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『なぜ政治家の汚職はなくらないのか』


 伊藤詩織の朝は早い。

 彼女は午前五時には起きる。


「まだ五時……完璧ね」


 押し寄せる睡眠の波に耐えながら目覚まし時計を確認する。

 目覚まし時計は六時半にセットされているはずだが……


「至福だわ……」


 まどろみを揺蕩う感覚を存分に味わう伊藤詩織。

 アラームが鳴り響くまで、彼女がベッドから出ることはない。




=====




「おはようございます」

「おはよう、瑞樹ちゃん。今日もごめんなさいね」

「いえ、起こすのは得意ですから」


 嫌な表情ひとつせず、薄い笑みを浮かべる姿はまさに大和撫子。

 いつもの会話を伊藤詩織の母とする。


 伊藤詩織の朝は遅い。

 本人はそんなことないと否定するが誰も信じない。

 信じるには日頃の行いが悪すぎた。


「失礼します」


 武内瑞樹はローファーをきれいに並べてから、未だ起きない伊藤詩織の部屋へと向かう。

 彼女の部屋は二階だ。

 特に迷うこともなく、フローリングの階段をのぼり扉に辿り着く。

 コンコン、と一応ノックをしておく。あくまでも一応だ。


「入りますよ?」


 反応は返ってこない。一拍置いてから、扉をゆっくりと開けてお邪魔する。


 伊藤詩織の部屋は落ち着いた雰囲気だった。

 教科書ノートと少しの文庫本が載せられた机と普通の椅子。

 部屋の中央には紺色のカーペットが敷かれており、その上には赤、黄、青と信号機のカラーリングをした円形のクッションが三つあった。

 赤が伊藤詩織、黄が辻中愛、青が武内瑞樹用だ。

 昨日の議題はここからヒントを得たのかと武内瑞樹はふと思った。


 肝心の伊藤詩織へと視線を向ける。

 ぬくぬくと暖かそうに布団に包まれている女子がいた。

 朝日が降り注いでいるにもかかわらず、ゆるんだ笑みを浮かべている。

 間取りに配慮してベッドの位置を調整したのだろうが、伊藤詩織には意味がないようだ。

 ほう、とため息をついてからベッドへと歩を進める。


「うへへ、愛ちゃんはかわいいわねぇ」


 夢の中でも愛玩動物をかわいがっているようで、寝言でそんなことを言った。

 武内瑞樹はカーペットに膝をついて


「しおりんもかわいいですよ」


 と耳元でささやいた。いたずらっぽく笑って、その子どものような笑顔が、普段の印象に反して官能的だった。

 それでも起きない伊藤詩織に追撃をかける。


「起きてください、朝ですよ」


 再度、やさしく耳元でささやくが、起きそうな気配はない。

 これを好機と見た武内瑞樹は、かねてより考えていたある行動を実行する。


 武内瑞樹の白く細長い指が、伊藤詩織の艶やかな髪に隠れた額を朝日にさらす。

 耳に髪をかけながら、透き通るような肌に顔を近づける。

 リンゴのように真っ赤な唇が徐々に伊藤詩織の額に接近し、二人の距離は縮まっていく。

 そして、赤と白が交わる――


「ふぁあ。あら、おはよう。顔近いわね」


 ――ことはなかった。


「おはようございます、起こしに来ましたよ」

「もうそんな時間なのね」

「はい、もうそんな時間です」

「顔近いわね」

「しおりんはかわいいですから」

「いや、起き上がれないのよ」

「あ、ごめんなさい」


 伊藤詩織の朝は遅い。

 彼女の朝は、叩き壊した目覚まし時計を回収することから始まる。




=====




「おはよう!」

「おはよう、愛ちゃん」

「おはようございます」


 よくあるような一軒家の前で待ち合わせをしていた。

 辻中愛の家だ。

 輝くような笑顔で二人を迎える。

 いつも通りの何の変哲もない三人の日常。ただ、今日はちょっとちがう。


「『アイツ』から連絡が来たわ」

「ということは作戦会議ですか?」

「いつもより早くない?」

「おそらくだけど昨日のあれのせいでしょうね……」


 『アイツ』とは生徒会役員の内通者のことである。


 ディベート部は、生徒会からその存在を疑問視されている。

 活動内容と部活動の実態が異なるのではないのかとか、弁論大会に出場しないのかとか、むしろ活動してんのかとか、様々な疑問がわき出ている。

 さらに三階の文芸部から、上階のディベート部がドタバタうるさいんだけど、と苦情が入っていた

 それで結成一年目のこともあり、部活動調査として生徒会が監視することになった。


 結果として、一回目の監査は運がよかったといえた。

 なぜなら、『経済における私たちの役割とは?』という真面目な議題を提示していたからだ。

 ちなみに辻中愛が公民で赤点を取ってしまったために、追試対策にマジメな議論をしていたのだ。

 追試関係ない? 気にしてはいけない。


 調査結果としては白。非常に運がよかったといえる。

 とはいえ文芸部から苦情が入っていた手前、生徒会はたびたび抜き打ち調査をするようになった。


 この事態を重く見た伊藤詩織は、数ある伝手を頼って『おねがい』に参った。

 ある一人の生徒会役員のもとに。

 なぜか写真を持って。なんでだろうなぁ。


 『おねがい』の内容とは、調査にくる日程をディベート部にリークすること。

 心優しい一人の生徒役員は、『おねがい』を聞き届けてくれた。

 それじゃ抜き打ちできないじゃないか!

 と、言いたくなるかもしれないが聞き届けてくれた。

 なんででしょうねぇ。


 そういうこともあって、生徒会対策は万全!……のはずだった。

 ディベート部にボロを出す人物が一人いた。

 辻中愛だ。


 頭幼女だからかどうか知らないが、例えば「今日は難しいなぁ」とつぶやいたりとか、議論の途中で居眠りだとか、話についていけず押し黙ってしまうとか、議論慣れしていればしないようなことを、彼女はしていた。


 それを不審に思った生徒会は、今でも調査を続けている。

 あと、美人(普通にしていれば)の二人を見れるという、男子高校生の邪な気持ちも理由の一つだ。

 男子高校生の諸君、視線はバレバレだぞ!


 昨日は下校時間を大幅に過ぎてしまっていたこともあって、顧問から怒られてしまった。

 そのことを理由にして抜き打ち調査をするのだろう。


「今日の議題は『誰にもバレずに花粉症対策をするには?』にしようと思ってたのに……残念ね」

「それは来週に持ち越しですね」

「あ、今日って金曜日か」


 幼女に曜日感覚などない。

 ちなみに辻中愛は教科書類をロッカーに押し込んでるので、時間割は見ない。


「何か思いつくかしら?」

「そうですね……」


 生徒会対策用の議題は武内瑞樹が提案するようになっている。

 伊藤詩織はそんなものに興味がないからか、途端に発想力は失われる。

 こういうのは適材適所でいいのだ。

 適材適所の結果、辻中愛は議題を提案することはないが。


「『なぜ政治家の汚職はなくらないのか』とかどうですか?」

「時事ネタね、いいと思うわ」

「爺爺ネタかー」


 ともあれ今日の議題は決定した。

 意味のない抜き打ち調査が行われる。




=====



「今日の議題は……これよ!」


 目をカッと見開いて、二人を威圧する。

 すると


「動くな! 生徒会監査だ!」


 と派手な音を立てながら扉が開かれた。

 大きな声を出したのは、生徒会の腕章をつけた女子生徒。

 栗のような髪色のショートカット、メガネをかけているにもかかわらず、気の強そうな瞳はレンズ越しにも伝わってくる。

 身長は伊藤詩織より少し高いくらいだろう。

 彼女は石田優乃、高校二年生だ。


 後ろからぞろぞろと三人ほど追加で入室してくる。

 全員男子生徒会役員だ。邪な奴らめ。


「あら、こんにちは。茶髪って風紀乱さないかしら?」

「これは地毛だ!」

「身長伸びたかしら?」

「高校から伸びてない!」

「メガネ変えた?」

「変えてない!」

「後ろに幽霊が……」

「い、いるわけないだろう……」


 ケラケラと笑いながらおちょくる伊藤詩織。

 反抗して大声を張る生徒会監査役。

 もはや様式美となっている二人の応酬に周囲の人間は苦笑いだ。


 憤怒の感情を隠しもせずに視線にのせるが、伊藤詩織はビクともしない。

 そんな石田優乃にもう一人の監査役が耳打ちをする。


「議題、問題なさそうです」

「……まあいい、どうせすぐに尻尾を出すさ」


 ホワイトボードにはでかでかと『なぜ政治家の汚職はなくらないのか』と書かれている。


「議論の様子、見させてもらう」


 伊藤詩織から目線をそらさずに吐き捨てる。

 そこに「これどうぞー」と武内瑞樹が予備のパイプ椅子を持ってきた。


「ああ、すまない」

「いえいえ、どうぞゆっくりしていってください」


 男子生徒にもパイプ椅子を渡していく、武内瑞樹と辻中愛。

 片方にはビクついて、片方には癒される。

 はさみうちの定理により男子生徒はなんともいえない感情になる。

 近付かれるのは恐いのけど、近付かれると癒されるのだ。


 全員の準備が完了したことで議論が始まる。


「議題は『なぜ政治家の汚職はなくらないのか』ね。まずは私の意見から」


 曰く、政治家とは地域との密着度に応じて選挙の当選率はあがる。

 この地域との密着度とは、実感できるような『なにか』を生活で感じ取ることができたときに獲得できるものだそうで。

 その『なにか』は企業への仕事の斡旋だとか、仕入の口利きだとかを元に作られるもの。

 そして密着度を見誤ったときに汚職事件は起こるらしい。

 政治家は人間なのだからミスをして当然。なので汚職事件はなくらない、らしい。


「猫被りめ……」


 愚痴を吐いている石田優乃に、伊藤詩織はウインクすることにした。


「うわ、うっざ」


 武内瑞樹が手をあげる。


「何かしら」

「しおりんは『なにか』を作るために会社に口利きをする、という考えですか?」

「そうね。例えば公園の建設とか、親子で過ごせる場所をつくるとするじゃない。そのときにお願いするのは建設会社よね。この建設会社の選択に一悶着あって色々なことが起きるのだと考えてるわ」

「頭が追いつかない……」


 辻中愛はがんばるよ。


「やっぱあの子この部活に向いてないんじゃ……」


 かわいそうな小動物を見る目で、一人の監査役がつぶやく。


「ちがうわ。この部活が普段不真面目だからついていけてないだけ」

「かわいそうですね……」

「まあ……そうね」


 やめればいいのに、とは言わない。

 結局は本人の意思次第なのだ、と思う。

 決して大和撫子モドキが恐いわけじゃない。


 次は武内瑞樹の番だ。


「簡潔に言いますと、リスクとリターンが見合うから汚職はなくならないだと思います」

「おお、ボクにもわかりやすい」


 伊藤詩織は意地の悪い笑みで石田優乃を見やるが、石田優乃はほとんど反応しない。

 ちらっと視線を返すだけだ。

 議論に意識を戻して、伊藤詩織は口を開く


「シンプルだけど確かにその通りね。ハイリスクローリターンで汚職する人間なんていないもの」

「はい、そういうことです」

「意外と早く終わっちゃったわね。愛ちゃん、準備できてる?」

「うん、なんとか言いたいことはまとまったかな」

「それじゃあ、次。愛ちゃん、どうぞ」


 こほん、と咳払いしてから語り始める。


「えっとね、汚職するってことはお金が足りないってことだよね。お金が足りないってことは生活することができなくて、生きていくことができないってことで、やっちゃいけないのに、やってしまうって苦しく思いながらしてるんじゃないかな。いつの時代でも、どこかに貧しい人はいるんだし、その貧しい人がただ政治家だったってだけじゃないかな。だから汚職をしてしまうのは悪いことじゃなくて仕方がなかったことなんじゃないかな。ボクはそう思ったよ。……ど、どうかな?」


 自信なさげに体を縮こませ、きょろきょろと周りを見る。

 呆れられたかな、と嫌な想像をしてしまうが。


「愛ちゃんは優しいわね」

「愛ちゃんは優しいです」


 伊藤詩織、武内瑞樹はそんなことはしない。

 同じ部員であり、親友でもあるのだから。そんなことするはずがない。


「次は意見のすり合わせね。がんばりましょう」


 議論は続く。




=====




「結論、政治家の汚職はなくならない」

「結局そうなりましたね」

「残念だね」


 伊藤詩織が立ち上がり、生徒会の方を向く。


「今日の部活はもう終わりまです。お付き合いいただきありがとうございました」

「礼儀よくしちゃって、腹立つわね……」

「あなたに礼儀はつくしてないわ」

「そんなことわかってるわよ。あくまで生徒会に、でしょ」

「ふふ、よくわかってるじゃない」


 「腹立つわね……」とつぶやきながら立ちあがる石田優乃。

 それに続いて他の役員たちも立ち上がった。


「今日の監査は白よ。おめでとう。さ、帰るわよ」

「ういっす」


 抜き打ち調査は終わった、ディベート部も解散だ。


「あー、疲れたわ」

「本当にそうですね」

「うぇー、かえろかえろ」


 口では同意を示しているが、武内瑞樹はそんなに疲れたようには見えない。

 対して二人は、肩をもんでいたり、机に突っ伏していたりしている。


「それじゃ、帰りましょっか」


 三人は下校の準備をする。

 伊藤詩織はホワイトボードの文字を消しながら思った。


(人って変わるものよねぇ)


 思ったのはある写真、脅は……『おねがい』に使われた写真。

 その写真には一人の女子が写っている。


 バイクに跨って夜の街を爆走する姿。

 栗のような髪色のショートカット、気の強そうな瞳が写真越しにも伝わってきそうな、そんな写真。


 ホワイトボードを消し終えた伊藤詩織は、一緒に部室を出る。


(案外、愛ちゃんが言ったことも合ってるのかも、ね)


 そんなことを思いながら、部室の鍵を閉めた。

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