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『小テスト対策会議』


「今日の議題はーこれよー」


 伊藤詩織がリラックスした様子でマーカーをホワイトボードに当てる。


『小テスト対策会議』


 明日は小テストがある。

 武内瑞樹――大和撫子然とした女子高生は挙手した。

 わざわざ小テストについてを議題にするなんて、去年はしたことがなかった。確かに明日は数学と英語のそれが被ってはいるのだが……そこまでするかといった疑問を彼女は覚えた。


 が、辻中愛の光を失った瞳を見るや否や、何も言わずに手を下げた。普段から笑顔を絶やさない彼女が無表情であることに恐怖。

 そして全てを察した。


「察した?」

「察しました」


 辻中愛、ぎりぎりで二年生に進学できた頭幼女。

 平常点の重要さを痛いほど分からされた。

 どんな小さなことでも彼女にとっては致命傷足りえるのだ。


「というわけで、今日は小テスト対策をするわ。がんばりましょうね」

「わかりました」

「うん……」


 つらたん、いわゆるつらたんなのだ。






=====






「アタシ、恐ろしい事実に気づいたわ」

「……あ、そこ間違ってますよ。符号が逆です」

「あ……ホントだ。はぁ……明日大丈夫かなぁ」


 伊藤詩織、何やら恐ろしい事実に気づいた様子。

 武内瑞樹、辻中愛、無視する模様。

 こんなとき、伊藤詩織は何があっても何を言われても大抵独り言のように続けるので、二人の対応は問題ない――むしろ最適解ですらある。

 ろくでもない提案しかしないからだ。


「カンニングすればいいのよ」

「……これで数学の範囲は一応カバーできましたね」

「次は英語……つらい」


 バッグをごそごそして教科書類の取替を行う。

 すると部室の扉が勢いよく開かれた。


「詩織! お姉ちゃんは悲しいわ!」


 よく分からない叫びと共に現れたのは、生徒会会長だった。

 伊藤詩織と同じポニーテールに、伊藤詩織によく似た大きな瞳。目尻はつり上がり、初対面の人はできる女という印象を持つだろう。

 しかし伊藤詩織と比べると、少し大人びている気がしないでもない。

 彼女は伊藤香織、伊藤詩織の姉だ。


「どうしてカンニングなんてするのよ!? そんなに勉強で困っているなら、お姉ちゃんが助けてあげるのに……どうして頼ってくれないの!?」

「カンニングは元は狡賢いって意味なのよ。だから正しく言うならチーティング。cunningじゃなくてcheating、分かったかしら? 別に私は他人の答案を覗こうとしたり教科書を盗み見たりするわけじゃないわ」

「ここは日本なのよ! 和製英語がデファクトスタンダードに決まってるじゃない! そんな屁理屈、お姉ちゃんには通用しません!」

「グローバリズムの波に乗りきれない悲しい人なのね……。妹はとても悲しくて涙が出……るわけないわね。ていうか、なんであなたがいるのよ?」

「お姉ちゃん、悲しいわ。妹がカンニングす――」

「な・ん・で・い・る・の?」

「…………うるさーい!」


 突然繰り広げられた姉妹のやり取りに、辻中愛は目を白黒させる。

 伊藤香織の二の腕につけられているのは生徒会の証である腕章だ。そしてさらに、来訪者は生徒会長ときた。しかも伊藤詩織の姉。

 頭がパンクしてしまいそうだった。


「あ……ああ、公式忘れちゃった」

「じゃあやり直しですね」


 武内瑞樹は気にした風でもない。

 伊藤詩織の家にあがりこむことが多いので、必然的に顔を合わせる機会も多い。このような姉妹のやり取り、もはや見飽きているのだ。

 そしてそれは辻中愛も同様に。

 しかし頭幼女であるため、少しの衝撃でもって公式さんはお亡くなりになってしまう。

 …………南無三!


「ですけど、先に英語やっちゃいましょう」

「うん。もう英語の教科書出しちゃったもんね」


 そうして分割された、二つの領域。

 勉強空間、口論空間。ディベート部員が口論せずに勉強しているのはいかがなものだろうか?

 どうでもいいか。


「このごろ詩織がお姉ちゃんに構ってくれなくて寂しいの! 去年はあんなに構ってくれたじゃない!」

「そりゃディベート部を創設するためよ! いわゆる枕営業ね、枕よ枕。あなたは体の良いパトロンだったのよ! あらごめんあそばせ、古い人間に横文字は厳しかったかしら? パトロンなんて和製英語知らないものねえ」

「ムキー! 英語のテスト満点のお姉ちゃんを馬鹿にするなー!」


 全身をばったばった動かして精一杯に不満を表す。

 どっちが姉なのかわかったものではない。

 一方、勉強サイド。


「英単語はですね、発音しながらノートに書くと覚えやすいですよ」

「それ聞いたことあるんだけどねー。どう発音すればいいか分からないから、できなかったんだ」

「携帯とかで調べれば……って持ってませんでしたね」

「みっちゃんも持ってなかったよね?」

「はい。あと、しおりんもです」


 珍しいことに、ディベート部の全員が携帯を持ち歩いていなかった。

 武内瑞樹は家の方針――古き良き風習的なアレ――で許可されていないし。辻中愛はまあ頭幼女だし? 詐欺に引っかかりそうだとか、そういう理由で。

 伊藤詩織はというと。


「そう、メールも返信くれないじゃない! お姉ちゃん心配で電話もしたけど反応してくれないし……もっと連絡し合おうよ繋がろうよ!」

「だからといって深夜三時なんかに電話しないでほしいわ! アホじゃないの!? しかも内容が『トイレ怖いよお』だなんて、あなたアタシより年上でしょうが!」

「詩織だって、たまにそういうことしてたじゃない!」

「ええ確かにそうね。でも十数年前の話よ! あなたの中の時間は進んでないのかしら!?」


 メールの受信履歴はお姉ちゃんで一杯だ。うるさくてしょうがない。

 だからいつも携帯はベッドと枕の間に置いてある。

 持ってはいるのだが持ち歩いていないのである。携帯してない携帯なのである。


「ショット、グン……マリアゲ?」

「shotgun marriage、ですね。できちゃった結婚のことです」

「できちゃった結婚……どういう意味?」

「愛ちゃんにはまだ早いもの、という意味です」

「ふーん?」


 ちゃんとした意味を教えても、別に問題はなかったりする。

 だってコウノトリ理論を辻中愛は信じているから。頭幼女ですから。

 コウノトリさんが早めに届けてくれたんだなーとか。コウノトリさん、届ける場所間違えたのかな、とか。そんな感じで解釈してくれるだろう。

 運送業の過労が問題視される現代、コウノトリさんも大変なのだ。

 ていうか小テスト対策なのに違う意味を教えるのはいかかがなものか。

 どうでもいいか。


「ああもう、そこまで言うなら会長権限使っちゃいますー! ディベート部は廃部ですー! 詩織は生徒会に強制入会ですー!」

「な!? そんな横暴が許されるわけないでしょ!? アタシは正式な手順を踏んでディベート部をつくったのよ!?」

「お姉ちゃんは正式な手順を踏んでディベート部を廃部させますー」

「ぐっ……。だ、だったら『アレ』について先生にチクるわよ!」

「んんんー? 『アレ』って何のことかなー?」

「とぼけるのも大概にしてほしいわね! あなたが既に昨日のことを忘れてるわけないでしょ!」


 昨日の『アレ』――隠しカメラのことについてだ。

 伊藤詩織は姉の仕業だと考えているようだが。


「ちょ、ちょっと待って詩織。本当に『アレ』って何?」

「とぼけるのもいい加減にしてほしいわね!」

「ねぇ、昨日何があったの?」

「だからとぼけるのも――」

「詩織」


 先程までのふざけた雰囲気から一転、真剣な表情で妹を見つめる。

 これに妹、伊藤詩織は思わず眉をしかめる。


「あなたじゃ、ないの?」

「少なくとも昨日は何もしてない」

「少なくとも、ってところに不安を感じるわね……」

「ねぇ詩織、昨日何があったの?」


 伊藤詩織は調子を崩された様子で、渋々昨日の顛末を話した。

 部室に隠しカメラが設置されていたこと。

 部活が始まる前から作動していたこと。

 姉である伊藤香織の仕業だと思ったこと。

 そして何より、証拠品であるカメラは既に粉々にして捨てたこと。


「そんなところよ」

「詩織ったら早合点ね――私がそんなヘマするわけないでしょ?」

「自慢することじゃないと思うのよね」


 だとしたら誰が隠しカメラを設置したのかという話になるのだが、証拠品は伊藤詩織のおみ足で粉砕☆してしまった。

 真相は藪の中である。


「終わったー!」

「やりましたね愛ちゃん! 全問正解です!」

「えへへ。後は家で復習でダイジョブかな?」


 ロリっ子の頭を撫で撫でする大和撫子。

 ちょうど勉強組の小テスト対策も完了したようだ。

 妹、伊藤詩織は時計をちらっと確認すると、いい感じの時間になっていた。部活終了、結論を出す時間である。


「対策終わったかしら?」

「はい、これで明日はバッチリです」

「バッチリー!」


 ふう、とため息をついて伊藤詩織は言った。


「結論、明日はきっと大丈夫」

「ダイジョブー!」


 辻中愛は両手をぐーっと伸ばして、机に向かっていたときの疲労を解放しようとしている。かわいいわねえ、とディベート部の残り二人はテレパシーを飛ばした。

 生徒会長には飛ばさないが。

 飛ばせないのではなく飛ばさないのだ。

 姉、伊藤香織、つらたんである。落ち込まず諦めず、きっとその先に道はあるさ。


「じゃあ帰りましょうか」

「お姉ちゃんも一緒に帰るよ!」


 ピタッと妹、伊藤詩織は動きを止めた。


「みっちゃん、愛ちゃん、先に行ってて。後で追い付くから」

「……わかりました。愛ちゃん、行きましょう」

「んー? わかったー」


 パタンと部室の扉を閉めて、勉強組は帰路に着く。


「…………」

「詩織? どうしたの?」

「……お姉ちゃん」


 妹が姉との距離を詰める。

 二人の身長はそう変わらないため、どちらが見上げるわけでも身下げるわけでもなく、視線は水平のままだ。

 似たような顔のつくりをした姉妹、似たような髪型。

 妹、伊藤詩織はうつむいて、どこか恥ずかしそうにしている。


「お姉ちゃん!」

「お、お、おお!」


 伊藤詩織が伊藤香織に抱きついて、さらに押し倒してきた。

 甘い香りが伊藤香織の鼻孔をくすぐる。目前には伊藤詩織のさらさらした黒髪がある。これだ、これなのだ、待ち望んでいたものがとうとう来た。

 思わず手をワキワキして抱き返したい欲望に駆られる。


「そっかぁ、詩織は甘えたかったんだけど甘えられなかったんだね。あの二人の前では、しゃんとしていたいんだね。うんうん、甘えるといいよ。今は私たち以外、姉妹の仲を邪魔する人なんていないからね」


 暖かい、久しぶりに感じた妹の暖かみ。

 最ッ高だね!

 ほうら、妹の細くて可愛い指が私の体を這って――そこで伊藤香織は気づく。


「あっ、ちょ、ちょっと待って。そこは、そこはダメだから!」

「何がダメなのかしらねえ?」


 妹、伊藤詩織の指先は姉、伊藤香織のスカート内へと。

 しかーし! この先に甘い展開などない!


「これは何かしら? お・ね・え・ちゃ・ん?」

「ちょ、本当に、本当に待って!」


 伊藤詩織は目当てのもの――ビデオカメラを勢いよく引き抜く!

 そう、伊藤香織はカメラをスカート内に隠していたのだ!

 妹はビデオカメラのカバーの紐をぷらぷらさせる。


「おかしいと思ったのよね。あなたが何の用事もないのに部室に来るわけないじゃない。来るなら、そこには確かな目的があるはずなのよね」

「あのー、詩織ちゃーん。もうちょっとお姉ちゃんのこと信用してもいいんじゃないかな?」

「信用したら盗撮されちゃうじゃない」

「ぐぅ」


 そもそも、と伊藤詩織は続ける。


「カンニングの話をしたのもあなたを部室に誘い込むため。……まあ、おびき寄せられていることに気づいてたでしょうけど」

「うん、まあ、詩織と遊びたかったからね」

「はぁ……無駄に優秀な姉を持つと苦労するわ」


 どちらも無駄に優秀なのですけどね。

 片や生徒会長に、片や一人でディベート部創設までこぎ着けた姉妹である。

 特に妹の方は結構苦労したのです。


「盗撮事件、解決ね」

「うー、やーらーれーたー」


 馬乗りの伊藤詩織は高らかに宣言した。

 すると小声で伊藤香織が


「昨日のは本当に無関係なんだけどね」


 と呟いた。しかし達成感に浸っている伊藤詩織には聞こえなかった。

 まあ、姉には犯人が誰かある程度目星はついているのだが。

 満足している妹を愛でる方が大事なのだ。


「詩織ちゃーん。もっと甘えてもいいんだよー!」

「あ、いえ、勘弁してください」

「あふん」


 悲しいかな、伊藤香織。






=====






「優乃ちゃーん」

「はい? どうしました?」

「君中学の頃ブイブイ言わせてたみたいだね」

「っ……どこでそれを」

「ウチの妹がごめんね。写真は回収しといたよ。パソコンとか携帯のデータも削除しといたから。はい、これ」

「! あ、ありがとうございま――」

「だから隠しカメラはもう設置しなくていいよ」

「~~っ! う、嘘、なんで……」

「一昨日生徒会を休んでたでしょ? それでディベート部の部室の鍵を借りたらしいじゃないか。妹は先生たちと仲が悪いからね。わざわざ職員室に行くわけがない。そう思ったんでしょ?」

「……その」

「大丈夫、誰にも言ったりしないよ。この件、妹の自業自得だからね。だけど私は姉だから、妹を助けた。ただそれだけだよ」

「……すいませんでした」

「次はないからね?」

「っ、はい……」


 石田優乃、生徒会監査。

 伊藤姉妹から目をつけられた、かわいそうな女子高生。

 彼女の未来はどっちだ!?


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