霊穴
霊道士や魔道士は、まあまあ聞くが、《律霊士》なんてのは初めてだ。
ラオカという長身の男は、珍しくもない黒い髪と白めの肌で、普通の旅装に身を包んでいたが、特別に目を引くことがふたつあった。
ひとつは、猛禽が肩に乗っていたこと。もう一つは目元を隠す覆面をしていた。仮装用のアイマスクとも違うし、覆面レスラーほど面積の大きいものでもない。あえて言うなら顔の形に沿った眼鏡かゴーグルに近い。
得体の知れない生業である以上、正体も隠しておきたいようだ。
こんな怪しい人物と面会するのには、理由があった。
「お目通りを許していただき、感謝します。ベイル代表」
俺は、これだけで彼に好感が持てた。
なにも、代表である自分を敬うような言動だから、ではない。
気品や礼儀というのは、すなわち貴族の言動そのものが見本や流行になる時代だ。誰もがそれを倣う。
挨拶ひとつに、初対面でなくとも生まれや肩書きをつらつら述べ、とくとくと己を語ったあとに話し合いの主旨を持ってくる今どきの流行りが、面倒と退屈以外の何でもなかった。
つまり、彼の簡潔な挨拶は品も礼儀もないわけだが、俺には素晴らしく丁寧なものだった。
俺とは逆に、両側にいた護衛は、険しい顔で口もとを筋張らせ、いつでも剣を抜けるような緊張感をまとっていた。
それも無理はないことだ。
この《律霊士》は、奇病の原因に心当たりがあると言ってきたのだ。しかも、すでに一度治療したという報告も上がってきていた。
俺としては会わざるをえない。
だが、奇病の噂はまだそこまで広がっているわけではない。町の外となると、ほぼ伝わってないだろう。
なのに、よそ者がこうして現れた。ということは、大抵は話を切り出した人物は深くかかわっている疑いは当然のことだった。
一度、魔道士に騙されて要求をのみそうになった過去があったからこそ、危機感のない俺に代わって、護衛たちが神経質になっていた。
ピリピリした空気が伝わったのか、肩に留まっていた猛禽が、翼をすこし膨らまし、くちばしをカッと開いて威嚇した。彼が手をかざして抑える。
なんと綺麗な猛禽だ。体が小さめだから鷹だろうか。灰色と白色が混じったつややかな羽毛は白銀に見えた。濃い黄色のくちばしが、体毛の色の差でオレンジ色のような鮮やかさだった。
ただただ美しく、俺は一瞬で見惚れていた。
もっとじっくり眺めていたかったが、そうも言っていられない。
「さて、ラオカと言ったか。君は奇病の原因がわかっていて、治療もしたというのは本当かい?」
「はい、間違いありません」
しかし、奇病を発生させた張本人なら、治療も可能だ。自作自演で取り入ろうと画策しているだけかもしれない。
実際、あの時の魔道士も自らかけた呪いを、自分なら解くことができるかもしれない、と得意げに語った。
そういえば、あの時の魔道士の慇懃無礼っぷりが、相当ひどかったことも合わせて思い出した。
そのことを例にして反論すると、ラオカは慌てる様子もなく肯定した。
「その疑いはもっともです。なんの証拠にもなりませんが、この奇病を放っておいても、この町に蔓延することはまずないでしょう。ただし、近隣の村では増えそうですが」
「そこまで詳しいと、ますます疑いがかかるだけだぞ」
一応そう返したが、ラオカの自然体の態度から、俺は言うほど疑っていなかった。ただし、比較対象がアレなので、あまり当てにはならなそうだ。
「見たことのない恐ろしい病状が出ると、たしかに奇病や呪いとしか思えなくなりますが、正確には奇病でも呪いでもないんです。治療したというのも、実際は少し異なります。おそらく自然に治るであろうというのを少し早めたにすぎません」
「だが、悪化する可能性もあったんだろう?」
「最悪は免れるかと思います」
死に至る呪いとはまったく違った切り口に、俺は信用の方へ天秤が傾いた。護衛の一人が、俺の気持ちの変化を察して、強引に口をはさんだ。
「なぜそんな病気が発生したのかを早く言え」
「精霊の強い干渉が一因していて、自然の中で起きるはずの霊災が、人の身に起きたんです」
すると、護衛は急に胡散臭い顔を浮かべ、鼻で笑うような態度を見せた。
俺は毎度のように不思議に思う。
精霊や霊魂も、確かに存在している世界に生きているにもかかわらず、まったく理解を示そうとしない。魔道士の呪いは信じているくせに、だ。
いや、でもそんなものか。俺だって自分の世界で霊能者とか風水とか全然信じていなかったが、大げさな予言は本当かもしれないと思ったものだ。
異世界の住人である俺のほうが柔軟なのが、なんとも奇妙な皮肉じゃないか。
「霊障、とは別なのか?」
「ええ。霊障は人間の魂が人に干渉することで、体調不良を起こしたりするらしいです。自分はそっちの方は詳しくないので・・・。逆に言えば、その人間の霊が、自然へ影響を及ぼすようになったと考えてください。そうなれば、ほとんど魔物化しているような事態ですが」
「そういや、シノン婆さんからそれらしいこと聞いたな」
ほぼ理解しているかのごとく質問する俺を、護衛の二人がラオカとセットで不審な目線を向けた。
「ということは、精霊が魔物化しかけている?」
「いえ、そこまでは至ってないと思います。もしそんな事が起こったら、天変地異が前触れに過ぎないという言い伝えが残っていますから」
「なるほどね。ああ、そうか。それで精霊を律する《律霊士》の出番ってわけだ。そうかそうか」
ラオカもすぐに肯定できずにたじろいだ。自分の役目をこうもあっさりと理解されたことが初めてなのかもしれない。
心なしか、鷹も驚いているようだった。
俺は両腕を広げ、両側の護衛の腕を労うように軽くたたいた。
護衛は戸惑った。お人好しのお前は、またあの時のように騙されるんじゃないか、と目が語っていたが、俺は手を払って二人を部屋から追い出した。
そして、俺は手を頭の後ろで組んで、椅子の背に身体をあずけて、言った。
「君の話は、これからが本題だろう」
はい、とラオカがうなずいた。
俺は腰を据えて話したくて、目の前の椅子をすすめた。
すると、ラオカは覆面を外して面長の精悍な顔と黒い瞳を露わにした。今の俺と同い年か、少し若いくらいだ。
ラオカは鷹を肩当てから手、手から空いた椅子のひじかけに移してから座った。
ラオカの意に従うかしこい鷹に、俺はひたすら感心する。
「すっげ。いいなぁ、動物と意思疎通なんて憧れるわー。理想の使い魔は黒猫だけど、銀の鷹ってのもヤバいな。マァジ惚れる」
昔の素の喋り方が出てしまい、ラオカがぎょっとしていた。
まあ、町の代表者にしてはかなり下品な口調に聞こえたかもしれない。
俺は、手元にあったお菓子を一つまみ千切ってそっと差し出した。
鷹がくちばしでつついて何かを確かめると、パッとついばみ、いそいそと飲みこんだ。その様子が可愛くてしかたがない。素も出てしまうってもんだ。
ラオカの咳払いがなければ、俺は延々とお菓子をやり続けていたかもしれない。
俺も咳払いをひとつ打って、深く座り直した。
ラオカの説明は実に丁寧だった。
万物の根源は霊素、という説まで存在するこの世界。
精霊は、霊素が形成するもっとも原始的で、もっとも超常的な生命だとされている。そして、様々な伝承や故事を挟んで、精霊と人は相容れなくなった。
先ほどの護衛の態度が示すように、否定派が大多数を占めるのが現実だが。
俺は、精霊を感じたことは皆無だが、不可思議な現象を目の当たりにしたことはある。霊道士の知り合いがいたことで、基礎的な知識も一般人よりあった。
知っていることは省略させて、話を拍子良く進めた。
すると、ラオカの方が逆に鈍ったように感じ、変に思いつつも先を促した。
人が集まるところは、精霊が見えなくなる。
ホウロの町は、ここ最近でかなり人口が増え、発展した。
本来ならば、精霊は姿を見せなくなっただけで居なくなったわけではないはずが、今起きていることは、精霊が消えている現象だった。
それだけでなく、精霊が出入りする《門》や、精霊の通り道である《路》も、《路》が交わって霊力が強く宿る《験》も、まるごと消失している、とラオカは言った。
流派によって表現や考え方は違いますが、と最後に付け足した。
「異常事態だってのは、なんとなくつかめた。だが、奇病はこの町じゃなく、周辺の村にしか起こってないのは、おかしいんじゃないのか?」
「たしかにその通りですが、ホウロの町に大きな穴が開いてると思ってください」
「穴?」
「ええ、穴です。精霊はその穴を埋めようと外から力を送りこもうとします。が、《門》も《路》もないので、縁で止まってしまい、留まった力を貯めこむ《験》もないので、霊力が異常な濃度で周囲に漂っている状態なんです」
ラオカの例え話はわかりやすかった。《門》、《路》、《験》の各々の働きもそれなりにつかめる。
俺は立ち上がって、背後の窓枠に両手を置いて田園の向こうに見える隣村をながめた。
「つまり、穴の縁にちょうど接している村で、奇病が発生している、と」
くるりと身体をひねって、窓にもたれて腕を組む。
「なぜ今なんだ? 二十六年この町にいるが、初めてだぞ」
「この町に、霊道士のような方はいませんでしたか?」
「いた。シノンって婆さんだ。ずいぶん世話になっていたんだが、少し前に亡くなってな」
「おそらく、そのお婆さん自身が《験》を担っていたんだと思います。《門》は人間が自由に操作することはできませんが、自分を楔として《路》を繋げることは可能です。そういう人を知っています」
相談役として支えてくれただけでなく、影でもう一つ支えてもらっていたことを、俺は初めて知った。
きっとシノン婆さんにも利があったのだろうが、それ以上に世話になっていた。
忘れようとしていた彼女の死を悼む気持ちが、再び押し寄せてきた。胸中にこみ上げる喪失感をなんとか抑えこんだ。
「君が今ここにいるってことは、穴を塞ぐためというわけだ」
「・・・原因さえ取り除けば、穴は自然の修正力もあって、時間はかかりますが、可能だと思います」
「肝心の原因は一体何なんだ?」
ラオカが言葉も息も詰まらせて、吐くに吐けない苦しそうな表情を見せた。もったいぶってるわけではないその様子から、俺はなんとなく察した。
「――原因は、あなたです」
はっきりと告げられた事実は、予想していても鋭く胸に突き刺さった。
椅子に座り直し、肘かけにもたれ、尋ねたいことを整理していると、ラオカが先に尋ねてきた。
「あなたは《異世人》ですね?」
「ことよびと? 初めて聞くが、だいたいの意味は想像できそうな言葉だ」
「別世界の魂を宿した人間のことです」
俺の頭の中に、急に次々と泡のような疑問が浮かび上がってきた。
転生は何故起こったのか。何故自分なのか。本当はどうしたらよかったのか。
そうした名称があるということは、他にも自分のような存在がいるのか。どのくらいの数がいて、同じように穴だ奇病だという問題を抱えているのか。
町の一員として働きだしてから考えないようにしていたが、ベイルになってからずっと抱えてきた疑問が多かった。
浮かんでは消え、消えては浮かび、混乱して何も聞けなくなる前に、直感で尋ねた。
「君はそれが判るのか?」
できるなら他の《異世人》にも会ってみたい。一体どこから来て、この世界でどう過ごしたのか、共有したいことが山ほどある。
「いえ、自分には完全な判別は不可能です。本人が認める以外は。ですが、《異世人》は独特で底知れない知識を持っていますし、何よりとてつもなく深い理解力があるので、大きな目安になるかと」
俺は納得した。理解力よりは想像力か妄想力に近いが、ラオカやシノン婆さんのような霊道士みたいな人間からすると、すんなり受け入れる方が希少に違いない。
「そうか、そして俺を《異世人》と確信できたら――殺すわけだ」
不意を突いて先制してみた。ラオカが目を見開いて驚愕する。まるで刃物を突きつけられたような反応だった。
だが、それに近いかもしれない。原因を排除するとなったら、俺を殺すしか方法はないだろう。
殺されたくない俺の次の行動を予測したラオカが、手を前にかざして、うろたえながら言い訳をした。
「まっ、待ってください。決してそういうわけじゃなくて。いや、結果的にはそうなってしまいますが、魂は元の世界に還るはずです」
「ふっ、それは都合の良い解釈だろ? 『かそけき魂は銀の園へ召され、神の御許にて真なる光の安らぎを得ん』ってやつだ」
俺は、もっとも広く布教している神統教の一節をそらんじた。
宗教はあまり信じていないし、町が大変な時期に逃げ出した神官らを一切敬うことはできないが、この一節は結構好きだった。
「たしかに、絶対と言い切ることはできませんが、魂が迷わず還るための案内はいますから」
ラオカが防御姿勢のまま、銀の鷹を横目で見た。
今度は俺が不意を突かれた。血の気が引いていくのが自分でもわかった。指先がふるえ、寒気がして目眩まで起こった。
還る?
あの現実に、あの平凡に?
無理だ。冗談じゃない。絶対に、二度とあんな自分に戻りたくない。地獄よりも酷いところだ。
いっそのこと、今ここで殺された方がマシなんじゃないか?
だったらやはり、この男を殺して聞かなかったことにするのが一番じゃないか?
ベイルじゃない自分が垣間見えたことで、ベイルにはなかった醜い部分が現れた。
自分の心臓の音が大きくなる。その鼓動が、己の心に催眠をかけるかのように脳の芯まで響いた。
キュィィ――
唐突に、甲高い鳴き声が割って入り、俺はハッと我に返った。
鷹が貫くような瞳でこちらをにらんでいた。そこで、腰に帯びた短剣に手が伸びかけていたことに気づいて、戦慄した。
コンコン、とまた別の音が聞こえたが、しばらくノック音だと気づかないほど動悸が激しかった。
俺の応答を待って入ってきたのは護衛の一人だった。
彼は、俺の様子がおかしかったことで、ますます不審な目をラオカに向けはしたが、行動には出さずに、ただ耳打ちしてきた。
「すまない、別の用事が入った。また改めて来てくれないか」
「わかりました」
ラオカが短く返事して、手首に鷹を乗せた。
去り際、俺は呼び止めるように問いかけた。
「もし・・・、もし今度来た時に、俺がいなくなっていたら、どうするんだ?」
「それで穴が塞がるなら、それに越したことはないですが、あなたのことは追わねばなりません」
ラオカが肩ごしにそう答えたときは、覆面をつけていて、表情はみえなかった。