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2話


 魔物、と呼ばれる存在全てに言えるのは、人間が、魔族が、世界中が憎くて憎くて仕方がないという怨念が篭っている様で、とにかく攻撃的だということ。

太古より存在するのに、どうやって誕生或いは発生するのか、何を主食としているのか、どれ程知能があるのか、と未だに不明瞭な点が多い。中には群れを成す社会性の高い魔物も居れば、同種でも単独で行動するパターンも見られ一概には言えないし、別種の魔物と縄張り争いをしていたかと思えば共闘で襲い掛かってくることもある。


 確かなことは魔物は魔素を大量に保有しており、人間にとっては被害と疫病をもたらす厄介者、魔族にとっても魔素に変異を起こし、魔族に流れる魔素を奪おうと襲ってくる事から、人間、魔族共通の敵だということ。


 森の中にある泉の畔で、緑と空を映す水鏡の静謐な空間に似合わぬ赤を見付けた。大きさはシルヴァが二人と少しくらいだろうか。

シルヴァは槍を携え見付からないよう腰を落として、木々に隠れながら音を立てないよう慎重に赤毛熊に近付いていく。


 攻撃射程まで、あと三歩、二歩、一歩。赤毛熊が立ち上がり、周囲を気にする様に辺りを見回して隙が生まれたその瞬間をシルヴァは見逃さずもう一歩を踏み出した。

ぐっと足に力を込めると、屈んでいた体勢を利用して弾かれたバネのように飛び出していく。そして体を捻りながら繰り出された槍のひと突きは、もはや単なる刺突ではなく一顧の技へと昇華していた。


 見事、赤毛熊の脇腹を捉え大ダメージを与えることに成功した。けれど、毛皮と硬い筋肉質な肉の前では致命傷に至らない。

怒り任せに咆哮を上げる赤毛熊を見て、空かさず穂を赤毛熊の脇から引き抜き、振りかぶる必殺の反撃に備えた。


 案の定、未だにシルヴァの頭より大きな掌が真っ黒な爪を立てて振り回された。それに伴う爆風を受けながら、槍で爪を弾いて後ろに飛び退き距離を取るシルヴァ。

振り下ろすという動作は単純なのに、その筋肉質な巨体から放たれる動作はそれだけで充分な脅威になる。

事実、赤毛熊の被害で多いのは、その爪で切り裂かれることによる出血性ショックや打撃による内臓破裂や頭蓋陥没と、その動作から繰り出されたと思わしき痕が見受けられる。それ故、当たり所が悪ければ、ではなく、当たれば悲惨な未来しか待っていないのだ。

だから赤毛熊は大型の魔物の中でも、見付ければ即討伐対象として依頼が上がる。


 そんな脅威である赤毛熊と対峙するのは、これで何度目になるだろう。

黒々と光る双眸は全てが憎いと暗闇に染まり、刃物を連想させる牙や爪は鋭く、燃えるような赤の毛皮は逆立っていた。



「うーん……やっぱりちょっと大きいかも」



 距離を取り赤毛熊の攻撃を弾きつつ、既に何度も斬り払い、刺突を叩き込んでいるのに激昂したまま弱る気配を見せない。

シルヴァが最初にこの赤毛熊を見た時、以前見た中でも体格が大きい気がしていた。大きさは体力に関係がある。だからこの程度では仕留められなくても仕方がないだろう。


 更にここは旧魔族の森。この森の魔素の濃度は魔族にとっては過ごしやすく、人間ならじわじわと毒で体力を削られる様な場所だ。

今でこそ魔素を防ぐ装備品があるから人間でも入れるものの、本来なら、魔素を取り込んで強化される魔物と、魔素という毒を受け続けながら戦わなければならない人間では優劣は目に見えている。


 赤毛熊も御多分に洩れず辺りの魔素を取り込んで、浅い傷はもはや塞がり、何度目かの刺突で抉った肩口や最初の一撃を叩き込んだ脇は、既に止血していた。

それでも回復力を上回る攻撃を与えているのは確かで、地味ではあるが距離を保って赤毛熊の攻撃は躱し、反撃を叩き込むを繰り返した事で赤毛熊は徐々に弱っていた。


 隙を見せないシルヴァの戦法に焦れたのか、赤毛熊は遂に飛び掛かってきた。その瞬間、シルヴァは槍を半回転させて赤毛熊の側頭部に柄を叩き込んだ。蕪巻きに付いた無色透明のガラス玉と房飾りが揺れる。

それまで穂先だけで応戦していた事もあって、赤毛熊からすれば盲点だったはずだ。

ましてやシルヴァの槍は地味に見えるがイェルドが発注した特別製。柄まで金属で造られているし、穂の形も片刃で短刀の様な形をしている。斬る、突くという攻撃はきっと見た目で想像できるだろうが、距離を取るためのただの棒に殴られるなんて、魔物に考え付くだろうか。


 なんて、そんな風に甘く考えるなら魔物と対峙してはいけない。



「よっと!」



 柄で頭に渾身の一撃を叩き込んだ直後、振り抜いた柄を赤毛熊は器用にその爪で捕えた。そしてその豪腕でも柄が折れないと判断すると、シルヴァごと槍を持ち上げてシルヴァを振り回す。

それを見越していたシルヴァは、遠心力で吹き飛ばされそうになるのをその握力で堪えながら、今が好機と両手に神経を集中させる。



「喰らえぇ!」



 意識するのは、落雷。槍を介して、高電圧の魔法を赤毛熊に送り込む。辺りには雷光が迸り、シルヴァの短い薄紫の髪が広がった。

感電した赤毛熊が発光し、痙攣しながら焼けていく。これでは毛皮や内臓といった素材の換金が出来なくなった、と頭の片隅で頬を膨らませて怒るミーネの姿が浮かんだが、今は無視だ。それにこうすれば残骸の処理の手間も省けるのだから悪いことだけではない。


 これでもかという程電撃を浴びせた後、赤毛熊は黒く嫌な臭いのする煙を吹き出して事切れた。

念のため警戒を解かず赤毛熊と周囲を確認すると、辺りに他の魔物の気配は感じられなかった。


 けれど、先程の雷光に導かれたのか、森の奥からふわふわと揺らめく巨大な黒い物体が向かって来るのを見付ける。



「うわぁ……最悪」



 それが近付くにつれて、()()なのではなく()()()なのだと判った。

青黒い鱗粉を撒き散らしながら、ふわふわと優雅に飛び回る、大量の蛾。



「あんなに大量の睡青蛾、一人じゃ無理だって」



 睡青蛾(すいせいが)という、青地に黒い斑模様のある平均10インチはある大型の蛾の群れは、ひらひらと音もなく辺りを静寂に沈めていく。

あの鱗粉には強力な麻酔効果がある。僅かでも吸い込めば夢も見ない程強力な睡魔に連れ去られ、ストロー状の口から肉を液状化させる成分を送り込んで、液状化した肉を吸い上げていく、というただただホラーな肉食蛾だ。

しかもあれで魔物ではなく、この森特有の生物だというのだから質が悪い。魔素の少ない場所に魔物は稀にしか現れないのに、睡青蛾は魔素に関係なく現れる。


 今の季節、殆どはまだ幼虫か蛹しか居ないと油断していた。そうでなければあんな強い光を出す攻撃なんてしなかったのに。

心の中で言い訳をしながら口と鼻を布で覆って硬く結ぶと、赤毛熊の焼けた亡骸から牙だけ素早く剥ぎ取り、槍を背負い直して近くで一番背の高い木を一足で駆け登る。


 あの蛾の弱点は、成虫に成り難い事だ。幼虫や蛹の頃から目を見張る青色なので見付けやすく、他の動物の餌として食物連鎖の最下層にいるし、定期的に駆除だってしている。

なのに、あの大群は何なのか。鱗粉さえ吸い込まなければ脅威は少ないとはいえ、一匹でも成虫の駆除は大変なのに。


 辟易とした思いで群れを観察していると、赤毛熊に群がる蛾の中からシルヴァの方へひらひらと近付いてくる蛾が数匹いた。

なるべく槍の反射を抑える様に木陰に入ったはずだったのに、風に揺られた木葉の隙間から光を集めてしまったらしい。

石突を蛾の方へ向けて薙ぐと、その突風で蛾と鱗粉は落ちていく。けれど諦めの悪い一匹が突風を掻い潜って舞い上がって来たところで、穂先で胴を突き刺した。


 死骸でも素手で触るのは危険な為、蛾を突き刺したままその場から離れ、群が見えなくなったところで携帯している革袋を被せて槍から引き抜いた。



「……師匠、忙しくなるんだろうな」



 これから睡青蛾の討伐隊が組まれるだろう。シルヴァも当然組み込まれるだろうし、イェルドは総指揮に中るだろう。少し抜けた所もある人だけれど、あれでも一応英雄で領主なのだから。



(ちょっと寂しい……)



 不意に過った考えを、シルヴァは頭を振って追い出す。まるで小さな子供が親を独占したいと願う様だと、気恥ずかしくて顔も耳も熱くなる。

もっとも、5歳で引き取られ一緒に暮らしてきたイェルドを親と慕っても不思議はない。ただ、シルヴァは親から離れられない年頃ではないというだけの事。



「なーんて……!」



 誰に言い聞かせるでもなく呟いて、駆け足でその場を離れた。辺りには誰も居なかったけれど、誰かに心を読まれていたら恥ずかしい、なんて途方もない思いに駈られた。

頬を撫でる風が上気する頬を冷やしていく。それが心地好くて、気恥ずかしい気持ちが薄れていく。イェルドにこの話をしたら笑うだろうか。

イェルドの事だから、笑った後に大丈夫だと頭を撫でるのだ。何処に居てもシルヴァの師であることに替わりはない、と言い聞かせるかもしれない。

蛾の件も、きっと周りを上手くまとめて何とかしてしまうだろう。ちょっと厄介な蛾の退治くらい、イェルドには難しい事ではない。


 今後の憂いと気恥ずかしさを押し隠してパルヴォラに戻ったシルヴァ。その手土産は赤毛熊討伐証明の焼けた牙一本と厄介の種だ。

途中からは駆け足だった為、なんとか日没前にギルドに辿り着きミーネに依頼の達成を報告する事が出来た。



「おかえりなさぁい。流石ぁ、早かったですねぇ」

「えっと……今回は今までで一番大きかったです」

「それはぁ、楽しみですねぇ」



 受付から笑顔を見せるミーネ。きっと持ち帰った素材の換金額を計算していることだろう。受諾者のいる依頼用紙の束からシルヴァの依頼用紙を見付けると、胸ポケットから「達成」と彫られた判子を取り出して、シルヴァから提供されるだろう大物の素材を今か今かと目を輝かせて待っている。


 全て燃やした、という事実はどうやっても覆らない。もっと上手く討伐する方法は合ったかもしれないけれど、シルヴァはあれが最良だったと納得している。

けれどミーネは()()()()()()()、と期待していたのだろう。他でもないイェルドの弟子で、気心知れた実力有る傭兵として認識すればこそ、その期待は大きくなる。


 その期待を裏切る形に罪悪感が無いと言えば嘘になるけれど、だからと虚偽の報告は出来ないししたくはない。シルヴァは覚悟を決めて、受付カウンターにそっと焼け焦げた牙を置いた。



「……これはぁ」

「雷撃で燃やしました」

「も、や、し……」



 た、までゆっくりと、か細い声で言葉を紡ぐと、ミーネの眼からあからさまに輝きが失せた。

パルヴォラのギルドは魔物の素材を高値で買い取ってくれる。それは、ギルド内に一流職人を抱えており、魔物の素材から出来た加工品を輸出する事で多額の資金を得ているから出来る事だ。

ミーネは魔物素材や加工品の流通やその価値を熟知している分、それを無駄にした事を勿体ないと思ってしまうのは仕方がないのだろう。勿論、傭兵の命あっての素材回収なのだから、欲を出す事を善しとしている訳ではない。

ただ、ミーネはギルド内の職人達個々の事情や、ギルドの収支を知っていて、出来ることをしたいと思ってしまうだけ。



「……とにかくぅ、無事で何よりですぅ。次はぁ、素材もぉ、持ち帰ってくださいねぇ」

「あの……ゴメンナサイ」



 ミーネは大きく肩を落とし、1から67まであるギルドマスターの格言を呪文の様に唱え始めた。シルヴァの後ろが並び始めたこともあり、依頼用紙に達成の押印と報酬を受け取るとその場を離れる。次の依頼はもうちょっと素材回収をしてあげようと決意したシルヴァ。

ぶつぶつと格言を唱える間でも、受付と報告に来た他の傭兵の対応も怠らないミーネは流石だ。



「って、違う違う!もう一つ大切な報告があるんですよ!ラウネさんは居ますか?」

「姐さん、ですかぁ?今日はぁ、商工会の会議ですからぁ、帰りは遅いですよぉ」



 領主へ要望や陳情を訴える前に会議される場所として、商工会がある。余程緊急性が高い案件でなければ、商工会のメンバーで決議を出して要否を領主に報告する、という流れだ。


 そうでもしなければ、設置された意見箱の中に夫婦喧嘩の仲裁と川の氾濫の相談が同時に投函され、イェルドにまとめて届けられてしまう。その書類を読むだけでも時間は消費されるし、川の様子を見に行くついでに夫婦の家に立ち寄って仲裁に行ったら既に夫婦は仲直りして惚気話を聞かされた、となれば無駄足以外の何ものでもない。

他領主だったなら罰則を負わせても不思議ではないけれど、あれはイェルドの市民人気が根強い事が裏目に出た案件だった。商工会を造る切っ掛けにもなり、イェルドはシルヴァとパルヴォラから離れることが出来るようになったので、結果としては良かったのかもしれない。


 とにかくそういう無駄を省き、良かれとしたことが裏目に出るのを防ぐ為、物事にある表と裏を話し合う場としてを出来たのが商工会だ。

メンバーはギルドマスターであるラウネの他、パルヴォラ有数の実力者や有識者達。



「今日の会場はぁ、パウさんのお店のはずですぅ」

「ありがとうございます!次は絶対、素材持ち帰りますから!」

「えぇ?でもぉ、命は大事にぃ……ってぇ、行っちゃいましたねぇ」



 言い終わるより早く駆け出したシルヴァの後ろ姿に、ミーネはやれやれと首を振った。



ーーーーー



「睡青蛾の群れか。厄介だのう」

「見間違い、ではないのよね?」



 パウの店、と安直な店名をデカデカと掲げた3階建ての建物は一棟丸々商店になっており、輸入食品や香辛料、輸入雑貨を扱っている。

建物の最上階にある応接室では、円卓を囲んだ面々の中、金色の髪を後ろに撫で付けた目付きの鋭い壮年の男、今回の幹事であるパウ·リッツェルトンは突然の報告に、眉間の皺を揉みながら切り出す。



「シルヴァ嬢。領主様への報告は?」

「まだです。商工会の意見を聞くのが先ですから」

「そうですか」



 見慣れた面々がシルヴァの報告に思案顔を浮かべている。その青黒い手土産を見ればその内容に疑い様は無かった。

シルヴァがイェルドの弟子なのは公然の事実だけれど、後継者ではない。だから商工会を飛ばして領地の問題をイェルドに告げることはしないし、イェルドもシルヴァにそうさせないように教えてきた。

と、なればこの問題の対策案を考えるのもまずは商工会。パウの眉間の皺も深くなろうというものだった。



「困りましたわね……。先程の案件といい、ご領主様に負担が掛かり過ぎますわ」

「負担……?」



 艶やかな赤い髪を豪華に巻いて、その美貌を引き立たせるパリュールを付けた“強欲の魔女”を自称する宝石商、ティテュス·クノイ。彼女が扇で口元を隠してそう発言したのは、わざとだろう。

当然、他のメンバーにはティテュスの思惑を自身も考えた事があるので何も言えない。ただ一人を除いては。



「ティテュス。シルヴァは一介の傭兵に過ぎぬ。傭兵として、それ以上を知る必要はなかろう?」

「あら、ラウネ様。傭兵だからこそ、いずれ知ることになりますわ」

「それは我々が説明できるようになってからが筋というものだ」

「それでは事態が後手に回りますわ。今は一刻を争うのですよ」



 華やかなティテュスと妖艶なラウネ。大輪の花同士の視線がぶつかる先では、激しい火花が散っていた。

『先程の案件』とやらを知らないシルヴァは状況を呑み込めず、パルヴォラの三大恐い女に数えられる二人の対決を目の前にして縮こまるしか出来なかった。

それを見兼ねたように、パン!と手を叩く乾いた音が響いた。注目を集めたのはパウ。



「シルヴァ嬢。情報提供に感謝します。後は我々商工会から領主様へ報告します。ありがとうございました」

「リッツェルトン様!シルヴァ様にはまだお話が……」

「クノイ夫人。今回の議長は私です。ここは私の顔を立てて頂けませんか?」

「……」



 パウがシルヴァに退席を促すのを、ティテュスは食って掛かったがその言葉に引き下がる。パウに貸しを作れるのは大きいと判断したのだろう。ラウネの方から舌打ちが聞こえたがきっと気のせいだ。

助かったとパウへと目配せして、お辞儀もそこそこにシルヴァは応接室から退出する。思った以上に緊張したいた様で、脇の下がじっとりと湿っていた。



「シルヴァ様」

「ひゃい!?」



 今日はもう帰って湯浴みをして、食事をしながら師匠に今日は一日中大変だったと話して寝てしまおう。そんな算段をしていたシルヴァは背後から声を掛けられて飛び上がる。



「あ、ご、ごめんなさい……」



 振り返るとそこに居たのは、先程の応接室にも居た一人の少年。青いくるくるの癖毛で目元が隠れている人見知りがちの少年だが、サスペンダーと青緑のラバリエールはパウの店の男性従業員の目印だ。



「ご、ご主人様が、シルヴァ様にお話があるそうです。明日、また来て欲しいと言ってました……」

「わかりました。あ、そうだ、パウさんに今日は助けてくれてありがとうございましたと伝えてください」

「わ、わかりました。あ、ば、馬車を呼びましたので、お使いください」



 シルヴァが出入口に来ると、一頭の馬が二輪の座席を引く馬車が進み出た。

見送りに付いてきていた少年は、小さく震える手でシルヴァをエスコートして、折り畳み式の幌の着いた座席に乗せる。

お世辞にもスマートとは言い難い拙いエスコートだったけれど、どちらかと言えば自分で馬に跨がり手綱を引くことに慣れているシルヴァからすれば、充分紳士的に見えた。

普段一緒に居る人物なら、シルヴァの両脇を子供のように持ち上げて座席に座らせた事だろう。もしくは馬車を断って、シルヴァを担いで走るという山賊か何かのような行動を取る可能性すらある。



「えっと、ハインの丘の、できる限り近くまでお願いします」

「かしこまりました」



 シルヴァの代わりに御者にチップを握らせそう伝えると、少年は馬車から離れて深々とお辞儀する。

ちゃんと座っていないと揺れで馬を刺激してしまい危ないので、シルヴァは礼を言うに止めた。



「あの、丘は馬車では通れなくて……きちんと家まで送れなくて、すみません」

「良いんです!ありがとうございます」



 隣に座る御者が手綱を引くと、馬車はゆっくりと動き出した。

カタカタと揺られながら、すっかり暗くなった道を進んでいく。パルヴォラは夜でも明るい。等間隔に設置された照明灯のお陰だ。

その照明灯は、魔素の結晶である魔晶石から作られている。王国で唯一、毒であるはずの魔晶石を無毒化して加工することに成功したのは、ティテュスが有する宝飾職人達だけだった。

魔族は人間より早くから魔晶石を利用していたが、投擲したり武器にしたりと、一般的には『魔力を込めれば何か凄い力が出る石』としてしか利用していなかった為、加工技術も照明灯もティテュスの偉業として数えられている。ただの社交界の花ではないと言われるのも頷ける。


 その照明灯の下、軽装備を纏い三人で辺りを見ながら歩く男達は、引退した傭兵だ。傭兵を辞めても食べていくために仕事は必要。それを受け入れたのは傭兵ギルドでありラウネだ。

ギルド職員として雑務や都市内の巡回、傭兵を目指す者を育成するアカデミーの講師等、やること出来ることは幾らでもあると示した。

ラウネが魔族でありながらギルドでの信頼が揺るがないのは、そうした背景があるからだ。


 パルヴォラ三大恐い女は、同時にパルヴォラ三大凄い女でもある。残るもう一人は、若干毛色が違うような気もするけれど。

その二人が議論して出した答えは、きっと相反していても、どちらも正しいのだとシルヴァは思う。それを選ばなければならない商工会もイェルドも、間違ってはいないし正しいのだろう。


 誰しも納得出来る答えがあれば良いのに。白熱していた二人の意見に、詳細は判らないなりに出来ることがあれば協力しようと意気込むシルヴァ。

街から一本道の道中、馬車に揺られてぼんやりそんな考え事をしていると、照明灯の配置もそぞろになった見覚えのある郊外で馬車が止まった。



「御者さん、ありがとうござい……」



 ここから先の丘は馬車で行くよりシルヴァが歩いた方が早い。街からここまで随分楽が出来たと礼を言おうとして声を掛けると、シルヴァの目の前で御者は座席から崩れるように転げ落ちた。

慌てて座席から降りると、御者を抱き起こして首筋に指を当てる。その体は既に冷えきって固く死臭を放っていて、双眸は陥没して淀んで濁っており、いつ息耐えていたのか判らない。



「なに、これ……どういうこと……?」



 薄ら寒い感覚に、御者をそっと寝かせて離れると、小振りなナイフを抜き取って辺りを見回す。

魔物の気配は無い。けれど、肌を焼くような強い憎しみ混じりの悪意が辺りを支配していた。


 不意に突風が駆け抜ける。それに驚いた馬が嘶き暴れ、御者が蹴り飛ばされた。死体を蹴り飛ばした事にも驚いたようで、馬は更に暴れて座席を後ろ足で蹴って歪ませる。



「どう、どう」



 どう動けば良いのか迷うシルヴァの耳に、聞き覚えのある声が聞こえた。

声の主は瞬く間に馬を宥め賺して、動けないシルヴァの頭を撫でた。



「師匠……?なんでここに……?」

「愛弟子の帰りが遅いから迎えに来たんだよ。……もう大丈夫だ」



 よしよし、と大きな手が薄紫の髪を乱す。不思議と緊張していた手足は軽くなり、向けられていた悪意が消えていたことに気付いた。


 魔物は、全てを憎んで居るような眼でシルヴァ達を見る。それは人間であれ魔族であれ、魔物からは大差ないらしく睨まれる。

けれど、今しがた浴びせられた悪意は、憎悪と怨嗟を煮詰めて焦げ付いたような、深く強い恨みを()()()()()向けていた。

あれが魔物だというのなら、どれだけその嫌忌は根深いのだろう。


 ナイフを鞘に納めると、その大きな手を掴まえて握った。何も言わず握り返される温もりに安堵して、今日はもう遅いから、と比較的近くにある伯爵邸に泊まることになった。

照明灯も有り、整った街道を歩く間にあの気配はすっかり消えて、何事もなく伯爵邸に辿り着く。


 出迎えた執事や数人のメイドにより、シルヴァはあれよあれよと言う間に風呂に入れられ、新品のひらひらした寝間着を着せられ、本来なら女主人である夫人の部屋に通され、運ばれた豪華な食事を食べるとふかふかのベッドに沈んでいた。


 結局、赤毛熊の討伐をした事も睡青蛾の事も、イェルドに何も伝えられなかった。

今からでも話に行こうと頭では思うのに、ベッドに縫い付けられた様に体が重い。睡青蛾の鱗粉を吸ってしまったのかと思う程だ。

ドアをノックする音が聞こえた気がする。けれど意識が曖昧で、隣の部屋の音だったかもしれない。隣の部屋に誰か居たかも思い出せない。



「愛弟子ー。……っと、もう寝たのか」



 また頭を撫でられた気がする。微睡みの淵で、確かに「おやすみ」と聞こえた。



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