第12話 ムライ・コナーの重力落とし返し
何時間も走ってそろそろ休憩したくなってきた。やっぱり年齢を感じる。おれは声をかけた。
「ギュルちゃん、ずっとさぁー、あんなこんながあって、身体がってゆうか、細胞が走りっぱなしって感じ。ずっと揺れてる感じだよ。疲れきる前にどっかで休もうよ」
「……いいだろう」
「この辺りも仕事で来たことがある。近くにレストランがあるんだ」
午後八時。
街はずれの老舗のレストランにマグナビークルを停め、おれたちは中へ入った。
オレンジ色の落ち着いた照明にまばらな客。静かでしばらくゆっくりできそうだ。
十ほどあるテーブル席の窓際の一つに向かい合わせで座り、おれはコーヒーを、ギュルちゃんはおれの勧めでミルクティーをたのんだ。
ギュルちゃんは完全にトレース機能を活かして、流れるような髪と黒いトレンチコート姿でスラリと美しい。俺はボサ髪でヤボったい見た目だが。
夜は寒いから温まってほしい。確かここのポトフは絶品だった。
彼女はメニュー表を長い時間見つめた後、言った。
「ラーメンはないのか?」
「……洋食屋だからなここ。ちょっと、ないな。ふふ、ラーメン気に入った? でもここにはないから麺類のこのスープパスタとか」
「うむ。じゃあそれでいい」
「普段なに食べるの? 好きなものは?」
「我々は械奇族だ。情念の粉塵を糧にしている。ただヒトの名残りで〝食事〟を楽しみたい時もある。消えない癖みたいなものだ」
「……うーん。そうか。まあ、おれも『ヒトの名残り』があるようなものだな。いずれソルバに支配され、ムライもリュウジも消えるのだから」
ギュルちゃんはじっとおれを見つめた。
「ムライ。そんなに悲しい顔をするな」
意外にも励まされた。
いかんいかん。しっかりしろ、おれ。
「ごめん。気を遣わせたね」
料理をたのんで先に飲み物を口にしながら待っていると、今訪れた客が近くの席に座った。
赤ん坊を抱いた女性。着物姿の白髪の女性だ。やがて赤ん坊が泣き出した。
「ンン……オンギャア! オンギャアア!!」
と、次第に声が大きくなる。
「オンギャアア!! ……ンギャアアアア!!」
痛烈に耳に響く声、懸命にあやす母親。いやそれともお婆さまだろうか。
「おー、ヨシヨシ、いい子だヨシヨシ」
「ンギャアッ! オゥンギャアァアァアーー!!」
「ヨシヨシ、いい子だよ〜」
「ギャアアアアッ!!」
泣き止まない。お婆さまは困り果てた様子。
ギュルちゃんとおれが同時に立った。
「待ってギュルちゃん。おれが行くよ。キナの方、見ててくれ」
包帯に巻かれたキナを彼女の手元に預け、おれはお婆さまに声をかけた。
「こんばんは。ぼくが笑わかせましょうか?」
「へ?」
「変顔で。こんなん、どうでしょう」
と、おれは思いっきりヒョットコ顔を作って見せた。黒目を左斜め上、尖らせた口は右斜め下に超絶振り切らせて鼻の穴おっぴろげ、そのままドジョウすくいを踊って見せるーーん〜〜ーーでも笑わない。
赤ん坊は意地悪なくらいに無表情。頑固そうな眉間と出っ歯を尖らせてジロリと、こちらを睨んでる。
うむ。こんなはずでは。しかしなんとも険しいこの子の面構え。
お婆さまは口を押さえて少しだけウケてくれたが、頭を下げておれに言った。
「あー、この子ねえ、そういうのよりおんぶが好きなのよ〜。あたしゃ背中を痛めててね。あなたみたいなガッチリした男の人だと、安心してこの子喜ぶわぁー」
ギョロリとした目と肉厚の唇のお婆さまはそう言ってうなずき、立ち上がって赤ん坊をおれの背中に。おれは調子よく揺すってあげる。
「おー、ヨチヨチ」
「あら上手ねえ、お兄さん」
手を叩いて喜ぶお婆さま。おれは照れながらどうにか赤ん坊の笑顔を見ようとする。
「オオオ、オンギャアアアアッ!!」
「おー、ごめんごめん、もっとだね〜もっと」
「オンギャア!」
赤ん坊の声が急に野太くなった次の瞬間――ズシリ。あり得ないほどズッシリと、その子の体重が重くなった。
え?!
「……ぅ、そだろ?」
背中の赤ん坊が十キロ、二十、三十……キロ、いや、もっと、もっと、重くなってゆく。
ギュルちゃんが立ち上がって叫んだ。
「ムライ! そいつは〝子泣き爺ィ〟のナキオだ! カイジング・ナキオ! そしてその婆さまはスナコ、〝砂かけ〟スナコだ!」
「え?」
ナキオの右目が赤く光り、光条とともにさらに重くなる。じわじわと体を大きくしたナキオが耳元で囁いた。
「ムライのにいさん。おまえはワシたちが回収するギャ」
「……くっ、ちょっと」
「ワシからは逃れられんぞ。ワシの『重力落とし』から逃れた者は誰もいないギャア」
「……ヘッド・ストレート・トゥ・ヘルズゲート・・ソルバ……」
械奇文が口から出て、踏ん張るおれの足先、古びた木の床がバリバリと割れてゆく。のしかかるナキオの体重。丸く光を放ちながらズンズン床下へ沈んでゆく。
「くっそ、重てえ!」
背骨が折れそうだ。百……いや二百キロは越えたかもしれない。まるでヘビー級スモウレスラーを背負ってる。械奇化したおれでも敵わない。レストランもフロアから破壊されてめちゃめちゃになっていった。
「ハーーッハッハ! どうだムライ、ワシの重力操作は! オンギャアッハッハ!」
「こんのやろうっ!」
床を突き抜け地表に、そして地中へと沈んでゆくおれに手を差し伸べるギュルちゃん。そこへスナコが強烈な砂竜巻を浴びせる。
「邪魔はさせないよ小娘!」
「きゃああっ!」
「あんたなんかにゃ負けないよ」
ナキオを守るためのスナコの攻撃。婆さんも必死だった。情愛が渦巻いてる。夫婦なのだろうか。
秒刻みで負荷がかかる。全く隙がない。
轟轟と押されてゆくおれは、それでもナキオの両足を放さなかった。
「降参しておとなしくワシと来い。おまえをセメタリーへ連れて行き、ソルバ様を復活させ、幹部にしてもらうのギャ」
「幹部?」
「そう。ソルバ様率いるカイジング組織の幹部よ。全ヒト族滅亡を掲げる地獄組織のな!」
「……うん。そりゃあ、わかるぜ。おまえ……つらかったんだな。寂しかったんだな」
「は? な、何を突然言い出すギャ」
「おれのビジョンにおまえの赤ん坊の頃が映ったんだよ。大昔、乳飲み子だったおまえは母親に捨てられ、土に埋められた。嫁さんのスナコも同じように砂に埋められた。なんて酷いことを……」
「お、おまえにワシたちの惨めさがどれだけわかるっていうんギャ!」
「わかるさ。おれだって捨て子。親に捨てられ、そこの村人に育てられた。本当の親に見捨てられた気持ちはわかる。おまえたちほどではないにしても」
「わかるわけない! ワシと嫁のスナコはこの世で最も酷い仕打ちを受けた。産まれてすぐ生き埋めにされたんだぞ。ヒトの争いの中で! 産まれた直後に踏み潰され、頭蓋を割られ、骨を砕かれたんだ! 全部大人たちの勝手な都合で!」
「おれも。心のどこかではそんなヒトの世はなくなればいいと思う。……でも、な。善く生きようとする魂も確かにいるんだ」
「何をこんちくしょう! ワシは許せないんだ、絶対に!」
「許せなくていい。でも、見つめることはできないか。そういう奴らを、見張ることは。おまえのその啜り泣くような声にも情けが滲んでる。ただ殺して殺戮を繰り返して気が済むおまえじゃないだろう? おれはおまえを知った以上、おまえにも寄り添う。話せよ、なんでも。スナコさんも、そんなに寂しいなら、誰もいなくても、おれがいるよ。おれだけはいる。おれに話しに来いよ!」
おれはつい激情にかられて声を荒らげていた。
ハッとしたナキオに、僅かに隙ができた。
おれは赤い砂塵を呼び、足元に反重力場を作り上げた。
地殻まで達したナキオの『重力落とし』を返してゆく。ナキオが重くなるほどナキオは逆に苦しむ。そしておれは地表へ戻され、そのまま一気に背中のナキオを空へ弾き飛ばした。
「ナキオッ!」
ギュルちゃんへの砂攻撃を止め、嫁のスナコが中空に躍り出たナキオを呼んだ。
「ナキオーーッ!」
くるくると空に舞う彼を、跳んでキャッチするスナコ。彼女は着地して弱ったナキオを休ませた。
そして再び砂と砂利とセメントと水を操り、おれとギュルちゃんを襲った。
「二人ともコンクリートで固めてセメタリー送りだ!」
ラトルブレイクでそれらを粉砕するギュルちゃん。おれもファングセイバーを構えた。
「やめるんギャ、スナコ。もうやめよう……」
耳に届けられる啜り泣き。それはうずくまるナキオの声だった。
スナコは驚き、困惑の奇声を発しながら攻撃の手を止めた。
「お、おまえさんどうして?!」
「……どうやら。ワシたちには敵わん。この方の力にも、心にも」
「そんな……あたしゃどうすりゃいいのさ」
「帰ろうスナコ。おまえが戦うのも、本当はあまり見たくはないんだ」
スナコはまた赤ん坊サイズに小さくなったナキオを抱きかかえた。そして黙って背を向け去ってゆく。
おれはほとんど衝動で、手を伸ばして二人に言った。
「おれがいるからさ! いつでも話そう! ナキオも、スナコさんも!」
ムライ・コナーだ。おれはナキオの出生からこれまでを知った。知ってしまったら、戦うなんてできない。話そうぜ、語ろうぜって気持ちになった。彼の生きてきたストーリー、彼の物語を自分のことのように思う。スナコさんもいっしょ。いっしょにお茶しながらまた話をしよう。
次回、『CSAのブル・ターコイズ』
その男は死刑を宣告された男だという……。




