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011  目覚め




 ――それから、いくらの時間が過ぎたのか。

 全てを忘れ去りたくなるあの悪夢から。どれだけのときが過ぎたのだろう。少なくとも、あの非現実めいた現実を忘却することは不可能な時であることは確かだ。それには、数回の夜を越えるだけでは足りない。

 いくらの夜を越えればいいのだろう。幾千の、幾万の――。

 そして、それだけの時間を眠り続けることは出来ない。は、いつかは目覚めなければならない。

 目覚めてしまうのだ。

「…………ぁ」

 重たいまぶたがゆっくりと開く。ぼんやりとした視界には、白一色。

 体は動くのか。普段は意識しない筋肉の運動を確認するように、慎重に動かした。ちゃんと動く。目の前まで右手を持ち上げる。その頃には視界のぼやけもなくなり、はっきりとしていた。

 いつもの手だ。傷や火傷もない。あの悪夢の痕跡はないように見える。

「ぐっ……」

 悪夢。

 そうだ――悪夢だ。

 手には痕は残っていなくても、脳が覚えている。あの男――死神と自らを呼んだ、死神のようなあの男が、金色の瞳で悠緋を見つめていたこと。取り囲む白緑の焔。視線を外し背中を向けて歩き出した背中が、最後の記憶だ。

 あの男が。

 真人を、鴇を、海瀬を。

 紗桐を。

 ――兄の、紅哉を。

 オレの全てを、壊したのだ。

「なん、で」

 オレがこんな目に。

 少年は、ただ自分の境遇を嘆いた。それしか出来ない。それ以外に、何が出来るのか。

 分からない。

 しかし、分からないからと言ってこの場で――どこだか分からない、自分の全く知らない所で――じっとしているわけにもいかない。

 あんなことがあった後だ。尋常な所に居るとは到底思えない。

 実際に周囲を見渡しても、普通の病院の施設とはかけ離れている。何もない。自分の寝ている寝台ベッド以外に。仄かな温かみを感じさせる壁紙と、真っ白な天井。その空間は決して広くはない。むしろ窮屈にさえ感じるほどだ。

 一度だけ入院したことがある。中学生の頃だ。友人たちと馬鹿やって、足を骨折したときだった。そのときの部屋とは違う。見た目もそうだが、雰囲気というか――空気というか。それが。

 壁の一角には、横開きのドアがある。

 それが開くのはいつだろう、と思った。

 自分が開けて外に出て行くのか、誰かが尋ねて扉を開けて入ってくるのか。

 上体を持ち上げる。体が軋んで、筋肉が悲鳴をあげた。みしみしと、凍った氷を内側から押し広げるような痛みと違和感。そういえば、人間は数日間動かないだけで筋肉が固まってしまうと聞いたことがある。それと似たようなものだろうか。あるいはそれそのものかもしれないが、判断は自分では出来なかった。

 ――オレは、何も知らない。

「……」

 でも、そのままにはしておけない。そのまま、何も知らないままでは。自分がこのまま、一人で取り残されてしまうのは。

「……動くかな」

 そう、不安げな音色を発するのは嗄れている彼の喉だ。一、二度咳をした。喉の調子もそれほど良くない。冷たい水が欲しい。

 喉を軽くさすりながら、ベッドから降りようとする。足を地面に付けて立ち上がろうとした瞬間、膝ががくっと落ちた。両腕でベッドの脇をつかんで、倒れこむのを抑える。

 自分でも情けない。こんなになっているなんて。

 歯軋りしながら、無理やりに腕に力をこめて這い上がった。左肩を壁にもたれかけ、足で立とうとするが、膝が震えていた。しかし無視。暫くすると、足もマシになってくる。

 立つのだけで一苦労だ。

 ほっ、と小さく息を吐いた。壁にもたれかかったまま天井を見上げながら。

 扉の開く音がした。

「大丈夫か――って。もう立ち上がれるのか」

 男の声だ。

 扉の方向へ視線を向けた。二十代前半くらいの、若い男だ。その目は変わったものでも眺める様子で悠緋を見つめていた。

 突然の来訪者。結局、扉が開いたのは別の人間によって、だった。

「……オレは、」

 自分がその先に何を続けたいのか、分からなかった。そもそも、発した言葉さえも、本当に自分の言いたいことだったのか。

「ああ、まだいいよ。まだ」

 男はひらひらと手を振った。まだ、ということは、後々になったら教えてくれるということだろうか。思ったが口にはしなかった。

「喉」

「……?」

「渇かねえか」

「……ああ」

 いきなり喉、と言われても意味が分からない。

「欲しい」

「オーケー。じゃあ買いに行くか。ついでに奢ってやる」

 言うなり、男は背を向けて歩き出した。ずっと扉を開けてすぐのとこにいたものだから、さっさと曲がってしまう。追いかけないと、と足を踏み出した。

 がくっ。

 足の力がいきなり抜けて、膝と手を付いた。立つことはできても、まだ歩くことは難しいらしい。いつも何気なく出来ていたことだけに、腹立たしい。

 早く追いかけないと。

「おいおい、大丈夫か」

 と思ってすぐに、戻ってきた。ちょっとだけ感じた焦燥感なんかも、まったくの無駄だったらしい。

「立てるか」

「……立てる」

 思わず、そう答えてしまった。何故かは分からない、考える前に口が動いていた。だがそれは実際彼の本心だったし、そのことで後悔なんかはしなかった。

 足に力を込める。立ち上がる。ふらりと立ちくらみがしたが、再び倒れることはない。

「じゃあまあ、気を取り直して、行くか」

「……うん」

 答えて、今度こそ男の背中についていく。

「それに、話さなきゃならないことも山程ある。とりあえずはこの世界(、、、、)を見せながら、それを話すとするよ――それでいいか、亜城悠緋」

 背を向けたままの男が、彼に言った。

 彼は――悠緋は、ただ、うん、と返した。

 扉を、越えた。




 新章、というか本編開始です。


 

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