『大きいと小さいの境界線はどこか?』
「今日の議題はこれよ」
こんこんと、中指の第二関節でホワイトボードを叩く。
『大きいと小さいの境界線はどこか?』
日光が部室を照らして、ホワイトボードが白く輝く。
カーテンが窓の端で束ねられ、一瞬だけ、小さく輝くものが見えた。
「これまた厄介な議題ですね」
と、大和撫子こと武内瑞樹。
こういった議題は彼女の苦手分野だ。
だって『個人による』とか思考放棄するんだもの。
それじゃあ議論になりません。そうは問屋が卸しません。
「大きいと小さいの境界線……」
辻中愛は間違いなく、『小さい』部類に属するだろう。
体は幼女、頭脳も幼女、大きい要素が見当たら……心の広さは大きいか?
いや、ただ考えてないだけかも。
「議題はああ書いたけど、つまり『判断基準は何か?』ってことよ」
「あまり変わらない気がするんだけど……」
辻中愛は議題の言い換えを理解し難いようだが、武内瑞樹は違うようだ。
「『境界線』ではなく、『境界線の引き方』について議論するということですか?」
「そういうことよ。『境界線』は各人で違うでしょうけど、『引き方』に関しては法則性が見えてきそうじゃないかしら?」
「……!…………?」
理解した、と思ったら理解できなかった辻中愛に、伊藤詩織は追加で説明する。
「愛ちゃんは『小さい』でしょう? でもアリよりは『大きい』じゃない。このとき、どうやって『大きい小さい』を判断したか議論するってことよ」
「うぇー。むずかしーなー」
頭をひねりながら、パイプ椅子に寄りかかり天井を仰ぎ見る。
口が半開きになる。はしたない。
だが誰も注意しない。なぜなら「そんな愛ちゃんもかわいいなあ」とか考えている二人しかいないからだ。
「まず、愛ちゃんを『小さい』と判断した理由について話しましょう」
大和撫子が議論の口火を切った。
「時間が許す限り『かわいい』と判断した理由についても話すわよ」
だが伊藤詩織は議論の腰を折る。
「ダメです。議論に集中してください」
大和撫子は議論に応急治療を施す。
「愛ちゃんを語るのに欠かせない要素よ?」
治療を邪魔する。
「本題からずれるので却下です」
邪魔者の邪魔をする。
「そんなこと――」
邪魔者の邪魔を邪魔す――
「議論に集中しなきゃだめだよ!」
邪魔者の邪魔の邪魔を邪魔した!
伊藤詩織の懇願も、辻中愛の前には通じない。というより辻中愛に注意されたら伊藤詩織は、いや、伊藤詩織と武内瑞樹は逆らえない。
眉を八の字にして情に訴えるが、幼女には通じない。通じないのだ。
「……そうね、ごめんなさい。本題に戻りましょう」
……あと数秒待てば通じたかも?
辻中愛は、ふうとため息をつく。
閑話休題。
「愛ちゃんを『小さい』と判断した理由は……周囲の人たちと比較してかしら」
心は大きいけどね、と付け加える。伊藤詩織は懲りてないようだ。
といっても引き際は心得ているが。
「具体的に周囲の人というと?」
「クラスメイトね。同年齢がポイントかしら」
「男女を区別せずに、ですか?」
「……確かに男女で区別するわね。同年齢、同性が重要なのかしら」
「男の子で小さいって言われる人も、女の子だと普通の身長だもんね」
しかし男女を区別しても、辻中愛は『小さい』部類のままである。
悲しいかな?
「みっちゃんはどうかしら?」
「私はあくまで自分基準だと思います。私より大きいか小さいか、それだけです」
「ボクはみっちゃんより小さいから、そう判断したってこと?」
「そうなりますね」
伊藤詩織は少し間隔を置いて、武内瑞樹に質問する。
手を挙げなかったので議論ポイントマイナスだ。そんなものないが。
「その自分基準はどこまで適用されるのかしら? 全校生徒、日本人、人間、動物、果てには無機物、範囲はどこからどこまでかしら?」
「さすがに無機物までは……。しおりんと似た感じで、同性までですかね」
ふむふむなるほど、と伊藤詩織は頷く。
残るは辻中愛だけだ。自分を『小さい』と判断する理由を言わなければならないとは……頭幼女だから問題ないか。
「ボクはね、あまり自分を『小さい』と思わないんだよね」
おや?
「みんな大きいなーとかは思うんだけど、自分が小さいとは思わないんだ。なんていうか、自分が小さいのは当たり前みたいな、思うまでもないというか、そんな感じ?」
結局、辻中愛が『小さい』ことに変わりはないと思うが。
本題から少しずれているのではないだろうか。
貴重なサンプルではあるのだろうが、議題に沿っているとは言い難い。
まあ二人にとっては、辻中愛の話というだけで愛でるべきものなのだが。
『周囲の環境で判断したということかしら』
『そういうことでしょう』
と、目と目で通じ合う。辻中愛に聞かれないように、だ。
エスパーかな?
「なるほどね。愛ちゃんにとって、小さいっていう事実は当たり前すぎて、今さら意識するほどでもないってことね」
「そーいうことになるかな?」
首をコテンと傾げる。小動物だね。
「まとめると、対象が属するグループ内での比較によって判断する、ということかしら」
「愛ちゃんの例においてはそうですね」
とまあ、このような流れで議論は進んでいく。
=====
「そういえば、小さな巨人なんて比喩があるわね。スポーツ選手がよく例えられるかしら」
と切り出すのは伊藤詩織。反応するのは武内瑞樹だ。
「体は小さくても存在感はある、という意味でしたか。」
バレーやらバスケやら、外国人に比べ背が低い日本人が好む比喩だ。
偏見にまみれているかもしれないが。
「小さいと大きいは共存できる! と言いたいけど、それぞれ形容詞の対象が違うのよねえ」
「本題からずれ始めてますよ」
「みっちゃんは真面目ねえ」
「しおりん」
「はいはい、わかってるわよ」
やれやれと肩をすくめる伊藤詩織、にため息をつく武内瑞樹、に訳知り顔な辻中愛。
いや、まさかそんなはずが……。
「愛ちゃんは気づいているんですか?」
「うん、わかってるよー」
辻中愛の答えに、少し驚く『愛ちゃん守り隊』だった。愛ちゃんが成長したと、嬉しくも悲しくなる二人。まあ、その考えはすぐに覆されるのだが。
「みっちゃん、しおりんとケンカしてるんでしょ? だからそんなにしおりんに厳しいんだよね。ダメだよ、仲良くしないと!」
頭幼女であった。
「あーうん、そうね。仲直りはしなきゃダメよね」
「えーはい。仲直りしましょうか」
毒気を抜かれた二人は、おざなりな握手を交わす。
『やっぱり愛ちゃんね』
『やはり愛ちゃんです』
おなじみのエスパーで語り合う。辻中愛が辻中愛である条件は、頭幼女であることなのかもしれない。このことを、かなりオブラートに包んだ表現で思い浮かべる二人であった。
「じゃあ仲直りの記念に、結論出しましょうか」
「出しちゃいましょう」
「出しちゃおー」
あくまで喧嘩して仲直りした体で会話をする。
伊藤詩織と武内瑞樹は過保護なのだ。辻中愛のみに対して。
「結論、愛ちゃんは――」
「しおりん」
「――『小さい』と『大きい』の境界線を厳密に定めることはできない。それは各々の過ごしてきた環境に、私たちの感性が引っ張られてしまうため。しかし、属する集団の特徴を捉えることによって、境界線が引かれる傾向を掴むことができる。以上」
「? 仲直りしたんじゃないの?」
『愛ちゃん守り隊』は頭をなでなでする。
「愛ちゃんはかわいいわねえ」
「かわいいです、ふふ」
薄い笑みを浮かべる武内瑞樹は、辻中愛の背中を押して部室から出る。
伊藤詩織はというと
「まったく悪趣味よね」
と一人残った部室で独りごちる。視線の先には束ねられたカーテン。
伊藤詩織は少し背伸びをして、カーテンに埋まっている、隠しカメラを取った。
「これって犯罪ですよねえ、生徒会長さん?」
勢いよく床に叩きつけ、粉々になるまでシューズで踏みつける。
「ま、訴える気はさらさらないんだけどね。やっぱり家族だもの。美しき姉妹愛ってとこかしら。……いや、さすがに気持ち悪いかも」
二人は隠しカメラの存在に気づいていたが、幼女は気づいていなかったという話。