12
とある冬晴れの日。
今日も今日とて、中庭にはリネアとディランの姿がある。
これまでと違うのは、ベンチに腰掛けたリネアの膝の上にディランが頭を乗せて寝転んでいること。
軽く組んだ長い足はベンチから思いっきりはみ出しているが、本人はさして気にしていない様子だ。
二人が本当の恋人同士になって一週間。
側から見ると以前と大きな変化はないように思われるが、実際にはディランからのスキンシップがかなり増えていた。
最初こそ慣れない触れ合いに緊張でガチガチになっていたリネアだが、一週間で膝枕程度なら自然にできるようになった。
気持ちよさそうに目を閉じて寛ぐディランの髪をリネアがさらさらと撫でる。
心地の良い静寂に包まれる中「そういえば」とふと呟いたリネアに、ディランは片目を薄く開いて応える。
「文官試験、二人とも無事に合格できて本当によかった」
「ああ、そうだね。僕もホッとしてる。ようやくこれで一息つけるよ」
「首席合格者が何を言っているの」
呑気な声で答えたディランを窘めるようにリネアがそう言えば、ディランはとぼけた顔をして再び瞼を下ろす。
先日学園を通して文官試験の結果が届き、リネアとディランはともに合格だった。
しかしリネアが驚いたのは、ディランが首席合格だったことだ。
普段の学園の定期試験では十番以内常連のリネアだが、付近の順位でディランの名前を見た覚えはほとんどない。
けれど文官試験を一緒に受けることになり、隣で勉強するうち、リネアは何となく察していた。
「一緒に勉強するようになってから薄々思っていたけれど……ディランあなた、定期試験では手を抜いていたのでしょう?」
「……まぁ、適度にね。父さんに怒られず、かつ教師に目をつけられない程度のそこそこな成績になるように」
やっぱり、とリネアが不満そうにディランを覗き込めば、気配を感じたのか長い睫毛の下から菫色がちらりと覗く。
ディランはリネアの表情を見て小さく苦笑いを零し、のそりと上体を起こしてリネアの隣に座り直した。
「だけどもう、そんな小細工も必要なくなったから。文官試験は久々に本気でやったよ」
大きく伸びをするディランの横顔を見つめていると、その柔らかい表情を見たリネアの口元も自然と綻ぶ。
「……勉強、楽しかった?」
「んー、勉強自体は普通かな。しいて言うなら、リネアと勉強するのが楽しかった」
「そ、そっか……」
まったくそんなつもりのなかった問いかけに対して返された予想外の言葉に、リネアはまた頬が赤くなるのがわかった。
リネアがこういう不意打ちにめっぽう弱いことにディランも気づいているようで、ここ一週間は事あるごとに仕掛けてくるものだから、リネアの心臓はまったく落ち着いてくれない。
赤くなる顔を見られたくなくて咄嗟に逸らそうとするも、大きな手がそれをそっと咎める方が先だった。
そしてそのまま流れるように唇を奪われて、リネアは今度こそ全身を真っ赤に染める。
ぱくぱくと意味のない口の開閉を数回繰り返したあと、満足気に笑っているディランに恨みがましい視線を送る。
「な、慣れてる……」
「慣れてません。こういうのは全部リネアが初めてです」
「でもすごく、こう……余裕を感じるわ」
「そりゃあ好きな子の前ではいつでも格好良くいたいでしょ」
「そういうものなの?」
「そういうものなの」
僕だって緊張くらいするさ、と肩を竦めてみせるディランだが、その表情からは緊張など微塵も読み取れない。
リネアが悔しくなってむむっと頬を膨らますも、ディランは楽しそうに笑って、さらにその頬を軽くつつき始める。
その無邪気な様子に危うく絆されそうになり、リネアは何か反撃できないかと思考を巡らせる。
そしてふと気になっていたことを思い出し、徐ろに口を開いた。
「そういえば、ディランはいつから私のこと好きだったの?」
「えっ」
脈絡のない質問に驚いたらしく、リネアの頬をつついて遊んでいたディランの手がぴたりと止まる。
「唐突だなぁ……」
「唐突に思いついたの」
唐突だが、これはリネアがずっと気になっていたことだった。
ディランはいつものらりくらりとしていて、本心をあまり表に出さないきらいがある。なのであの日、ディランから想いを告げられるまで、リネアはディランからの好意にまったく気づかなかった。
リネアが興味津々といったふうにディランの顔を見上げる形で覗き込むと、ディランはなぜか虚を突かれたような顔をして、サッと視線を逸らす。
それから何かを誤魔化すように咳払いをして、うーんと小さく唸った。
「はっきり自覚したのはつい最近。正確な時期は……わかんないな。気がついたら好きだった」
「ひょわ……」
「こら、自分で聞いといて照れるな。こっちまで恥ずかしくなるだろ」
「いたっ」
軽く額を小突かれてわざと痛がるふりをすれば、ディランは楽しそうに笑う。
つられるようにリネアが小さく笑うと、愛しい菫色がふっと優しく細められた。
「……本当は、何度か僕から言おうと思ったんだよ」
「?何を……?」
「告白」
「え」
全部失敗したけど、と困ったように眉尻を下げたディランにリネアは目を丸くする。
脳内でこれまでのやりとりを思い返してみるも、これといって思い当たる節はない。
リネアが首を傾げると、ディランは「まあそういう反応になるよな、はは」と渇いた笑いを漏らして遠い目をした。
「ともかく、リネアが全然見当違いな方向に一人で突っ走って、取り返しがつかなくなる前でよかったよ。……もう結構暴走してたけど」
「な、そ、その言い方はちょっと、失礼すぎではないでしょうか」
「でも自覚あるでしょ?」
「うっ……す、少し」
先日のステファンとの一件を思い出し、リネアは苦虫を噛み潰したような表情で視線を泳がせる。
翌日に二人揃って謝りに行った際、ステファンは最初きょとんとした顔で「何の話だ?」と首を傾げていた。
本気で何の話かわかっていなかったステファンに事の次第を説明すると、最終的に満面の笑みで謎の頷きを返されたが、それが完全に年下の妹を見るような目で、若干イラっとしたリネアはステファンを軽く肘で小突いておいた。
そのせいでなぜかディランが拗ねてしまい、そのあと機嫌を取るのになかなか苦戦したのだが、話すと長くなるので割愛。
「ステファンくんとヘンズリー嬢も、上手くまとまりそうで良かったね」
「ええ、本当に一安心です。これも全部ディランのおかげで……」
「ストップ」
急に手のひらを顔の前に差し出してリネアの言葉を遮ったディランに、リネアはぱちぱちと目を瞬かせる。
ディランはそのまま差し出した手の人差し指でリネアの口元をトントンと叩いてから、不服そうに眉を細めた。
「敬語、戻ってる」
「え?……あ、す、すみません。無意識で……」
「うん?」
「き……気をつける、わ」
「ん、よし」
しどろもどろになりながらも返事をすれば、ディランはパッと表情を明るくして満足そうに頷いた。
コロコロと変わるディランの表情がなんだか子どもみたいで、リネアの心臓は性懲りも無くまたさわさわと騒ぎ始める。
「それで、リネアは?」
「……へ?な、何が?」
「いつから僕のこと好きだった?」
まさかの返り討ちに遭い、リネアは文字通り言葉を詰まらせた。
そんなリネアを逃がさないと言わんばかりに、ディランは自然な動作でリネアの左手を握ると、するりと顔を寄せて綺麗な微笑みを浮かべる。
「僕にだけ言わせるなんて、不公平だろう?」
「そ……それもそうね……」
こほん、とわざとらしく咳払いをして、リネアは過去のやりとりを遡り始める。
「えぇと……最初に自覚したのは確か、サマンサ様と話した日だったと思うわ」
「え、そんな早かったの?」
「し、仕方ないじゃない!」
本気で驚いた様子のディランに、リネアは何だか恥ずかしくなって、うろうろと所在なさげに視線を泳がせる。
「そもそも私、ステファン以外の同年代の男性と話したことなんてほとんどないのよ。だからその、大体いつも緊張していて……」
「つまり、僕といるときはいつもドキドキしてたってわけね」
「そうよ」
「……冗談のつもりだったんだけど、そこは肯定なんだ……」
リネアがちらりと視線を戻せば、ディランは何かを堪えているような何とも言えない表情をしていた。
ふーっと長めの息を吐いて、ディランはリネアから少し身体を離す。それから自身の後頭部あたりを乱暴に掻くと、妙に渋い表情をして徐ろに空を見上げた。
「……今の話を聞いて、リネアが最初に声をかけたのが僕で良かったと心底思うよ。もし変な奴に声をかけて、良いように遊ばれてたかと思うとゾッとする」
「それを言うなら、ディランも遊び人だったけれどね」
「元ね、元。今は好きな子ひとすじの誠実な男だよ」
「ふぅん……?」
「なんで疑問形なんだよ、信じてよそこは」
心外だと言わんばかりの不機嫌な声が聞こえて、リネアはふふっと笑い声を零す。
そっと隣を窺うと、声の主は未だ不満そうな表情のまま、投げやりな視線を空に向けている。
その様子がなんだか可愛く見えてしまい、リネアはなんだかふわふわとした心地のまま口を開いた。
「でも私……声をかけたのがディランじゃなかったら、あんなに緊張しなかったと思うわ」
「え?」
「だってものすごく格好良いんだもの。入学当初から目立っていた人だったから、初めて話したときは心臓が飛び出しそうだったわ」
ピシリと固まったディランに気づかぬまま、リネアは僅かに頬を赤らめて楽しそうに話を続ける。
と、リネアが何かに気づいたように「あ」と小さく呟く。それからくすくすと笑って、未だ微動だにしないディランの耳元にそっと唇を寄せる。
「もしかしたら、一目惚れだったのかも」
弾かれたようにリネアの方へと向き直ったディランは、そこにあった陽だまりのような笑顔に釘付けになる。
それから、「なんてね」と少し照れ臭そうに笑うリネアをしばらく呆然と眺めたあと、再び天を仰ぐと、そのまま両手で顔を覆ってしまった。
このあと、正式な婚約のために両家を訪れた二人は互いの両親に泣いて感謝されることになり、結婚後も優秀な文官夫妻として注目されることになるのだが、それはまた別のお話。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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