『信号機で人の性格を見分けることができるのか?』
「今日の議題はー、これよ!」
トトトントン、と小気味良いリズムでマーカーをホワイトボードに叩きつける。
そこにはこう書かれていた。
『信号機で人の性格を見分けることができるのか?』
「これは興味深い議題ですね」
「えー、そうかなー?」
武内瑞樹と辻中愛はそれぞれ異なる反応をした。
辻中愛は見分ける意義を感じないのだろう、頭幼女だから。
対する武内瑞樹は印象操作に使えそうなためか、興味津々だ。
そういえば、新入生に対する印象操作はうまくいっているようだ。
部室までの道のりで、新入生の女子が武内にお礼をしていた。
伊藤詩織は「あの子誰よー」とニヤニヤしながら聞いたが、武内瑞樹は「秘密です」と薄い笑みを崩さずに答えた。
どうやら新入生にお礼をされるほどの問題を解決したようだ。
決してマッチポンプなんてやってない、やってないぞ!
閑話休題。
「まずサンプルとしてアタシたちのデータを取りましょう」
三人は様々な情報をホワイトボードに書き始めた。
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伊藤詩織の場合
赤信号の待ち方
・青になったと同時に歩き出せるように、車用の信号機を見る
・赤から青になるまでの時間で運勢を占う
横断歩道の渡り方
・黒いところだけ踏むように歩く
武内瑞樹の場合
赤信号の待ち方
・信号機を見つめて、ボーっとしながら待つ
・通り過ぎる車の数をかぞえることがある
横断歩道の渡り方
・特になにも
辻中愛の場合
赤信号の待ち方
・スマホで暇つぶし
横断歩道の渡り方
・白いところだけ踏むように歩く
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「横断歩道は白派と黒派がいるようね」
三人はパイプ椅子に座りながらホワイトボードの情報を精査する。
「ボクは特に理由はないけど白だよ」
「愛ちゃん、もう一回言ってくれないかしら」
口元で両手を組んでうつむく伊藤詩織は聞き逃したのか「もう一回」とお願いした。
「特に理由はないってボクは言ったよ」
「そこじゃないわ」
「え?じゃあ、白だってところ?」
「そう、そこをちゃんと言って」
「え、え?」
辻中愛は混乱している!
「ちゃんと言ってくれないかしら」
「う、うん。ボクは白だよ」
「ありがとう」
伊藤詩織はフッと微笑んでから両手をほどいた。小声で「もっと恥じらって欲しかったわね」ともつぶやいた。
何の妄想をしていたのやら。
「もう、話がすぐそれるんですから」
眉をしかめて注意する武内瑞樹。
大和撫子お怒りである。
そんな恐くない。誰だ噂を流した奴は!?
「ごめんなさい、話を戻すわね」
わざとらしい咳払いをして場を仕切り直す。
「といってもサンプルが少なすぎて議論のしようがないのよね」
実際、その通りだ。
母数が少ない統計資料など議論に活用するわけにはいかない。
もし使用したら一笑に付されてシュレッダー行きだ。
さらに、三人の例をもとにするとしたら、元々どんな性格か知っていることも相まって、先入観をもって判断してしまう。
これでは結論は出せそうにない。
ならばどうするか?
「母数が足りないなら母数を増やせばいいじゃないですか?」
マリー・アントワネットも真っ青な理論をもった、大和撫子がそこにいた。
まあ言ってることはごく普通なのだが。
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「赤信号時にはスマホ」
交通量調査のバイトにでも使いそうなカウンターをカチカチさせてから、武内瑞樹はメモする。
「横断時には白と黒を同時に踏みながら歩く」
さらさらとメモする。
「愛ちゃん、GO!」
辻中愛は時間稼ぎをするために、すたたたー、と横断歩道を渡り切った生徒のもとへ走る。
「こんにちは!」と元気な声に、ビクッとする男子生徒。
辻中愛が制服ではなかったら、小学生が高校生にあいさつしているように見えること請け合いだろう。
微笑ましい光景を横目に二人は考えをまとめる。
「制服姿で帰宅。運動部の終了時間には……まだなってないわね」
右手の腕時計に視線を落とす伊藤詩織。
「文化部も終わるにはまだ早い時間のため、彼は新入生だと思われます」
パラパラと五枚のメモに目を通しながら武内瑞樹は続ける。
「男子生徒の横断歩道の渡り方には一定の法則性が見受けられます。それぞれが異なる法則であることから、男子の間で流行っているわけではなく個人で決められたルールかと」
「となると横断歩道の渡り方では、男子の性格を見極めるのは困難ね……」
「そろそろインタビューに行きましょう」
アウトドアチェアから立ち上がり伊藤詩織を催促する。
そろそろ辻中愛も限界であるようで「えと、えーと」とこちらをチラチラ見ている。
二人は駆け寄ってインタビューをする。
「こんにちは、インタビューさせてもらいたいんだけど時間大丈夫かしら?」
微笑ましい気持ちで辻中愛の世話をする男子生徒は、ようやく二人の接近に気づいたようだ。
そして目を見開く。
今さらだが、伊藤詩織と武内瑞樹は美人と呼ばれる類の容姿をしている。
だが武内瑞樹は噂のせいで男子たちに言い寄られることはない。
伊藤詩織は……言うまでもないか。
しかし新入生は二人のことについて知らないわけで。
突然、美人二人から声をかけられる事態に声を失ったようだ。
そして伊藤詩織は沈黙を肯定とみなす。
「赤信号のとき、あなたは何を考えてたかしら?」
「え、は?赤信号?」
急に言われて混乱するのも仕方ない。
すかさず武内瑞樹はフォローをいれる。
「あのー、私たちこれの調査をしてるんですよ」
今日の議題である『信号機で人の性格を見分けることができるのか?』と書かれたメモ用紙を見せた。
武内瑞樹はフォローのつもりだっただろうが、男子生徒の混乱に拍車をかけるだけだった。
仕方のないことだろう。
小学生みたいな高校生に足止めされて、急に美人二人が現れて『何考えてた?』と聞かれるのだから。
そしてインタビューの理由が『信号機で性格を判断するため』と真剣な表情で提示される。
むしろ混乱しない方が難しい。
だがしかし、混乱は時間で解決できる。
数十秒の応酬を繰り返してインタビューが始まった。
「えーと、スマホいじってましたよ」
右手で頭をかきながら男子生徒はさきほどのことを思い出す。
手持無沙汰だったからスマホでSNSをチェックしてたっけ、と。
武内瑞樹は「ふむふむ、なるほど」とシャーペンを走らせる。
辻中愛は背伸びをしてメモの内容を読み取ろうとしている。
すこし興奮してしまう伊藤詩織だったが、なんとかインタビューを続ける。
「横断歩道を渡るときにこだわりがあるわよね、それは何かしら?」
「そこまで見てるんですか、すごいですね」
苦笑しながら男子生徒は説明する。
「あれは中学生の苦い思い出の爪跡でして」
曰く、中学生のとき『やーさん』の映画を見て、清濁併せ呑むという言葉にえらく感銘を受けたそうだ。
それから白と黒のものを混ぜることが格好いいと思うようになる。
例えば、牛乳とブラックコーヒーを混ぜてカフェオレにしたり、真っ白の体操服を泥だらけにしてみたり、キャンバスを真っ黒に塗ってから白をぶちまけてみたりなど。
中学生特有の気の迷いだろう。いわゆる黒歴史だ。
今はそんなことしないだろうが……
「どうしても横断歩道の癖は抜けなくて」
困ったように笑う男子生徒の表情が印象的だった。
それにしても男子生徒のメンタルは鋼鉄レベルで硬い。
初対面の三人に黒歴史を明かしたのだから。
ダイヤモンド並みの硬さだ。まあ硬いだけで脆いのではあるだろうが。
ひとえに美人パワーのおかげだ。
美人は得だなあ。
一通り話し終わったのか、男子生徒は「参考になりましたか?」と聞いてくる。
ちらとメモ係りの方を見ると、すごい勢いでペンを走らせる大和撫子がいた。
辻中愛は文字を書きあげる速度にドン引きしている。
「ドン引きする愛ちゃんもかわいいわね……」と誰かがつぶやいた。
「ありがとう、参考になったわ。引きとめて悪かったわね」
「いえ、そんなことありませんよ」
「それでは失礼します」と男子生徒は帰路に着く。
辻中愛はぶんぶんと右腕を振って男子生徒を見送る。
男子生徒も振り返してくれた。
そうやって男子生徒は去っていった。
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「ふう……時間がたった割にサンプル集まらないわね」
伊藤詩織は時間を確認してため息をつく。
すでに文化部の下校時間に差し迫っていた。
インタビューができたのは十人のみ。割に合わない。
「データの方向性も見えてこないですし、無理ではないですか?」
「えー!こんなにがんばったのにあきらめるの!?」
伊藤詩織はかぶりを振る。
「決めたでしょう、議題は一日一個って。仕方ないわ」
「むー!」
辻中愛は納得がいかない様子だった。
一番体当たりな役割をしていたからか、今回の議題に対してなにか思うところがあったのかもしれない。
議題は一日一個とは、ディベート部のルールである。
どんな議題であったとしても、最低でも一日、最高でも一日で終わらせる。
真剣に部活動に取り組むといったことを明文化したものであった。
スカスカの議論をしてもダメ、長引くような議論もダメ、そういったルールだ。
「仕方ないですよ、愛ちゃん。それに、しおりんも何かわかったようですよ」
「ええ、一つの結論に辿り着いたわ」
伊藤詩織は「これで勘弁してね」と辻中愛の頭をなでる。
「むー。仕方ないかぁ」
「ふふ、偉いですよ、愛ちゃん」
武内瑞樹も頭なでなでをして、伊藤詩織は結論を語り始める。
「今日インタビューをして色々な人のことを知れたわ」
辺りが静かになって伊藤詩織の声だけが響く、そんな錯覚を覚える。
「例えば眼帯少女、彼女が鞄を後ろ手に持っていた理由には涙したわ」
「例えば白黒少年、彼の思い出話は興味深かったわ」
「例えば金髪少年、彼の武勇伝には心躍ったわ」
伊藤詩織は、一呼吸置く。
「アタシたちはどうやって彼ら、彼女らから話を聞くことができたのか?」
「考えてみたら、自ずと結論ができあがっていたの」
武内瑞樹は「考えたこと、とは?」と緊迫の面持ちで尋ねる。
ごくり、と喉を鳴らす音が辻中愛から聞こえた。
「考えたこと、それは……
全部信号機のおかげだってことよ!」
「えっ」
「なるほど……」
「えっ」
辻中愛はきょろきょろと交互に視線を移す。
彼女の味方などいない……
「結論!信号機には人生がつまっている!」
「えっ」
辻中愛はとうとうフリーズしてしまった。
その後、辻中愛が再起動したときには下校時間から大幅に過ぎており、顧問の先生から怒られたそうな。