第15話 ムライ・コナーの中のソルバ王
ヘッドライトが照らす道。
エアコンの温風がおれの頬をなだめていた。
朦朧とシートに背を預け、痛みを噛みしめる。
膝の上には淡い光を放つキナがいる。
また力を発動しておれを癒やしてくれたらしい。……心配かけて……ごめんな。
そして目でたどるとマグナビークルを運転しているギュルちゃんの姿が。その側頭部と腕からうねるように伸びた配線コードやチューブがビークルと繋がっている。
山間のハイウェイを飛ばしてる。
先を急ぐ彼女の鼓動が伝わってくる。
しびれていた口ももう動かせるがしばらくこのまま静かにしておこう。
おれの脳裏に一人の男が映し出される。
大きな背の、穏やかに潤む瞳を湛えた男。
それはおれの身体に宿った械奇族のソルバ――まだヒトだった頃――〝ムライ・コナー〟の姿だ。
彼が歩くのは蕎麦の花が雪原のように煌めく大地。
彼はその小国ソルバの王で、風と土に祈る信心深い民を愛していた。
ある時疫病が蔓延し、百万の民が倒れた。
彼も命を落とし、国はたちまち壊滅した。
死んでも死にきれないソルバ王の霊魂はさまよい、やがて疫病の真実を知る。
その正体はこの大国ナモンの細菌兵器だった。
彼の悲しみと憎悪は赤い砂塵を巻き起こす。
美しき民を失い、肥沃な大地を奪われ、ダストボウルのように彼の怒りは膨張していった。
むしり取られた純白の心の原野を咽び泣くように舞い上がる。
レッドダストはやがてヴィールスと化し、ヒトの歪んだ心を食い潰し、邪悪な魂を炙り出した。
かつてのソルバ国王ムライ・コナー十三世は械奇族のソルバとして蘇った。
悪しきヒト族への復讐を掲げて……。
――おれは打ち震え、思わず涙していた。
気がつくと運転しているギュルちゃんがおれに左手を伸ばしていた。
「……大丈夫か? ムライ」
「……え? ……」
「おい。しっかりしろ」
「あ、はい……あ、ごめん。おれ、なんか夢見ちゃってて」
「……泣くやつがあるか」
そのギュルちゃんの言葉は憂いに満ちていた。これが慈しみというものか。
軽く、おれの手の甲に触れ、またコードを整えて前を向く。
だいぶ癒えたなと彼女は言い、おれもありがとうとうなずいた。
しばらく黙ったまま暗闇を突っ走る――おれはふと首を傾げた。
「……ギュルちゃんこの道は……南東というか、南の方へ向かうよ。もしかして間違ってない?」
「いや。あってる。南へ向かってる」
「え?」
「南へ。アシュリの地へ」
「え、その……セメタリー」
「そこへは行かない。おまえは〝約束の地〟アシュリへ運ぶ」
「な、なんで? えー、どうして?」
「……そこは昔ドドちゃんが教えてくれた我々械奇族の隠れ里だ」
「隠れ里……アシュリ」
「実はわたしも行ったことがない。……とにかく。その大自然でひっそりと、おまえとキナは暮らせばいい」
おれは空いた口が塞がらなかった。
ギュルちゃんこそ大丈夫か? 正気か?
そんなことしたら……ソルバの意に反して……大きな仕打ちが。
「な、何言ってんだよギュルちゃん」
「本気だ。わたしはおまえを助けたい。助けたくなった」
「えー」
「わたしのことなら大丈夫だ。おまえが回収したブル・ターコイズのマシン回路をおまえのモノとして献上する」
「そんな、バレない? 献上って、どういうカタチで?」
「セメタリーに行って司祭としてのドドちゃんに渡すだけだ。心配するな。うまくやる」
淡々と語る彼女だが、不安も滲んでる。
おれはものすごく心苦しくなった。
「でもソルバ復活の目的は」と訊くと、
「回路が全部揃わないわけだから、それは達成できない。……悪しきヒト族への鉄槌はわたしが下す。我々カイジングが引き継ぐ。ソルバ様の力には及ばなくても……それでいいだろ」
『悪しきヒト族への鉄槌』。おれには、彼女はもうそれさえも望んでいないように感じていた。
初めて出会った時から、彼女は身体も心も疲弊していた気がする。
《彼女におれは狩れない》と直感したのも確かだ。ただ彼女の真っ直ぐで不器用そうな心がおれを意地でも連れ出した。そしておれも次第に彼女の力になりたいという奇妙な考えに変わった……。
ギュルちゃんに鞭で繋がれている時、彼女の過去の記憶が断片的にこぼれ落ちるようにおれの心に入り込んできた。
このヒトの世の地獄を、彼女は知っている……。
「……ギュルちゃん。じゃあさ、キミもそこでいっしょに暮らそう」
「ば、バカ言うな。なんでおまえなんかと」
「もーう。イジワル」
少し沈黙があってギュルちゃんはおれに訊いてきた。
「……おまえ……さっき、ターコイズに、『死んでも、おれも生かしてくれる』とか言ってたな。あれはどういう意味だ?」
うむ。おれは指を顎に当て考えた。
「そう……だな。もし、ソルバに身を捧げておれが死んだとしても、ソルバとともに生きてゆく。そして同じようにおれはキミの心の中で生き続ける。みたいな……、ニュアンス。……ただ」
「? ただ?」
「咄嗟に口走って、自分の気持ちだけ言って、キナのことをまるで考えてなかった。……でも、《キミはおれを狩れない》というのが正直、最初の、おれの直感だった。だから……」
そうおれが口籠ると、ギュルちゃんは唇を噛みしめボソリと言った。
「……ムライがわたしを惑わした」
深夜にアシュリに着く。
真っ暗だからせっかくの風光明媚と名高い港町をまともに拝めないのが残念だ。
商店や雑貨屋の街道を抜け、湿っぽいあばら屋の前にマグナビークルDMC13を停める。
見上げる断崖。高原へ行くには千の石段を登るという。おれは思わず苦笑いだ。
「道路。ないんだ」
「わたしがおまえをテレポートさせる。最初から術を使うには座標が不確かだった。ここからならうまくやれる」
「? ていうか……(おまえを)って」
「おまえとは、ここでお別れだ」
「うそ、ここで? そんな、急に、寂しいじゃん!」
「……とりあえず赤い髑髏のポストの家を訪ねろ」
「えー? そんな言われてもわかんないよ。夜中だしおれ絶対迷う」
おれは眉を八の字に。ギュルちゃんも同じように八の字に。
「……じゃ、じゃあ、わかった。おまえにはいろいろ助けてもらった恩もあるからな」
「よっし、決まり! 行こう、いっしょに」
「……うむ。それでは、行こう」
静かに上を見上げるギュルちゃん。彼女は左手をそっとおれの右手に重ねた。
「……ヘッド・ストレート・トゥ・ヘルズゲート・・ギュ」
詠唱の最中、突然辺りが照らされる。
幽霊のように音もなく現れたのは――《CSAの新型機動車両PMVグランドブッシュ》。
重力タービンで宙に浮く五両の装甲車がおれとギュルちゃんを瞬く間に包囲した。
隊長機の拡声器からの冷徹な響きがサーチライトとともにおれたちを制圧した。
「きみたちは包囲されている。ムライ・コナー『リュウジ』。中央へ帰還せよ。そして〝カイジング〟・ギュルコ。今後我々組織への協力を要請する」
さらに上空から銀色の翅を羽ばたかせて降りてくる者――それはダン・クリーガー。
「ダン! おまえ!」
着地したダンは歩み寄り、甲虫の如く黒光りするボディと顔を向け、歯を剥き出した。
「はるか上空をつけてきたんだよリュウジ。いったいどこへ向かうのか。そのギュルコがおまえを、セメタリーではなくどこへ連れてゆくのか検討もつかなかった。教えろ。このアシュリの地に何があるんだ?」
「聞いてどうするダン。それよかおまえもCSAを抜けろ。おれたちが争うなんて馬鹿げてる」
おれがそう言い放った時、
「・・ルコ」
ギュルちゃんの声がおれの耳に届いた。
械奇文を詠み終え、光とともに空間移動への〝門〟が目の前に開く。しかし彼女はおれの手を離し、突き飛ばすようにおれだけを行かせようとした。
「ギュルちゃん! 何を!」
「行け! 上には、必ず味方がいる!」
「いっしょに」
「ここは任せろ!」
目を見開くダンは腕の二本の大鎌ブレイズ・サイスを投げつけた。
「行かせるかっ!」
一本は光で弾くが、もう一本は回転を保ってギュルちゃんの肩を襲った!
「くっ!」
なんとか躱し、膝をつくギュルちゃん。おれはなす術もなく光に包まれ、空間を超えようとしている。
「ギュルちゃん!」
「無事を祈ってる、ムライ!」
消えゆく眼前、おれは震撼した。
彼女に向けられるPMVグランドブッシュからの一斉砲火に――。
アシュリの高原へ飛ばされたおれになす術はないのか?! ソルバよ、力をくれ! おれはギュルちゃんを救けたい! おれの邪魔をするなダン! そして現わる、カイジング・ドド。
次回、『ドド降臨。さらばムライ・コナー』
ギュルちゃんの師匠か……ちょっと怖そう。




