『誰にもバレずに花粉症対策をするには?』
「今日の議題はーこれー」
『誰にもバレずに花粉症対策をするには?』
脱力の極みに達した表情と声色で、ホワイトボードをマーカーで小突く。
いつものような覇気は感じ取れない。
それもそのはずだろう。
「議題の新鮮味が足りないのよね……」
ディベート部の議題は、伊藤詩織の気まぐれによって決定される。
その日の天気、体調、その他諸々。果てにはブラジルの蝶の羽ばたきでさえ、彼女の気まぐれに反映されるのだ。
本当はもっと別の議題にしたいのである。
といっても先週の金曜日に約束した手前、反故にするわけにはいかない。
「まあまあ、そう言わずに。しっかり部活しましょう」
と武内瑞樹。ちなみに彼女は花粉症ではない。
「うんうん! 今日もしっかりがんばろうね!」
と辻中愛。ちなみに彼女は花粉症ではない。
「そうね、がんばりましょう」
と伊藤詩織。ちなみに彼女は花粉症ではない。
議論する必要があるのだろうか?
「まず、主な花粉症対策をあげていきましょう」
伊藤詩織はマーカーのキャップを開けた。
=====
花粉症対策(鼻)
・マスクの着用 → ばればれ
・耳鼻科への検診 → 薬だけで花粉症が完治するのか?
・ワセリンを塗る → 最有力候補
・ヨーグルトを食べる → 食事で改善できるのか?
花粉症対策(目)
・メガネ → 隙間からの侵入は防げないのでは?
・専用メガネ → ばればれ
・目薬 → 最有力候補
・洗眼 → 水質による?
「こんなところかしら」
カチッとキャップを閉めて、伊藤詩織はうんうんと頷く。
武内瑞樹は挙手をする。質問する際のマナーはバッチリだ。
「何かしら?」
「花粉症の人に質問するべきではないでしょうか」
「……さすがに無理じゃないかしら。土日で入部した人は多いだろうから、信号機のときみたいなインタビューは期待できないわ。下手しなくても、インタビューできる人数は少なくなっているわね」
「ですが――」
「それにインタビューできたからといって、その人が花粉症である保証はないわ。残念だけどインタビューは無理よ」
「……そうですね」
「じゃあ、ここの生徒じゃなくて、通行人にインタビューをするとかは?」
「一緒のことね。その人が花粉症である保証はないわ」
「そっかー」
耳鼻科に行き、花粉症患者を探すという選択肢もあることにはあるが、ここの高校から病院は結構な距離がある。最近、下校時間に遅れて顧問から怒られたため、再び同じ違反をするわけにはいかない。
まあ、抜け道があるのだが、それに気づくかどうかは別問題だ。
「久しぶりにパソコン案件ですか?」
「そうなるわね。使わせてくれるかしら?」
「大丈夫じゃない?」
疑問文で会話をするディベート部。
パソコン部は恐々としながらも使わせてくれるだろう。彼らには女子に対しての免疫がないのだから。決して大和撫子を恐れているわけではない、多分。
「ダメ元で行ってみましょう。貸してくれれば御の字ね」
三人は部室の鍵を閉めてから、パソコン部へと向かうのであった。
最適解にもっとも近づいたことに気づかずに……。
=====
「こんにちは。部長さんはいるかしら?」
「ひぃ! な、何ですか?!」
「いや、パソコン使わせてもらいたくて、部長さんに許可をもらおうかと」
武内瑞樹は表情を微妙にひきつらせる。
あきらかに部員の目線が、彼女に移ったときに怯え始めたからだ。
春休みをはさんでいたので、女子に対する免疫はなくなりかけていたようだった。大和撫子に対する免疫ではないことに留意してほしい。
あくまで女子に対する免疫だ。そう思うことにしよう。
「す、すいません! 部長、ディベート部が来ました!」
「まじかよ……。わかった、すぐ行く!」
『まじかよ……』の部分は小声である。
聞かれたらどうなるか……。想像するだけでパソコン部部長の背筋は凍る。
自分の迂闊な行動を猛省しつつ、小走りでディベート部の三人へ近づく。
心なしか表情が硬い。女子に対する免疫は彼にもないようで。
パソコン部は大変だ。
「今日は何の用件?」
部長は三年生である。なので、敬語で話しかけては下級生に示しがつかない。
だが内心は冷や汗もの。彼の立場の悲壮さが感じ取れる。
女子は恐ろしいものだ。
「パソコン使わせてもらえないかしら?」
「ああ、それぐらいなら構わないよ」
「どうもありがとう」
「どういたしまして。隅にあるパソコン使ってね」
「いつもの場所ね。わかったわ」
日当たりのよい窓際にあるパソコンへ向かう。
途中、情けない声をあげる部員たちに、首をかしげる部員がいた。
おそらく新入生だろう。知らないことは幸せである。根も葉もない噂なのだが。
いつもの場所を占領して、デスクトップ型のパソコンを起動する。
パソコンの操作は辻中愛が担当し、その後ろに二人が並んでいる。
ちょこんと座ってパソコンを操作する辻中愛を愛でるために、この陣形に落ち着いた。愛玩動物の扱いから中々抜け出せない幼女である。抜けだそうと努力しているわけではないが。
「なんて調べるの?」
「まず薬の効き目についてね」
「『花粉症 薬 体験談』で、どうですか?」
カタ、カタ、と人差し指でキーボードを叩く辻中愛に、後ろの二人は微笑ましい気持ちになる。奇しくも、はたまた必然か、二人の手は同時に辻中愛の頭に置かれた。
二人の視線が示し合わせたかのように交錯する。
――愛ちゃんはかわいいわね
――何を今さら当たり前のことを
二人の心が通じ合った瞬間である。
特に珍しいことではない。
「これとかどうかな?」
「ふんふん、『花粉症の人必見! 花粉症対策の最前線レビューサイト』、ね」
「俗にまみれたタイトルですね」
「こういうのが目を引くんじゃないかしら」
「そんなものですか?」
「そんなものよ」
「クリックするよー?」
一応、二人に確認してから、辻中愛は右クリックする。
=====
「……もう結論出していいんじゃないかしら」
「……まあ、いいと思います」
「花粉症の『薬』ってすごいんだねー」
『薬』のページにあったレビューには、要約すると、こう書かれていた。
『耳鼻科に行けばなんとかなる』
サクラ、という単語が一瞬だけ脳裏にちらついた。
それぐらい『薬』に対する評価はすさまじいものだったのだ。
「一応、他の項目も調べましょう。次は……『ワセリン』ね」
「はーい」
『ワセリンを塗ることに慣れれば、有効』
「意外と普通ね」
「普通ですね」
「次は『ヨーグルト』!」
『即効性はないが、長期的に見れば有効』
「普通ね」
「ですね」
「次は『メガネ』!」
『コンタクトに花粉が付着することがあるため、代替品として有効』
「なるほど、コンタクトの代用品として使うのね」
「これは盲点でした」
「次は『目薬』!」
『症状に応じて使い分けよう』
「結構な種類があるわね」
「花粉症って大変なんですね……」
「次は『洗眼』!」
『専用の液体を買おう』
「水道水じゃダメなのね」
「等張液だったらどうなるのでしょうか?」
「次は……おしまい?」
「ん、じゃあ結論出そうかしら」
「時間もいいとこですので、いいと思います」
辻中愛はパソコンの起動のボタンを押そうとして、寸前で止まる。
左下のスタートボタンからシャットダウンをクリックした。
かつて怒られた経験が活きたのである。
「結論、耳鼻科に相談」
結論と同時に、パソコンのシャットダウンが完了した。
「無難ですね」
「ぶなんー」
無難な結論に、武内瑞樹と辻中愛は微妙に納得いってないようだった。
むしろ、収まるべくして収まったという感じなのだが。
伊藤詩織の突飛な結論が、ディベート部ではスタンダードになっているのかもしれない。
「帰りましょ」
「そうですね」
「そうしよー」
三人は、パソコンのお礼をパソコン部の部長にしてから、帰路に着くのであった。
そして、道中で伊藤詩織は気づく。
「部活を早めに切り上げてから耳鼻科に向かえば、下校時間を気にしないでよかった……?」
「……確かにそうですね」
「ズルしちゃダメだよ、しおりん、みっちゃん」
結局のところ、抜け道は辻中愛に阻まれていたのであった。