013 兄の背中
「お前の兄貴は……」
ひゅう、と風が吹いた。ひときわ強い一陣の風が、二人の間を流れていった。
「いや、その前に魔術師について話そうか」
突然の話題転換に、悠緋は面食らった。食い下がって問い詰めようとするが、それも相手にしてもらえなかい。
「魔術師。それを聞いて、お前はどう思う?」
「どうって……さっきの話からすれば、魔術を操る人に、なるのか?」
「疑問系なのが減点だが、それで正解だ。一番シンプルで間違えようのない答えだな」
「そんなこと言われても……」
「まあ知らないものは知らない、だな。それもそうだ。だから今からそれを説明する。魔術師というのは、魔術を操る人間、だ」
「それだと、さっきのオレの説明どおりじゃないか」
「だからお前の説明で正しいといっただろう」
と、不思議なものを見るような目をする漣。悠緋からすれば漣のほうが不思議な人格をしている。変人だ、というより本当に人に説明をするつもりがあるのかが気になる。
「まあ、魔術師といっても一概には語れないんだけどな。俺みたいな水属性を操る魔術師もいるし、紅哉みたいな火属性の魔術師もいる。能力の高さだってピンキリだし、所属する組織が違えば性格だって違う」
「人間だからだろ」
「まあな。魔術師が人間かどうかについては今は言及しないでおくが」
意味深な言葉を残し、漣は一旦会話を途切れさせる。
「で、だ。話を最初に戻そう」
「オレの兄貴は……」
「まあさっきの話から考えたらわかると思うが、お前の兄貴は魔術師だよ」
漣は、踵を返し悠緋に背を向ける。その体を包むコートが、ひらりと風に舞った。
知らずの内に、悠緋はつばを飲み込んでいた。これから漣が語るであろう、自分の知らない兄貴の姿を、垣間見るかもしれないから。わずかな緊張が、それがあると気づいたと同時に大きくなる。
「お前の兄貴は、な。凄い――凄い魔術師だったんだ」
「凄い?」
「ああ。ここ――魔術協会お抱えの魔術師たちの中でもトップランクの、神話級とまで讃えられる男だった。魔術協会――このこともあとで説明するから、今は何も突っ込むなよ――の魔術師には階級が与えられる。そいつがどの程度の実力なのか、というな。紅哉は、その階級すら超えた存在だった。世界に数名しかいない、階級付けされていない魔術協会の魔術師だ」
悠緋の頭の中には、かつての紅哉との日々がめぐっていた。
朝の、だらけきった紅哉の姿とか。
相談に乗ってくれたりしていた、少しは頼れる兄の姿とか。
彼女に鼻の下を伸ばす俗っぽい恋人の姿とか。
「階級付けされていない――それがどういうことか分かるか? 普通の魔術師とは一線を画した存在だということだ。かといって階級のような、分かりやすい肩書きがないのも面倒くさい。そこであいつにつけられたオリジナルの階級は、〝超魔導〟。仰々しくも相応しい、あいつにぴったりな名前だったな」
だが、弟の悠緋でも兄のすべては知ってはいなかった。
兄の最大の秘密だけは、知らされなかった。それだけは。
「炎を操るのが上手くてな。それはお前も見たか――って、思い出させちゃ駄目か。とにかくあいつは、火と、それに人を扱うのも上手かった。いつもは少人数の部隊で行動するんだがな、紅哉はそのリーダーで、常に的確に指示を与えていた。大きな戦のときは、軍団を統制する司令官としても活躍した」
知られたくなかったのだろう。
そのような、兄の姿を。弟である悠緋には。
そこにどのようなプライドがあったのかは知る由もないが。
「……それが、お前が知らなかった兄の姿だよ、悠緋」
「そう、なのか」
現実感のない話だ。
あの、兄が。
そんなに凄い人物だったなんて。
「なあ、亜城悠緋」漣が、その名を呼ぶ。凄腕の魔術師だった男の、弟の名を。「お前、魔術師になるつもりはないか」
「――何?」
「深読みはしなくていい。そのままの意味だ」
魔術師に。
オレが?
「何でだ」
「何で……か。それは簡単だよ」漣の頭が動き、悠緋に視線を合わせた。「もう、普通には戻れないところまできているからだ」
「どういう――」
「あの事故――まあ本当なら事件なんだが――が起こった。お前の友人だった周防真人、常磐鴇、氏苑海瀬、東條紗桐が死んだ。そして事件現場からお前の遺体は発見されていない」
意味だ、と言おうとして、遮られる。事実の羅列によって。
「まさか、オレが疑われているのか? 事故の犯人として?」
「察しがいいというか、疑り深いというか。必ずしもそうではないが、そう思っている連中もいる。どこぞの私立探偵みたいな、身の程知らずの世間知らずとかがな。一般の意見では、お前も死んでいて、死体がどこかいったか、野犬にでも食われたか、跡形もなく燃え尽きたか――とにかくもうこの世にはいない、という認識だ」
「そう、か……」
オレは、死人も同然なのか。
馬鹿らしい、オレはここにいるじゃないか、と思う反面。ちくりと胸に刺さる違和感が、あった。
「そんな状況で、のこのことお前が世界に出てみろ。お前は根掘り葉掘り何でもかんでも聞かれて、何かの拍子に魔術や魔術師のことがばれてしまうかもしれない」
「……それって、お前が話さなければよかったことじゃ」
悠緋がそう言うと、漣はにやりと笑みを返した。
「漣……さん、まさか最初からそのつもりか」
つまりはそういうことらしい。
「逃げ場をなくす意味合いもあるが。もちろんそれだけじゃないし――何より、話さなくてもいずれはそうなるに違いない」
「どういう意味だよ」
再び、その問いをぶつける。
「お前は、ここ《、、》にくる運命だった。そして、魔術師として戦う宿命の下にあるということだ」
「それは、オレがあの人の弟だからか」
「それも、ある」
「――そんなの!」
冷静に徹していた、徹しようとしていた悠緋が、声を荒げた。
「そんなの、オレには関係ないじゃないか」
「関係あるんだよ」
「どうして」
「紅哉の弟だからだ――亜城の人間だからだ」
「亜城の、って。それ、あいつも言っていた」
あの死神の男も。
「――さっさと話を終わらせるぞ。答えを聞かせろ。魔術師になるか否か」
「ならないといけない、んじゃないのか」
「そうだが、せめて個人の意思は大事にしたい。やる気があるのか、ないのか、な」
悠緋は、言葉を返せない。
自分がどうしたいのか。
あの惨劇を思い出す。
――紗桐と一緒にいれて、幸せだと感じたとき。
――あの死神のような男が現れたとき。
――大切な友人が一人ずつ殺されていって。
――あの兄が助けに来てくれて。
――でも、兄貴ですら敵わず。
――紗桐までもが、やつに殺された。
そのときオレは何をしていた。何もしていない、出来ていない。ただ逃げて、友達を犠牲にして。それどころかオレがいたせいで兄は殺された。
大切なものが崩壊したあの時。
何を望むのか。何を求めるのか。
オレは。
「――オレは、何も出来なかった」悠緋は、ようやく、口を開いた。「だから、その何かを出来る力が欲しい」
思うままを、言葉にする。
漣は、それを聞いて、笑みを浮かべながら頷いた。
「その力を、学ばせてやる。ここで――この魔術学園で」