シスターは悪魔と契約する
第一話 シスターは悪魔と契約する
退廃の都サリナ。
神から見捨てられた街。
そこに住む人間は善性をどこかに捨て去ってしまったらしいと、外部の人間からは囁かれている。
殺人事件が起きない日はないし、
強盗事件が起きない日もないし、
誰かが痛ましい死に方をしない日もないし、
誰かが不幸のどん底に落とされない日もない。
そんな地獄を具現化したようなこの街で、それでも生きる命があった。
そんな街だからこそ、善性を、光を信じようとする小さな命が存在していた。
世界神ランティスに仕えるシスター・マリア。
輝く銀の髪を風にたなびかせながら、揺るぎない意志を紫の瞳に秘めている。
彼女は今この瞬間、自身が仕える神を裏切る。
神ではなく、悪魔の力を手に入れるために。
悪魔召喚の魔法陣を描き、悪魔を召喚するために呪文を紡ぐ。
「我が名はマリア。聖母の名を持つ我が命において、彼の魂を此処に求める。
夜を巡るもの。
昼を嘲るもの。
闇の盟主にして黒き光を統べるもの。
星辰の果てより来たれ、理の破壊者よ!」
呪文が終了すると、魔法陣から激しい光が溢れ出す。
召喚者の魂、その輝きに魅せられた悪魔が姿を現した。
黒い髪を三つ編みで束ね、左の首筋から垂らしている。
紅い瞳はどこまでも蠱惑的で、耐性のない者なら一瞬で魅了されてしまうだろう。
黒い輝きを帯びた翼は、まるでそこに星空があるかのような美しさだ。
「俺を召喚したのはお前か?」
悪魔が問いかける。
悪魔召喚、それも自分ほど高位の存在を召喚するからにはどれだけ力の強い、もしくは膨れ上がった悪意の持ち主かと期待していたのだが、そこにいたのはごく普通の少女だった。
ごく普通の少女であり、ごく普通のシスターだ。
今この瞬間、自らが信じる神を裏切った乙女だ。
「そうよ。あたしが召喚したの。契約をしましょう」
マリアは堂々とそう言った。
「ふん。契約ね。まさか神に仕える乙女と契約を結ぶことになるとはな。そのシスター服は脱いで貰わなければならないが、まあそれはそれで面白い」
「え? 何言ってんの? 脱ぐわけないじゃん」
「………………」
たった今神を裏切る行為を行っておきながら、そんな事を言うマリア。
「……悪魔との契約を望んでおいて、神への信仰も捨てないつもりか? そんな事を両立できると本気で思っているのか?」
悪魔が怪訝そうに問いかける。
本気で何を言っているのか分からないのだろう。
「いや、ってゆーかさ。ランティスへの信仰心なんて最初から持っていないし」
「………………」
シスター服に身を包んでおきながらそんなことをのたまいますか。
「あたしはさ、人を助けるためにシスターになったんだよ」
「神に仕えるためではなく?」
「もちろん。厄介事に首を突っ込んで解決するには、教会の後ろ盾っていう安定した権力があった方が色々便利だからシスターになったの。ぶっちゃけ神様なんてどうでもいいし」
「……誰だこんな奴をシスターとして認めやがったのは」
悪魔は辟易したように溜め息をついた。
立場上ランティス神とは敵対するべき悪魔ですが、この時ばかりは天敵ランティスに同情したい気持ちになってしまった。
「じゃあさっそく契約しよっか」
「もちろんそのつもりで召喚に応じたのだが、何が望みだ?」
「?」
「いや、そこは首を傾げるところじゃない。悪魔、つまりこの俺を召喚したからには叶えたい望みがあるのだろう? まずはその望みから聞かせてもらおうか」
「なんで? 契約が先じゃ駄目なの?」
「契約にも色々と方法があってな。それに代償を決めなければ契約すら行えない」
「代償って、魂じゃないの?」
「そりゃあ最も大きいのが魂を捧げることだが」
「じゃあそれでいいじゃん。死後の魂はあんたにあげる。だからあたしと契約しよう」
「そういうわけにもいかん」
「なんで?」
「人間にとってランティス神が神聖なものであるように、俺達悪魔にとっては契約こそが神聖なものなんだ。いや、この場合魔聖と言うべきか? ……まあ語呂が悪いからこの際神聖でいいだろう」
「……どうでもいい言葉に拘るね」
「悪魔だからな」
「ただの神経質にしか見えない」
「………………」
悪魔のこだわりを神経質の一言で片づけられて、ちょっぴり傷ついてしまったようだ。神経質かどうかはともかくとして、なかなか繊細な心の持ち主であることは確かだろう。
「で、願いは何かってことだっけ?」
「そうだ。それが魂を捧げるに値するほどの大望ならば、死後にその魂をいただく。ただし、大きすぎる望みは叶わないと心得ておけ。人間が悪魔に対価として差し出せる最大のものはその魂だ。だがその魂と比べてもなお大きすぎる望みを持つ人間も稀に存在するからな」
「へえ? たとえばどんなこと?」
「世界征服とか」
「そりゃそうだよね。たった一人の魂で世界中の人間を支配しようなんて図々しいにもほどがある」
「あとは神殺しとか」
「ランティスを? 人間の分際でまた厚かましい事を考える奴だね」
「だろう? そこが人間の恐ろしくも面白いところだ。悪魔は身の程を弁えた行動しか起こさない。だが人間は分を超えた願いを持ち、それを叶えようとする。いつの時代も、人間は願い続ける」
「別にそんな願いばかりとは限らないでしょ?」
「まあな。願いにもいろいろな形がある。悪魔に頼らずとも自身の努力と行動によって願いに近づこうとする人間もいる」
「それが本来は正しい姿だよね」
「だが、そんな姿の中にも、大きすぎる願いを持った存在はあったのだぞ」
「?」
「つまり、理想を追い求める者だ」
「ああ、なるほど。理想っていうのは難しいよね。色々な意味で」
「分かっているではないか。正しい願い、純粋な願い、だがそれは人の身では決してたどり着けない理の彼方。つまり理想だ」
「そこに限りなく近づいた存在を、人は英雄と呼ぶ」
「その通り」
そのような問答を繰り広げたところで、マリアは深呼吸をして悪魔と向き合った。
「あたしの願いはそこまで大それたものじゃないよ。悪魔の力が欲しい。それだけだから」
「力を望むのか? 誰か痛めつけたい相手でもいるのか?」
「いや。痛めつけたい相手は自分で痛めつける。悪魔の力とか基本的に必要ない。こぶし一つあれば十分」
「……ますますもってシスターの言葉じゃないな」
「悪魔と契約を結べば悪魔の力を行使できるんでしょ?」
「契約内容にもよるがな。俺の力を使いたいのならば使役契約だな。俺はお前の人生に寄り添う。お前は死後、魂となって俺に寄り添う。お前が生きている間は俺の力をお前に貸してやろう。だがその力で何をするつもりだ? 人間が悪魔の力を手に入れて、一体何を為すつもりなんだ?」
「人助け」
「………………」
悪魔が沈黙した。
信じられないものを見るようにマリアを凝視している。
目の前にある女の在り方が信じられないとでも言うように。
「あたしはさ、これでも結構有能な人間だと思う訳よ」
「自分で言うか」
「自分で言わないと誰も言ってくれないし」
「………………」
「腕っぷしだってチンピラ五人をぶっ飛ばして足蹴に出来るぐらいだし」
「……お前は断じて聖職者ではない」
「神聖言語だってエクストラスキルまで鍛え上げているし」
「……ランティスに誠心誠意仕えて慎ましく日々を生きている司教クラスが聞いたらうつ病にでもかかってしまいそうな話だな」
ちなみに神聖言語とは、世界神ランティスの力を世界に対して行使するための術式であり、聖職者は大なり小なりこの力を使う事が出来る。
見習いシスターでも初歩の神聖言語を使う事が出来るが、司教クラスになるとエクストラスキル、つまり最上級の呪文を行使することができる。
この常識、つまり認識からも分かるように、一般的には神への信仰心が深ければ深いほど高いスキルの神聖言語を行使することができる……と思われている。
だが実際のところは違う。
もちろん信仰心が大きな助けになっていることは確かなのだが、それと同じぐらい大切な要素として、才能というのがある。
神聖言語を扱う才能。
それは生まれ持ったものでもあり、鍛え上げていくものでもある。
だがこの女、マリアは才能だけで、信仰心なんてかけらほども持ち合わせないまま、エクストラスキルまで鍛え上げてしまったらしい。
信仰心こそが神聖言語を鍛え上げると信じて日々ランティスへの信仰を深めて努力している司教や司祭、それにシスターが聞いたらやはり卒倒しそうな有様だろう。
うつ病にぐらいなって当然だ。
「まあうつ病になった聖職者というのもそれなりに美味しそうではあるのだがな。魂の凹み具合とかひび割れ具合とか。堕としやすそうで実にそそられる」
「まあ悪魔はそういうものだよね。……っと、話が逸れちゃったね」
「……逸れ過ぎだな」
「ええと、あたしが有能ってところまで話したっけ?」
「それはもういい。他人の自慢話ほど暇なものはない」
「自慢じゃなくて事実だし」
「うるさい黙れ死ね」
さすが悪魔なだけあってセリフに容赦がない。
「そりゃいつかは死ぬけどね。で、話を戻すけど、こんなに有能なあたしでも助ける事の出来ない人たちがたくさんいるわけで、つまりそれが不満なわけよ」
「ご自慢の神聖言語を駆使すれば大抵の事は出来るんじゃないのか?」
「そうでもないよ。神聖言語はあくまでもランティスの力を行使して世界の流れを助けるものだから。怪我をした人の回復を少しだけはやめたり、植物の成長を少しだけ促したり、その程度なんだよ」
「十分じゃないか。まさしく人を助けるための力だ」
「そうだね。でもあたしは贅沢だからさ。それじゃあ物足りないって思っちゃうんだよね」
「物足りない?」
「そう。ちょっとした怪我をほんの少しだけ治せたから何になるの? 瀕死の重傷を負った人は治せない。植物の成長をちょっとだけ促せるから何になるの? 作物の生産量を劇的に増やせるわけじゃない」
「当然だろう。神聖言語は世界の理に沿ったものだ。理を歪めることは出来ない。それは俺たち悪魔の生業だ」
「そうだね。だからあたしにとって神聖言語は何の価値もないんだ。誰も助けられない。肝心なときに無力さだけを味わうだけの、意味のない力。だからあたしは理を歪める力が欲しい。死にそうな人を簡単に助けられるような、無から有を生み出せるような、歪んだ力が欲しいんだ」
「なるほど。だから悪魔か」
「その通り。あたしの願いは悪魔の力を使って世界の理を歪めること。代償は死後の魂。さあ、願いは告げたぞ。あたしと契約を結ぼう」
さあ、さあ、と手を差し伸べてくるマリア。
一刻も早く契約を結んでしまいたいようだ。
だが、そんなマリアに対する悪魔の反応は……
「断る」
だった。
「………………」
「………………」
二人の間に訪れたのは気まずい沈黙、というか間だった。
マリアは一体何を間違えたのか分からずに首を傾げており、悪魔の方はやれやれと盛大なため息をつくのだった。
「よりにもよってこの俺の力を使って人助けだと? 冗談じゃねえ。ふざけんな。悪魔が人助けしてどうすんだ。ちったあ考えてからものを言いやがれ、この脳みそおがくず女」
「………………」
あらん限りの暴言をぶつけられたマリアは無表情のまま固まっていた。
固まって、何事かを呟いてから右こぶしをぐっと握りしめて、そして……
「げふうっ!?」
実にキレのいい、抉るようなボディーブローを悪魔の身体に叩き込んだのだった。
平たく言うとみぞおちぱんちである。
とても痛い。
抉るように叩き込んだため、抉られるような痛みが悪魔に襲い掛かっていた。
「ぐおお……」
たまらず片膝をついてから呻く悪魔を、マリアはにこにことした表情で見下ろしていた。
というか、見下していた。
「まあまあ悪魔さん。そう結論を早めるものではないよ。ちょいと話し合おうではないか。ねえ?」
猫なで声で、悪魔の頭をぐりぐりと踏みつけにしながら、シスター・マリアは言った。
「は……話し合いとは基本的に暴力を用いない交渉のことを言うのではないだろうか」
悪魔は呻きながらもささやかな反論を試みた。
「え? 何言ってんの? 交渉って言うのは手段を選ばずいかに自分の思惑通りに事を運ぶかでしょ?」
「………………」
誰だこんな奴を聖職者にしやがったのは……。
見る目がないにも程がある。
「いや、待て。待ってくれ。そもそも交渉ではなく話し合いではなかったか?」
「だから交渉と話し合いは同義でしょ?」
「……違う。それは違う。話し合いは暴力という手段を用いない平和的な交渉のことだ。そして交渉とはあらゆる手段を講じて利害関係の妥協点を探ることだ」
「そういえばそうだっけ」
「そうだ」
交渉とは、利害関係のある二者(もしくは複数)が、互いの要求を主張して、最終的な妥結点に到達する手順のことを言う。
交渉で重要なのは、交渉の構造を理解することであり、交渉の構造とは、そもそも交渉の相手となる関係者は誰か、交渉の争点は何か、争点の妥結可能性の範囲と各関係者の利益あるいは損失との関係などである。こちらの主張に対してどんな対応をするか、相手の主張に対して、こちらがどのような対応をせざるを得ないかという手順を考えることも重要である。
そして妥結点は互いにとって利害が一致、あるいは全体の利益が最大になる点を目指すのが理想的だ。
まあ理想はあくまでも理想であり、必ずしも交渉結果は理想通りにはならない。交渉の結果は、妥結するか、決裂するかの二つが基本姿勢だ。
「……それを最初から暴力に訴え出るなど交渉の名前を用いる資格などない。お前はただの暴力シスターだ」
「まあどうでもいいけど」
「どうでもいいのかよっ!?」
「大事なのは悪魔とあたしが契約を結ぶことだから。その為なら暴力だろうと交渉だろうと話し合いだろうと手段は選ばないよ」
「いやだからそれは断ると言ったはずだ」
「なんでよ。魂あげるって言ってるじゃん」
「そういう問題じゃない」
「じゃあどういう問題よ」
「悪魔に善行を積む手伝いとかさせてんじゃねえよって問題だ」
「駄目なの?」
「駄目だな。考えただけで寒気がする。おぞましくてじんましんが出そうだ」
「それぐらいならノープロブレムじゃん。じんましんぐらい我慢してよ」
「出来るかっ!」
「どうしても?」
「どうしてもだ」
「じゃあ仕方ないね」
「おお、諦めてくれたのか?」
「まさか」
顔面の上半分に影を背負ってにんまりと口元を吊り上げたマリアは、悪魔の立っている魔法陣に仕込んであった遅延呪文を発動させた。
悪魔封印用の最高位神聖言語だった。
「なっ!?」
それに気付いた悪魔は慌てて逃げようとしたのだがもう遅い。
まずは白い光が悪魔の身体を貫いた。
合計五本ぐらいの光に貫かれた悪魔はそのまま立ちつくしてしまう。
「ぐっ!」
貫かれた痛みも当然あるのだが、それ以前に魔王にも匹敵する公爵級悪魔である自分にここまでのダメージを与えることが出来るその能力にこそ驚愕していた。
そんな悪魔の心情に全く斟酌することなく、新たなる拘束が悪魔へ襲いかかる。光の鎖が悪魔を締め上げていったのだ。
神聖言語は人々の生活にそこまで大きな影響を与えないが、悪魔に対する攻撃力は圧倒的であり絶対的だ。低級悪魔ならばやり方次第で見習いシスターでも打倒できるほどに。
「お前……悪魔と契約なんてする必要ないだろ……。悪魔祓いで十分食っていけるぞ……」
だがそれはあくまで低級悪魔に対してだ。
公爵級、しかも自分は限りなく最強に近い悪魔なのだ。
それなのに、罠に嵌められたとは言えこうもあっさり自分を無力化させるとは。
はっきり言って只者ではない。
というか、ぶっちゃけ天才の部類だ。
こんな才能の塊を辺境のシスターにしておくなんてランティス教会も宝の腐敗放置にもほどがある。
……まあ、こんな怪物に一線級で活躍されてしまっては悪魔も商売あがったりというか、絶滅の危機に陥ってしまうので、これはこれである意味において助かっていると言えなくもないのだが。
「そんなの興味ないもん。悪魔祓いって世界中あちこち出張三昧じゃん。あたしはこの街から出たくないし」
「人々を助けて善行を積みたいというのなら、その方が効率的ではないか? こんな場所で小さな人助けを繰り返すよりも、よっぽど世界のためになるぞ」
「だから、あたしは世界のためになりたいわけでも、基本的にはみんなを助けたいわけでもないんだってば。そこまで万能じゃないし、うぬぼれてもいない」
「………………」
悪魔の力を利用して人々を助けたい、などと夢見がちを通り越して悪夢見がちなことを言っている割には、意外と現実的な考えの持ち主だった。
「あたしは世界中の人々を助けたいんじゃなくて、この街で生きる人々を助けたいの。ぶっちゃけ他はどうでもいいし」
「……ぶっちゃけすぎだ。だが、その利己的考えは嫌いではない」
「じゃあ契約しようよ」
「嫌だ」
「ケチ」
「何とでも言え」
「ドケチ」
「………………」
ぴきっ、と悪魔のこめかみで何かが切れる音がした。
何とでも言えとのたまった割にはしょぼいこらえ性だった。
「じゃあ脅迫に切り替える」
「?」
「実はこの魔法陣には最後の遅延魔法が仕込んであるのよ」
「……まさか」
「そのまさか。ソウルブレイカー。悪魔の魂を砕く神聖言語のハイエンド。あんたがどれだけ強力な悪魔であっても、そのダメージでそんなものを受けたら間違いなく致命傷だよね?」
「………………」
召喚魔法陣の中に罠を仕込み、その上で致命傷の攻撃を用意しておく。
それらを全て使って契約という名の脅迫を行う。
「……お前、シスターよりも悪魔の素質があるぞ、絶対に」
「いやあ、それほどでもあるけど」
「照れるな。褒めてない」
「え!? 褒めてないの!? だって悪魔に悪魔の素質があるって言われたのに! これって悪魔的な褒め言葉じゃないのっ!?」
「……一般的にはそうなのかもしれないが、この状況では皮肉のハイエンドだ」
「がーんっ!」
傷ついたように涙目になるマリア。
悪魔的なことを平気でする割には繊細な神経の持ち主だった。
「いいもんいいもん。じゃあやり直し」
こほん、とわざとらしく咳払いをしてからマリアは悪魔へと向き直った。
「死にたくなかったらあたしと契約しやがれゴルァ!」
「……最後のゴルァで色々台無しだな」
「あれ? いらなかった?」
「間違いなく不要品だ」
「えーと、じゃあ契約しやがれこの野郎?」
「……お前は喋れば喋るほど台無しになっていくキャラ設定のようだな」
「いやいやそんな事はないでしょ。喋れば喋るほど魅力が増すというのがあたしのキャラ設定の筈だ」
「デマ情報を流すな」
「デマ情報言うな」
マリアは悪魔の股間を蹴り上げた。
「ぐおお……」
貫通&鎖で拘束された状態で蹲ることも出来ず、悪魔は脂汗を浮かべながらマリアを睨みつけることしかできなかった。
シスター服を着て悪魔に金的をかますメインヒロイン。
こんなのが主人公でいいのかゴルァと叫びたくなる。
多分、いいのだろう。
「くそ……。このままソウルブレイカーなんてものを発動されたら本当に死んでしまうぞ」
「うん。だから死にたくなかったら契約しろ♪」
「悪魔よりも悪魔じみた聖職者め」
「じゃあツンデレってみる? 勘違いしないでよね。別にあんたなんかと契約したいわけじゃないんだからね。あたしはただ自分の目的の為にあんたの力を利用したいだけなんだからね、とか?」
「……いや、それはツンデレというよりそのまんま本心だろう?」
「あ、そうだった」
ツンデレキャラ失格である。
「……ふむ」
悪魔は考える。
光の槍に全身を串刺しにされて、更には光の鎖に全身ぐるぐる巻きにされてなお、平然と考える。 このあたりの頑丈さはさすが公爵級悪魔だった。
この女、シスター・マリアの持つ神聖言語は強力無比だ。
神への信仰なんて欠片ほども持っていない、才能の塊でしかない化け物じみたエセ聖職者。
彼女の力は悪魔にとって脅威でしかない。
彼女が悪魔祓いとして生きていたならば、間違いなく人間世界の英雄になっていただろう。
ならばその才能をこんな場所で無駄遣いさせていることには悪魔的な意味があるのではないだろうか。
悪魔世界の危機回避。
彼女と契約をすれば、強力無比を誇る神聖言語は失われる。
悪魔と契約した者は、聖なる力を司る資格を失うからだ。
人間世界は悪魔世界に対して一人の切り札を失う。
それは、自分たちにとって闇の福音と言えるのではないだろうか。
契約によって才能を潰す。
彼女の願いを叶える代わりに、英雄になり得る彼女の未来を潰すのだ。
そう考えればシスター・マリアという個人にとっては善行の積み重ねでしかないこの契約も、人間世界にとっては大いなる悪行となるのではないだろうか。
悪魔にとっての英雄的行い。
この自分に相応しいではないか。
「……いいだろう。契約してやる」
「マジで!?」
「ああ。マジだ。勘違いするなよ。お前に脅迫されたから契約する訳ではないからな。あくまでもお前の驚異的な神聖言語の才能を潰すために、悪魔世界のために契約をしてやるのだ。決してお前に屈したわけではないからな!」
「……男のツンデレってかなり気持ち悪い」
「ツンデレ言うな! そんなの俺だって気持ち悪いわ!」
『勘違いしないでよね』や『勘違いするなよ』から始まる言葉は、本人がどう取り繕ったところで、ツンデレ風味に聞こえてしまうという悲しい法則があるのだった。
これぞまさしく『言葉遣いには気を付けましょう』だ。
「では契約を結ぶぞ。結んでやるからさっさとこの鬱陶しい神聖言語を解除しろ」
「あ、忘れてた」
「忘れんなボケ」
「ボケ?」
ああん? と据わった眼で悪魔を睨みつけるマリア。
聖職者というよりはどこぞのチンピラだ。
「いえ何でもナイデス。お願いですからこの拘束を解いてはいただけないでしょうか」
余計なことを言うと勢いだけでソウルブレイカーを発動しそうな雰囲気だったので、必要以上に下手に出てしまう。屈辱だった。
屈辱の中、ほんのり興奮もしていた。
実は誰にも秘密だが、この悪魔にはちょっぴりM属性があったりする。
誰にも秘密だが。
というか悪魔たちに知られたら破滅する。
魔王とか嬉々としていたぶりに来そうだ。しかもそれをちょっぴり喜んでしまうのだ。始末に負えない。
しつこいようだが誰にも秘密である。
秘密でお願いします。
「仕方ないわね」
やれやれと肩を竦めながら親指を鳴らして神聖言語を解除した。
「………………」
仕掛けは大掛かりだったくせに解除は指ぱちんという事実に悪魔の方が凹んでいた。
「では契約を結ぶぞ、シスター・マリア」
「うん。内容は使役契約。あたしの命ある限り、その力を利用させてもらう事」
「そして死後はその魂を俺に捧げること、だな」
「いいよ」
「一応確認させてもらうが、本当にいいのか? この契約が完了すれば、お前は神聖言語を一切使えなくなる。お前ほどの使い手は世界に五人もいないだろう。才能をドブに捨てる……いや、才能を血で穢すようなものだ」
「構わないよ。望んで手に入れた力じゃない。それよりも望んで手に入る、望みを叶える力が欲しい」
「了承した。我が力、お前に貸してやろう」
悪魔はマリアの左胸に手を添えた。
「なにすんのよっ!」
「ぐはっ!」
添えたというよりは揉んだ。
そしてアッパーカットを喰らってしまう。
「何をする!」
「そりゃこっちのセリフよ! 契約するとか言って何いきなり人のおっぱい揉んでるのよ!」
「契約の為だ! 断じておっぱいを揉みたかったわけではない!」
「……ほんとに?」
「……半分は」
どっかん! と今度は腹に頭突きを喰らわされた。
本当は顔面ストレートパンチを食らわせたかったのだが、身長差があり過ぎるので顔面はアッパーカットが限界なのだ。他にも飛び蹴りという手段があるにはあるが、セクハラ被害に遭った直後にぱんつを見せるような攻撃は控えたいところだった。
「……何でもかんでも突発的に暴力に訴えるというやり方は聖職者としてどうよ?」
「あたしはエセ聖職者だから暴力に訴えてもいい」
「………………」
「ちなみに突発的に暴力に訴えている訳じゃないよ。ちゃんと考えてから暴力を振るってるんだから」
「いや、考えてないだろ。ノータイムで俺の事殴っただろ」
「考えてるよ失礼な。〇.一秒ぐらいは」
「みじかっ!」
やっぱり何も考えてねえだろうがっ! と突っ込む悪魔。まさしくその通り。
「というかまずはおっぱいを揉んだ理由だな」
「そうだ。釈明しろ」
「釈明などない。契約の刻印を施すために接触を試みただけだ」
「半分は?」
「半分は」
「悪魔と契約をすると身体のどこかに印が刻まれるっていうのは知ってるけど、別にどこでもいいんでしょ?」
「どこでもいいな」
「その印をおっぱいに刻むってあんたどんだけマニアなのよ……」
「マニアは否定しないがそれだけではない」
「……いや、そこは否定してよお願いだから」
「無理だ。男にとって胸を揉むとは呼吸するようなものだ」
「窒息死してしまえ」
「……まあ、あれだ。一応ほかにも理由はある」
「聞かせてもらおうじゃないの」
「左胸に刻印を施すという事は、心臓に刻印の影響を受けるということだ」
「あ、なるほど。なんとなく分かった」
「そういうことだ。つまり心臓に刻印を直結させることによってより強い力を使う事が出来る。俺からの影響をダイレクトに受けることになるからな。力が欲しいのだろう? だったらお前はおっぱいを俺に差し出すべきだ」
「……理屈は分かるけどその物言いが気に入らない」
「右のおっぱいを揉まれたら、左のおっぱいを差し出せというのがどこかにあっただろう?」
「いやいや。それおっぱいじゃなくて頬だから。あと揉むんじゃなくて殴る方だから」
「女性のおっぱいを殴りつけるなどそんな冒涜的な行いが出来るか!」
「……許可もなく女性のおっぱいを揉むのもかなり冒涜的だと思うけどね」
「俺は悪魔だからそれは許される」
「悪魔って便利だね。次に揉んだら股間を蹴り上げるから」
「それはやめてもらいたいな。使い物にならなくなったら困る」
「しなびれてしまえ」
「お前は本当にひどい事しか言わないなあっ!」
涙目になっていた。
悪魔がエセ聖職者に泣かされていた。
なかなかシュールな光景だ。
……まあそんな色々があって、めでたく(?)シスター・マリアと悪魔は契約を結ぶのだった。
刻印は左のおっぱい……もとい左胸に刻まれた。
悪魔の力を手にしたシスターが、悪意で満たされた退廃の都で人助けを繰り広げる物語が今始まる。
……かもしれない。