僕という人間は。
自分の感情だって理解できない。誰にも分かるはずもない。
どれだけの日々を僕は無駄にしてきたのだろう。それを考えると頭が痛くなる。
どれだけの雲が僕の頭上を通り過ぎたのだろう。あれからもうかれこれ1年が経つ。
小学校からの親友であった風太は1年前、海へ1人で出かけ、翌日遺体となって発見された。おそらく自殺ということだけ知らされた。風太が自殺した理由が僕には何ひとつわからない。風太が亡くなる前日も学校からの帰り道で僕と他愛もない会話ではしゃぎあっていた。風太がその時見せた笑顔は今でも鮮明に覚えている。それはただの日常に見せた笑顔だったはずだ。だからこそ余計になぜ風太がこの世を去らなければいけなかったのかがわからない。
だが、僕はそれについて1年も悩んできたわけじゃない。
風太のお葬式の日。僕は風太が亡くなったこと自体が夢のように思えて吐き気がしていた。まだ実感が湧いていなかったのだろう。それでもきちんとお葬式には出席した。風太の顔を見て、あぁ、本当に死んでしまったのか、とようやく実感を持った。しかし、ここで一つ、僕の中に不思議が生まれた。
それは僕は風太の顔を見ても泣かなかったことだ。最後の別れであるはずのこの状況下で泣けなかったのだ。
それは風太の死に実感があるとかないとかの問題でなく、僕自身感情が失われたかのような気持ちだった。
ただ、本当に悲しい時泣くことすらできないとか、そういうことじゃないと僕は思う。ただ僕が風太の死を悲しんでいないかのようであった。泣けないことが自分にとって罪であるように感じた。
1年という長くも儚い年月を泣かなかった、泣けなかった自分に対して悩み続けてきた。風太の死を悲しんでいたはずなのに泣けなかった。僕だけの感情がこの世から消えたかのような気分だったあの日を思い出す。なぜ泣けなかったのかは今でも分からない。突然訪れた親友の死という非日常に少なからず興奮していたなどと誰が認めるものか。僕という人間はつくづく怖いものだ。漫画やアニメ、映画に出てくる主人公ぶって親友の死という悲劇を被った被害者として僕はいたかったのかもしれない。
どれだけ僕の頭上を雲が通り過ぎようが僕という人間は理解し難い。