第4話 ムライ・コナーの記憶
ベッドに横たわって気を失ったままの白い強化服の少女を、おれとポー先生二人で担架に移し、ガレージまで運ぶ。腰は痛いが傷ついた彼女のためだ。先生にも負けてらんない。
二階から一階のガレージへ。
「ほらムライ、もっとしっかり持て。このへっぴり腰が!」
「待って、早い、痛い痛い….。って先生、車って。こっちのトミタ3000GTじゃないの?」
「バカタレ。それはわしの宝物だ。おまえに貸すのはこっち。ポンダ・ステップVAZ」
「うわ。まさかのKサイズ商用車。年代物」
「逃げるには小回りがきく方がいいのだ」
「んな、逃げるつもりじゃ」
「いや。絶対そのダン・クリーガーはまたここにも来る。おまえを捜しとるはず。わしの大事な診療所を荒らされては困るからな」
いったん床に担架を下ろし、ポー先生は白いステップVAZのトランクを開けた。
カーテンで遮光された後部に座席はなく、簡易救急車として使っているのですでにベッドが設けてある。
先生はスヤスヤ眠る彼女のおでこを撫でると、おれの肩をグイッと握り、うなずいた。
「とにかくこの子のためにも急げ。行き先のメモ、ちゃんと持ったな」
「うん。あ、ありがと先生」
「この子はただのヒトではない。おまえを狙っとるようだが今は関係ない。この子には何かスピリチュアルなものを感じる。うまくは言えんが……敵対する者とは思えんのだ。わしが診れなくて申し訳ないが、できる限りのことをしてあげようじゃないか」
おれは先生のゴツゴツした手の甲を握り返した。
「……ん? なに固まってるムライ」
「先生。……何故気がついたらここだったか今でも意味わかんないんだけど、もしかしたらあの瞬間、無意識に誰よりも先生に助けを求めたのかも。だから」
「わかった。ムライ。もう行け。早く、彼女を助けてやれ」
くすんだ赤煉瓦のマンションガレージからおれは車を出す。
午前六時。石畳の道路を浮揚し息を殺して街路を抜ける。
* * *
砂塵と雷鳴
砂塵と雷鳴が荒野を走る。
朝靄をヘッドライトが探ってゆく。
おれはハイウェイを目指して、注意深くハンドルを切った。
耳を澄ますと、巻き上がる風の音とまばらに行き交う車のホバーユニット音、遠くの尾根では雷が轟く。
車内後部からは苦しみ悶える彼女の声が聞こえる。
怖い夢でも見ているのか。名前は何ていうんだろう。
衝突した瞬間から、目が覚めたらクアーズ診療所に転がっていた。まるで時間と空間を超えてきたように。
誰かに運ばれたとは考えにくい。ダンが? それならおれは奴に拘束されてるはず。道路を封鎖したのも奴だろう。
会社にも電話しなきゃなんない。カーゴ車の弁償も(お金はないが)、辞めさせられる手続きも。
これからどうやって暮らしていけばいい。この子も腹が減ったろう……と、胸ポケットを確かめるとモンキャットのキナがおれのことをじっと見つめていた。
「ん? どうしたキナ」
キナはスポンジみたいに体をふんわり元に戻し、丸い手足を伸ばして、おれの肩まで這い上がってきた。
運転中だし引きはがそうとするとキナは手足を広げて後頭部に張りついた。そしてそのヘッドホンのような耳をはずし、それでおれの耳を塞いだ。
「ちょっ、おいおい、何すんだキナ!」
一瞬の眩い光がおれの脳裏を支配する。ハンドルを確と握り、しゃにむに運転を続行するおれ。
塞がれたおれの耳に、いや、おれの頭の中に声が響き渡る。それは女性の、どこか懐かしい声だった。
《……聴こえる? ムライ・コナー》
《……え? 誰だ? き、聞こえるよ、きみは》
《……キナ。あなたの後頭部にいるキナよ。こうして、今あなたとお話ができる》
《え?!》
《ね、まずは信じて。あたしの話を》
《……ちょっ、と。な、なんだそりゃ、モンキャットって、喋れるものなのか?》
《違うわ。あたしだからできることよ。あなたと同じ、あたしの体にもマシン回路が埋め込まれてる。あたしも中央特務機関=『CSA=Central Secret Agency』の工作員だった》
《ま……、待て。待って、工作員て。きみは、おれのことを……?》
《知ってるわ。あたしのことは思い出せないのね。いいわ。話してたらいつか思い出すかもしれないから。あたしは実験でこんなモンキャットになっちゃって。あなたも昔とは違う顔になった。あなたの本当の名前は『リュウジ』。ダンとあたしたち三人は中央に育てられた幼馴染よ》
《中央……実験……幼馴染って、キナ。きみは……まさか、人だったというのか?》
《そう。ヒトだった。落ち着いて聴いてリュウジ。この、あなたの側頭葉に直接伝える力もどこまでもつかわかんないから手短かに説明するわ。十五年前、CSA科学技術部はソルバというバケモノの身体から〝マシン回路〟を作り、あたしたちの頭や体に埋め込んだ。〝械奇族〟というバケモノの力を兵器として利用しようとした。あたしたちは実験台。奴らは自分たちの都合のいいように我々を育成して、最後はバケモノに。人権なんて無視よ。こんなこと許される? 目覚めたあたしはあなたを連れて中央を脱走した。力を発動したことも何度かあったけど、長く身を隠し通した。でもついにあなたの体調がおかしくなって……おそらく病院のデータで奴らに見つかった。ダンも奴らの言いなりであたしたちを襲ってきた。だから! 戦うのよ。もう中央をぶっ潰しに行くの!》
《いっ、痛い痛いっ、爪立てないでくれよキナ》
彼女は興奮してる。
荒らげた声は何かを思い出させる。
『キナ』……きみはしっかり者の女の子――。
* * *
気が遠くなるような朝靄を彷徨うおれたち。
おれたち三人は戦争で親を失い、村に取り残されていた。
肩を振るわせ食べ物と寝ぐらを探していた。
そうして長い間子供たちだけで寄り添っていたある日、スーツを着た大人たちがおれたちを迎えに来た。
彼らはおれたちを大きなバスに乗せ、知らない町の山手の施設に送り込んだ。
食い物さえあれば生きていける。食い物をくれる彼らを神様だと思ったから何にでも従った。
十歳くらいのおれたち。妹みたいなキナはおれがいると安心し、負けず嫌いのダン・クリーガーもおれといっしょにいた。
生きるための訓練は体を鍛え、銃を撃ち、情報を共有することだった。
おれたちは国家のために尽くすよう教育された。
多くの民族が連なった、寄せ集めの国ナモンのために。
政府の〝中央特務機関CSA〟の工作員として、諜報、密偵、宣撫、秘密工作の任務を与えられた。
そのうちおれたちは成人した。
初めての大きな任務。ある港町に敵国のスパイがいるとの情報でおれとダンは船乗りとしてそこへ潜り込んだ。
エビ漁船に乗るリー・ベンソンという外国人の男が怪しいという。
証拠を掴み、口を封じろという指令だった。
ボーダーシャツにダッフルバッグの出立ちでおれたちは酒場へ向かう。
ベンソンはカウンターでウイスキーをたのんでいた。
おれとダンは彼と並んで横に座り、煙草に火を点けた。
上官から聞かされている内容はこうだ。
ベンソンは毎日のように獲れたエビや魚を仲間たちとホテルに運ぶ。
そこでベンソンは食堂からダクトを抜けて宿泊した政府要人や大使の部屋に忍び込み、機密情報を盗み、母国に流しているという。
おれとダンは食堂の皿洗い、キナはウェイトレスに扮し、守備を整えた。
網を張っていたが二度もベンソンはすり抜けた。
おれたちの失敗に、新人だからというのは言い訳だ、おまえたちは無能だと上官に叱られた。
おれはまた船乗りとしてあらためてベンソンに近づいた。
若いおれに三十代半ばの彼は親切だった。
まともに船酔いしてしまったおれをベンソンは自宅で介抱してくれた。
「名前は何て言ったっけ?」
「……リ、リュウジです」
「あれぐらいの揺れで。空きっ腹もいかんぞ」
「次は気をつけます」
「シェフはあきらめたのか?」
「え?」
「たしか、ホテルの厨房にいたろ? 友だちと」
扇風機がゆっくり回る落ち着いた部屋のドアの向こうから、女の子がじっと見ていた。
ベンソンは薄明かりからその子を呼んで「娘だ」と紹介した。
疲れていたおれは迂闊にも深く眠ってしまう。
よくなって夕飯までもらって次の日の夜中いっしょに支度をした。
ベンソンはベッドで眠る娘にキスをし、おれを連れて漁に出た。
月明かりの下、鏡のような海に、静かに網を投げた。
間抜けなおれにダンは怒り、ベンソンにも苛立っていた。
「絶対奴を暴いてやる!」
一方でキナはおれの異変に気づいていた。
工作員として自信をなくしているおれに。
「わかるのはねリュウジ。あたしも実はもう嫌なの。こんな秘密の仕事」
「聴いてくれるかキナ。でもダンがいる。せめてこの任務のあと、あいつにも話して三人でどこかへ逃げよう」
ウエストン・ベイ軍縮会議の議長の部屋へ潜入し、機密文書を手にしたベンソンを、キナが目撃し、証拠の写真を撮った。しかし彼女はベンソンに捕まり、銃を突きつけられる。駆けつけるダンとおれ。
「あんのやろう!」
飛び込もうとしたダンにベンソンは発砲した。弾丸はダンの左頬をかすめ、閃光でダンは怪我を負う。
おれは両手を上げベンソンに歩み寄った。
「わかった。あんたを逃がす。だから、彼女を放してくれ」
転がったダンが身を起こして吠える。
「何言ってんだリュウジ! ベンソンを捕まえろ!」
「バカ! キナがどうなってもいいのか!」
「こんな奴らに! オレたちの国を攻め入られるんだぞ! こんな茶色肌の奴らに!」
「悪かったな茶色で」とベンソンが指差す。
「おれたちはこの、平等を謳うこのナモン国を信じて移り住んだ。しかし現実は嘘だらけだ。おれの親も娘もいじめられ、裏切られた」
ダンが唾を吐き、言い放つ。
「ナモン国はナモン人のものだ!」
ベンソンはキナを突き返して言った。
「ふん。そうやって狭い領域で生きていけばいい。……リュウジよ。おまえは船乗りにも密偵にもなれない。まったく、割りきれない男だからな」
ダンが「てめえらは! てめえらの家も全部スリー・ケーズ(処刑団)が焼き払ってやる!」と噛みついたがベンソンは鼻で笑った。
それから彼は逃げ、次の日にはそのエビ漁の町から娘を連れて姿を消した。
負傷したダンを本部に連れて帰り、おれたちは処罰された。
明けても暮れても宿舎の掃除をしながら、おれはキナに慰められた。
「聴いてくれキナ。おれは他で生きていく自信もない」
「情けないこと言わないでリュウジ」
「きみは女なのに強い。どうしてそう前向きなんだ」
「ひとりじゃ誰だって心細いわよ。でもあたしにはあなたがいる」
「え? おれなんて、何の取り柄もないぜ」
「いる。だけでいいの。あなたはいつだって優しいから」
「そ、そんなことないさ。……近頃じゃ自分の弱さに悩む。だから苦しんでるきみやダンに声ひとつかけられなかったり、力になれない自分にまた悩んでしまう」
「それはあなたも何かを背負ってる。みんな同じよ。あたしのために悩んでくれてありがとう。思いやってくれるあなたを、あたしは信じてる」
「う、うん。おれの方こそ、ありがとう」
「あと(女なのに)とか言わないで。いちいちそう思われるの何か腹立つから」
「……あ。そうか、ごめんよ」
「心に誓って。自分に降伏しない。退却しないって」
「……自分に……か。わ、わかった。誓うよ」
「よろしい。それでこそあたしたちチームのリーダー」
「きみには何でも話せるよキナ。きみには嘘をつけない。いつも告解室にいるようだ。まるで、おれのシスターだ」
「あの時、ベンソンから救けてくれてありがとね」
「お、おう。マイ・シスター……」
* * *
少しずつ、
少しずつ、記憶が蘇ってきた。
まだ断片的にだが、昔あった強烈な出来事がフラッシュバックするように、脳裏に映し出されていった。
おれは『リュウジ』だった。
気がつけばおれは車を路肩に停め、前を見て涙目で固まっていた。
頭の上のモンキャット・キナはパワーを使い果たしたのか、ズルズルと肩から膝元へずり落ちていった。
ぐるぐると目を回した小さな姿のキナを抱き、見つめる。
どうしてこんなことにと絶望したが、ずっとおれといてくれたことへの感謝も沸いてきた。
「ありがとう。キナ。そう……シスター・キナ」
ガチャリ!
と重く響く金属音。
ふと振り向くと、後ろで寝ていた白強化服の彼女が起きあがっていた。銀色に閃く物騒な左腕を向けて。
「どこへ向かおうというのだムライ・コナー。もう死ぬ覚悟はできたのか?」
いろいろ思い出したよキナ。きみのその姿……おれたちはもう元には戻れないのか?
この甲冑娘はまた冷たい左腕を突きつける……。
次回、『ポー・クアーズ医師』
しかしそろそろ腹減ってきた……。




