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二幕: 居眠り真子さんは転校生を探します

 瘴気(しょうき)に囲まれたこの世界では、たとえ初夏の太陽が真上に登る昼過ぎであっても、無数に囲まれた壁によって日光が届かない。二時限目の数学が終わる昼過ぎであっても、教室の中は薄暗い蛍光灯に照らされていた。


 生徒は、複雑な数式をノートに書き留めていた手を止めて、まとめに入っていた先生の話を熱心に聞いていた。



 山田たけるは、気になって仕方がなくなっていた。


 授業が始まる前、隣の席で机を抱いて寝ている沖手真子と呼ばれる女の子が言ったあの言葉、“もう一つの世界”がなんなのか。

 突然この世界にトリップさせられた山田は、なんとしてでも元の世界に戻る方法を知りたがった。


 だから、授業中であっても、寝てばっかりなミステリアスな少女の意味深長な言葉を、気にせずには居られなかったのだ。


「はやく……早く授業が終わって欲しい……」山田は、指でコツコツと机を叩いた。隣をちらりと見やると、やはり沖手真子はくーくーといびきをかいている。


 今は一体どんな夢を見ているのだろうか。もしかしたら、僕の世界を歩いているのかもしれない、と山田は想像した。



 授業終了のチャイムが鳴った。

 先生が、手を二回叩いて、「はい、授業は終わりだ。各自、食事休憩を取るように!」と大声で言った。

 と、生徒が一斉にノートをしまい、立ち上がった。各々が自由に喋り始め、再び教室が喧騒に包まれる。


 山田は、拳を握って、ドキドキと胸を叩く心臓をやり過ごした。

 女の子に休み時間に声をかける。それも、知らない世界で。

 彼は、極度に緊張しながらも、数学の授業中にシミュレーションした会話パターンを頭の中で繰り返しす。そして、深呼吸をして、彼は隣の席に向き直り話しかけた。


「あ、あの……、沖手さん……」


 しかし、山田はそう言った声をかけようとしたとき、その机が既にもぬけの殻だったことに気がついた。


「あ、あれ……、どこに……」山田は、辺りを見回した。しかし、長い茶髪の女の子の姿はどこにもなかった。


 彼は、教室の外に出ようと、後ろのドアに近づいた。そのとき、彼は自分の名前を呼ぶ声を聞いた。


「山田……たけるさん。よければ、私とご飯に行きませんか?」


 その声の主は、先程の数学の授業で教科書を見せてくれた、山田の右隣の席の、若葉さんだった。

 若葉さんは、肩まで伸ばしたセミロングの黒髪で、天然か何かはわからないが、綺麗なウェーブがかかっていた。

 目はパッチリとした二重で、鼻や口は小さく整っている。背は、山田と同じか少し小さいかくらいなので、165cmくらいと言ったところか。


「まだ、自己紹介が済んでいませんでしたね。私は、若葉栞(わかばしおり)と申します。よろしくお願いします」と、若葉は恭しくお辞儀をした。ふわふわと綺麗にまとまった黒髪がふわりと揺れる。


「ごっ、ご飯ですか。で、でも……」


「沖手真子さんなら、先程走って教室をお出になられましたよ。あの子は、あまり気にしない方が……。それよりも、ここのご飯のシステムは慣れないと少し複雑でしょうから、私と是非、ご飯をご一緒しましょう」と言って、若葉は山田の手首を掴んだ。

 山田は、女の子に近づかれるという初めての経験に赤面した。彼は、若葉の顔をまともに見ることができず、目が泳いでいた。


「は、はい……、よろしくお願いします」


 山田の頭の中は真っ白になってしまっていて、既に沖手真子に話を聞くとか聞かないとかといったことが、まともに考えられない状態にあった。

 若葉は、無抵抗の山田の手を強引に引き、逃げるように教室の外へ向かったのである。





「にっししし、真子さんは今日もチョコスティックパンなのです?」


 沖手真子は、一人の金髪の少女と二人で廊下を歩いていた。友達が少なく本が好きな彼女は、お昼の時間は必然的に図書室で過ごすことが多かったのである。


 18年前の天変地異の後に作られたこの校舎の大半は、灰色の綺麗なコンクリートで固められていた。

 瘴気の危険があるために、窓は少なく、太陽が差し込む時間帯は朝と夕方に限られていた。正午のあたりは、気温と反比例して、少し薄暗い。


 廊下は比較的物が少なく、隅々まで清掃が行き届いている。そんななか、二人は歩きながらお昼ご飯を無心に食べていた。


「うん、そうだよ。お昼ご飯にはやっぱりこれ」と言って真子は、チョコチップがふんだんに入った細長いパンをむしゃむしゃと頬張った。「ルーシーは、何を食べてるの?」


「これなのです!」と、ルーシーと呼ばれたその少女は、かじりかけのゆで卵を沖手真子の顔の前に差し出した。「この、半熟加減がたまらないのです。塩をパッパッとかけると、この、黄色いドロドロの部分がじわじわと、じゅわじゅわっとするのです!」

 そう言って、ルーシーは、廊下を歩きながらにもかかわらず、塩を振りまいた。

 透明な粉が、床一面にこぼれ落ちる。



 ルーシー・アルテュセール。


 生粋のフランス人だが、天変地異のあの日、両親はちょうど東京を観光中だったらしい。

 心優しい両親は、日本の惨状を目の当たりにしたとき、東京に居座り、ボランティアを続けたようである。


 その一年後、生まれたのがルーシーである。生まれた直後、ルーシーは学校に預けられ、今日まで日本人と一緒に暮らしている。

 だから、本人は自分をフランス人というよりむしろ日本人だと自覚していた。言語も、日本語は喋れるが、フランス語は喋れない。



 ルーシーは、肩にかからないくらいのショートヘアーの金髪で、青い目に鼻筋の通った綺麗な顔をしていたが、口の周りにはたくさんの黄色い粒がひっついていた。


「きたないわ、ルーシー」と、沖手真子は持っていたくしゃくしゃのポケットティッシュを取り出して彼女の口を拭いてあげた。

 ルーシーは、嬉しそうな顔ではしゃいでいる。


「真子さんは、優しいですね〜!」


「優しくなんかないよ。今日だって、先生を怒らせたし」


「それは、真子さんが寝てばっかりいるからですよぉ」と、ルーシーはゆで卵の入っていたビニールをぐしゃぐしゃにしてバッグに入れる。「あ、そうだ、真子さんのクラスに、今日、転校生が来たんですよね!」


「転校生?」と、真子は首を傾げた。


「転校生ですよ! 知らないんですか? 呆れましたね〜。どうせ、寝てて気がつかなかったんでしょ! なんでも、異世界から来たって言ってるみたいですよ」


「異世界?! なにそれ、めっちゃおもしろそうじゃん!」と、真子の顔がパッと明るくなった。「でも、どうして違うクラスのあなたが知っているの?」


「私のクラスでも、転校生の話で持ちきりだったんです。それにしても、本当に、異世界から来たんですかね? というか、異世界なんて本当にあるんですかね?」


「残念ながら、今の物理学では、人間が違う世界にトリップすることはほとんどあり得ないね。でも、異世界がないとは言い切れない……。例えば、ニュートリノみたいな極小(ミクロ)の粒子が、違う次元を行き来できると言ったような報告もあるらしい」


「にゅーとり?」と、今度はルーシーが首を傾げた。


「でも、それはやはり人間には無理……」と、真子は顎に手を当ててブツブツと呟いた。そばで、ルーシーが、にゅーとり、にゅーとりと手を羽ばたかせている。


「とりあえず、まずはそいつから話を聞くしかないよね」と、真子はルーシーに言った。ルーシーは、よく分かんないと言った顔だったが、なにやら楽しい話だと思い、「はい!」と返事した。

 二人は、歩みを止めてクラスに引き返した。




「異世界からきた転校生?」


 真子たちは自分のクラスに戻り、入り口の一番近くにいた男子生徒に声をかけた。

 教室一帯は、生徒がバラバラに好きなことをしていた。グループで遊ぶもの、一人で趣味に興じるもの、勉強をしているもの。


「うん、知らない?」と真子は興味津々になって聞いた。


「知らないって……。このクラスで知らないのは多分お前だけだよ」と、その男子生徒は呆れた顔で言った。


「にっししし、やっぱり知らないのは真子さんだけですよ〜」と、ルーシーはけたけたと笑った。男子生徒は、そんなルーシーを横目に見て、頬のあたりを掻いた。

 真子はそんな二人の様子を気にもかけず、淡々と質問をした。


「そいつの名前はなんていうの?」


「確か、山田たけるとか言ったかな」と、男子生徒は言った。


「え、なになに? たけるくんの話?」と、三人の会話を聞きつけたのか、女子生徒がバラバラと集まってきた。


「そうそう、沖手さんがなんか興味あるっぽくってさ」


「ええ〜! さっきの自己紹介であんなに爆睡してたのに?!」と女子生徒の一人が言った。「なになに、顔が好みだったとか?」


「顔もわからないんだよね」と真子はきっぱりと言った。横でルーシーがやれやれと言った顔をしている。


「え……」と、集まった生徒たちはドン引きした。「まって、だって、たけるくん、あなたの隣の席に座ったじゃない……」


「え……」と、真子もドン引きをした。「どうして、私は隣の席に座っている子の顔を知らないの?」


「知りませんよ〜!」とルーシーが焦って真子に向かって言った。「真子さん、いよいよやばいですよ! 授業を聞かない劣等生どころか、人間社会に馴染めない社会不適合者ですよ!」


「しゃ、社会不適合者……」ルーシーの言葉は、真子に少し効いたようだ。「く……、ま、まぁ、でも、今の私が、その転校生に興味があるのは事実。早く居場所を教えなさい」



 すると、遠くで男の声が聞こえてきた。

「山田たけるなら、さっき若葉さんに連れられて食堂の方へ行ったのを見たよ」


「ええ〜、若葉さんが?!」と、あまたの女子生徒が声を揃えて言った。「きーっ、あの子に先を越された! 悔しい〜っ!」と、口々に恨み言を言っている。


「なるほど、食堂ね」と、真子は独り言をつぶやき、教室を出ようとした。


「あっ、真子さん食堂に向かうなら言ってくださいよ〜! 薄情者〜!」と、ルーシーも真子に連れだって教室を飛び出した。そんな二人の姿を見て、生徒たちは呟いたのだった。


「ルーシーは、どうしてあんな子と仲良くしているんだろう……」




 食堂は、真子たちのクラスのある棟から、少し離れた場所にあった。


 真子たち二年生のクラスは二階に位置しており、階段を一つ降りて、廊下をずっとまっすぐ行くと渡り廊下があり、そこを抜ける必要があった。

 渡り廊下には、同じ学校に通う小学生が書いた色とりどりの絵が飾っており、そこを通り抜ける人たちの目を飽きさせない作りになっている。


「相変わらず、楽しいところです!」とルーシーが言った。「私も、また小学生に戻りたいですね〜」


「そうだね。タイムトラベルというものが実現できるのであれば、私も小学生になりたい」と、真子もそれに応じた。


 少し歩くと、真子は赤青緑と萌えるクレヨンの絵画に、禍々しく一際目立った絵を見つけた。真子は立ち止まって、その絵を見つめる。


「なにこれ……。見たところミカンみたいだけど……。にしては、ずいぶん執拗にオレンジ色が丸く重ね塗りされてる……」と、真子は目を細める。


「うーん、太陽じゃないですか? ほら、ここ」と、ルーシーは右下の方にちょこちょこと楕円形に塗られた水色の物体と、緑色にボサボサと上に向かって勢いよく描かれたものを指した。「これ、きっとオアシスかなんかですよ」


「うーん、それを小学生が書くかなあ」と、真子は再び顎に手をやった。「仮に太陽だったとしても、それをこんなに大きく書くかな。私たちは、ガラス越しでしか太陽を見ることはないし、それをオアシスとセットで書くとなれば……」と真子はまた独り言をブツブツと呟いた。


 ルーシーは「それもそうですね……」といって、食堂の方へ向いて歩き出した。真子は、それをスマートフォンで写真に収めてから、後ろを追ったのである。




 かくして、二人は食堂に着いた。

 食堂は天変地異以前の校舎も利用した、昔ながらの建物、と言った感じで壁にはカビやひび割れがそこら中にあった。

 厚塗りペンキの薄青色が、更にその安っぽさを演出している。


「さぁて、異世界のたけるくんはどちら様ですかねぇ〜。ねぇ、真子さん?」と、ルーシーは額に手を当てて食堂にいる人間を探りながら言った。「ええと、確か、若葉さん、という方と一緒に食堂に向かったという話ですよね。真子さん、若葉さんを探してください」


「待って……」と、真子は青白い顔をしていた。


「え? まさか真子さん……」


「うん、若葉さんの顔も、知らない……」と、真子は両手で顔を覆った。「ああっ、人間の顔って、なんて複雑な様相を成しているのかしらっ。覚えにくくて仕方がない!」


「真子さんが社会不適合者なだけです!」とルーシーは再び食堂を眺めた。食堂は、談笑する生徒で溢れかえっている。「これだけの人数から、たけるくんを見つけるのは難しそうですね……」


「ええ、こういうときは諦めましょ」と、真顔で真子が言った。「こういうときは、美味しいご飯を食べるのが一番だね」


「だ、誰のせいで……」と、ルーシーは言いかけたが、真子が(にら)んだので黙った。


「さ、カレーうどんはどこかな?」と真子は言った。「ルーシー、なにしてんの? 早く行こうよ」


「はいはーい」とルーシーは言った。「私もお腹ぺこぺこです。カレーうどん、私は大盛りでっ!」


 そういうと、二人は食堂のカウンターの横に併設された食券のレジの前に並んだ。

 そこは、生徒の様々なニーズに応えるために、メニューボタンがずらりと並んでいる。


 チョコスティックパンやゆで卵ばかり食べていた二人は、ずらりと並ぶメニューに圧倒されていた。

 カレーうどんがどこにあるかわからなかったからである。


「これだけメニューが並んでいると、逆に選ぶ気分が削がれるわね……。人は、無数の選択肢を前にすると、何を選べばいいか分からなくなると、社会心理学者が言っていたわ。もう少し選ぶ人の気持ちを考えて……」


「あっ、これだよ!」と言って、ルーシーは真子の独り言を無視して、ボタンをぽちぽちっと押した。出てきたのは……。


「ね、ねぇ、ルーシー……」と、真子は二枚の食券を取り出して眺めた。「これ、カレーうどんじゃなくて、カレーおでんよ」


「カレーおでん? え? なんですかそれ」とルーシーは首を傾げながら、真子の持っていた食券をつまんで見た。「カレー……おでん……。本当です……。ていうか、カレーおでんって何?」


「はぁ、あなたって子は……」と、真子は深くため息をついた。「確認してからボタンを押してよ。社会不適合者のレッテルは、そっくりそのままあなたに貼るわ」そう、真子がいうと、ルーシーはぶるんぶるんと首を横に振った。



「まぁ、美味しそうですね!」と後ろで声がした。透き通るような、聞いた瞬間その発生源が上品さを兼ねていることがわかるような声だった。「私も食べてみたいです」


 二人は、後ろを振り返った。そこには、カップルだろうか、男女二人組が立っていた。女は、手を後ろに組んで立っている。男は、胸に手を当ててもじもじしている。

 真子は目を細めた。どうやら、男の方の顔は、どこかで見覚えのあったものだった。


「お二人で、仲睦(なかむつ)まじいですね。そこをどいてくれませんか? 今から、()()()()()()を食べるので」と、真子は、カレーおでんを強調して言った。ルーシーは、後頭部のあたりを掻いている。


「お、沖手さん」と、男の方がおどおどしながら言った。急に名前を呼ばれて、真子は狼狽(ろうばい)した。


「え? どうして私のことを知っているの?」と真子は聞いた。


「え……」と男はドン引きしていた。どうやら、相当ショックを受けたようで、膝に手をつけて下を向いて肩を震わせている。「な、なんで……」

 女の方が、背中をさすって「まあまあ」と慰めている。


「この人は」と、女の人が言った。「私たちのクラスに今日転校してきた山田たけるくんですよ」

 真子とルーシーは、その言葉を聞いた瞬間に、「あーっ!」っと叫んだ。突然目の前で叫ばれて、男女はビクッと体を震わせて驚いた。真子は、「そうか、さっき話しかけて来た人!」と納得した。


「真子さん、この人がたけるくんなんですよ〜! そして、その隣が若葉さん!」と、真子の方へ向いていった。「若葉さん、たけるさん、この人、全然あなたたちの顔、分からなかったんですよ!」


「大丈夫です、慣れてますから」と若葉は言った。「沖手さんは、こういう方だとわかっています」


「私は、あなたに用があったのよ」と、真子は若葉を無視して、山田に近づいた。「あなた、異世界から来たって本当?」


 山田は、女の子にずいと近づかれて、少し後ろに退いた。相変わらず、目が泳いでいる。

「ぼ、僕、あの、僕も、あなたに用があるんです。あの……もう一つの世界ってなんのことだったんですか?」


「もう一つの世界?」と、真子とルーシーは一斉に顎に手を当てた。真子は、さっきに見た、渡り廊下のオレンジ色で丸く塗られた絵を思い出して、「あぁ」と呟いた。


 そして、真子は、「それはね……」と話し始めた。


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