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翌日、昼の大食堂。ざわざわと騒がしいランチの時間帯だが、今日はその騒めきが普段とは少し異なる空気を纏っている。
その空気のど真ん中にいるリネアとディランは、周りからの視線を気にする素振りなど一切見せず、向かい合わせに座って堂々と二人の空間を完成させていた。
交渉が成立し、まず二人が行ったのは周囲への認知である。わざと人目につくところで二人で過ごし、仲睦まじい様子を見せつけるという算段だ。
正直に言うと、リネアは少し意外に思っていた。
女たらしで有名なディランのことだから、てっきり日中から物理的にべったりくっついてくるものだと身構えていた。しかしその予想に反して、彼はリネアの許可なしには一切触れてこないのである。
それでも見る角度によっては仲良く寄り添って触れ合っているふうに見えるよう、恐ろしく器用に立ち回っている。
午前中はその手際に目を白黒させてばかりで、リネアはほとんど突っ立っていただけだった。
が、このままというわけではいかない。午後からは自分も挽回せねば、と、ランチを頬張りながらリネアはひっそりと意気込んでいた。
そんなリネアの真正面であっという間にトレーを空にし、のんびりと食後のアイスティーを飲んでいたディランは、徐ろにあたりに視線を巡らせてふと思いついたように口を開く。
「というか今さらだけど、この役僕で本当に大丈夫?」
「……と、言いますと?」
一方、三分のニほど食べ終わったばかりのリネアは、口の中の物をもぐもぐと咀嚼し終えてから、その問いかけに問いかけで返す。
「や、だってさぁ、自分で言うのもなんだけど、僕って女の子にだらしないことで有名でしょ」
「自覚はおありなんですね……」
特に自嘲を含んだわけでもない、淡々とした声でそう告げたディランに、リネアの口元がふっと緩む。
ディランはちらりと視線を上げ、緩く弧を描いたリネアの小ぶりな口を何となく見つめた。
「正直に申し上げますと、ディラン様以外に条件に合う方がいなかったのです」
「……あー、まぁジェンキンス侯爵家って聞いたら、並大抵の貴族じゃ怖気付くか。末端とはいえ、王家の血を引く由緒正しき名門貴族様だもんね」
「私ははみ出し者なので、それほど身構えなくても良いと言っても、やはり皆さま触らぬ神に祟りなしといった感じで……」
「はみ出し者?」
リネアの言葉に引っ掛かりを覚えて、ディランはぴたりと動きを止める。
そんなディランの様子を見たリネアは、ああ、と納得する素振りを見せたあと、なんてことないようににこりと微笑んだ。
「私は養子なのです。ジェンキンス侯爵の実子は、私の三つ下の弟と、五つ下の妹の二人だけでして」
思わぬ回答に、さすがのディランも言葉を詰まらせる。
少し間を置いて、ディランは手に持っていたカップを静かにテーブルの上へと戻した。
「……ごめん。知らなかったとはいえ、突っ込みすぎた」
「いいえ、別に隠しているわけでもないですし、それほど悲しい話でもないので大丈夫ですよ」
気を遣わせないように、リネアはわざと明るい声を出す。
ディランには気づかれているだろうが、これくらいの虚勢は見逃して欲しかった。
「実の両親は、私が物心つく前に事故で他界しました。私を引き取り、我が子のように愛情深く育ててくれた侯爵と夫人のことは本当の親のように慕っておりますし、侯爵家のみんなのことも、本当の家族のように思っています」
「……なら、なんで」
「だからこそ、です。私は早く自立したいのです。これ以上、誰にも迷惑をかけたくない」
ディランの言葉を遮るように、リネアは強くはっきりとそう口にする。
その様子はまるで、己はそうであるべきだと自分へ言い聞かせているようにも見えて、ディランはどこか危うい目の前の少女から目が離せなくなっていた。
「……なんて言いながら、まさに今ディランに迷惑をかけてしまっているのですけど」
「迷惑じゃないさ」
考えるよりも先にディランの口をついて出た言葉に、リネアが小さく息を呑んだのがわかった。
それを見てしまえば、あとは勝手にポロポロと言葉が零れていく。
「言っただろう、僕にとっても渡りに船だったって。おかげで父さんも少しは大人しくなったし。そもそも僕ときみは協力関係なんだ、迷惑なわけがないよ」
意外にもひどく真面目な声でディランがそう言うものだから、リネアは少しだけ驚いて、それから少しだけ目を細めた。
「……ありがとうございます」
そう言ってリネアが笑えば、ディランは少しだけ苦しそうに笑った。
滲み出る彼の優しさが、リネアにはとても眩しかった。