010 全ての始まり、全ての終わり(後)
それは、炎によって作られた槍だった。
男越しに見えた、工場の入り口が炎によって切り開かれる光景が、悠緋の視界に飛び込む。
男が振り返る。そのとき微かに口元が笑みを象っていたのを、悠緋は見逃さなかった。
「遅かったな」
亜城紅哉。
悠緋の兄にして、最高位の魔術士。
その表情は焦燥に歪められていた。対魔、対刃仕様の戦闘衣は、悪魔の男と同じように所々が切り裂かれ、焼け焦げていた。まさに満身創痍といった体で、紅哉は立っている。
だが、満身創痍でも、その風格は決して劣化してはいなかった。
その右手には、黒の両刃剣。
その左手には、赤の魔道書。
紅の魔方陣と焔が渦巻くその姿は、まさしく真紅の魔術士。
「兄貴!」
「悠緋――色々迷惑かけて、すまないな」
右手の剣は、細く長い。剣身には細かく文様が金色で刻まれている。鍔部分は西洋に伝わる剣レイピアのように、複雑で優美に飾られている。優美ながらも実用的な武器。
左手の魔道書は、人界には存在しない生物の赤い皮で装丁された豪奢なつくり。分厚く大きく、片手で持つには少々辛いほどだ。それは、燐光を放ちながら左手から少し離れて浮遊している。
その周囲に渦巻いているのは、炎。
火よりも赤く、血よりも赤く、何よりも赤い、火炎。
紅哉が紅哉たる証。
魔術師である証。
形容しようがないほど赤い、紅哉の真炎。
目線が合う。紅哉が、微笑んだように見えた。だがそれも一瞬のことで、すぐに男を見据える。
「何故、関係ないこいつらを巻き込んだ!?」
「関係なくはないさ、亜城の少年は特に、な」
「だが、それ以外の人は……!」
「お前と関係のある亜城の少年、と関係のある人間だろう。十分だ」
「――貴様!」
紅哉の左手が前へ掲げられる。魔道書を囲んでいた燐光が強くなり、足元の魔方陣が一層光を放つ。
男が左右に腕を広げる。数瞬後、その両掌と何かがぶつかった。
真紅の炎を纏った槍が、左右から男を貫かんとしていた。男の掌からは白緑の炎が噴き出て、それを防ぐ。二つの炎が拮抗する。
それも数瞬のこと。男が、握りつぶすように炎槍を消し飛ばす。
すぐさま紅哉は次の行動に移った。右手の剣を一振りし、男に向かって疾走する。男もそれに合わせ、奔る。
「はぁッ!」
細身の長剣が空気を薙ぐ。男は両手に炎を宿らせ、それを受け止めた。
「ここで死ね……ッ!」
紅哉の体を中心に、真紅が渦巻く。剣を持つ手により力が込められる。
刹那、
「頭に血が上ってるな、力押しすぎる」
男は――紅哉の背後にいた。瞬間移動でもするかのように、まさに、一瞬。紅哉も即座にそれに気付いた。振り返りながら剣を振り抜く。
しかしそれよりも男が早い。
右手が剣を受け止め、左手から火炎が迸る。紅哉の魔道書が輝き、二人の間に魔方陣が現れその小爆発を受け止めた。紅哉は大きく後ろに跳んだ。
その着地点は悠緋と紗桐の前だ。悠緋は、体を引きずって紅哉に近付く。
「な……ん、なんだよ、兄貴、一体!」
「今は、言えない」
きわめて冷静に、紅哉は答えた。
その問いに答える準備を、常日頃から整えていたかのように。
「ごめん」
振り向いて、紅哉は言った。形容できない、表情をして。
「何だよ……っ、これ!」
悠緋の怒号。それも、紅哉の剣と炎がぶつかりあう音に掻き消された。男の放った焔を、炎を纏った剣で両断し、そのまま突っ込む。
爆風に吹き飛ばされそうになりながらも紅哉に近づこうとした悠緋を、紗桐の手が掴んだ。
「危ないよ!」
「でも!」
男と紅哉の攻防は続いていた。両者ともに決定打はなく、容赦のない一撃一撃の応酬が、体を掠め、精神を削る。
殺意と炎を撒き散らしながら。
とてもその光景がまともなものとは思えず、悠緋は目を逸らした。
「――悠緋君!」
紗桐の叫び声。と同時に、横に体が突き飛ばされる。
何事かなどと思う余裕はない。先ほどまでいた場所に、紅哉が吹き飛ばされたのだ。地面を激しくバウンドして、壁に叩きつけられる。
紗桐が何とか悠緋を突き飛ばしてくれていなければ、悠緋も紅哉と同じ目にあっていた。
「弱いな、亜城――今までより。それほどまでにこの少年が大事か」
呟くようなその声は、悠緋のほぼ真上から聞こえてきていた。悠緋のすぐ目の前には、男の足。
それがいきなり跳ね上がって、悠緋の体を蹴飛ばした。鳩尾を直撃して、呼吸が一瞬止まる。
紗桐とつないでいた手はほどかれた。
呼吸が止まる。息が出来なくなる。地面に這いつくばったまま吐き気と痛みを堪える。
「紗、桐さ……」
元いた方向へ目を向ける。そこには紗桐と、あの男。紗桐が見上げ、男が見下していた。
そして、ゆっくりと、その手を振り上げ――
「――っ、く!」
紗桐へのとどめを刺そうとしていた腕を止めたのは、紅哉だった。横合いから男に切りかかり、二人を引き離す。紗桐は四肢を動かし悠緋の近くまで来る。
「大、丈夫か!?」
「何とか……」
思わず、歯軋りをしていた。何も出来ない自分に対して、怒りが沸々と沸く。
何とか。
どうにか、しないと。
せめて兄の邪魔にならないように。
そう考えた悠緋は、紗桐の手をとる。立ち上が――ろうとした。
体中が痛む。立ち上がろうとした瞬間に、全身が稼動することを拒む。加えて先ほどの蹴りで呼吸がいまだにし辛い。咽ながら、再び膝をついた。
紗桐は、そんな悠緋を心配げに見つめていた。
くそ。
オレは、どうすれば。
不甲斐ない。情けない。紗桐に心配はかけられない。
思考は霧の深い迷路に迷い込んだかのように曖昧で行き先が掴めない。やりどころのない苛立ちに、悠緋はアスファルトを殴りつけた。
紅哉の鋭く無慈悲な斬撃を紙一重で受け流し続ける男の顔は、余裕そうに見える。対して紅哉は、鬼気迫る表情。まるで、焦っているのかのような。
実際にそうなのだろう。自分がここで退けば、大事な弟が殺されるかもしれないのだから。自分の命と悠緋の命の命運は、直結しているのだから。
絶対に退けない。
絶対に。
連続する小爆発を放ち、一旦距離をとる。とらせる、強制的に。すかさず次の術式を展開。
炎の槍。紅哉の背後に次々と生み出され、その矛先はすべて男へ向く。一発目が放たれる。それに連鎖して並べられたそれが発射される。
その間も紅哉の魔術はとどまらない。炎の槍を召喚してから間もなく、今度は男の足元に魔方陣が浮かび上がる。
そこから放たれる炎の柱。男はその魔方陣から逃れていたが、着地したその点にも魔方陣が出来上がっていた。それを避けるころに、一発目の炎槍が男を貫かんと迫る。それもかわして再び地面に足をつけると、そこにも炎柱の布石。
逃げ道がなくなった。
しかし、男はそれを破壊した。圧倒的な炎で。
男の手には、剣。
「その程度か?」
男の放つ覇気に、紅哉は立ち止まる。相手の動向を探って、動けない。
「ならば、枷を解いてやる」
そう言うと、男は剣を持った右腕を伸ばした。紅哉は男の思惑に気付くが――遅かった。
剣から、炎が伸びる。槍のように、矢のように。
それが狙うのは。
「――悠緋、避けろッ!」
言われるまでもなく、悠緋は動こうとした。そうしなければ、あの炎に貫かれる。
だが動けない。地面に縫いとめられたかのように、動こうと思っても動けない。体は必死に動かそうとしている、心も動かさなければ死ぬということを分かっている――だが、恐怖がそれを上回って悠緋の心を占めていた。
――動けよ。
跳ね上がるように、悠緋は横へ逃げた。歩き方も知らないのかと思われるような、無様な動きで、だが。炎は悠緋の服を掠め、地面にその跡を刻みながら消える。
大丈夫だ。
まだ生きている。
とはいえ男は悠緋を狙うのを諦めたわけではない。剣が再び悠緋に切っ先を向ける。
「お前は――ッ」
紅哉の剣が唸る。空を切り裂いて、男に食いかかる。男はそれを悠緋に向けていた剣で防いだすかさず剣を翻し、下方から斬り上げる。
後ろへ一歩退きそれを避けた男は、自分から攻撃に出る。
剣と剣。銀線が神速で刻まれ、時折鮮血が弾け飛ぶ。
「お前は、ここで倒す」
「やれるものなら、な。思うだけで実行できるなら既に出来ているはずだろう」
「うるさい!」
剣技では紅哉が優勢だった。容赦なく男を攻め立て、攻撃させる隙を与えない。
――今のうちだ。
悠緋は、痛む体を酷使して、立ち上がった。その横では紗桐が悠緋を支えている。
「逃げよう」
「ど、どうやって」
それは考えてなかった。というより、思い付かない。今の自分たちに出来ることは、ただ走って逃げることだけだろう。
だとしたら、そうするしか、
「――何をたくらんでいる?」
真横から声。紗桐じゃない、低い声――
男がそこに立っていた。その剣が、閃く。
左腕と脇腹が切り裂かれ、悠緋は後ずさりしながら倒れた。紗桐もつられて転げる。
目の前には、威圧を放ちながら剣を携えた死神の姿。その瞳が、悠緋を射抜く。
「お前のような少年が、亜城の人間とはな」男の軽蔑しきったような目が、興味をなくした風に悠緋から逸らされた。「……興が削がれる」
次の瞬間、紅哉と男の剣がぶつかり合った。
「悠緋には、関係ない世界だ!」
「もうそんな甘言は言ってられないぞ、亜城……!」
焔が吹き荒れる。悠緋の頬をそれが嘗めて流れてゆく。
鍔迫り合いに負けて男が後退した。
「悠緋」
「な、何だよ」
「ごめんな」
二回目の、その言葉。
それがどれ程の重みを持っているのか、悠緋には推し量れない。
ただ、黙り込むしかなかった。
悠緋の心情を非情にも無視して、事態は進む。男の体から、白緑の炎が吹き荒れた。まるで体を纏う実体化したオーラのようだ。
紅哉は無言で剣を構える。迫力が一段と増して、悠緋ですら威圧感を覚える。
両者が激突する。対峙した炎は周りの全てを焼き払いながら霧散して、その中心には二人の魔術師だけが残っていた。
その爆風に煽られ、悠緋と紗桐の体は暴風を受けたように転がる。その中でも悠緋は、紅哉から目を離せないでいた。
何か、とてつもなく嫌な予感がしていたから。
それも、心の中で問い詰めようとしたら本当になりそうで怖いから、考えることも出来なかった。
「悠緋、君」
「……紗桐さん」
「私、悠緋君のこと、」
その続きは、轟音で掻き消された。二人は咄嗟にしゃがみこむ。
何度目になるのか。紅哉が吹き飛んで壁に激突する。壁は容易くへこみ、突き破られ、紅哉の体は外に放り出されている。
そうした張本人の男は、剣を下ろし、ゆっくりと歩いていた。
悠緋たちの、方向に。
「亜城の少年よ」
つまらなそうな――本当につまらなそうな表情で、男は口を開いた。腕はだらりと下げられ、剣の切っ先は地面を削っている。身体中が血や砂なんかで汚れていて、服装も、きっとその下の肉体もズタボロだ。
「お前の兄は、限りなく強かった。この我と肩を並べ張り合えるほどに。……だが、今日の戦いはつまらなかった。いつものような血沸き肉踊る死闘ではなかったのだ。ひどくがっかりだよ。これが最後になろうとは」
悠緋には、最初、彼の言うことが良く分からなかった。
今悠緋の目の前で繰り広げられた戦いでさえ、二人の本当の戦いではないというのか。
そして、何より、最後になる、というのは。
「どういう意味だ……」
「つまりは、お前の存在が邪魔だったというわけだ」
今日の戦いがつまらないのも。
紅哉が弱いのも。
友達が死んだのも。
今こんなことになっているのも。
全て全て悠緋のせいだ、と。この男はそう言いたいのか。
勝手なことを言う男に、悠緋の心は荒れる。荒れて、何とか噛み付こうとする。しかしその男の放つ気が、その思いを完膚なきまでに踏みにじる。
お前では無理だ。
弱いお前では、無理なことだ。
と。
そんなことは悠緋にも分かっていた。でも、それでも、悠緋には抑えることが出来なかった。
踏みにじられても、その心に灯っている炎は、決して消えない。
「――ぁあああぁぁぁ!」
炎で焼けた喉から掠れた唸り声を出しながら、悠緋は立って走り出した。紗桐の静止の声も聞こえない。聞こえていても無視した。
痛みも、今は感じない。
「心意気はいいのだがな」
腹部に衝撃。男の声が遠い。
オレを呼ぶ紗桐さんの声がした。悲鳴。
「…………ぁか」
男は何も言わずに腕をさらに突き入れる。
悠緋の腹には、鍔まで深々と突き刺さった剣が生えていた。
「馬鹿が」
耳元で囁いて、剣を抜く。赤が散る。悠緋の身体がその場に崩れ落ちた。仰向けに倒れる。
男が剣を振り上げた。
「駄目――!」
しかし男が剣を振り下ろすことはない。代わりに、剣を翻して前方を切り裂いた。
悠緋を守ろうと走った、紗桐を。
「さぎ、――!」
悠緋は身体を転がせて、紗桐のほうを見ようとした。とてつもない激痛が身体を走って、ほんの少ししか動けない。かろうじで目に入るのは、紗桐の顔だけだ。
男が歩く。そして紗桐のすぐそばに立った。
今から何が起こるのかは、分かりきっていた。悠緋にも、紗桐にも。
目の前で鎌首をもたげる悲劇に、成す術はない。
しかしその当人の紗桐は、悠緋に向かって、微笑みかけた。抗いようのないそれが待っているのにもかかわらず――きっと、悠緋を安心させるために。
それは悠緋が勝手に勘違いしただけかもしれない。本当は笑ってなんかいなかったのかもしれない。苦悶の表情を浮かべていたのかもしれない。
人は、弱いから。
どうすれば。
どうすれば?
――どうにも、できない。
「紗桐――ッッッ」
その瞬間に、音はなかった。
紗桐の表情が一瞬苦しむように歪められて、地面に顔をうずめた。血が広がってきたのか、視界に紅のそれが入ってきた。
鮮血が、空気に触れてわずかに蒸発する。
悠緋の感覚は麻痺していたが、この場には紅哉とこの男が戦った跡が刻まれているのだ。
「後は」ずっ、という、肉から剣を離す音が耳に残る。「お前だ」
死。
死ぬ。
この男に、殺されて。
「――嫌、だ」
勝手に口から漏れ出たのは後悔の言葉。
意にも介さない男は、一歩一歩、ゆっくりと近付いてくる。死の権化として、悠緋にとどめを刺すために。
既に重傷を負った悠緋は、それから這い逃げることも出来ない。ただ、それが来るのを待つことしか。
きっと、今、オレの身体の上には剣の切っ先が乗っているのだろう。
男がそれを少し動かすだけで、オレは死んでしまう。
「あの世で後悔しろ、少年」
言葉が聞こえ、――爆音が響いた。
「な――まだ、やるのかッ」
男が舌打ちをする。
「やらせない、と言ったはずだ」
悠緋の目の前には、戦闘用ブーツの踵。身体から赤い何かが垂れている。
誰がそこにいるのか、すぐに分かった。
「兄、貴」
「悪いな。お前の彼女、守れなかった」
彼女じゃ、ないんだけどな、と。そんなどうでもいいようなことを悠緋は思った。
満身創痍の紅哉。その身体に傷のついていない部分はない。生きているのが不思議なほどの傷を負って、折れているのか、不気味に曲がって動かない右手に長剣を携えて。左手だけはかろうじで他より無事で、魔導書を展開していた。
そんな傷だらけの姿でも、紅哉の姿は気高かった。
何よりも。
「あのまま逃げていればよかったものを」
「そんなことは出来ないさ。俺にとっちゃ、そっちのほうがよっぽど死ぬべきことだ」
「逃げることは、敗北か」
「俺はな」
「だからわざわざ死にに来たのか」
「そういう性分なんでね」
「ならこのまま、殺してやろう。もはや立っていることすら辛いだろう」
「……やらせないさ」
眼前の男が、突然消えたように見えた。紅哉は剣を左手に持ち替え、それを構える。
男と紅哉の剣がぶつかる。すぐに離れ、再び巡り合う。
「なぜそれほどまでにその少年を守ろうとする?」
「簡単だ。――俺の弟だからな」
「素晴らしき家族愛かな――だが、ただそれだけのことで自分の命を代わりに差し出せるのか」
「それだけじゃないさ」
悠緋なら、きっと。
その先に紅哉が何を言おうとしたのか、もしくは何も言うつもりはなかったのか、悠緋には分からない。
ただ、その答えを聞くことは、もう出来ないだろう。
永遠に。
「――さらばだ。紅の魔術師。我が好敵手よ」
血が溢れる。
身体が傾く。
男は無表情だ。
紅哉は――どうなのだろう。
分からない。
分からない。
分かりたくもない。
「兄貴――――ッッ!」
「……悪い、悠緋」
もう、悠緋に残されたものはない。
友人を失い、好きだった少女を失い、ついには大切な兄まで失ってしまった。
絶望しかない。
これから、オレは。
いやそもそも、これからがあるのかすら。
「――亜城の少年。いや、悠緋、か」
剣を一閃して、付いた血を振り落としながら、男が口を開く。
悠緋は、男の顔を見れなかった。見たくなかった。
「――お前は生かしておいてやる」
「…………え?」
予想だにしなかった言葉に、悠緋は顔を上げた。男は相変わらず無表情で、何を考えているのか理解できない。そもそもこのような男の思考なんて、理解したくもないが。
「気が変わった」
「どういう――ことだ」必死で、地面にしがみつく。残った力を振り絞る。「なら――どうしてみんなを殺した!」
立ち上がることはできない。視点が少し高くなっただけだ。
二人の視線が交錯する。
「……我が名は、ネア。悪魔の王、ネアだ」
その言葉だけを残して、男は背中を向けた。
「ま、まて……」
追いすがろうとするが、少し動いただけで身体は崩れ落ち、激痛が悠緋を苛んだ。男は気にもせずに歩いていく。
「待て――待てよ、ネア!」
「また会おう。時が巡り、そのときお前が変わっていたなら」
やがて、その男は悠緋の視界から消えた。
「……く、そ」
残ったのは、悠緋だけだ。
ごうごうと、周りを炎が取り囲んでいる。
燃え盛った業炎は、白緑。真紅を纏う炎は、消え去っていた。
その中心に、悠緋は一人だ。
傍らには、紗桐と紅哉の亡骸。
無意識に流れていた涙は、地面に触れると蒸発して何も残らなかった。
「みんな――――紗桐さん――――」
過ごした日々は、戻らない。
世界は、逆向きに回ったりしない。
何があろうと、何が起ころうと、関係なく進み続ける。
どれほど楽しかったときも、いつかは終わってしまう。
どれほど夢を見続けても、いつかは途切れてしまう。
それは、最初から決められていることで――
どうしようもない、ことだった。
「――――兄、貴……」
でも。
こんなに早く、終焉が来てしまったのは、おかしい。
どこがおかしい? どこからがおかしい?
決まっている――あの、悪魔のせいだ。
ヤツの所為で、大事な友は死に、想いを寄せた少女は死に――大切な、兄が死んだ。
オレは。
何をすればいい?
どうすればいい?
「……く、そっ……」
答えはとうに出ている。
だが、体は動かない。
死んだように、体が自分の言うことを聞かない。実際、死にかけているのだろう。体が、心が、冷たくなっていく。氷付けにされるように、体温が奪われていく。
腕を伸ばす。生への執着、まだ生きたいという強い願いが、限界の体を突き動かす。
嵐のように吹き荒ぶ激情が、体をかき起こす。
「まだ、死ねない――」
だが――
――その腕は、何も掴むことなく、地に堕する。
意識も、泥沼に引き摺り下ろされるように、ずるずると、下がっていく。
少年は、自分の非力を呪いながら、声にならない叫びを上げて、ついにその瞼を閉じた。
超久しぶりの更新です……
とりあえずは、序章部分終了しました。