05.辺境の村(2)
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案の定、村へ到着したのは出発の翌日となった。
アルブスの予想通り、真白が道に迷いまくった挙句、町にすら辿り着いたのは午後6時。このまま道が悪いと前もって知らされている山道を車で進む訳にもいかず宿を取ってその日はフィニッシュである。
そんな訳で、村へは朝一で到着した。今になって思えば、魔導書を探す時間が増えたのだからむしろ正しい選択だったのではないだろうか。
ガタガタで道幅の狭い山道を延々と走らせたグレンはお疲れ気味だ。
適当なスペースにぐったりと溜息を吐きながら車を停める。こんな時でも、最後は逃走の必要性があると考慮して出やすいようにだ。
「人の姿があまり見えないな。思ったより住んでいる人数が少ないのかもしれん」
外へ降り立ったアルブスが既に疑いの眼差しを村へと向けている。
こんな仕事をしていると人間不信に陥るのは当然の帰結と言えるだろう。
「それにしても、酷い道でしたね。私、帰りもこの道を安全に引き返せなさそうです」
「しなくていいぞ。車の運転に失敗して事故死などという間抜けな死は遠慮しておきたい」
後半ほとんど寝ているだけだったアルブスが何故か偉そうにそう言った。彼の場合、運転以外はずっと目を閉じているので事故が起きようものならそのまま永眠してしまいそうだ。
――と、ここで村の住人が来訪者に気付いたらしい。
村内からこちらへパタパタと男性が駆け寄って来た。
途端、疲れた顔面を切り替えたグレンが寄って来た男にフレンドリーな笑顔を向ける。彼の切り替えの早さは久墨の――文字通りお墨付きというやつなのだ。
「こんにちは。すみません、車はここに停めてよかったですか?」
「ええ、ええ。構いませんよ。ところで……このような辺鄙な村に何のご用で?」
「観光で、ちょっと。この先にある人魚の生簀という秘境を見に来たのですが――近くに宿泊できる村があると伺いまして」
「そうでしたか。ええ、ええ、よくそう言って村の民宿に泊まられる方が来ますよ。人魚の生簀はそれはもう美しく、パワーに溢れた湖ですから。皆さん、お若いようですし。是非例のパワースポットでね、神秘の力を蓄えて帰られてください」
非常に手慣れた様子で観光者に人魚の生簀をPR。このスラスラと出て来る口上を見るに、それなりの秘境巡り趣味観光客を相手にしてきたようだ。
「ありがとうございます。3人で1泊させていただきたいのですが……空きはありますか?」
「勿論です。さあ、こちらへ。お荷物を民宿へ置いてしまいましょう」
「ええ。助かります」
そう言って目を細めたグレンは事が上手く運んでいるからか、ほくそ笑むかのようだ。
何たる茶番だろう。諜報チームによると村は常に歓迎ムード。ここまでは完全に予定調和である。今までの観光客と我々の違いと言えば、最初から村の態度について疑って掛かり、危険が無いか十二分に警戒している所だけだろう。
歩きながら村内の様子をそれとなく伺う。
静かで、思っていたよりも手狭。建物の凝縮感が凄く、本来こんな小さな村に建てる必要のない建造物が並んでいるような違和感がある。
また、小さな教会は燦然たる輝きを放っており、どう見ても新品。建ったばかりなのだと素人目にも理解できた。
「あまり村は広くはないのでね、さあ、こちらが民宿です」
などと考えながら歩いていると、いつの間にか目当ての宿――民宿に到着。
普通の家だが、他所の家と比べると少々広いか。
「――あ」
不意に案内してくれた村人がそう声を漏らし、目を丸くした。グレンが首を傾げる。
「どうされました?」
「ああ、いえ。村長が既に中にいるようなので……珍しい偶然もあるものだと思いまして」
様子を見るに本当に村長とやらとバッティングしたのは偶然らしい。
どうせこの後、挨拶だとかの名目で接触するだろうしこちらとしては好都合かもしれない。
「村長。外からお客様がいらっしゃっていますよ」
村人に声を掛けられた初老の男性がようやっとこちらを振り返った。
その村長もやや驚いたような短い声を上げた為、やはりこの邂逅はただの偶然であったのだと察せられる。
ゆったりとした足取りで目の前にまで歩み寄ってきた村長その人が緩く頷く。
「こんにちは。村長のゲーアハルトと申します。まあ、村長などと大層な呼ばれ方をしておりますが、年功序列の決まり事でしてね。気軽に声を掛けていただいて構いませんから」
「ご丁寧にありがとうございます。よろしくお願いします」
グレンが無難に返答。
この面子だと人間を塵だとでも思っているカルト宗教から転職したアルブスが異彩を放ち過ぎている。一切、他の人間と会話をする気のない態度は圧巻である。
「ああそうだ、お客様方。1つだけ約束していただけますか?」
「……内容を聞いてから考えますね」
「ええ、賢くいらっしゃる。そう警戒しなくても簡単な事です。村から出る時は、誰かに一声かけてから出て行ってもらえるとありがたいですね。ここは山中にある村ですから、急にいなくなられますと心配してしまいますので」
「――はい、勿論。ここを出る時はお伝えしますね」
「よろしく頼みましたよ。ああ、長々と引き留めてしまい申し訳ない。民宿へ用だったのでしょう? カウンターで話をすれば、すぐに部屋を借りられますのでね」
それだけ言い残した村長・ゲーアハルトは軽く頭を下げるとやはりゆったりとした足取りで去って行った。