奇病
粗末な木の寝台に、年端もいかない少年がうつぶせに寝ている。
寝顔が土気色に変色しかかっていて、寝息を確かめなければ生死の判別がつかない状態だ。
原因は誰の目にも明らかだった。
小さく平らな背中から、苗木が生えていた。根が放射状に広がり、彼の首まで達していた。
陽光を遮った暗い室内には、苗木を観察している長髪を後ろで結った男と、その後ろに少年の両親が祈りを捧げるようにして座り込んでいた。
母親はただただ目をつむり祈っているが、父親は妻のふるえる肩を抱きながら、目の前の男に注目していた。
男は神官でもなければ、薬師でもなく、木こり仲間が良かれと思って連れてきた魔道士だ。
町にある神統教会にも見放された息子を治したい一心で、即座に頼み込んでしまったが、不安の種を増やした気がしてならなかった。
息子を害そうとするなら力づくでも止めようと、父親は木こり斧の位置を目の端で確かめた。
男は、真っ白な風切羽根を少年の首筋と腰に、苗木を挟むように置いた。
羽根は背中に刺したわけでもないのに、立ったままだ。あの羽根はさっき自分と妻が笛のように息を吹きつけたものだ。
それから、墨で背中に円模様を描いていった。
変化は間もなく起こった。
白い羽根がくすんでいき、塵になって崩れると、苗木が急激に成長しはじめた。
根が蛇のように体を這い、息子の額や手首まで広がっていく。
父親は息をのみこみ、斧を取るために片ひざを立てたところで、男が苗木に向かって大きく手を払った。
すると、苗木も風に吹かれた灰のようにサアッっとかすんで消えた。
後に残ったのは、かすれた円模様と根の形のアザだけだった。
あまりのことに呆然とする両親をよそに、男は少年を仰向けにして、呼吸をたしかめ、布をかけてやる。最後に固く閉じていた窓を開けた。
苗木に光を与えないように閉じていた窓を開けたことで、両親は悟った。
母親が息子の胸に飛び込んでむせび泣いた。父親も妻と子を抱いて心から安堵した。
しばらくして、感謝の言葉すら忘れていることに気づいた父親は男の方を見た。男は窓枠に腰かけ、大量の汗をかいていた。
あっさり祓い除いたようにしか見えなかったが、実はそうでもなかったらしい。
椅子と飲み水をすすめると、男は崩れるように腰かけて、水を一気に飲み干した。
「いったい、なんという奇病で、どうやって治したんだ?」
男の息が整うのを待って、父親は尋ねた。男は一度口ごもったものの説明し始めた。
「決して病気ではないんです。寄生樹という霊樹の一種で、本来は死を迎えた精霊などに宿り、古く澱んだ霊力を浄化して新生させます」
一度額の汗を袖でぬぐって、男は続けた。
「寄生樹は役目を終えるとたちまち死にます。その性質を利用して、おふたりから分けてもらった霊力を過剰に吸わせ、一気に成長させて枯らせてやりました。これを残してね。森で見かけたことはありませんか?」
男が手の平に転がしたのは、丸くて艶のある青い実だった。ちょうど大中小と三つある。
かなり理解しがたい話だったが、幼い頃、祖母が青い実は精霊の卵でもあるから絶対に採っちゃいけないよ、と話していた気がする。
それよりも、そんな得体の知れないものが息子に宿った怒りの方が大きかった。
「何故そんなものが息子に? エディンは正真正銘、俺と母さんの血を分けた人間だぞ」
父親の荒げた声に、男は落ち着いて答えた。
「子どもは霊魂の形が定まってないから霊的な影響を受けやすい、と言いますが、木霊が寄生樹を人間に宿すようなことはしないはず。いくらいたずら好きだとしても」
「だったら何故?」
「まだはっきりとはわかりませんが、原因は究明するつもりです。そこで、森に変化などはありませんか? 木霊の警告が、何らかの形で現れているかもしれない」
そう問われても、一介の木こりにわかるはずもなく、父親は首を振った。
息子は他の子より鋭敏なところもあるが、自分は誰もが肌で感じれるような霊気ぐらいしか分からない、ごく平凡な人間である。
ただ、親父の仕事を手伝い始めた頃よりも鈍くなっていたが、単に歳のせいとしか思っていなかった。
「でもわたしたち、どんなときも祈りを捧げてきました。礼拝集会も欠かしたことはありません」
母親は不信者でないことをうったえた。涙声だが固い口調だ。警告という言葉が神様の罰が当たったように聞こえたらしい。
「誤解を招いたなら申し訳ない。あなた方に非があったからこんな目に会った、というわけではないんです」
会話が止まったとき、小さな声が聞こえた。
「お…お母……さん」
「エディン!ああ、無事でよかった」
母親は覆いかぶさるように意識の戻った小さな宝物を抱きしめた。
息子は、寝ぼけたような力の抜けた表情だったが、母の抱擁のあたたかさと、父の頭を撫でるやさしさに笑みをこぼした。
男も安堵の息をもらし、旅装を身につけはじめた。
「あ、あんた、もう出ていくってのかい?」
「ほかにも奇病に罹った人がいないか見て回らないと。それに、胡散臭いよそ者が長居すればするほど、嫌な噂が立ちかねない」
「それは確かにそうだが、そうなんだが・・・」
父親は葛藤で顔をしかめる。男の言うことももっともで、非常にありがたい申し出だったが、このまま追い出してしまえば、息子の命の恩人に対して、あまりに失礼な気がした。
男は父親の葛藤を読み取ったが、少し食い違った。
「意識が戻ったなら大丈夫だと思います。もう一度寄生されることはないかと」
「ああ、そうか。いや、そうじゃなくて――」
男は父親の言葉を遮って、大の実を差し出した。
「不安ならこれを。息子さんに与えるわけではなく、森に返してください。いつか、霊樹に成長して、森を支えてくれるでしょう。あとの二つは、できればこちらで預かりたいんですが」
青い実を受け取った父親はうなずいて、お返しに約束のお礼を渡した。
「ありがとうございます」
丁寧に礼をした彼は、左だけ独特な形の肩当ての外套を羽織り、荷を背負った。そして、扉を出たところで振り返って、ためらいがちに口を開いた。
「あなた方の信仰を否定するつもりはないんですが、あなた方はこの山、この森の恵みを糧に生きている。その恵みの恩は、山へ返してみてはどうでしょう? 礼拝や祈りも大切ですが、昔はそうしてきたはずです」
男に指摘されて、父親は、親父から教わった感謝の儀式を思い出した。親父も、親父の親父に教わったという山への感謝の方法だった。
木こり仲間の間でも、古臭いと言ってやらなくなったのはいつ頃からのだったか。
同時に、周辺の村全てが一丸となって行った豊穣祭も、今は形だけになっていることを思い出した。
父親が黙ったまま答えないので、男は頭を下げた。
「差し出がましい忠告でした」
「いやいや、いいんだ。エディンを治してくれたあんたの助言だし、この青い実のこともある。やっておこう」
男は一歩さがって、空を仰ぎ、高い指笛を鳴らした。
すると、頭上から視界を遮るほどの大きな翼が舞い降り、男の肩当てに留まった。
父親はびっくりして後ずさった。大型の鳥は村の家畜を奪う敵でしかないのだが、それとはまったく別だった。
かがやくような銀の羽毛と雄々しい顔立ちを持つ鷹に思わず見とれてしまった。長年、様々な森の生物を見てきたが、これほど美しい鳥は初めてだった。
「では、失礼します」
父親は、去ろうとする男を自然と呼び止めた。
「すまんがもう一度、あんたの名前を教えてくれんか?」
「ラオカ。《律霊士》ラオカといいます」
彼は、噂で耳にするような、または教会が悪評する道士のどれにも当てはまらなかった。
物腰が柔らかく、下民である木こりの自分に対してすら、礼節を弁えた好人物だ。
後から出てきた妻が、深々と男の背に頭を下げた。
父親も頭を下げて、決して忘れまいと心に誓った。