第2話 カイジング・ギュルコ
わたしはギュルコ。
この星を旅する哀しき械奇族。
血の精霊とともに夕闇に降り立つ女。
涸れた大地を、朽ちた樹海を、凍える町をひとり行く。
癒やされたいと今は心に秘めながら。
復讐と怒り、殺戮と追跡の日々から疲れてしまった。
しかし容赦なく、夜の慟哭はわたしを急きたてる。
切り立った崖に立ち、宇宙に伸ばした両手を大きく広げ、愛しき人を待っている。
愛しき人。祖母よ。
あなたの声を待っている。
あなたに抱かれた安らぎを待っている。
育つ場所を選ぶ野の花のように、あてを求めてさまよいながらわたしの話をしよう。
美しさが失われたところで生まれた、わたしの話を。
* * *
わたしが二歳の時、両親が病気で亡くなって、それからは祖母がわたしを育ててくれた。
祖母の手はあたたかく、いつも甘い匂いがしていた。
小さく痩せていても、丸い背中はやわらかかった。
深く窪んだ眼窩に青い瞳、いつも笑みをたたえた頬、細かい皺に刻まれた薄桃色の指先、ひとつに結んだしなやかな長い白髪。
老けても整った目鼻立ちは若い頃の美貌を想像させた。
じゃがいもと玉ねぎと鶏肉の煮物を作ってよく食べさせてくれた。
手打ちのお蕎麦に炒めた大根をのせるのが「ばあば」流。
「ばあば、おそばおいちい!」
「おほほ。そうかい? なるべく細く切ったけど、太いのがあったらばあばのお椀に入れなさい」
「だいじょぶよー。だいこんもやわらかくてすきー!」
「うれしいよ。よくかんでゆっくり食べるんだよ」
「うん。ばあばのにおいもすきー!」
と、わたしは祖母の着物の袖口に鼻を当てる。祖母はわたしの背中をさすって言い当てた。
「おしょう油とお砂糖かね? ばあばのお母さんもそのまたお母さんも、こんな匂いだったよ。うんうん」
内職で忙しくても時間を作って遊んでくれた。
石段を上り山へ一緒にお墓参りに行ったのも覚えている。
シロツメクサを摘んで花の冠を作ってくれた。それを習ったり、四つ葉のクローバーも探したりした。
疲れた足を二人、縁側へ投げ出す。そしてばあばの足の爪を切ってあげた。
黒くて曲がった足の爪。指も、畑仕事ばかりで踏ん張って曲がってしまったのだと言う。
わたしが七歳になってもいつまでもオモチャのガラガラで機嫌をとってくれた。その鈴の音を聞くとわたしは癒やされた。
緑豊かで温かく平和な時間がいつまでも続くものと思っていたのに、突然やってきた地獄。地を揺るがす空爆。
ある日、隣りの大国が圧倒的な武力で我が国へ侵攻し、都心部を占拠した。
敵兵が町に、わたしの村になだれ込み、制圧した。
村のほとんどの家は爆撃を受け、住む場所を失った。
村長や残された人たちと牛舎で何年か暮らした。
敵の監視の目に怯え、わたしは毎日祖母の胸元にしがみつく。
「外国へ逃げよう、ぎゅるちゃん。手紙を書いたんだ。ばあばと親戚のところへ行こう」
そう言って祖母はわたしの手を引いた。
「村長さんがここを抜け出る手筈を整えてくれた。何人かと夜に山を越えて貨物列車に乗りこもう」
前よりもっと痩せた手と、震えて潤んだ目を見てわたしはうなずいた。
「なかないでばあば。ぎゅるがいるから」
夜、仲間の村人五人と息を殺し草木をかき分けて鉄条網を越えた。
線路が見えてきた辺りで暗闇から伸びた太い手がばあばの肩を掴んだ。
「婆さん。ガキを連れてどこへ行く」
「ひ、ひぃっ! たっ、たすけておくれ!」
燻んだ街路灯に照らされる、それは敵兵の大男。野獣のように汚れた歯をむき出して。その連れのヘルメットを被った三人も木の影から顔を出す。
頬がこけ、よだれを垂らした飢えた兵隊たち。祖母はわたしをローブに隠すが大男に頭を殴られた。
引き返してきた仲間の大人たちは銃で撃たれ、逃げた人たちも追われて殺された。
わたしは怖くて、でも声を絞り出して必死に倒れた祖母を呼ぶ。
「ばあば! ばあばっ!!」
痙攣する祖母の顔が血で染まってゆく。
その時巻き起こる赤い砂埃。動転した虫たちが舞い、木の枝から蛇が大男の肩に落ちてくる。
「なんだチキショウッ!」
うろたえて蛇を振り払う大男の足に祖母がしがみつき、叫んだ。
「たすけて、この子をたすけておくれよ!」
「ええい、放せっ! このババア!!」
大男は暴れ、銃を振りかざし、祖母を……。
……わたしの目の前で。
それからのことは、半分気を失って覚えていない。
大男の狂った笑い声が焼きついた。
「ハーッ! ハッハ! 来いっおまえっ!」
目を被う土煙の中、奴はそう言ってわたしの腕を掴み、山小屋まで引きずって行った。
* * *
その時の意識は半分、わたしの中の遠い次元から、体内の宇宙から、滲むような〝内なる声〟が雨の雫のように脳裏に響いていた。
切り裂かれる痛み、噛みつかれる恐怖と錯乱。大男たちに四肢をもがれたわたしは芋虫のように床に転がされ、最後には山小屋ごと焼かれた。
一人残されたわたしはそれでも生きていた。内なる声が魂を突き上げ、傷ついた肉体を何度も何度も蘇生させる。ちぎられても食われても、人智を超えた細胞の力で蘇ろうとする。
内なる声は闇の奥から愛おしげに呼びかける。黒焦げのわたしは朦朧と応えた。
《キミを死なせはしない》
《……だれ? ……あなたは……》
《ソルバ。 時を超えてやってきた》
《時を……》
《……キミよ。愛しきギュルコ……。キミは一人じゃない。ソルバとひとつだ……》
《……ひとつ……ソルバと……》
《……選ばれし械奇族の戦士……『カイジング』となれ……》
《……かいじん……》
《まだ幼いキミを死なせたりはしない。まずは取り戻すのだ。キミの身体を……!》
《わたしの……身体》
《導く者がいる。同じような仲間がキミを待っている……》
焼け野原からゴロゴロと転がり、草むらを這い、顎や腹に傷を負いながらわたしは前へ進んだ。
兵隊たちはいない。鬼のような男たちは消え失せていた。
それよりも祖母の居場所を確かめるために急いだ。線路近くのその場所へ。
泥にまみれて喚きながらたどり着いた時、わたしはまた夢を見せられる。
目の前に、一人の女が立っていた。紫の民族服を纏う美しい女が。
その腕には、死んだ祖母が抱かれていた。
彼女はわたしを見て言った。
「お嬢ちゃん。あなたのお婆ちゃんはわたしが埋葬します。今のあなたには無理でしょう」
赤い光に包まれ安らかに眠る祖母を見て安心したのか、そこでわたしはまた意識を失った。
* * *
やがて陣地にたどり着いた敵兵たち。その腹を食い破るわたしの腕。わたしの足。
それらは飼い慣らされた生き物が役目を果たしたかのように健気にわたしのもとへ帰ってきた。
得体の知れない力に包まれ、指を使って土を蹴って。
わたしは四肢を取り戻し、すらりと背を伸ばして立ち上がった。
最期の光景に焼きついた、蛇のイメージを身体に宿して。
そして目を凝らして、薄靄に浮かぶ祖母の墓石にキスをした。
全人類を殲滅する勢いで暴れたが、やがて内なる声〝ソルバ〟に身を委ねた。
報われない魂から蘇生した械奇族の〝戦士=カイジング〟を束ねる、新たな指導者ソルバのために。
ソルバ様こそ失った身体を取り戻そうとしていた。
彼に救けられたわたしがそのために働くのは当たり前で、愛を持って彼に尽くした。
百幾つものヒトの体からソルバ様の一部=〝マシン回路〟を奪還した。
しかし先は見えない。この密命はまだまだ続くだろう……。
わたしはギュルコ。
カイジング・ギュルコ。
この星を旅する哀しき械奇族。
血の精霊とともに夕闇に降り立つ女。
涸れた大地を、朽ちた樹海を、凍える町をひとり行く。
冷淡で怪しい白い蛇のような身体で。
復讐と怒り、殺戮と追跡の日々から解放されたいと心に秘めながら。
* * *
……そして、現在。
わたしの(前髪を模した)ウロコカウル内のスクリーンが映し出したのは〝ムライ・コナー〟という男。
亡霊網からの情報にいつも助けられる。誰よりも早く奴を捜し当てた。
今その男はスティールプレイト市からホバー・カーゴ車で高速道路を移動中。
ムライの頭にあるマシン回路こそソルバ様復活のために最も肝心な要素=〝核〟となる部分だという。
「……ヘッド・ストレート・トゥ・ヘルズゲート・・ギュルコ……」
械奇文を唱え、さらに超越した力を地獄の門から授かる。左腕のラトルブレイクが振動する。
座標を確認し、そこを走ってくるムライの前方に立ち、照準を定める。真っ向迎え討つ算段で。
やがてカーゴ車が見えてくる。ワゴンと並走して。
左手を伸ばすと、カーゴ車の運転席内が突然虹色の光を放った。まるでシールドを張るように。
奴はすでに力に目覚めているのか? 未だ眠っていると聞いていたが……。防御力の強さに竦んでしまう。
「なに? 奴の波動が二つ? いや、あのワゴンからも感じる!」
そしてわたしとムライは眩く衝突し、時空を超えた――。
わたしはギュルコ。標的であるムライ・コナーとぶつかり、時の間を超えた。
光と闇に翻弄されながらも聞こえてくるのは愛しき祖母の声。
「ぎゅるちゃん。大丈夫よ、ばあばがいるから」
次回、『ムライ・コナーの逃走』
「ヘッド・ストレート・トゥ・ヘルズゲート・ギュルコ!」




