第5話 ポー・クアーズ医師
わしはポー・クアーズ。
賃貸マンションの一室に診療所を構える町医者だ。
六十歳越えたが気持ちはまだ三十代。
そこいらのやわな若ぇもんには負ける気がしねえ。
ムライ・コナーに出会ったのはどしゃ降りの雨の日の夜。およそ十五年前。
あいつはどこからか逃げてきたのかボロを纏って体中切り傷に痣だらけ、裸足で裏通りの片隅にぶっ倒れてた。
その胸元でモンキャットがニャーニャー必死で助けを求めていた。
わしは彼を担ぎ、診療所まで運んでいって手当てをした。
回復はおそろしく早かった。ただ彼は記憶を失くしていた。
怪我は一週間ほどで完治し、ある日「おれはムライ・コナー」だと名のった。
「……ありがとうございます。先生」
「わしはクアーズ。ポー・クアーズだ」
名のった時の彼は虚ろな目で危険な臭いがしたが、完全に目覚めてからは落ち着きのある素直な青年だと感じた。
ペットのモンキャットのことも笑顔で「キナ」だと紹介してくれた。
「でもほとんどのことを思い出せない。気づけばキナと逃げ続けて」
「頭を強く打たなかったか? ちゃんとした検査をした方がいい。ここでは十分な」
「大丈夫です。どこも痛くないし気分もいい。このまま……よくなってくると思います。先生のおかげですよ」
「……そうかあ?」
そこでキュルルルル〜〜〜〜ッ! ってあいつのお腹がけたたましく鳴って、わしたちは笑った。
行きつけのラーメン屋に連れて行った。
「こんな美味いもの、初めて食った!」
「わしも毎日でもいける」
「おれ寒がりだからまさに理想形」
「おまえさんのは醤油味。わしのは白味噌」
「へー。そっちもおいしそ」
レンゲでわしのスープを狙うムライ。子どもっぽい仕草に笑ってしまい、飲ませてやった。
「先生っていい人すぎる」
「……あんなとこでぶっ倒れてて、わしの若い時を思い出してな。昔は喧嘩ばっかしてた」
「荒くれ。だったんだ」
「だいたい育ちが悪い。ヤクザな家系で暴力が絶えなかった。ガキの頃から生き延びるために必死で生きてきた」
「……先生って眼鏡でインテリっぽくあるけど……てか、肩ゴツいし胸板厚いなあ。脱いだらバッキバキ?」
「おうよ。体は鍛えとかんと」
「えぇ? お医者さんてそんなもん?」
「ヒトひとりくらい担げんとな。……コラ、あんまりモミモミ触るな。そういう趣味みたいじゃねえか」
「ヒトひとりか。……かっけー!」
「しかしお前はかなり重かった。わしに合わせてもっとダイエットしろ」
「ははは。いやこんな美味いもん知ったらそれどころじゃ」
「はは。たしかに」
ムライ・コナーは不思議な男だ。
純粋というか世間知らずというか、失くした記憶は何なのか、内に秘めたのはつらい過去、それとも忘れてしまいたい悲しみ――。
どういう教育を受けどんな学校で勉強して大人になったのか、すっぽり抜けてるようだった。
しかしあいつこそ力持ちだ。ヒトふたり担げる。
街でわしの舎弟がライバルのヤクザ・銀竜会にボコボコにされた。その時倒れた舎弟どもをひょいひょい運んできてくれた。
ヤツらんとこにカチコミに行くのもムライは加勢してくれた。いや、来るなって言ったさ。でも先生を守るってついてきたんだ。
あいつの戦闘能力は常軌を逸してた。
銀流会のタキちゃんを見る目が一瞬赤く光って事務所全体に赤い砂埃が舞ったのは幻想だったのだろうか。
虎かゴリラと共に戦ってるようだった。
やがてタキちゃんもわしもびびって動けなくなった。
あれは何だったのだろう。
お陰でその後タキちゃんたちはおとなしくなり、結局わしたちは仲直りした。
ムライがまともに働きたいって言うから介護の仕事はどうかと薦めたが、もっと単純な力仕事がいいって。
だから知り合いの運送会社を紹介した。失くした免許証云々も揃えてやった。住むアパートも静かなとこを見つけてやった。
あいつは真面目に働いた。わしの、基本強気な姿勢に影響されてか喧嘩もちょくちょくあったらしいが。若さだろう。
そんな感じで平穏でもあったが今から半年ほど前、ムライが倒れた。
大学病院を紹介して、でも原因はわからず……しばらく入院してあいつはまた元気になって帰ってきた。
仕事の方はしばらく掃除ばかりだと愚痴を聞かされてた。今回運転は久しぶりだったそうだ。
高速道路で事故って、一時行方不明。……そして突然ここに現れた。しかも甲冑を着込んだ女の子といっしょに。
いったいどういうことだ? さっぱりわからん。あの娘は何者なんだ?
……しかし。弱ってる者にガミガミ訊くわけにもいかん。助けてやらねば。
午前七時。あれから一時間。
ムライはどこまで行っただろうか。
ドクター・プラテンのところまで無事たどり着けるだろうか。
そんなこんなで気を揉んでたらいきなりドアが蹴破られた。
――ドゴォオオオッ!!
腹筋台に座ってプロテインを飲んでいたわしは立ち上がる。
「おいおいおい誰だあ? 人ん家のドアの開け方も知らんやつはあ!!」
突然現れたその男には見覚えがあった。
ムライが言っていた『ダン・クリーガー』。あいつだ。一昨日訪ねてきた男だ。
「やあ。クアーズ先生。先日はどうも。あなたは闇医者だとわかってはいたが嘘つきでもあったようだ」
左頬の傷。ムライを狙っている男。
黒いスーツ姿にサングラス。
すらりと体格がよくドアの破片を蹴り除け歩み寄る足さばきにも隙がない。
勝ち気な口調は天性で、マウントをとりたがるタイプだと察知した。
「嘘つき? 人は誰しも本音だけじゃ生きていけないだろう」
「ムライをよく知っているな。身元後見人のジジイよ。奴はあの事故で消えてからきっとここに来たはずだ。ここへ来てどこへ行った。教えろ」
「知らねえな。わしは知らん奴と喋る趣味はねえんだ。帰れ」
「ムライはおれと同じ国家の秘密工作員だ。おまえも騙されてるかもしれんぞ」
「はあ? 何を言ってる?」
そしてわしは更にびびった。
サングラスをはずしたクリーガーの目が赤く光っていた。
国家の秘密工作員て、まさかムライよ。おまえにそんな過去が? ただの単細胞の食いしん坊ではないとわかってはいたが……。
とにかくこの目の前のバケモノ『クリーガー』に、さすがのわしも勝てる気がせんよ……。
次回、『ダン・クリーガー』
昆虫はちょっと苦手……。