『伊藤香織対策会議』
「今日の議題は――」
突如、部室と廊下を隔てる扉が開かれた。
現れたのは伊藤香織。
ディベート部の部長を務めている伊藤詩織の姉だ。生徒会長でもある。
「そんなのお姉ちゃんが許しません!」
「帰りなさいよ」
ホワイトボードにはこう書かれていた。
『伊藤香織対策会議』
姉、伊藤香織は続けて言った。
「あ、今日は生徒会監査で来てるから」
「ッ!?」
「おやおや。何だか議題がおかしいぞ? ディベート部の活動に即してないですよね、これ。一体全体どういうことなんでしょう?」
ぐいぐいと詰め寄る伊藤香織。
妹の方は、顔をこれでもかというくらいにしかめて迷惑そうにしている。
「……どうしてほしいのよ?」
「べっつにー? ホワイトボードに書かれているのは、落書きなんでしょう? 早く議題書いたらどうかな?」
「疑問詞三連続……!?」
「愛ちゃん、疑問詞ではないですよ。言うなれば疑問文です」
辻中愛は英語の小テストにまだ引っ張られている模様。
たしなめる武内瑞樹はいつものごとく大和撫子だ。
「……いえ、これでいいわ。アタシたちはこの議題を話し合おうとしてるのよ!」
「ほほう。その心は?」
威勢よく啖呵を切る伊藤詩織であり、不敵な笑みでもって迎え撃つのが伊藤香織である。二人とも状況をひっかきまわすのが趣味だ。
実にハタ迷惑。
「今日、あなたは生徒会監査という名目でここに来たわね?」
「うん、だから?」
「じゃあ昨日はどうかしら。あなたは盗撮するために来たわよね?」
「いや、その、盗撮まではやらなかったかなー、なんてね?」
「盗撮はれっきとした犯罪よ。だったら対策する必要があるじゃない?」
「ぐぅ」
ぐぅの音しか出ない正論である。
むしろ警察に届け出ないだけ温情がある方なのだ。
姉妹のいざこざに巻き込まれる警察官は可哀そうではあるが。
「じゃ、じゃあ、せめて三人の議論を聞くだけでも!」
「犯人と一緒に会議ね……アホじゃないかしら。いいえアホね。それも特別に救いようもなく、どうしようもなく、思わず縁を切りたいほどの」
「絶縁だけは勘弁して!?」
ピューという効果音が聞こえそうなくらいに、素早く逃げる姉。
しかしなぜか何もない場所でずっこけた。
「いてて……。ふ、運動不足のツケが来たか……!」
ニヒルな笑みを浮かべて走り去っていく。
これでようやくいつもの三人が揃った空間である。
伊藤詩織が口を開いた。
「みっちゃん、ドアノブ」
「ええ、わかってます」
武内瑞樹は部室の扉に駆け寄ってドアノブを握る。
するとなぜか小型の正方形をした機械がドアノブの裏側にひっついていた。
一体これは何だろう?
「舐めた真似してくれるわね……!」
「みっちゃん、それなにー?」
「愛ちゃんは知らなくていいものです。向こう百年は知らなくていいですよ」
盗んだバイクで走りだす年齢の辻中愛である。
聴こえた大和撫子の声を不思議に思った。もう死んでるよね、なーんて。
器の大きい辻中愛は、しかしこの程度では動揺しないのだ。
縦読みしてはいけない。
「さっさと部活するわよ。本当に対策立てないとまずい……!」
「ですよね……。最近、生徒会長さん強引なところがありますし」
伊藤詩織はホワイトボードの前に立ち、黒マーカーを手にする。
「急募、姉の襲来を防ぐ手立て!」
すると武内瑞樹が挙手をする。
「はいどうぞ、みっちゃん!」
伊藤詩織は指でビシッと指名する。
「生徒会長さんがここに来るのは防げないと思います」
「その心は?」
「彼女は大義名分を持っています。『ディベート部の監査を行う』という立派な目的です。となると私たちディベート部は手の打ちようがありません」
「それはちがうと思うよー?」
ここで辻中愛が珍しく反論する。
珍しすぎて他の二人が目を見開くほどだ。
「な、何が違うのかしら。愛ちゃん?」
「だってさー、監査ってボクたちの部活に対する態度が悪いから来るんでしょ? だったら、ちゃんとした活動を生徒会の人たちに見せればいいじゃん。そしてそれが続いたら監査の人たちも来ないと思うよ?」
「…………」
「…………」
ぐぅの音も出ない正論である。
この二人、部活動を遊びか何かと勘違いしていたのだ。だから辻中愛みたいな発想にならない。だから生徒会監査とかなんとか難癖つけられてしまうのだ。
「いやぁ……でも、ねえ?」
「ええ……ですよねえ?」
しかし往生際の悪い二人組である。
辻中愛くらいの純粋さが欠片でもあれば『そうだね、そうしよう!』と満場一致でハイ解散となるのだが社会で擦れてしまった二人はそうならない。
ていうかそれくらい純粋だったら目をつけられない。
どうしようもない。
「こんな言葉があるのよ、愛ちゃん」
「?」
急な伊藤詩織の言葉に首をかしげる辻中愛。
「民主主義は質ではない、量だ」
「みっちゃん? 聞こえなかったんだけど……」
「しおりんの言葉に耳を貸してはいけませんよ?」
伊藤詩織が辻中愛を悪の道に引きずり込もうとしたが、寸前で武内瑞樹がブロック。
彼女は純粋なものは純粋なままでいいと悟っているのだ。
憎むべきは俗世である。おまんら許さんぜよ。
「では気を取り直して……急募、姉の襲来を防ぐ手立て!」
すると武内瑞樹が挙手をする。
「はいどうぞ、みっちゃん!」
伊藤詩織は指でビシッと指名する。
「生徒会長さんだけが来ないようにすればいいのですか?」
「そうよ。アイツだけは危険すぎる。他はどうとでもなるわ」
「なら簡単ですね。体売っちゃいましょう。被害はしおりんだけで済みます」
「却下。それは最終手段として残しておくわ。まだ使うべき時じゃない」
この二人がいるだけで純粋なものは穢れそうなものだが、そこらへん彼女たちはどう考えているのだろうか。
まあ辻中愛は頭幼女なので会話の内容を一寸も理解できていないが。
せいぜい『しおりん、お姉ちゃんの宿題でも手伝うのかな?』なんて考えるくらいだ。彼女にとって体を売るとはそういうことなのだ。
「ていうか、みっちゃんひどくないかしら。被害はアタシだけで済むって」
「私に売ってもいいんですよ?」
「え、なにか宿題出されてたっけ?」
「?」
「?」
「?」
こういうすれちがいはスルーするのが一番である。
「急募、姉の以下略」
「発想を逆転させるのはどうでしょう?」
「真面目に部活すればいいだけの話じゃないのかなー?」
悲しきかな多数決。
嘆く辻中愛は放置されたまま議論は進む。
「逆転ってのはどういうことかしら?」
「私たちが生徒会に攻め込みます。『あなたたち最近ディベート部の監査にばっかり来てますけど、ちゃんと仕事してますか?』と殴りこみましょう」
「『お前らのせいだ!』って反論されるわよ。墓穴を掘るだけでしょうね」
「むむむ、やはり苦し紛れの意見はダメですね」
「あ、いや……ちょっと待って」
伊藤詩織は思考した。
数秒で答えは出た。
「あー、うん。なんとかなるかもしれないわ」
「本当ですか?」
「部活を真面目にしようよー」
諦めも肝心である。
ていうかディベート部の創設理由がそんな殊勝なものではないため、伊藤詩織が真面目に部活に取り組むことはなかったりする。
閑話休題。
「結論――――」
=====
伊藤香織対策会議から翌日。
生徒会長である伊藤香織は朝一番に生徒会室に来る。
そして目安箱の中身を確認するのが日課だ。
「今日のお願いなんじゃらほい♪」
長方形の木箱を逆さまにして机にぶちまける。
そして恐れおののく。
尋常でない量の嘆願書が机からこぼれ落ちそうなほど出てきたからだ。
「…………」
思わず笑顔が引きつってしまう。
「……ほほう、なるほど、そうきたか。なるほど、なるほど」
押し黙る伊藤香織。
しかし沈黙は長く続かなかった。
「やってられるかー! 私は目安箱の中身を見るためだけに生徒会長になったんじゃないんぞー!」
叫ぶ姉。
そしてあるひとつの嘆願書に目がついた。
宛名には生徒会長の伊藤香織が名指しされており、差出人は彼女の妹である伊藤詩織の名前が。
こう書かれている。
『この中にひとつ、アタシがお姉ちゃんに一回だけ“何でも”してあげるっていう誓約書があるから、がんばって探してね❤』
「ひゃっ!」
奇妙な叫び声をあげて、目を皿にして探す。
探して探して探しまくる。
しかし残念、時間が足りなかった。
朝のHRの予鈴が鳴る。
作業は昼休みに持ち越しとなった。
「絶対に見つけるかんね!」
しかし昼休みには、目安箱から飛び出るほどの嘆願書が詰め込まれていたとか。
姉は探し続ける。
あるかわからない細々とした希望の糸を手繰り寄せて。
そこに理想郷があるはずだと信じて――――
=====
「ふは」
「しおりん、悪い顔してるねー」
「見ちゃいけません」
「みっちゃんは言ったわ。『監査ばかりしてるけど、仕事はちゃんとしてるのか』って。じゃあ仕事を増やせばよかったのよ。しかもアイツだけを拘束できる理由をつけさえすれば、ちょろいもんよね」
姉を翻弄する妹である。
ちなみに嘆願書を作るのに、部活動時間の半分を費やしている。
真面目に部活をした方が……と思わないでもない武内瑞樹であった。