014 そして、少年は
「魔術学園?」
「そう。魔術協会が運営する、魔術を学び、魔術師を育てるための施設だ。――驚いているようだが、ここがその魔術学園だぞ」
「……ここが」
悠緋は辺りを見回した。
その町並みは、確かに日本にしては、何だか――らしくない、といった感じだった。洋風らしい家が整然と立ち並んだ様子は、なるほど、どこか人工的すぎる気もした。
「オレ、ずっと日本にいるんだと思ってた」
「ああ。確かにここは日本支部ではあるけどな」
「支部」
「そう。魔術協会はかなりでかい組織だ。魔術師を育てるのにも、一箇所には集められない。だから各地にこれがある」
魔術学園。
日本らしくない、といったものの、実は日本だったのか、と思う悠緋に対して、
「ただし、ここは現実世界じゃないけどな」
と、思わぬ言葉を浴びせた。
風景を眺めていた悠緋は、それに反応して視線を元に戻した。すなわち、漣の方へ。
「――魔術はな、本当にいろいろあるんだ。事象を変化、操作させるものはその代表例だが……その中に、時空を操作する魔術もある」
「時空を?」
「ここは、次元の狭間に作られた人工空間なんだよ」
一瞬、言っている意味が分からなかった。ぽかんとした悠緋を見て、
「ごく一部の、時空を操作する魔術師たちがこの空間を創造、維持してるんだ。その魔術師どもは一族揃って化け物ぞろいなんだがな」
漣は薄く笑った。
作られた空間。そう言われても、実感はなかった。魔術への慣れの問題ではなく、眼前に広がるそれが作られたもののようには思えないからだった。空気の流れも、どこまでも続いていそうな空も、まるで本物だ。
「――世界は、多重に連なっている」漣が、またも意味の良く分からないことを呟きだした。「悠緋――お前がいたあの世界は、複数ある世界の内の一つに過ぎない。魔術協会本部があるから魔術師にとっては最重要な基軸世界ではあるが」
「途方もない話だな」
「お前、本当に信じているのか? そんな胡散臭そうな顔をするな。とにかく、その世界と世界の隙間に存在しているのがここ。魔術協会によって作られた魔術学園。時空の隙間にあって、守護の一族がいるから、鉄壁の守りを保っていられる。世界――ああ、世界全体のことだがな――の中ではかなり安全なほうだ」
「そういう場所だからこそ、魔術師を安心して育てられるということか」
「そういうことだ。いずれにせよそのうち分かってくるさ。この世界のことは」
最後は投げやりに答えて、漣は空を仰いだ。青かった空は、少し薄暗くなっていた。時空の隙間とはいっても、時間の流れはしっかりあるのか、と悠緋は感じた。
「ずいぶん長い間話してしまったな……次で最後だ」
漣は、肩にかけていたバッグのようなものを手に取り、無造作に放り投げた。
悠緋に向かって。
「おい、っ」
突然だったが、何とか悠緋はそれを捕まえる。ずっしりとした重みを腕に感じた。
「何だ、いきなり」
「お前が住む部屋は用意してある。だからそれは後で教える」
「部屋って」
「お前は、本当に魔術師になるつもりがあるんだな?」
先ほどまでの会話とは違った、真剣な雰囲気があるのを感じ取って、悠緋は口をつぐむ。
逡巡は、しなかった。
「――あるさ。さっきも言ったとおりだ」
「なら、いいだろう」一瞬にして、その真剣な空気はほどけて、弛緩した。「今がどの時期か、分かるか?」
「時期って……日本のか?」
「ああ」
「夏の初め、だけど」
「そうだな。ここは……魔術学園日本支部は、日本の時期、気候、天気に合わせているから、それを覚えておけ。ここが晴れているときは日本も晴れで、日本が雨ならばここも雨だ。時空の隙間とは言えども、全てを一から創造は出来ない――ある程度は現実世界とリンクしているんだ」
それを教えるためのさっきの問いか。そう悟って、漣の言うことは別に流れをぶった切ったりしているわけじゃないということを感じた。
「魔術学園は春と秋両方で入学式があるんだ。魔術師の卵が一年に一回一斉に現れるわけじゃないからな」
「じゃあ、」
「お前は、秋季の入学式に出ろ。そして魔術学園の生徒になれ。それまでの時間は、ここに慣れる猶予とでも思っておいたほうがいい」漣は馬鹿にするような薄笑いを浮かべて、「もしその間に心変わりをしたなら、俺に言え」
「するわけ、ないさ」
「良い答えだ」
すぐにその笑みを収めた。
「ちなみにそれの中身は生活必需品だ。金も入っている。ここの通貨は日本円だからな、忘れるなよ」
「……ああ」
「じゃあ、今日はもう終わりだ。宿まで案内する」
と、漣は悠緋に背を向けた。だが。
「これは、誰が用意したんだ?」悠緋は、半ば確信を得た様子で、言った。「金に、服? とか、いろいろ。お前が用意したとは思えない」
「察しがいいな。……流石、あいつの弟だけある、かな」
消え入りそうな呟き声。
「……兄貴か」
「そうだよ。紅哉が用意した」
「何で」
「いつでもお前がこちらに来れるよう、だな」
「兄貴は、予想していたのか。オレがここへ来て、魔術師になることを望むのを」
「そのとおりだ。あいつはほとんど確信していたよ。そのうち弟がこちらに来るはずだ、そのときはこれを渡して、俺おすすめの宿に案内してくれ――てな」
「宿も……。けど、それが本当なら――」
悠緋は、一度言葉を区切る。というより、そうせざるをえなかった。
言いたくないことだったから。
言えないようなことだったから。
それでも、逃げずに問う。
「兄貴は、自分が死ぬことを覚悟していたのか?」
「……その通りだよ、少年。魔術師とは、そういうものだ。いつ死ぬか分からない、どこで死んでもおかしくない。無慈悲で無遠慮で容赦のない――そういう世界だからだ」
そんな諦観を抱えたまま、兄はあの悪魔の王とやらと戦ったのか。
いや、それがあったからこそ踏ん張れたのか。
悠緋には分からないことだらけだった。訳も分からなかった。
「感謝しろよ、あいつに」
「…………うん」
漣は、再び歩き出そうとした。
「あと、もう一つだ」
「質問が多いな」
もう一度、悠緋は漣に問いかけた。
「あんたにとって、兄はどんな人物だったんだ」
「…………」
「どういう、間柄だったんだ」
「……察しがいいというか、末恐ろしいというか」思い出を探るように、漣は黙る。「あいつと俺は、同じチームだったんだ。魔術師のな。あいつはリーダーで、俺は副リーダー」
だから、オレの世話も任されたのだろうか、と悠緋は思った。
「あいつはとにかく強かった。剣の腕も、魔術の腕も、指揮の的確さも、人望も……非の打ち所がないくらい完璧な超人だった。嫉妬をする暇すらなかった。気付けば俺もあいつの凄さに見惚れていた。そのあいつを何とかサポートできないのか、って必死に追い続けたから、今の俺がいるんだ」
悠緋からは漣の表情は見えなかったが、笑っているように感じた。
思い出を愛でるように。
「ただ、それだけだ」
漣は一歩踏み出した。ゆっくりと、景色を楽しみながら歩くかのように。
「……兄貴」
小さく、呟く。
兄貴は、やはり兄貴だった。
悠緋と漣が見ていた紅哉は違う姿だったけれど。
――兄の背中を追いかけるように、悠緋は歩みだす。
空には、小さな星が瞬いていた。
漣山茶花との会話、終了。
世界観を解説する話が続いてしまいましたが。
次回からの話で、ついに(?)ヒロインも登場します。