第3話 ムライ・コナーの逃走
* * *
人生が終わった。
そう思った……が。
というか…… え?
ここは、どこだ?
目の前に広がるのは……薄汚い、見慣れた床。
ひんやりと静まり返るほの暗い木造のフロア。
……ここは、クアーズ診療所? ポー・クアーズ先生んとこだ。え? なんで?
おれは目をこすりこすり見回す。
まず、おれはムライ・コナーだ。うん、あってるよな? と頬に手を当てながら自分の服や床に投げ出した足や靴を確かめる。
何度も辺りを見渡して壁の貼り紙やカウンターにそびえるチンケな花瓶と健気に咲く水仙、ツンと漂う薬品と微かな安ウイスキーのにおいに安心する。
狭苦しいみすぼらしい、昼間は鼻を垂らしたガキや保険証を持たない浮浪者やお喋りしたくてうずうずしている老人たちがひしめき合う、でも、どこか懐かしいセピア色……。
間違いない。クアーズ診療所の受付フロアだ。
というかあの娘は?! 轢いてしまったあの娘はどうなった?!
どうすればいいおれは、どうすれば、どこへ、あの子は、いったい……と、捜した先の倒れたパイプ椅子の影に二本の白い足が見える。
……そう! あの白い服の女の子がいきなり立ってたんだ。降って湧いたように現れて。
ん? あれは服? 変なくびれのブーツ。装甲服? あの娘ではないのか? 強化服というか、特別なスーツ……。
おれはバキバキと痛めた体を起こし、四つん這いで近づいて彼女に手を伸ばした。
「おいキミ! 大丈夫か?!」
うつ伏せになったその体におれは目を奪われた。
硬質で艶のある白銀のボディ。黒い関節から微かに煙を吐き出してる。
甲冑を着込んだ人形にも見える。顔を覗きこむ。いや確かに人の、女の子の顔で、目を閉じて眠っている。
あっ、今、瞼と唇が少し動いたっ! 揺すり起こして凝視するおれ。なんと利口そうで可愛らしい……と、率直に感じながらもおれはその子を抱きかかえて状態を確かめる。傷はないか、出血はないか。
……ない! 大丈夫そうだ! お顔もキリリと素敵だな。うん。いいぞ。というか、
「……重いなキミ」
シャープで不思議な髪型もボディと同様カチカチで、まるでヘルメットだ。
左手は筒状の、鈍器のようにも見える。ボディ表面のくびれはまるで爬虫類の皮膚を思わせる。
全身薄い装甲に覆われ、可動域も広く、接近戦に特化した者という印象。
あれだけの衝突で傷はあっても潰れや変形はなさそう。どんだけ頑丈なんだろ。
忽然と現れ、たしか左腕を向け立っていた。
……いったいこの娘は何者なんだ?
しかし抱きかかえたまま彼女のピンク色の寝顔を見ていると、次第に胸が締めつけられる。
……そんな、とんでもない! こんな少女に! ひと目惚れとか、そんなんじゃなくて……いや、齢はいくつくらいなんだろう……頭の中がギュルギュルと、痛い。なんだこの感情。
スヤスヤ素敵に眠っている彼女に見惚れていると、いつしかおれの胸ポケットからモゾモゾとモンキャット・キナが急に顔を出し、声を荒らげた。
「キィーーーーッ!!」
「う、うわっ! なんだおまえっ、びっくりさせんな!」
「フゥーーーッ!」
なんだか怒ってるキナ。これまで気絶してたのかじっと動かなかったが……あの時確かにおまえ、光ったよな?
てか、おいおい。おれは彼女になんもしねえよ。え? 妬いてんのか? はっ? 変なやつ……。
キナがポケットから飛び出してプイッと顔を背けて奥の部屋へ走っていった時、眠る彼女の腕がピクリと動いた。
「お、おい!」
次の瞬間火花が飛ぶほどおれは彼女からの平手打ちをくらった。頬を砕かれるほど。
「い、痛えーーっ!!」
彼女は目をつり上げ掴みかかる。
「き、キサマっ! わたしに何をした?!」
「なななにもしてねえーーよぉーー! おれはただキミのことが心配で、介抱してあげようと」
「いらぬっ! わたしはヒトがキライだ! 男というものは特にな!!」
「そぉーんな言い方」
「離れろっ! いつまで触ってる!」
「わかった。ちょ、ちょっと待て……」
と、おれはヨボヨボと尻と手をついて移動する。ほんとに腰が痛い。
そしてどうやら彼女もけっこう体を痛めているようだ。同じような体勢で彼女も立てないまま距離をとり、おれに訊く。
「ムライ・コナーだな?」
「あ。ああそうだが」
「おまえの頭にあるマシン回路を回収する。イコールおまえは〝死ぬ〟ということだ。今すぐ覚悟しろ」
「……は。……はあ?」
びっくりした。なんだこいつは。開いた口が塞がらんぞ。ずっと睨みつけてるし。ああ頬っぺたが痛い。それにまたおれに左手を向け狙いを定めてる。銃器なのか?
轢いてしまったことを謝る隙もなく、彼女は澄んだ声で冷酷に言った。
「考えたことあるか? ある日突然訪れる死を」
「……え、ええ?」
そこで加わる第三者の声。
「ちょっと待ったーーっ!! やめんかおまえらあっ!!」
現れたのはここの主、ポー・クアーズ医師。
六十歳過ぎでも筋骨隆々、ヤクザちっくで風変わりな町医者だ。
声がデカくて破天荒だけど、おれが誰よりも気を許せる相手でもある。
その肩にのってる(先生を起こしに行った)キナがまたおれのところに戻ってくる。
「あ。ポー先生、おはようございまーす!」
と、おれの挨拶に先生はガン見で返し、また怒鳴った。
「ムライおまえ、ここで何やってんだ?!」
ポー先生はまだパジャマにガウン姿。いつも突っ立ててる髪も寝癖で暴れてる。掛け時計を見ると五時。早朝だ。あれからどれだけ時間が経ったんだ?
ポー先生は腫れぼったい目をこすり、額の丸渕眼鏡を下げて歩み寄り、彼女に手を伸ばして言う。
「お嬢ちゃん。わしんとこで喧嘩は御法度だ。そのゴツい左手を引っ込めるんだ。ほら」
座したまま構える彼女だが、体の節々からは細く煙を立てている。口を噤んだままの彼女にポー先生は頭を掻いた。
「……ったく。てかおまえら不法侵入だぞ。しかもこんな朝方に」
「すみません……」
「説明しろムライ。おまえあれからどこ行って、ここへ突然現れたんだ? 高速道路で事故って姿を消して」
「え?」
そこで「うるさい!」と彼女が声を張り上げた。
「……もうそれ以上大きな声出さないでくれ。非常に不快だ」
そう言って頭を抱え、バタリと伏せた。
「キミ!」
ポー先生は倒れた彼女を直ちにベッドに運んだ。鍛えてるポー先生は軽々と持ち上げた。
気を失い、死んだように眠る彼女に毛布をかけ、椅子に腰掛けしばらく見つめた。
この子はどこから来たのか。
いったいどんな人生を歩んできたんだろう。
たとえば何らかの組織がこんなふうに彼女を育てたのか。
それともほんとに精巧なアンドロイド? まさか……。
傍らの先生はおれに訊いた。
「ニュースで見たぞ。コノミー・ロジスティックのホバー・カーゴ車運転手、ムライ・コナー三十五歳が謎の事故後、消息不明。道路交通法違反の刑罰を怖れて逃走か? って。 昨日の午前十時三十分」
「昨日のニュース? ……え、マジっすか」
「あれこれ記事を読んだが高速は落下物処理で封鎖後、おまえ一人とり残され、走ってたということか? 行き交う車はなかったという。その落下物に衝突したのか? 監視カメラは故障で作動してなかったらしいし。まったく腑に落ちん」
記憶がじわりと蘇ってくる。
「ち、違う! おれはまず、煽られ、狙われた! 黒のワゴンに乗ったダン・クリーガーに!」
おれは潔白を訴える。彼女を轢いたのは間違いないが。……なのにダンのことなど記事にないと言う。ポー先生が玄関ポストからとった朝刊と録画したニュースを見せてくれた。
「その〝ダン・クリーガー〟って何者だ?」
そう言ってポー先生は検尿コップに冷えたミネラルウォーターを注いで、鼻息の荒いおれに渡した。
「……中央特務機関の工作員」
「はあ? おまえいったい、何しでかしたんだ」
「何もしてないよ! 奴は……古い……ちょっとした知り合いさ」
おれはあの瞬間を何度も思い返していた。
あの時ダンのことを鮮明に思い出した……。
何故奴のことを知ってるか。
そう。おれも……奴と同じ〝工作員〟だったからだ。
それは国家の秘密工作員。
奴と行動を共にし、上の命令通りに動いていた。
そこだけは思い出せる。
でもどうして今こうなっているのか覚えてない。普通に引退して堅気になったんだっけ? ポー先生に拾われたのはもちろん覚えているけど。
……狙われた時、自ずと何かを口ずさんでスイッチが入った。あの感覚……。車や武器の情報が光のように飛び込んできた。十五年前のダンのことが蘇った。そして何故奴はおれを狙ってる? ……今も疼くこの頭の痛み。彼女は『おまえの頭にあるマシン回路を回収する』と言った。
まさか、ダンも彼女と同じ狙いで……。
ポー先生にどこまで話したらいいのか――。
「まぁ、いい。ところでムライよ。そろそろ検査受けに来い。退院してもう五ヶ月はなる」
ポー先生が腹筋台に腰掛けてダンベル持ちながら言う。
「……あ、はい。でも全然元気っすよ」
「過信するな。体力だけはありますって感じだが原因不明が一番怖い。自分の身体にだけは真面目になれ」
「……はーい」
ボソリと返事するおれに先生は舌打ちする。
しかし何故、おれはここに? どうやって来たんだ。ダンもどこへ消えた。
様々な疑問が渦巻く。そろそろ気が変になりそうだ。
「ああそういえば、ムライ。一昨日変な男がおまえのことを訊いてきた。ムライ・コナーを大学病院に紹介したのはあなたかと」
「え?」
「そうだと答えたが、そいつはおまえの住まいや交友関係いろいろ訊いてきたんで、わしはなんも知らんと返したぞ」
「おれのことを?」
「ああ。なーんか怪しかったんでな。後輩のツネダ……おまえの主治医……あいつに訊いたらどうやらMRIのデータからおまえのことを」
「先生! なんでそれ早く言わないの!」
「ああごめん」
「その怪しい男って左頬に傷のある、髪をオールバックにした奴じゃ?」
「おお正解」
「だぁー!」
ポー先生はすでに寝そべってダンベルプレスをやめないまま励んでる。
なんて医者だ。脳筋闇医者め。でもおれのこと、個人情報とか余計なこと言わなかったのはえらい。まあよく通うラーメン屋とか好きなアイドル歌手とか、大した情報はないけど。
先生はこめかみや上腕二頭筋の血管をパンパンに浮き上がらせハァーハァー言いながら、やがてムクリと起き上がって細い目でおれを睨んだ。
「やっといい案が浮かんだ」
……たしかに。先生は煮詰まった時もしきりに筋トレする。
「ドクター・プラテンのとこへ行け」
「え? だ、誰ですそれ。ドクター・プラテン……?」
「ザ! マッド・サイエンティスト!」
「……ええっ?!」
ベッドで横になっている彼女を切なそうに見て、ポー先生は言った。
「あの子を診てもらえるよう、わしから電話しとく。あの子を治せるのは奇妙奇天烈な天才科学者、〝ドク〟プラテン博士しかいない」
なんかごめん、ポー先生。
いつも迷惑かけてすみません。ん? ……ということはこの流れだと先生のスーパーカーを借りれるわけ? なんちって。
次回、『ムライ・コナーの記憶』。
お楽しみに!