28、過去の呪
目が覚めると俺は以前住んでいたアパートの部屋にいた。
家具や寝ていた布団の感触や匂いまで感じられる。
得体の知れない相手を倒したのだからこういった怪奇な事が起こっても何ら不識ではない。
気休めだがゴキブリ対策にと徹底的に片付けられた部屋には小さなテーブルに灰皿が一つ乗っているだけだ。
何が起こったのかわからなかったが布団を畳み部屋の隅にやる。
先程までの戦闘が嘘だったかのように、以前の生活に戻っていた。
右腕が義手でもなければ左腕も失っていない。
ただ、軍の施設での事や一条の事を忘れたわけではなかった。
路上生活をした3年間の空しい記憶すらしっかりと心にこびりついている。
改めて部屋を見渡すといつも使っていた目覚まし時計が7時を差していてカーテンの隙間から日が差している所を見ると朝のようだ。
人の習慣というものは不思議なもので状況が体が勝手に動いてしまうようで冷蔵庫に入れていた菓子パンと牛乳を取り出し朝食をとる。
食品を何でも冷蔵庫に入れておく癖があり、常温保存可能な物でもなんでも冷蔵庫に入れてしまう。
過去に行っていた一通りの流れをこなして作業着に着替える。
(仕事、行かなきゃならないかな)
何かの拍子でこの状況になったのだとしたら今は会社勤めのはずだ。
勝手に休んだとなれば何を言われるかわからないのでとりあえず出勤してみる事にした。
何が起こっているか把握できなまま両手で顔を覆いながら上を向き大きくため息をついた。
手を下ろし前を向くと以前働いていた食品可能工場の倉庫にいた。
「どうなってるんだ?」
急な出来事に思わず呟いていた。
「マツダぁ!ちゃんとマスク付けろって言ってんだろ!」
元上司の怒号だ。
この食品加工工場は先代が会長で社長がその息子、責任者がそのまた息子と親子3代で牛耳っているありきたりな家族経営で、元上司は典型的なダメ息子だった。
真面目に働いていても気分次第でよく怒鳴られたものだと今となっては懐かしい。
懐かしい怒りを覚えながら更衣室にマスクを取りに行く。
(忘れたわけじゃない、気付いたらここにいたのだから)
そんな事口に出して言えるわけもなく黙って以前配属されていた倉庫に戻る。
搬入された野菜をラインへ運ぶのが主な仕事で、芯を取り除く工程へ運び、根菜類を皮を剥く工程の所まで届ける。
工程表を見ながら今日作る製品をそれぞれのラインに運ぶだけなので難しい仕事ではなかった。
工程表さえ間違っていなければ他の人間に確認を取る必要もなく俺にとっては好都合な職場だった。
以前に間違った工程表通りに食材を運んで客からクレームが入り、工程表を作った元上司のせいにした為現場でのけ者にされていった過去がある。
それに従って立場の弱い作業員は一緒になってのけ者にしてくる。
その程度の人間の集まりだった。
唯一発注を行っていた川野だけは当初味方になってくれていたが一緒にいれば何を言われるかわからない職場だったので距離を置く事にした。
以前のように作業を進めていると事務所の方が騒がしい。
工程表が間違っていてクレームが入った時と同じ状況だとすぐに分かった。
「マツダぁ!!」
事務所の扉を乱暴に開けながら俺の名前を叫ぶ。
(あの時と同じ状況だ)
「お前、食材を運び間違ったな!全部返品で急いで代わりを作らなきゃならない、どうしてくれるんだ!」
当時はこの時何も考えずに謝り、皆に俺のせいで強制的に無賃金残業をさせると公言され批判されたものだった。
「工程表を間違ったはお前だろ?」
ただ、今は当時の俺ではなく3年間の路上生活やキラーとの命のやり取りで肝が据わっている。
口元に笑みを浮かべながら言い返す事ができる。
「貴様が運んだんだろう!人のせいにするな!」
もはや何を言っているのかわからないが怒声を上げ喉元を掴みかかってきた。
かなり強く掴んできているのだろう、息が出来ない程の力だ。
(きっとここは現実じゃない)
そう思うとただやられているだけなのも面白くなく、思い切り殴り掛かった。
腹部を殴っただけのつもりだったが元上司の下半身と上半身が離れ離れになりながら倉庫のシャッターに衝突した。
以前に散々怒鳴れていたので罪悪感もなく心の中から〈楽しい〉気持ちになれた。
右手を見ると金属質の義手が戻っており、体も鍛え上げられた軍人のような体に戻っている。
「人殺し!」
「警察を呼んで!」
怒鳴り声を聞いて集まった野次馬に罵られる。
こいつ達も以前元上司と一緒にのけ者にしてきた面々で顔を見るだけで不快だった。
(コイツラモ殺ッテシマオウ。ドウセ夢ナンダシ)
そう考えると体が勝手に動き出し、工場内の人々を殴り殺していた。
目に見える殆どの作業員を撲殺した頃倉庫から川野が現れた。
手には大きな根菜を切る時に使う菜切包丁を持っている。
「お前が、俺達を殺したんだ」
目は真っ赤に充血し、次第に作業着全体に血が滲んでいく。
他の作業員同様殴り掛かろうと思ったが体が動かなかった。
最後に見たのはデパートで無残に投げ捨てられた姿だ。
あの時助けられなかった恨みなのだろうか、血が滲んだ姿はあの時の川野を髣髴とさせた。
ピクリとも動けなくなった俺にゆっくりと近づいてくる。
段々川野以外の周りの景色も赤く滲んでいき俺と川野だけの世界になる。
手に持った包丁が届く距離まで近づくと川野は大きく右手を振りかぶり俺の左肩に包丁を振り下ろす。
「うぁ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝!」
キラーに腕を吹き飛ばされた時のような強烈な痛みはあるが所詮は軽い包丁。
腕は切れるわけでも無く骨に到達した辺りで止まっている。
川野は再び右手を振りかぶり再び肩に包丁を下ろす。
「うぁ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝ぁ˝!やめろ!やめろぉ!」
何度も振り下ろされる度に、軽く鋭い痛みが強烈に体中を走り叫び声をあげる。
何度目かで肩と腕が切り落とされた。
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは!」
切り落とすと川野は高笑いをし、もう一度振りかぶって今度は頭を狙って右手を振りかぶった。
「やめろー!」
俺が叫んだ瞬間に川野の腕が振り下ろされ、額を直撃したかと思われた。
「うわぁぁぁ!」
声に出したはずだったが声にならず、体も動かなかった。
目だけがかろうじて開けることが出来たが手術着のようなものを来た一条がいる。
既に右腕に痛みは無かったが直前まで切りつけられていた腕の痛みを思い出し眉を顰めた。
一条が何かを言って頬をさすってくれるのがわかる。
一条の手のぬくもりが頬に感じられた気がして俺は再び瞼を閉じた。




