16. 黒水晶の瞳に
ダンスの授業が始まった後、私とレオナルドの苦難は始まった。
なぜなら、先生たちがことあるごとに仮面舞踏会のパートナー同士で組ませるのだ。
「お前、水やりすぎ」
「あら、これくらい必要よ」
薬草の生態学の授業で、カナサハラの生態を観察することになった。カナサハラは、主に足の痛みを和らげる効果のある薬草だ。薬草の成長を早める水を少しずつかけながらスケッチをしていく。
「もういい。俺がする」
「ちょっとまだ水をかけないでよ!まだ細部まで描けてないんだから」
「遅い。さっさと描けよ」
「あなたが雑すぎるのよ。それ、本当にカナサハラ?」
「なんだと!?」
横目でのにらみ合いが始まる。そしてついに、ペンを置き臨時体制に入った。
「リリアくん、レオナルドくん」
生態学の先生がこほん、と咳払いをしながら言った。
「もう少し静かにスケッチをしてくれたまえ」
「「……すみません」」
周りでクスクスと笑い声が広がる。恥ずかしさで、自分でも顔が赤くなっていくのがわかった。注意をされてしまった。……とほほ。
「ざまぁないわね、リリア」
「……うるさいわね」
授業後にローザたちがからんできた。おほほほほほ、と高笑いをしている。
「ダンスなんて教養の範囲じゃない。それなのにできないなんて」
「まぁ、相手は庶民だから仕方ないわ」
「案外お似合いなんじゃない?」
ちくちくと嫌味を言ってきたが、喧嘩を買うようなことはしなかった。。前回のようなことが起こったらまた面倒なことになってしまう。
せいぜい頑張ることね、と最後に言い残して去って行った。言い返せなかったことについてストレスが溜まるが、大事にならなくてよかった。
ほっと溜息をついた。さて、私は竜のところにでも行くか。
嫌味を言われるのは度々あったので、誰が見ているなんて気にしたことはなかった。そう。このやり取りをレオナルドが見ていたなんて───
午後一番の授業。
テラドレット先生の授業はさすがに舞踏会のパートナー同士で組ませることなどないと思っていたのだが……。
「今日はハリソウカとヘント草を調合して煎じ薬を作ってもらう。ペアは……そうだな。時期も時期だし仮面舞踏会のパートナー同士で行ってもらおう」
このとき深い絶望が襲ってきたのは私だけではないはずだ。向こうにいるレオナルドの顔も強ばっていた。席の移動が始まり、道具が配られた。
「……また、ペアになったわね」
「そうだな。だがこの授業は……」
「わかってるわよ。今までの授業とは訳が違うんだから」
「そこ、私語は慎め」
うわ、目をつけられた!?ぎろり、とテラドレット先生がこちらを睨んだ後、説明に入った。ふぅ、……危ないあぶない。
喧嘩なんかできるわけない。今までのように騒いだら、一発退場だってありだ。そして説教と居残りが待っているだろう。かつての居残りの悲劇を、私は忘れていない。
ここは、力を合わせて大人しくしていよう。私はそう決心した。
まぁ、今までできなかったので無理ですよね。
「お前、擦り方が荒い」
「そんなことないわよ。あなたこそ、量おかしくない?ちゃんと量ったかしら?」
「俺を疑うのか?」
「他に誰を疑えというの?」
声のトーンは抑えながら話す。手は動かしたままだ。
「お前とペアになったことから俺の災難は始まった」
「いきなりなんなのよ。それは私のセリフよ」
「何でお前なんか誘ったんだろう」
「どうして私、あなたの誘いを受けたんだろう」
何やってるんだ私。さっき決心したばかりじゃないか!落ち着け私とレオナルド。この授業で問題を起こしたら洒落にならないぞ。
「おい、貴様ら──」
不穏な空気を察知したのか、テラドレット先生が近寄ってきた。しかし私たちは気づかなかったのだ。
「ならあなたがやってみなさいよ」
「あぁ、やってやるよ」
私はすり鉢ごとレオナルドに渡す。やや勢いがついていた。そしてこれまた乱暴に彼が受け取ろうとしたのだ。先生がいつの間にか近くにいて、「あっ」と思ったときには遅かった。
びちゃっ
不吉な水音が近くでした。え……嫌な予感がする。
ゆっくり顔を向ける。
目に入ってきたものは、煎じかけたものがべっとりついた、テラドレット先生の服だった。
「「「………………………」」」
私たちだけではなく、教室の時が止まった。
終わった。私は目を閉じた。
「リリア、レオナルド。貴様らは放課後、私の部屋に来るように」
「「………はい」」
今までで一番低い声で言われて身が竦んだ。「手を止めるな、各自続けろ」という声がかかるまで、誰も身動きが取れなかった。
調合室を永久凍土にした後の授業は、最悪なことにダンスだった。
「では、音楽をかけるので始めてください。私は周りながら指導していきます。………リリアさん、レオナルドくん」
ヘンリエッテ先生が私たちの名前を呼んだ。
「あなた方は別室で練習なさってください。後で指導に行きます」
そうですよねー。絶対他のペアの人の邪魔だもの。私たちはとぼとぼと別室へ行った。
今日の授業のことや、今までの鬱憤からだろうか。いつも以上に練習がうまくいかなかった。
「おい、今ずれたぞ」
「あなたのリズムがあってないじゃないの」
どんどん険悪な雰囲気になってしまい、ついには言い争いになってしまった。
いつもは止まれるのに、歯止めがきかなくなっていた。段々関係のないことまででてきた。
「お前はコネで入学したんだよな?いいよな。俺たち奨学生がどれだけ苦労して入ったかわかっているのか?この学園、魔王様の血筋だのなんだのと特権階級ばかりじゃないか」
「その奨学生様だって私より点数悪いじゃない。この間の小テストはレイラの次点だったわよ。奨学生奨学生って言っても大したことないわ」
「なんだと!?」
もう、引くに引けなくなってしまった。
「第一お前らは本当に医者や薬師を目指しているのか?ここは社交場じゃないんだぞ?」
「失礼ね!少なくとも私は目指しているわ」
「卒業生を見ても、医者として活躍しているのはごく少数じゃないか。医者を目指している奴は沢山いるのに、そいつらを冒涜しているのと一緒だ」
「そんなの──」
「お前たしかローザたちに教科書盗られていたよな。俺にはそんな恐ろしいマネはできないよ。──周りはみんな俺を貶めようとしてくる奴ばかりだったから」
さらにレオナルドの話は続いた。
「この学園に入るまで足の引っ張り合いだった。俺らみたいに何もない奴は奨学生になるために。本当に医者になりたいから」
「お前何も知らないだろ。魔王様の娘であるローザに一時の感情で喧嘩売れるくらいなんだから。お前、よくそれで生きてこれたな。お綺麗な世界しか知らないってやつか?」
「———っ」
私は俯いた。
レオナルドの言っていることは、もしかしたら私が言っていたかもしれない言葉だった。
もし何もないまま光の国で医学校を受験したとする。奨学生なんてほんの一握りだ。苛烈な戦いになる。もしかしたら何か裏であったかもしれない。
そんな中晴れて合格できたとして、苦労せずとも入ってきた者がいると知ったら私はどうだろう?回復魔法が使える者や奨学生制度なんていらない裕福な者をこんな風に見ていたかもしれない。
以前歴史の授業で言った、バルタザル先生の言葉が思い返される。
『我々だけがこんな屈辱を味わったままでいいのか?否!!我々は、取り戻さなければなりません。かつての栄光を、威厳を、そして太陽を!!』
私は今まで、何も疑うことなく生きてきた。人を、これからの人生を、そして──光の国を。
闇の国に来てからだって、屋敷の人たちに守られていたのだと、この学園に来て痛感した。
『お綺麗な世界しか知らない』
私は何も言い返すことができなかった。
「お、おい…?」
ずっと俯いている私を不審に思ったのか、レオナルドが声をかけた。
「……私、ちょっと頭を冷やしてくるわ。ヘンリエッテ先生が来たらうまく言っててちょうだい」
「は?───おいリリア!」
私はレオナルドの声を振り切って、部屋を出たのだった───
廊下を走る。
顔を洗って出直そう。授業中なので人は誰もいなかった。頭の中がぐちゃぐちゃだった。どんなことを言ったらいいのか、どんな顔をしたらいいのかもう分からなかった。
視界がだんだんぼやけてくる。
(やだ、なんで私涙がでてるの……)
走りながら目をごしごし拭っていたときだった。
「うわっ」
「きゃっ」
誰かとぶつかってしまった。私はその場に尻餅をついてしまった。
いたたたたたたた。
(なんで!?授業中だよね、今。もしかして先生だった!?)
そっと見上げた。そのとき、
「大丈夫?どこか怪我したりしていない?」
美しい黒水晶と目が合い、息が止まった。




