第8話 ムライ・コナーの変身
午前九時。潮風に不気味な静けさが漂う。
高い岩壁を右手に見ながら走っていると、後方から風が鋭く唸った。
ざわざわと迫る感覚――ヒュンヒュンと音をたて接近してくる、それはまるで炎を帯びたブーメラン。
ギュルちゃんもサイドミラーを見、後ろを直視した。ハンドルを確と握り、アクセルを踏むおれ。
あの時と同じように瞬時に〝脳内の映像〟が浮かんだ。
高さ五メートルを保って炎のブーメランが縦に回転しながら襲いかかってくる。避ける計算が追いつかない。結局逃げられなかった。
運転しているポンダ・ステップVAZの中心、屋根からブーメランが斧のように斬りかかり、バリバリと切断してゆく。
派手に火花を散らして(おれの腹と繋いでるギュルちゃんの)鞭も切り離し、車ごと縦に真っ二つ。助手席の彼女は海側の電柱に、おれは岩盤にぶち当たった。
おれは自分の中のマシン回路が機能しているのを実感していた。
胸ポケットの中のキナは無事だ。
光の速さでギュルちゃんの状態がヴィジョンに映し出される。
目を閉じながら感じとる。息はある。彼女も間一髪でシールドを張り、衝撃を抑えたようだ。
回転していたブーメランが主人の元へ帰る。
その黒光りする腕、刺々しくくびれたボディ、赤く光る瞳。
そして左頬の変色した傷跡は彼を象徴づけるインシグニア。
――ダン・クリーガー。やはり追って来たんだな、おまえが。
スライスされ、潰れた車の中からおれは這い出た。
ダンはすでにそこまで歩み寄っていて不敵な笑みを浮かべた。
おぞましい歯を見せて。
「……ダン。だろう?」
帯電したおれの体が彼と向き合う。
「そうだ。わかるか? ムライ・コナー。クアーズ医師から聞いた通り、おまえは北へ……ドクター・プラテンのところへ向かっているようだな」
「……おまえ……まさか先生から無理矢理」
「術を使って頭の中に直接聞いたんだよ。安心しろ。殺しちゃいない。……しかしおまえ、まさかその姿……ソルバに支配されたわけではないんだろ?」
「……おれは」
「なあ、ムライ。いや、リュウジよ」
ダンの異形。鉈のような顔面、肩も四肢も黒い甲虫を想わせる。
しかしそれに呼び合うように、おれの細胞全体が激しく揺れていた。
赤い砂塵が舞い、おれの体は変化してゆく。
両腕はシャツを破らんばかりに太く漲る。
髪も髭も針金のように尖り、硬質な表皮が肩や背中を被った。
これが、ソルバの力――。
「……おっと、リュウジ。いつからそこまで目覚めていた? 昏睡状態だったおまえがキナを連れて脱走したのはいつの日のことだったかな。随分とご無沙汰だったな」
おれのポッケから顔を出してるキナが唸った。
ダンは尖った角と歯を光らせ、嘲笑う。
「哀れなもんだなそのチンケな猿猫の姿も。キナ。オレたちはいっしょなんだよ。同じ運命なんだ。そう、オレたちはチームだからな。おまえも来い。CSAへ戻るんだ」
「……フゥーーーーッ!!」
敵意むき出しのキナを抑え、おれは彼に告げた。
「ダン。おれたちは戻らない。戦いたくもない。ソルバの力を感じるが、おれは戦いたくないんだ。だから、おとなしく引き下がってくれ」
「……フフッ。やはり。おまえは昔のままの腰抜けリュウジだな。甘っちょろいだけの負け犬リュウジだ」
「……なんとでも言え」
「オレはなあ、この力を試したいんだよ。特に……おまえに向けてな!」
ダンがブーメランとして投げつけた両腕の鎌を振り上げ、武器を発動するためのワードを発声し、おれの首を狙う。
「ブレイズサイス!」
炎を上げ繰り出される鎌をおれは両手で遮った。
熱く滾る血を感じながら冷静にダンを分析する。
その斬撃は憎悪による力に満ちている。
しかしダンの心は荒れている。実戦を積んだ手練れの域だろうが、力まかせだ。見えるものしか見えていない。
「……ヘッド・ストレート・トゥ・ヘルズゲート・・ソルバ」
おれはそのフレーズを自ずと発した。
防戦一方からおれは砂塵を巻き上げ、ダンの目を潰した。
「うぐっ! これは、レッドダスト」
「そう。おれは限定的に風を操れる。おまえをはるか水平線の向こうまで吹き飛ばすことだってできるぞ」
ダンの腕を掴み、おれは言った。
「ダン。今度こそいっしょに逃げよう。この力があれば、おれたちだけで生きていける。組織に従うことなどない。隠れて静かに暮らそう」
「くっ、はなせっ!」
おれを振り払い、蹴りを入れ、宙返りして頭上から攻めてくるダン。
しかしそこで「クルエルウィップ!」――しなやかな白い鞭が彼を捕えた。
それは立ち上がっていたギュルちゃんのものだ。
再生させた鞭で彼女はダンの胴体を縛り、路上に彼を引きずった。冷徹なる光条が中空に浮き立つ。
無様に転がるダンをギュルちゃんは足で制する。
「くそっ、この女っ!」
「CSAの〝斥候〟ダン・クリーガーだな。捕獲する」
負傷していてもギュルちゃんはクールに告げた。最初おれにもしたように、左腕をかざした。
「キサマのマシン回路を回収する。覚悟しろ」
「おまえは何者だ?」
「械奇族の戦士。カイジング・ギュルコ」
「……やはりカイジング……ソルバの精鋭」
おれは割って入った。
「ギュルちゃん。頼む。彼を逃がしてやってくれ」
「おまえその姿は……」
「おれだ。ムライ……いや、おれの本当の名はリュウジだ」
ギュルちゃんはおれの異形にしばらく動けずにいたが、立ち上がろうとするダンを威嚇し、電流を浴びせた。
「うぎゃっ!!」
「おとなしくしろクリーガー!」
「ぐくっ、はなせ! この……蛇女!」
「――ラトルブレイク!!」
おれのビジョンにその『ラトルブレイク』のデータが飛び込む。
《《――ギュルコの左腕に備えられた音撃砲で、超音波で内耳神経を狂わせ細胞を破壊する。あるいは超振動で物体を粉砕できる。マシン回路摘出のためには出力を調整。しかし損傷時の使用には危険を伴う――。》》
手を伸ばし、おれは叫んだ。
「ギュルちゃん、使うなっ!!」
おれが叫んだ瞬間、ギュルちゃんの左腕が暴発した。
肩から黒煙を上げ、彼女は倒れ込む。
ダンは鎌で彼女の鞭を断ち切って岩場へ高く跳躍し、姿を消した。
おれは彼女を抱きかかえ、ひとまずその場から立ち去ることにした。
* * *
ギュルちゃんを背負ってけもの道を行く。
このソルバの力で、彼女を助けてあげられないものか。
戦闘時に導かれるだけで、力の使い方はよくわからない。
気を失ったままの彼女を何時間も抱えたまま、おれは逃げるしかないのか。
助けてくれ、プラテン博士。
やがて胸ポケットからキナが頭上に這い出してくる。
またヘッドホン耳で俺の耳を塞ぎ、語りかけてきた。
《……リュウジ。本当にこの子を助けたいのね?》
《キナ、やっぱり怒ってる?》
《怒ってるわ。本音はね。……でも。あなたは誠実だから、なんとかしてあげたい。それに彼女はどこか無理しているようにも思えるし、ポー先生の言うように、神秘的な何かを感じるのよ》
《キナ……》
《だからまたあたしの空間移動の術でドクター・プラテンのところへ跳びましょう》
《え? ……それまさか》
《いわゆるテレポート。前回のは時間も超えたけど。CSAから逃げる時に使い方を習得したの。この身体が教えてくれた械奇族特有の術よ。……ちょっと……いえかなりのパワー使うから、その後は……わたし寝込んでしまうかもだけど》
《お、おいおいキナ、そんな危ない真似すんな。いいよ、歩いてでも列車に飛び乗ってでもたどり着くから》
《いいえ、あなたも体力消耗してて危なっかしいわ。こんな山を越えるなんて無理よ》
《大丈夫だって。ほら、まさにけもの道を行くケモノだろ。なんかおれ虎かライオンになった気がするよ》
《顔はムライに戻ってるわ。髪はボーボーだけど。でもそうね、ダンもまるでカブトムシみたいに変わり果てた。彼の潜在意識の中にそのイメージが強くあったのかも》
《キナ。おれは戦いたくない。あいつも救ってやりたい》
《わかるけど……それも》
《おれたちはチームだった。三人隠れて静かに暮らそう》
《ダンは勘違いしてる。あたしがあなたを連れ出したのに。あの時。覚醒したあたしは近くにいたあなたの手を引くのが精いっぱいで、ダンの居場所までは探せなかった。……彼があんなふうになるなんて》
《見捨てられたと思ってる。おれへの復讐心で生きてきたようだ》
《ごめんねリュウジ……。待って、あれは何?》
山間に響き渡るヘリの音。
見上げる上空にCSA専用の武装偵察ヘリが現れた。
杉の木にしばし身を隠す。
キナはおれの頭から離れ、背中のギュルちゃんを見つめた後、強行突破に出た。
《任せて、行き先のメモは覚えてる。何があっても生き抜きましょう。リュウジ》
《え?》
《ヘッド・ストレート・トゥ・ヘルズゲート・・キナ!》
虹色の光が辺り一面を覆う。
キナの捨て身の術で、おれたちは空間を超えた。
ダンはカブトムシかクワガタか? 子供の頃好きだったもんな。クヌギの木を蹴って虫を落としてあいつにたくさんあげたっけ。近頃では夜のコンビニで採取してるお父さんお母さん方を見かけるね。携帯電話で連携して「こっちで5匹、そっちは?」とか「次、あの店行ってみる!」とか子供たちのために頑張ってるみたい。……おれもノコギリのデカいやつ見つけたぞ。でも一番好きなクワガタはミヤマだ。あの産毛が品がいいんだよな。
次回、『ドクター・プラテンの日記』
とにかくギュルちゃんを助けなきゃ!