらゆるものを破壊する真性の『破壊者』なのだ。
しかしマリアの巻き添えで街のあらゆる場所が破壊されるお陰で、街の修繕を担当する仕事はそれなりの稼ぎを得ている。その手伝いをしているティムも、その稼ぎで生活することが出来ている。
マリアの悪行が巡り巡って子供達の生活に糧を与えているのだから、世の中何が転じて福になるのか分からない。
マリア自身は敵対者をぶちのめしているだけなので、破壊者などという不名誉な称号は迷惑極まりないのだが、そのお陰でティムに仕事が出来たのは悪くないと考えている。
それにマリアが手を出さなければ街の破壊とは別の意味で被害が広がっていたので、これはこれで悪くない結末なのだ。
イリアードも単独で動くマリアの事をあまり心配していない。
彼女の戦闘能力を理解しているというのもあるが、彼女は何があっても大丈夫だと思わせる安心感がある。
理由のない安心感。
それを言葉にすると『カリスマ』というものになるのだが、それはなんだかマリアに似合わない気がするので口にはしない。
だから納得がいかないのは唯一つ。
マリアの小さな背中にあまりにも大きな荷物を背負わせていること。
彼女一人に負担を押しつけてしまっていること。
もちろん夜の見張りは無駄ではない。
これから子供達の失踪が増えるというのなら、それはイリアードにしか出来ないことだ。少なくとも単独でしか動けないマリアには不可能であり、そういう部分で彼女の力になれていることは確かなのだ。
「ま、出来ることをやるしかないよな」
教会へと戻っていったマリアを見送ってから、イリアードは早速今晩動き出すための準備と根回しを行うことにした。
やることはたくさんある。
この動きに対して、オラルド伯爵が圧力をかけてこないとは限らないのだ。
その為にはロードレック侯爵に防波堤となってもらう必要がある。オラルド伯爵の邪魔をすることになっても、彼女を直接調べるわけではないのだから、そのあたりの交渉はうまくいくはずだ。
行方不明になった子供達はマリアに任せておけばいい。
しかしこれから行方不明になるかもしれない子供達を、その失踪を防ぐことが出来るのならば、それは全力で行うべきなのだ。
これ以上の犠牲は許さない。
イリアードの中にある揺るぎない正義感がそれをさせない。
「俺は俺で出来ることをやる。だからマリアも頑張れよ」
自分とマリアは同じ志を持っている。
立場も、やり方も違うけれど、目指す場所は同じだと信じている。
だからこそお互いに協力する。
フォローしようとする。
今できることを全力で行う。
イリアードはその日、動かせる最大数の警備隊で夜の街を固めることに成功していた。