顧問の回想*石見視点
行ってしまった、か。
僕は彼がいなくなった後もその残像を追うように職員室の扉を見つめていた。
――飄々としている彼。
――外見とは裏腹にやることをきちんとこなす真面目な生徒。
最初に会った時はそんな印象を抱くことになるなんて思ってもみなかった。
彼、甲斐 孝彦くんと僕ーー石見 宏が出会ったのは去年の桜が咲く頃。
僕はその頃から生徒会顧問をしており、初めて甲斐くんを把握したのは選挙結果により彼が庶務に選ばれた時だ。
彼の名前だけは生徒の間では有名だったから知ってはいたけれど姿を見たことはなかったから。
「初めましてー甲斐孝彦っていいますー」
……派手だな。って。
ただそれだけだった、にへらと緩い笑みを浮かべながら挨拶をする彼に抱いた第一印象。
髪色は派手だしピアスは開いているしシャツのボタンは第二ボタンまで開いていて、ズボンも腰パンだし。
確かに顔は整っているから人気が出るのも頷けたが生徒会というのは仕事も多い。
こんな外見の彼に庶務が勤まるだろうか――僕の心には不安だけが起ちこめていた。
そして彼はそんな僕の思いを裏切らなかったのだ。
当時から会長だった大和くんに強要されない限り仕事はしない、それが甲斐くん。
庶務というのは所謂雑用の様な役職で細かい仕事が多いというのに彼は指示されると、
「えーやだなぁー会長がやってくださいよぉー」
これが第一声。
会長はそれに青筋を立て、副会長は苦笑していた。
他の役員はまたかと溜息を吐いたりしていたっけ。
僕は会長の背景に黒い物が見える気がして、その空気に生徒会室を訪ねるのに恐怖を抱いたこともある程だ。
――でも少しの違和感があったのを僕は覚えている。
何だかんだで彼は仕事をこなし、提出期限前にはそれを終わらせていた事――
何とか一年、甲斐くんは庶務の役職をこなし進級すると次は会計の役職へと就き、
本格的に新生生徒会が始動し皆も新しい役職や、新しいメンバーに慣れて来た頃――
転機は訪れてしまった。
若狭 光くんが転校してきた事によって。
若狭くんは転校生でありながらS組に在籍することになり僕は首を傾げた。
S組は各部門の特待生や風紀委員、生徒会などの特別な役職についている人間か、大きな財力を持っている家の者、それか成績が優秀でない限り入ることが出来ないからだ。
しかし、S組の担任から聞いた話で僕は納得してしまう。
「光は理事長の甥なんだってよ」
垂れた目を薄くしながら彼はニヤリと笑った。
生徒の間では色気があって格好良いと呼ばれている彼だが僕にはそんなの通用しない。
年下に興味はないし、しかも男なんて御免だ。
この学校には同性愛者が多いのは分かってはいるが僕は染まれそうにない。
っていうかどうして先生は若狭くんのことを名前で呼んでいるんですか。気に入ったんですか。そうですか。
僕はその場ではそうなんですか、と答えその場を後にする。
「……厄介だな」
成績を見る限りここでは中の下というところだろうし、あの地味な外見だ。(ある意味インパクトはあるけれど)
S組は生徒から人気がある人物が集まるから、そんなS組に在籍することになった彼を良く思わない生徒も大勢出るだろう。
しかし僕みたいな臆病者は若狭くんに何か言うことは出来ないだろう。その外見をどうにかしろ、とか。
理事長の甥ということもあるし、なんていったって僕が顧問をしている生徒会役員も彼を気に入っているからだ。
副会長である和泉くんが、若狭くんを案内した際に彼を気に入ったらしい。
和泉くんは大和くんを黙らせることが出来るほど、いい性格をしている。そんな彼を敵に回してしまえば、僕はこの学園を追放されてしまうだろう。
そんなことになるのは避けたい。全力で。
しかし、僕が何もせず傍観している間に
あれよこれよと生徒会のメンバーが次々と若狭くんに心奪われてしまうのであった。
――それにより、僕の苦悩の日々が始まる。
生徒会のメンバーが若狭くんに構うばかりで仕事が一向に進まず、頭を抱えていた。
僕が生徒が目を通さないでもよさそうな議題は処理していたがそれも限界がある。
大和くん達にそれとなく仕事するように頼んでみても無駄だった。
――嗚呼、どうしてこんなことに。
生徒より教師の方が弱いのは如何なものかとは思うが仕方ない。
藤ヶ咲学園では生徒の親が教師にとって恐ろしいのだ。
この学園はスポンサーによって支えられている部分が大きく、その主なスポンサーはS組に在籍する生徒の親の会社なのである。
それにより、ここの教師達の暗黙のルールとしてS組の生徒には逆らうべからず、というものがあるのだ。
僕は何度目か分からない溜息を吐き、社会科準備室にある自分の机に突っ伏した。
誰もいない時くらい、だらけたい。
「いわみーんどうしたのー?」
その時だ。僕の頭の上から声が降って来たのは。
顔を上げると其処には僕の顔を覗き込むようにして腰を屈めている甲斐くんだった。
甲斐くんは首を傾げにこり、と笑った。
副会長の和泉くん程ではないけど、彼もよく笑うな、なんて僕は暢気に思ってしまう。
「はーいこれ、プレゼントー」
甲斐くんが差し出して来た物は書類の束。
僕はそれに目を通すと顔を上げ驚きの表情で彼の顔を見つめる。
――その書類は会長達にやるよう頼んだ明日提出期限の書類だったからだ。
「どうして、これを君が・・・・・・」
「だってぇー会長とか誰もやんないしさー俺がやっても問題ないでしょー?」
「確かにそうだけど・・・・・・」
意外だ。意外すぎる。
彼が自分から仕事をするなんて。
しかも甲斐くんの口振りだと、彼は若狭くんに興味はないように聞こえる。
そういえば、以前若狭くんが生徒会室に遊びに来ている時甲斐くんはその場にいなかったような――
僕はふと、去年の彼の仕事ぶりを思い出した。彼は何だかんだで仕事をこなしていた事を。
「いわみんも無理しちゃ駄目だってー倒れちゃうよーそのうち」
しかも彼は僕が色々仕事をしていたことに気付いているらしい。
甲斐くんは僕の肩をぽんぽんと叩きながら目を細める。
その笑みと優しげな手付きに僕はストン、となんだか力が抜けてしまった。
「――っ」
誰だ。彼をチャラい男だと思っていたのは。
――ああ、それは僕だ。
彼は違う。軽いだけの男じゃない。見た目が派手なだけの男じゃない。
泣き出したくなった。いや、もしかしたら泣いているのかもしれない。
僕は彼のことをおもわず抱きしめて、肩に顔を埋めていたから、自分がどんな顔をしていたのか分からなかった。
「ちょっとぉー俺は自分よりでかい男に抱きしめられる趣味はないんだけどー」
ハハハ、と甲斐くんのからかうような笑い声が聞こえたけど、彼は僕を拒みはしなかったから。
だから僕はそれに少し甘えてしまった。
教師が生徒を抱きしめるなんて、男が男を抱きしめるなんていけない筈なのに。
でも僕は目の前にいる甲斐くんと抱きしめたいと思ってしまったんだ。
「俺もさーちょっとなら仕事するから、いわみんも倒れない程度にさーがんば……うーん……」
僕が甲斐くんをゆっくりと離すと彼は頬を人差し指で掻きながら言葉を途中で止める。
僕がどうしたの?と聞けば彼は再び口を開いた。
「いやぁー頑張ってる人間に対して頑張ってなんて言えないでしょー」
余計に重荷になっちゃうよねぇーと彼は軽そうな口調で言い放った。
軽そうなのに、重い言葉だと、僕は感じる。
「いわみんは頑張ってるよーってのがいいよねぇー」
嗚呼、彼はどれだけ僕の胸を高鳴らせればいいのでしょう。
年下だの、同性だの。
この感情を前にはそんなものどうでもよくなってしまうのだと、僕はこの時初めて知った。
石見side......end