「新入生勧誘、どうしようかしら?」
なんだか毎日更新できそうな気がしてきました
「退屈だわ」
ポニーテールの女子、伊藤詩織が突然、入学式に耐えかねて不満をあげる。
昨日のケチャップの誓いを果たすために、ブレザーのポケットにはMEKAGOトマトケチャップミニが入っている。
今日は高校受験の荒波に揉まれて、無事勝ち残った十五歳の男子女子たちが一堂に会する入学式である。
といっても実際のところ、この高校は私立なので落ちる方が難しいのだが。
「仕方ないですよ、頑張りましょう」
薄い笑みを浮かべてロングヘアーの武内瑞樹が伊藤詩織を励ます。
二人の身長はほぼ同じで160cmと平均より少し高いかな、と曖昧な気分になる程度だ。
ここにもう一人、辻中愛がいればディベート部勢ぞろいとなったのだが、いかんせん彼女は背が低い。前列で新入生を見守っていることだろう。
どっちが新入生か分かったものではないが。
「こんなときにはディベートね」
「あらまぁ。では、議題は何にします?」
武内瑞樹は驚いたようには聞こえない感嘆の声をあげて、議題を催促する。もちろん小声だ。
伊藤詩織は考える。
今日は入学式である。ならば入学式に即した議題を提供すべきだろう。
入学式の必要性について?
入学式の時期は春と全国的に決められている理由とは?
なぜ入学式なのに泣いている保護者がいるのか?
様々な議題が伊藤詩織の脳内によぎる。
しかし伊藤詩織の思考は必ずと言っていいほど横道にそれる。
校長の話はなぜ長いのか?
なぜ校長は必ずと言っていいほどハゲているのか?
なぜハゲは恥ずかしいものだという感情を抱くのか?
最初には型があったはずの議題がぐちゃぐちゃにこねくり回される。
伊藤詩織の脳内にかかれば方向性なんていう不定形なものなど意味をなさない。
思考はさらに加速する……!
なぜ男性のハゲが多いのか、なぜ男性は髪の手入れを行わないのか、なぜ男性は全体的にガサツなのか、男性とは何なのだろうか、エトセトラ、エトセトラ。
ピン、と来るものがあったのかは知らないが、伊藤詩織は議題を決定した。
「新入生勧誘、どうしようかしら?」
――それは、昨日の目玉焼き議論のときに話しておくべき議題であった。
=====
「じゃあ解散、日直」
「起立、気をつけ、礼」
ありがとうございました、と特有の重なった声が教室内に響く。
時刻はちょうど正午、昼休みの時間だ。
当然、あの三人は一緒に昼食を食べる。
「愛ちゃーん!」
ズダダダダ、と全てを吹き飛ばしそうな勢いで伊藤詩織は辻中愛に飛びかかった。
「みっちゃん、行こ」
伊藤詩織の対応にも慣れたものである。ヒョイッと体を半分そらして突進を回避する辻中愛。
周囲のクラスメイトはロリっ子に襲いかかる猛牛にドン引きである。
これによって伊藤詩織のできる女だという印象は消し飛んだ。まあ元々なかったかもしれないが。
だがこれしきでへこたれる伊藤詩織ではない。
キュキュッとシューズのグリップをきかせて再び襲いかかる。
「もう、ツンデレなんだからー!」
今度こそ辻中愛を抱きしめる。
満更でもなさそうな表情で「やーめーてーよー」と拘束から逃れようとしている。
「しおりん、弁当はどうしたんですか?」
すでに弁当の準備をしている武内瑞樹が疑問の声をあげた。
伊藤詩織の両手には何もなかった。
彼女は普段は弁当を作ってくるのだが、今日はそうしなかったようだ。
「今日は途中の購買部で買うわ」
三人は部室で昼食をとる。その道すがらにある購買部で何か買うのだろう。
きっとケチャップに合う食べ物を。
いや、ケチャップに合わないものは食べ物ではなかったか。
「珍しいね、しおりんが弁当持ってこないなんて」
「いやー、お恥ずかしい限りだわ!」
教室から廊下に出ながら会話をする。武内瑞樹の噂のおかげでモーゼさながらに道は開けた。
そのことに少し心が痛い武内瑞樹であった。
まだ高校生になってから怒ったことはないというのに、悲しいかな。
=====
この高校の校舎は四階建てだ。
一階は職員室などの教員がなにやらをする場所が多い。二階は三年生の教室、三階は二年生の教室、四階は一年生の教室だ。
年上ほど下の階に集まるようになっている(留年は知らん)。
それと他に別館がある。音楽室やら美術室など選択科目で使用する部屋は別館に集まっている。
そして、文化部の部室もだいたいはここに集められている。
そしてディベート部の部室は最上階の四階の端っこの部屋にあった。
高校のすみっこのすみっこにある部室の中で、伊藤詩織はちくわパンにケチャップをかけながら議題を提示する。
「新入生の勧誘、どうしましょう」
「あ、本当だ。どうしよう」
辻中愛は弁当へと進んでいた箸を止めて、危機感を感じさせないような「どうしよう」をつぶやいた。
三人は新入生に特に感じることはない。なぜなら三人でワイワイできるような部活が欲しかっただけで、部活の存続は自分たちの代まででいいでしょ、と考えているからだ。
なら至る結論は必然的に似たものになるわけで。
「アタシは来るもの拒まず、去るもの追わず、でいいと思うわ」
「ボクも似たような感じでいいかな?積極的に勧誘はしないけど入部はいいよ、みたいな」
「私もそれで構いません」
ちなみに武内瑞樹だけは別の望みがあった。一年生に好印象を与えることで噂が広まっても大丈夫なようにする、という望みだ。
だからといって部活に勧誘すると言って二人に反論するほどでもなかった。
なにも印象操作は部活動だけでしかできないということはない。
思考が物騒な大和撫子である。
「……」
三人が思い思いに食べ物を口に運ぶ。もう何も言うことはなさそうだ。
ちくわの中にケチャップを詰め込んだちくわパンを咀嚼して、ごっくんと飲み込んだ。
「結論、新入生勧誘は行わないということで」
伊藤詩織がそう結論づけた。他の二人も頷く。
この間、わずか三十秒である。早い、早すぎる。
部活結成以来、最速の結論だった。
=====
「どうしたらいいかしら?」
「どうしようもなくない?」
「なんとかして誤魔化すしかないのでは?」
ディベート部の三人は新入生勧誘を甘く見ていた。
何もしようとしなければ、何もしないで済む。そんな風に考えていた。
だがそんなわけがない。先生は新入生たちに部活の雰囲気を教えないほど不親切ではない。
部活の雰囲気を伝えるためにはどうしたらいいだろうか。
部活動見学?
いやいや、それより前段階がある、部活動説明会だ。
体育館のステージでは、坊主でユニフォーム姿の球児が甲子園の素晴らしさを語っている。
私立なだけあって、この高校は部活動に力を入れている。
野球部やサッカー部、陸上部にバスケ部など主要な部活動の勧誘は欠かさない。
新入生の方を見てみると、目をキラキラさせた坊主頭たちがしきりに頷いていた。
甲子園の素晴らしさを共有できてなによりだ。
「ただ部室の場所と活動時間を伝えるってのはどうかしら」
「それだけだと悪目立ちしてしまいます。下手すれば生徒会に目をつけられて、果ては廃部なんて話が持ち上がるかもしれません」
そんなことはない、と言いきれないのが悲しい。
生徒会の監査では猫かぶって真面目な議論をしているが、薄々あちら側も違和感を感じていることだろう。
いい案が出ないまま部活の順番は進む。
陸上部が演劇をしていた。
ひったくりが現れて、そいつを陸上部の部員が捕まえる。
実に分かりやすい演劇だった。
しかし、誰がそれしきのことで陸上部に入ろうなんて思うのだろうか、わからない。
「演劇はどうかな?」
「具体的にはどうするのかしら」
「う、ごめん、わかんない」
沈黙が三人を包む。
やがて運動部の説明は終了し、文化部の説明が始まった。
文化部の一番手は吹奏楽部であった。
実際にホルンやトランペットなどの金ピカに輝く吹奏楽器で演奏する様を見せていた。
何人かの新入生がリズムに合わせて足や指などを動かす、そんな光景を見つめながら武内瑞樹はつぶやく。
「真剣に議論をしてみせることは……ダメですね。真面目な新入生の期待を裏切ってしまうことになります。」
一人で問題提起し一人で結論づけた大和撫子。
それだと実際の活動と比べられて、詐欺だと思われかねない。
新入生に悪印象を植え付けるわけには、いかない。
ディベート部の部活動の説明には制約があった。
一つは生徒会に目をつけられない程度には真面目であること。
もう一つは新入生が落胆しない程度には真面目でないこと。
二つを両立させるのは難しい。
武内瑞樹は仕方ないと自分の望みを諦めることにした。
三人が集まれる部活動と自分の評判。両立できればそれに越したことはないが、どちらか選べと言われたら比べるまでもない。
武内瑞樹は先程の自分の発言を否定しようと口を開くが――
「わかったわ、この場面を乗り切る方法が」
――伊藤詩織がそれを阻んだ。
真面目な彼女ほど頼もしいものはない、と武内瑞樹は思っている。
だから今回も彼女に頼らせてもらうことにした。
「どういった方法ですか、それは」
「どうやるの?」
辻中愛も同様に、真面目な彼女に対しては信頼感を持っている。
だからこういったときには彼女の指示に従うようにしている。
「それは――」
伊藤詩織から作戦内容が語られた。
=====
パソコン部の説明が終わった。
残りはディベート部だけである。
パソコン部のメガネがステージをはける。
新入生もそろそろ部活動説明に飽きているのだろう、しきりに座る体勢を調整したり、腰を伸ばしたりしている。
さあ最後だから気合入れるぞ、と新入生は気力を振りしぼりステージを注視する。
……………………
出てこない。
…………………………………………
ステージ上にディベート部が出てこない。
新入生がざわつき始め、次第に騒ぎは大きくなっていく。
何か起きたのか、と一人の先生がステージに駆け寄ったとき、ディベート部が出てきた。
一人だけ。
「先生!伊藤さんが倒れました!」
辻中愛はそう言った。
「何!?」
先生はステージを駆け上り伊藤詩織の姿を確認しようとした。
そこには腹部を抱えてうずくまる伊藤詩織と看病している武内瑞樹。
新入生のざわつきはトップレベルとなった。
それを先生は迅速に鎮めにかかる。
「はい、静かに!部活動説明はこれで終わりとします。皆さんは教室に戻ってください!」
担任の先生はよろしくおねがいします、とステージの先生は追加しておいた。
「大丈夫か、伊藤」
先生はやさしく話しかけ、伊藤詩織の意識はあるのか確かめる。
「は、い、なん、とか、だいじょう、ぶ、です」
伊藤詩織は途絶え途絶えに言葉を紡ぎ、武内瑞樹は先生を遠ざける。
「すいません、先生。多分『あの日』だと思いますので、その、離れてください」
「あ、ああ、すまない」
「ありがとうございます。しおりん、保健室まで行けますか?」
「な、んとか、いける、かな」
武内瑞樹の肩を借りて、なんとか伊藤詩織は立ち上がった。その瞳には涙が浮かんでいた。
「しおりん、大丈夫?」
辻中愛も伊藤詩織を支えるために肩を持とうとしたが、背が足りなかった。悲しいかな。
「先生、私たちは伊藤さんを保健室まで連れて行こうと思います。あとは私たちに任せてください」
「あ、ああ、すまんな。力になれなくて」
「いえ、気にしないでください」
先生は体育館から駆け足で出て行った。保健室に連絡をするのだろう。
体育館に残ったディベート部の伊藤詩織は小声でつぶやく、悪魔のような笑顔で。
「ミッションコンプリート……!」
生徒会に仕方ないと思わせる理由を提示し、新入生に過剰な期待を持たせない。
まさに二つの目標は達成されたのだ。
「しおりん、えげつないよね。『あの日』のふりをするって」
「そうですね。私はどうやって新入生に説明するかばかり考えていました」
「二人とも、保健室に行ってベッドに着くまで演技は続けましょう」
武内瑞樹と辻中愛は苦笑しながら、伊藤詩織はやりきったという笑みを浮かべながら、保健室へと向かう。
そのディベート部の後ろ姿は、戦地から故郷へと帰る歴戦の兵士のようであった。