『目玉焼きに一番合う調味料とは?』
不定期更新になると思います
ある高校での一幕。
三人の女子高生たちが手狭な部室に集まっていた。
中央には公民館にでもありそうな折りたたみ机が鎮座している。
一人の女子がマーカーをホワイトボードに勢いよく叩きつけ、鈍いのだか甲高いのだかよくわからない音が響く。
「今日の議題はこれよ!」
ポニーテールの彼女は伊藤詩織、高校二年生だ。
大きな瞳に通った鼻筋、目尻はつり上がり、できる女という印象を初対面の人は持つだろう。初対面の人は。
彼女によって叩きつけられたホワイトボードには今日の議題が書かれていた。
『目玉焼きに一番合う調味料とは?』
彼女たちの部活はディベート部である。
昨今の就職活動におけるディベートの増加を考慮し、その対策に日々議論を交わす、というのが部活の結成理由だ。
高度に政治的な問題や世界経済の情勢、国際社会の今後などについて、高度なレベルの議論がこの手狭な部室を飛び交う……はずだった。
女子高生が政治に物申す?
政治のことについて把握していない大人もいるというのに、一介の女子高生にできるものか。
世界経済の情勢について?
そんなもの偉い大人たちに任せておけばいいのだ。
国際社会?
うるせー!そんなことよりクラスでの友人関係の方が大事なんだよ!
と、部活の結成理由に反するような精神で今日も今日とて部活動を行っている。
今日のどうでもいい議題は目玉焼きの調味料についてだ。
まずは私からと伊藤詩織は口火を切る。
「アタシは醤油だと思うわ!二人はどうかしら?」
大人のような容姿で子どもみたいに笑う、ひどくギャップがあった。
二人はそんな彼女に慣れているのか、特に気にした様子はない
「私は塩です」
そう返したのは武内瑞樹、高校二年生だ。
背中まで届くほどの長髪に常時浮かべている薄い笑みで、まさに大和撫子と言った感じの女性だ。
怒らせたら恐い、という誰かが勝手に広めた噂のせいで勝手に恐れられている。
彼女が高校生になってから怒ったことはないというのに、かわいそうな人である。
「ボクはケチャップ!」
最後の一人は辻中愛、高校二年生である。というか全員高校二年生だ。
首元でバッサリと切り揃えられた髪の、幼い少女。
クラスのロリコンたちに大人気である。まあ年齢は同じなのだが。
伊藤詩織は醤油、塩、ケチャップとホワイトボードを三分割して書いていく。
キュッキュッとマーカーが勢いよく走っていき、一通り書き終えたところで、二人がいる方向を向いた。
「演説の順番をジャンケンで決めるわよ!」
ビッと右手を天に突き上げる。なぜかチョキを出していた。
武内瑞樹は伊藤詩織に問いかける。
「演説、ですか?」
右手を頬に当てて、首をかしげる、まさに大和撫子だ。この人が怒るところは想像できそうもない。
噂を流した人は罪深い……
「あ、アタシの勝ちね!」
伊藤詩織は右手を振り下ろして、大和撫子にアピールする。
大人の容姿でにっこりピース、ギャップありまくりである。
「あら、負けてしまいました」
武内瑞樹は右手を頬から離す。
そう、彼女の右手は頬に当てていたためにパーの形になっていたのだ。
だが異議を唱える者がいた。
「しおりん!ボクはグーを出してるよ!」
辻中愛はすでにジャンケンの準備をしていた。最初はグーである。
「むむむ、仕方ないわね」
仕方ないも何も、最初はグーと誰も言ってないのでジャンケンは無効だろう。
「ところで、演説とは具体的にどういったものでしょうか?」
忘れたころに最初の疑問。忘れないこと、これ大事。
「んー、そうね。制限時間は一分で調味料の良いところを伝えていくの。味でもいいし、栄養でもいい。とりあえず何でもオッケーな演説、ということにしましょう」
「わかりました」
物腰柔らかな武内瑞樹はたった今演説のルールができたことを怒らない。
言いだしっぺの伊藤詩織はどうするつもりだったのだろうか。
「ねー、早くジャンケンしようよー」
辻中愛は待ちきれないといった様子で二人を催促する。
ジャンケンするだけでこのやりとりである。
部活が真面目に行われるはずがない。
「よーし、それじゃいくわよ!ジャンケンぽい!」
結果、ロリっ子辻中愛、大人子ども伊藤詩織、大和撫子武内瑞樹という順番になった。
伊藤詩織と武内瑞樹はパイプ椅子に座り、辻中愛はホワイトボードの前に立つ。
「それでは、発表を始めたいと思います!」
小学校での号令と間違えるような、元気な声で辻中愛は演説を始める。
「ボクがオススメするのはケチャップです。なぜならとてもおいしいからです。ケチャップはとてもおいしいです。あと、何にでも合うと思います。オムライス、ハンバーグ、フライドポテト……」
辻中愛は指を折りながらケチャップに合う食べ物をあげていく。
「野菜炒め、パスタ、スパゲッティ……」
まだ指を折っていく。
「コロッケ、あとはえーっとね、えーっとね」
辻中愛は眉を八の字にしてケチャップと合う食べ物をあげようとする。
どうにかしようとする姿はまさに小動物だ。
「えーっとね、えーっとね、ま、まだ一分経ってない?」
その小動物の必死の頑張りに横槍を入れる者がいた。伊藤詩織である。
伊藤詩織は辻中愛を抱きかかえて涙を流す。
「もう、もういいのよ、愛ちゃん。愛ちゃんがケチャップ大好きなのはわかったから……!」
よよよ、と滂沱のごとく涙を溢れさせる伊藤詩織は、辻中愛の顔を自身の胸元に寄せる。
ロリっ子は眉を八の字にしたまま口を開いた。
「で、でも、まだ一分たってないよ?」
「そんなことどうでもいいの!愛ちゃんが伝えたかったことはちゃんと、アタシとみっちゃんに伝わったから!」
赤い目をした伊藤詩織はマーカー片手にホワイトボードに何かを書いている。
新たに書かれたのは『ケチャップはとてもおいしい』、『ケチャップは何にでも合う』、『愛ちゃんはとてもかわいい』、という三点だった。
「何にでも合うとは言ってないんだけど……」
「あらら、それは大げさすぎませんか?」
二人の言葉に伊藤詩織はこう言い返した。
「いいの!ケチャップはどんな食べ物にも合うのよ!むしろケチャップに合わないのは食べ物じゃないのよ!」
暴論である。だがこうなった伊藤詩織はだれにも止められない……!
「目玉焼きには醤油なんて、アタシは馬鹿なことを考えていた。でも今日!ケチャップが一番だっていうことがわかったわ!」
伊藤詩織の演説は止まらない!
「愛ちゃんがそれに気づかせてくれた!アタシの過ちを正してくれた!今日はなんて素晴らしい日なのかしら!これからアタシは目玉焼きにはケチャップをかけるわ。なんならケチャップを持ち歩くのもいいわね。だってケチャップに合わない食べ物なんて世界中、いえ銀河中、いえ!宇宙中探してもどこにもないのだから!」
「さすがのボクもドン引きなんだけど……」
そんな愛ちゃんの嘆きは都合がいい伊藤詩織の耳には入らなかったようである。
瞳をキラキラさせながらホワイトボードの『醤油』の文字を消していく。
そして新しく『ケチャップ』と書きなおされた。
「これでアタシの演説は終わりよ!」
胸を張って伊藤詩織はどや顔を披露する。
辻中愛はドン引きした表情で、武内瑞樹はいつも通りの薄い笑みで拍手を贈る。
三者三様な表情で部室は埋め尽くされた。
「次はみっちゃんの番よ」
一種のトランス状態だった伊藤詩織が急に冷静になった。
賢者モードとかないのだろうか。
「それでは失礼します」
武内瑞樹はパイプ椅子から立ち上がり、マーカーを持った。
そして――『塩』を『ケチャップ』に書き換えた。
「え、ええ!?何してんのさ!?」
目を見開いた辻中愛がおっとりしている大和撫子の動きを止めさせる。
対する武内瑞樹は
「しおりんの熱意に押されました。確かに愛ちゃんのかわいさには勝てません」
「ええ、ええ、そうでしょうね。愛ちゃんには誰も勝てないわ」
「それ論点変わってない!?」
伊藤詩織はおもむろに窓から見える空を見た。
すでに夕陽が見えている。
ならば、やることはひとつ。
「結論!愛ちゃんが使う調味料が一番!」
ええー、という非難めいた声と、パチパチという拍手が、手狭な部室に響いた。
伊藤詩織はただ、うんうんとホワイトボードを前に満足そうに頷いている。
今日の部活動はこれでおしまい。
明日も、その明日も、そのまた明日も、部活動は続いていく。
三人は一緒に帰る準備をした。