007 念願のデート
真人・鴇・海瀬の三人と一緒にアイスを食べに行った、翌日。
「……お化け屋敷、開いてなかったね」
「…………ね」
結論から言うと、デートに行くことには成功した。
しかし――二人が本題としていたお化け屋敷は、閉館中だった。
丁度トラブルが起きてしまって、調整をしているとのことだった。
今日に限って。
「ごめん……」
「き、気にしてないよ」
つまりは、悠緋の大失敗。
今にも近くの池に飛び込んで自殺するのではないかと訝しむほどに落ち込んだ姿の悠緋は、見るに堪えないものがあった。
「それにほら、お化け屋敷は無理だったけど、よく晴れてるし、他の色々見て回ろうよ。あ、それに、どうせ昼からお化け屋敷入っても雰囲気なかったと思うし! あー、あれ見て、鳥が飛んでる!」
紗桐は励まそうと必死に励ましていた。些細なことも報告する紗桐の可愛らしい姿。大きな両目と、視線が合った。
「……そうだよな、いつまでも引きずったら駄目だ。今日は楽しもう! それと、お化け屋敷は夕方入るつもりだったよ」
「そうなの? 真っ先に見に行ったから中に入るのかと思っちゃった」
「違うよ、オレもここのは初めてだから、どんな感じなのかな、って」
悠緋は紗桐を励ますためにも明るく、元気に振舞っている。それだけでなく、実際に、二人で楽しもうと思ったからだった。
だが、悠緋は頭の片隅で、兄の紅哉のことを考えていた。彼と交わした会話の内容を。
予定を立てることの大切さを痛感した。まさか兄貴に教えられることがあったなんて。
と、業腹な悠緋だった。
「じゃあ、どこ行く?」
「あたしはどこでもいいよ。目に留まったやつにしよっか」
「だね」
二人は池のほとりを歩いていく。彼らが居るのは公園が併設された遊園地だった。
周りには家族連れや中学生の集団、二人のような男女のカップルもいた。夏休みだけあって客は多い。昼前の十時は、これでもまだ少ないほうなのではないか。そういう点でももう少し考えればよかったな、と悠緋は顔に出さず悔しんだ。
池には鴨が大きい順に連なって悠然と泳いでいる。水面下には赤、白、黒といった色とりどりの鯉が回遊していた。若い父親に促された小さな子供が餌を投げ入れると、鯉達が集まり犇き、水面に大きな波紋を作っていた。
まさに、安楽そのものの情景だ。
日本が平和ぼけするのも無理はないように思える。
それはどうでもいいが。
「悠緋君はさ、進路のこととか、考えてるの?」
「進路? こんなときにも勉強の話かよ、委員長」
茶化すように言うと、紗桐は頬を膨らませながら違うよ、と返した。その動作の一つひとつがまた可愛らしい。
「悠緋君って、将来どうしよう、どうなるんだろう、っていうイメージが全然分からないから。聞いてみたくて」
「それ、オレに限った話じゃないんじゃないの」
「ううん、わりかし、みんな分かりやすいものだよ。そうは言っても男子はよく分からないけど」
「頭も面倒見も良い人ってのはそういうことが分かるの? 流石」
「そういうんじゃないって。それで? どうなの」
聞かれて、悠緋は唸った。
進路――彼の中では、まだ遠い話だった。
「全く決めてないよ。進学するかも、就職するかも」
未来が想像できない。自分が見えない。それは多くの人間がぶち当たってきた問題なのではないか、と悠緋は思う。
悠緋にとって、〝亜城悠緋〟とは誰なのか、何なのか。
自分が見えない。輪郭すら茫洋としていてはっきりしない。
それなのに、進路、なんて。そんなこと決められない。
「そっか……まあ、そういうもんだよね」
「紗桐さんは決まってないの?」
「うん。実は、あたしも」
てっきり決まっているんだと思った。
「正直、難しいよね。自分が何したいか、なんて、今まで妄想する程度しか考えなかった。決断の時、って言えば少し格好つけすぎな感もするけれど、それが刻一刻と――目の前に迫ってきているって思ったら、気が重いよね」
「紗桐さんでも不安になるんだ」
「当たり前じゃない。何者だと思ってたのよ」
「漠然と、凄い人だなあ、って」
「何も凄くなんかないよ、あたしは。凄くないから小さなことにも悩んだり、大きなことに頭を抱えたりするの」
「そういうもんだろ」
「そういうもんかもしれないけど」
「そういうもんだって。だから、紗桐さんはすごいんだよ、多分」
「多分?」
「絶対」
「よく言いきれるね」
「だって、実際凄いんだし」
「……あたしの話はどうでもいいのよ。あたしがなんで進路の話を持ち出したのかって言ったら」
と、強引に、少し語調を強めて言った紗桐は、悠緋を見た。
黒髪の下の、幼さを残す少年の顔。
「大人になるのって、とても身近なんだ――って、話」
「大人、ねえ」
「二十歳で成人。順当に大学を出れば二十二歳で社会人。義務教育を終えるのが十五歳。なんだか、早いなあ、って」
「そうかな。考えたことなかったけど」
「もっと、大人になるまで時間があればよかった。ゴールが近い。そのゴールが何に繋がっているのか知ってさえいないのに」
困ったもんだよねえ、と紗桐は同意を求める。だが、悠緋は咄嗟にそれに答えられなかった。
そして、自分の中に答えを見つける。
見つけようとしている。
「……オレはさ」
「うん?」
「ゴールが近いんじゃなく、スタートが遅すぎただけなんだと思う」
「……スタートが」
「自分があって、他人がある――自分という殻に自我が宿っていて、それが自分だということを知り、気付く――他人にも自分と同じように自我があって、自分と同じようにその人だけの人生を生きている――そういうことに初めて気付いたのは、十二の時だった。今までも、今でも、それは幾度となく思い知ってきた。他の人とこういう話をしたのは紗桐さんが初めてだけど、みんなもそれくらいの年頃に気付いたんじゃないかな、って思う。それで、僕が言いたいことといえば」
「…………」
「もっと早く、そういうことに気付いていればよかったな、ってこと。そうすれば、自分の未来についても多分、考えられていた」
「そうかもしれない、ね」
一面に青い中に、輪郭をぼやけさせて白が点々と浮いている。今日は快晴だ。
「まあ、そんなこと考えても、詮無いことなんだけど」
と、悠緋は小さく笑った。それを見て、紗桐も視線を前に戻しながら微笑んだ。
「時は過ぎた――過ぎて、過ぎて、それでもあたし達を置き去りにはしない。代わりに色々なものを置き去りにしていく」
「何かの受け売り?」
「そう。あたしが好きな本」
二人はゆっくりと池のほとりを歩いていく。
それが、今の二人の共有した時間の過ごし方だ。
「それに、今気付けたってことは、これから考えられるってことだしね」
「だね」
いつの間にか、二人は手を繋いでいた。
もっと、話をするために。もっと、近くでいられるように。
「じゃあ、まずはあれ行く?」
「えー……いいけど」
「ああいうのは苦手?」
「ち、違うもん」
はは、と悠緋は声を出して笑った。それに紗桐が頬を赤らめ怒る。
――これが、二人の時の流れ。
第七話、紗桐とのデートでした。
二人きりだといつもこういう話をする悠緋と紗桐。
……さて。
次回から、ついにシリアス展開です。
序章も終盤。よければ、この拙作にこれからもお付き合いください。