第1話 ムライ・コナーの憂鬱
その昔、ヒトの報われない情念の粒子がダストボウルの如く世界中に吹き荒れた……。
おれは夢を見た。
空は紫紺に染まっていた。
おれは十字路に立ち、はるか地平線を睨んでいた。
息を呑むような静寂から一転、つま先に広がる大地がぐらりと波打ち、木々と崖が崩れてゆく。
感じる、せり上がる地表の鼓動。
この地は生きている。
バリバリと放電しながら宙に舞う岩石と土砂。
それは猛る火山のように眼前に聳え立つ。
赤く目を光らせるその巨大な械獣と、おれは対峙した。
その巨獣は告げた。
《この星はいずれ滅びる。争いが絶えない》
《……それでもおれには……守りたいものがある》
《食われるぞ。やつらに》
《やつらとは……我らの祖》
《……そう。おまえが止めるんだ。この先の運命はおまえの心に懸かっている》
《おれの……心》
《我々が争うのをやめなければ……》
《どうすればいい? どうすれば》
おれは怯えながらも両手を広げた。
渦巻く赤い砂塵に巨獣は声を轟かせた。
《信じて……跳べ》
* * *
午前四時。
朝起きて、ガウンの上に毛布を羽織りガスレンジに火を点ける。
こんな寒い朝に灯油が切れるとは。なんてついてない。
青白い火の輪を見つめながらインスタントコーヒーを啜る。
こういう時はコーンスープの方がとろみがあって温まる。
買い物にでも行こうかと余計に寒い懐をまさぐった。
冷え性かおまえは、女みてえだなと仕事仲間に言われたことがある。
女子に営業成績負けてるぞと言われたこともある。もっと悔しがれと。
……しかし。そう言う周りの男どもは、だいたい女を見下してる。
男ってのは昔からだいたい偉そうにしてる。
おれもいつだって優しくはなかった。
でもなんだかんだ、そんなあなたも女性から生まれてきたのよとシスターに諭され、おれは頭を垂れた。
そう。頭が上がんねえよ。おれにはできねえ。子供を産むなんて。
そうだろ? だからおれは女を尊敬する。男なんて、どこまでいっても小っぽけだ。
おれの名はムライ。ムライ・コナー。
運送会社に勤めてる。中型4tホバー・カーゴ車での食品配送業。三十五歳のしがないサラリーマン。
この仕事を長く続けられたのは運転が好きで、流れる景色とお届け物を受け取ったお客の笑顔を見るのが喜びだからだ。
そりゃあ配送途中のイザコザやアクシデントによる延着で客に悪態つかれることもあったがね。
もう客と喧嘩する歳でもなくなった。しかし仕事仲間はあれこれ言う。
「おまえさんも丸くなったな」
「はじめはもっとトんガってたのによムライ。なんか面白くねえな」
「男は拳で語ろうぞ! あれ? なんだよ素直にあやまりやがって。調子狂うなー」
ああ。冷めちまった。なんかこう、熱いもんが。
昔から身体だけは自信があったのに、そこ潰れちまうと自信失くすわけ。
そして配送にも出してもらえず毎日毎日構内清掃だけだとなんだか悲しくて仕方なくなるわけね。
「そろそろ上に文句言った方がいいんじゃね。おれを誰だと思ってる! おれはベテランドライバーだぞって」
「……やっぱり変わったなムライ。病気してから」
半年前、体調不良で入院した。吐血して検査受けて……だが原因不明。
入院後は特に悪くもならずにひと月ほどで元気に退院。
……うん。掃除ばかりだとしても、また働けるだけでありがたい。
食うため。この子を食わせるためにも。
おれはこのとおり独身だがこの子を養わなきゃなんない。
それは猿猫のキナのことだ。
かわいい珍種モンキャット。
ロールパンほどに小さくなれる少し不思議な相棒だ。
いつからいっしょにいるのか忘れたが、どこへ行くにもキナはいっしょだ。
お風呂とトイレ以外は、食事の時も寝る時も、テレビを観る時も仕事の時も肩にのってたり胸のポケットに入ってたり。
そう、入院した時だってバッグに忍びこんでて病室でおれの胸に飛びこみ、驚かせた。かなりの寂しがり屋だ。片時もおれと離れたくないらしい。
なかなかの食通でチャーシューが大好物だ。モンキャットフードなど缶詰の類はあまり好まない。
だからおれもたくさん稼がなきゃならない。
掃除が嫌いなわけじゃないが給料が激減してかなりイタイんだ。
生活水準を元に戻したいし正直転職も考えてる。
……キナは青い目で見つめて心配してくれる。
首を傾げて「キャオキャオ(元気?)」と訊く。
そう言ってるのが、おれにはわかるんだ。
* * *
星を取り巻く風が赤茶けた地表と黒鉄の都市スティールプレイトに吹きつける。
高速道路が交差する工業団地の一角に聳える細いビル、そこはコノミー・ロジスティック株式会社。
従業員三百名ほどの中流企業。それがおれの勤め先だ。
七時に欠伸をしながら点呼に並ぶと事務員のマイヤがクスッと笑って言った。
「うわー。でっかい口開けて、空気が薄くなる〜」
「ちゃんと寝たんだけどな。最近疲れやすくて」
「おはよ。寝るのにも体力いるって言うからね」
「おはよ。ああ。すっかりオッサンだし筋力も落ちる一方だよ」
「うんうん。まだまだカッコイイわよ。あんたには熟年のオーラがあって」
「はいはい」
「ほんとよぉ。そして少年ぽさも併せ持つ。どこか不思議な存在でとーっても興味深いわ」
そう言う厚化粧マイヤのウインクに苦笑いすると後ろのカーツに背中を小突かれた。いや、男たらしマイヤの誘いになんてのらないさ。
前へ進みアルコールチェックを済ませる。すると主任が眉をひそめて「ちょっと」と言う。
「部長がお呼びだムライ。すぐ来てくれと」
「え? おれを?」
「……ああ。今後のこと、だと思うが」
おお、いよいよ掃除夫から解放かとカーツたちが冷やかすが、期待はしない。嫌な予感しかしない。
何度も愚痴るが職場復帰してからのおれはカーゴ車にも乗れず、会社内を掃除する毎日。
はっきり言って戦力外通知を受けたわけだ。
会社側は「わかるよな。おまえの体を心配してのことなんだ」と言うが、おれはもうこの通りピンピンしてる。
病気して入院までした者に対する会社の目は思いのほか厳しかった。
原因不明の症状だから余計に疑いの目を向けられる。
産業医の権力を見せつけられた。あれからおれは信用されていない。
「今日から配送をまかす」
ちょび髭のアオノ部長はあっさり言った。
「へ?」
「もう平気だろ? 頼むぞ」
「……はい。てか、なんだか急ですね?」
「ああ、急だ。急病人続出だ。半年ほど前から蔓延し出したソウルバグ・ヴィールスだよ。まったく人手が足りなくなった。そういうことだ」
配車板を見ると五人も休んでる。流行りの感染症だそうだ。『無気力病』とか言われてる。
そりゃあ、おれの手も猫の手も、キナの手だって借りたいだろうさ。
複雑だが、おかげで外へ出られる。おれは胸元に潜ってるキナをポッケごしに撫でた。
「おまえも気をつけろよムライ。前ほど丈夫じゃないはずだ。しっかり予防しとけよ」
アオノ部長に大袈裟に敬礼しておれは手早く伝票をまとめ、バースへ急いだ。
ホバーユニットを点検し、荷物を積み込んで九時、出発だ。
高速道路を、まずは北へ百キロの街にあるディスカウントスーパーへ走らせる。半年ぶりに爽快に。
ハンドルを握る手は新人さんのように固くなってる。変に緊張しちゃってるおれは少しダサい。
肩にしがみついてるキナも笑ってるように見えた。
工業団地を抜け、街や民家が見えなくなり、山間の緩やかなカーブに入る。
行き交う車はまばらになってきた。というか、気づけばまるで貸し切り状態。一人走ってる。
まぁいいやとだいぶ運転の感覚を取り戻してラジオのチューニングをあわせた頃、ドアミラーに一台の黒いステーションワゴンが映り込んだ。
「……ん?」
そいつは猛スピードで接近、かと思いきや、おれの後ろを煽ってきた。
「なんだあ? あんのやろう」
片側二車線の高速。煽るワゴンは次におれの右側に貼りつくように並走する。
その助手席の開いた窓から見えたのは、こちらへ銃らしきものを向けるサングラスの男!!
「え?! ぅ……ソだろ!」
構えたまま男はおれに何かを訊く。鋭角に唸る風。
その一瞬おれはあり得ないほど冷静に目を見張り、この聴覚も研ぎ澄まされた。
《おまえがムライ・コナーか?》
奴の声! おれを狙ってる! ホントに撃つ気でいる!
95キロで並走しながらおれは自ずとなにかを口ずさんだ。
「……ヘッ……ストレー……ヘルゲー……ソル……」
《《……黒のワゴンはシボル・サーバンS8889。装甲五十ミリの中央特務機関の特殊車両。銃はコリムQ50マードックこれも工作員御用達の拳銃型麻酔銃。サングラスの男の名は……ダン・クリーガー。左頬の傷は十五年前の潜入任務時。好戦的で気の短い男……》》
って、おれ。なんでこんなんわかるんだ?
情報が光のようにおれの頭を駆け巡る。
《《……奴はおれを捕獲に来た……》》
え??
唸る向かい風の中、おれは目玉をギョロギョロ動かし、前と横を見ながらサーバンS8889との距離を計測する。
おれの頭の中でダン・クリーガーの含み笑いと威嚇の指先とのおれへ照準を合わせる目が映し出される。あの弾丸は粒子分解して窓を貫ける。
肩にいるキナが震えて暴れた。
「キナ! 引っこんでろ!」と引き下ろすと声を荒らげた。
「……ギィーーーーーッ!!」
クリーガーがトリガーを引くと同時におれの首から下が眩く虹色に光った。
胸元で喚くキナの体から光が放たれた。光の粒子がおれを包む。まるで狙撃から守るように――、そして瞬間、おれは目を疑った。
極めて注視していたはずの前方に突然現れた人影。高速道路に立つ人の姿!
それは白い服の、女の子が……!! ブレーキを踏むが間に合わない!!
――正面衝突。
……終わった。
ここで。
やはり嫌な予感しかしなかった。
人を轢いてしまった。
おれの人生が終わった。
ムライ・コナーだ。おれの話を聞いとくれ。
おれは光で目も眩み、今夢の中をさまよってる。白い甲冑を着込んだ女の子が見える。おれはその子をカーゴ車で轢いてしまって……。
おれも死んだのか? いや、この肉体は生きようと踠いている。熱く燃えている。
次回、『カイジング・ギュルコ』。
その子は何を語るのか。
「ヘッド・ストレート・トゥ・ヘルズゲート・ソルバ!」