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短編

複乳で紐解くマイナーにおけるクオリティ論

作者: キリ卍 ヤロ

 世の中には様々な趣味嗜好が存在する。

 「複乳」もその一つではないだろうか。


 創作における複乳とは、字面の通り乳房が複数ついているものだ。四か六つ、二から三対の乳房が、多くは女性の体に描かれていることが多いように見受けられる。

 その非現実さゆえか、単純に魅力的なものが幾つもあれば素晴らしさが増すと考えたのか。当人らにしか分からぬ機微だろう。


 しかし容易に共感できるものではない。

 そこで、これを題材にニッチなジャンルに触れたときの複雑な感情を再現してみようと思い立った。

 その試みが以下のたとえ話である。




▽▽▽




 二人の複乳愛好家がいた。

 どちらの人物も、己の嗜好が一般的でないどころか、オタク界隈でさえマニアックすぎることは自覚していた。

 当然、日常に置いて話題にできるはずはない。

 オタク趣味を持つ友人にだろうと、迂闊に口にはできなかった。


 とはいえ、マニアックな界隈でいえば、どマイナーというほどではないだろう。

 成人向け同人誌文化の存在が、彼らに禁断の扉を開けさせ、嗜好を後押ししたようだった。

 エロという同じ土台で、わずかな差異を出そうと追求、激化、先鋭化した結果、様々なニッチジャンルが花開いたのだろうか。


 幸か不幸か、彼らが新たな扉の向こうへと背中からタックルを受けて突き飛ばされてしまった先は、複乳の世界だった。


 幸は、このように素晴らしい存在があったのかと気が付けたことだ。

 不幸は、あまりにも狭い世界のために、欲求を満たすだけの材料を見つけることが難しいことだった。


 不特定多数が集まるネット上の掲示板で相談すれば、探せば何でもある検索しろと言われる。

 が、それは持てる者の意見だ。運よく大多数の嗜好に合致した者たちの意見なのだ。


 例えばおっぱい好き。

 それを嗜好と呼べるだろうか。

 おっぱいが嫌いな奴が存在するだろうか。

 大多数の者が巨乳だ貧乳だ虚乳だと意見をぶつけ合うことも空々しいほどに、おっぱいはこの世に溢れている。

 しかし、そこに勇んで複乳もいいよねと問えばどうだろうか。

 多数派のおっぱい好きは、それまでの争いをやめ徒党を組み口をそろえて言うはずだ。


「さすがにそれはちょっと……」


 探せばありはする。だが選べない。それがどれだけもどかしいか

 無限の可能性を秘めているように思えた電子の海の限界を知るのだ。


 したがって、己の手で生み出すことへと行きつく。


 罫線が邪魔なノートに鉛筆でぎこちなく描いたものを写メったり、OS標準搭載の簡易画像作成ツールを使用し、マウスで適当に色がはみ出たような絵を形にする。

 彼らは自分でも思う。すっげ下手。デッサンがどうした。子供の落書き以下だ。

 だが彼らは満足だった。

 そこには確かに、理想の複乳を目指した痕跡がある。


 たまに人気のイラストレーターらが描いたものを見つければ狂喜乱舞したものだ。

 例え好きな絵柄でなくとも、その技術を惜しみなく注いでくれたものを見る機会なのだから眼福以外のなにものでもない。これからもそう思うだろう。

 惜しむらくは、ニッチすぎる嗜好は、しばしば格好のネタとして扱われることだ。

 つぶやきサービスなどで扱われると、一時でも注目を浴びて嬉しくもあるが、分かってない、そうじゃないんだよと内心で呟いてしまうことは抑えられない。


 ともあれ、どマイナーと言い切れない人知れぬ人気があるのも、昨今のネット事情のお陰でもあるだろう。

 投稿サイトの利用が浸透し、それらがネット利用者にのみであろうと、使用の有無はともかくとして「ああ名前は知ってる」というくらいには一般的に知られるサービスとなった。

 便利なことに、サイト内検索を用意してあるサービスが多く、キーワードを入力して検索すれば大抵の趣味に合うネタが表示される。




 二人の愛好家へと話を戻す。

 一人は、複乳そのものに注視しすぎた。魅惑的な女性であることは複乳の存在と魅力を増すための装置に過ぎない。そのため、たとえ現実の獣だろうと構わなかった。

 もう一人は、複乳を非現実な魅力として捉えていた。より魅力的に見せるため、複乳に見合うのは架空の人種でなければならないと考えた。

 そして二人は、とある画像投稿サイトでリンクを辿り出会った。

 マイナーゆえに、出会いは必然であったろう。


 彼らは、絵は拙かった。

 だが、ここでいう「上手い」とはなんだろうか。

 それは絵を描く上での技術でしかない。

 決して複乳を魅せる技ではないのだ。

 彼らの絵は、その魅力を反映させることが巧みであった。

 ぱっと目を引くセンスなどというものも、絵の技術でしかない。

 彼らにはそれもない。

 だが、同じ趣味を持つ者たちへ訴えかけるものが、確実にあった。

 複乳が映えるよう仕草まで丹念に練られていたのだ。


 ただただ、とてつもなくツボを押さえていた。

 感想も好意的なものだった。

 これまでは「キモイ」の一言だったのが、「こういうのを待っていた!」だった。

 しかも、自分と同じような境遇の仲間がいる。

 心強かった。その存在に励まされた。

 感涙した。

 新たな時代の夜明けだった。


 見てもらえなくて当たり前と思っていた彼らだったが、思わぬ反響に描き続けた。

 次第に二人は、その界隈では必ず名が挙がるような存在となっていた。

 幸せな日々だった。

 だが、その時はきた。

 グループ内掲示板の様子を、そのままお伝えしよう。




 いっぱいおっぱい:でも、ちょっとおたくのは、娘さんのほうが前面に出過ぎてるっていうか。かわゆすですけどね!


 乳たわわなケモ娘:えっえっ? だってやっぱ美幼女ケモミミを揉みみ(ここ洒落ですよ?)でないと、映えませぬよ?


 いっぱいおっぱい:や、もっとこう複乳の生々しさというかリアルさをどどーんと押し出したら、もっと映えるだろうなって。


 乳たわわなケモ娘:絵でなら、現実に存在しないものを形にできるんですし、せっかくなら在り得ないものを描いてみたいじゃないですか?


 いっぱいおっぱい:ごもっともなんですが、空想の産物だろうと現実だろうと複乳はスバラシイものですし。あっと、ちょっと贅沢言いすぎましたかね。当方、乳がいぱーいの興奮を抑えきれなくて。


 乳たわわなケモ娘:いっぱさんはさ、こだわりというか一点からしか見ようとしない気がなー……んーじゃあ、牛さんのでも見てたらいいんじゃないですかね。なんかなー、それで満足できるなんて羨ましいですよね。




 初めは仲間を得た喜びに目が眩んでいたのかもしれない。

 いや、選択肢の少なさに我慢せざるを得なかったのだろうか。

 二人は徐々にズレを感じ始めていた。

 そして一度心から洩れた言葉を止めることはできなかった。




 乳たわわなケモ娘:いかに複乳があることが自然で、映えるかといったら獣人がベスト。これ以外なし。尻尾もいい仕事するし完璧ですよ。


 いっぱいおっぱい:だからそうやって狭めるのはどうかって話でしょうが。現実に存在するんだから、それらを愛でるのも立派な複乳道だろうと。


 乳たわわなケモ娘:これは参ったなーエロはファンタジーですよ? 女性でなきゃ嫌でしょーに。


 いっぱいおっぱい:そんなまた、なんでもエロに絡められては困るなあ。それじゃ胸はって複乳好きとはいえないですよ。ただ女性が歩いているだけとしても、そこに幾つものふくらみがあれば思わず二度見しちゃうでしょう。そういうさりげないものでありたいですよ。


 乳たわわなケモ娘:そんなに本物が良いと言うならブタの乳でも揉んでたらどうですかね。


 いっぱいおっぱい:できる環境ならしてますよ! おたくは複乳が好きなんじゃない。結局はただのかわいいケモミミ幼女好きなだけだ。なにが女性だ。このロリコンめ!


 乳たわわなケモ娘:ロリコンときた! いやわかってないよね。成熟した女性だけが持つ実りきった乳が複数あることと、あどけなさのコラボレーション! それが生み出すギャップ萌えが伝わらないんだなー。


 いっぱいおっぱい:ほらギャップ萌えだのとずれてる。それでは複乳の必要はない! ロリ巨乳で構わんじゃないか!


 ンダトウ? コンニャロッ!




 実際に面と向かっているわけではないから掴みあいの喧嘩にはならなかったが、そんな言葉の殴り合いはしばらくの間、閲覧者の目を楽しませたのだった。




 結局は、個人個人の趣味嗜好を突き詰めれば、果てしない細分化が待っているだけなのだろうか。


 彼らは大多数の嗜好を、なにか違うと思いつつも羨んだ。

 しかし多数派とはいうが、個々人の好みはやはりそれぞれだろう。

 もしかしたら、少しでも掠っていれば良しとすることで、選択肢が多い範囲で楽しむための知恵なのかもしれない。




△△△




 まとめもどき。

 自分自身の好みをよく知ることが、自分自身にとって最適な作品に出合う近道なのかもしれない。


 好みというものは、時間帯や季節、その時の感情、疲労度、環境など様々なものにより左右されるものである。

 例え同じ日の中であっても、同じ好みの時はない。


 ――かならずあなたに合った味が存在する。

 これは、珈琲の味に関する好みについて語られたものだ。

 どこかで見かけて頷かされ、一文にしたものだが、意外と全てにおいて言える真理ではないかと考えさせられた。


 したがって質とは、その時に得たいものに対する、合致率によると考える。

 作品探しの際、反射的に判断するのではなく、たまには運に委ねてみるのも良いのではないだろうか。




※書かれている会話は完全なる妄想であり、このような批判合戦を見たことはありません。


複乳に思うところはないです。やり玉にあげるような感じになってすみません。

pix○vなどで初めて知ったときにギョッとして、様々なニッチなジャンルを何がどう好みと言えるまでになったのか興味深く思い、調べまくった時期がありました。

その一つの結論のようなまとめではあります。

お詫びに個人的な好みをばらさせていただくと、脚です。膝裏が至高です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] お互いの趣味に対して、リスペクトするのが正しいのか、我が道を貫き、他は邪とするのが正しいのか。マイナーな嗜好だからこそ、妥協したくないですよね。 [一言] 原チャリに乗る女性のお尻に勝るも…
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