【82】果たされた役目
────遠くに、雨巫女髻華羽の声が聴こえる。
「────清らかなりし聖なる泉に湧く水に、あまたの峠を越ゆる力を
汝、天空に赴きし時は、雨粒となって大地の乾き、心の闇を潤さん────」
頬にピトリと、冷たい感覚。
「(これって確か……死んだ兵士に髻華羽がやってた儀式じゃね?)」
ムクリと上体を起こすと、急激に気怠さが突き上げて、凪早ハレヤは大あくびをした。
「ふわあああぁぁぁ〜〜〜〜〜あううぅ〜〜〜、なんだかよく寝ちゃってたみたいだ〜」
「彌吼雷、さま……?」
横を向くと、跪く雨巫女髻華羽の顔があった。
「んああ、やあ髻華羽! って、みんな揃ってるじゃん! やっほ〜!」
周囲を見渡すと、杜乃榎の面々が揃って凪早ハレヤを見つめていた。どうやら、あの暗闇の世界で見た映像そのままの様子だった。
「おお」と驚嘆の声が上がった瞬間、背後から、蔦壁ロココが抱きついてきた。
「おっとっと! 蔦壁、ただいま!」
「……遅いよ、もう……」
小さく囁く蔦壁ロココの声が涙に濡れている。凪早ハレヤをギュッと抱きしめるその手に、そっと手を重ねると、優しく囁きかけた。
「ちょっと手間取っちゃった。ごめんね」
「……絶対、許さない……」
蔦壁ロココの言葉に、思わず苦笑する凪早ハレヤ。その肩に、グスタフが翼をばたつかせて天井から降りてきた。
「マジおせーんだよ、ボケ」
「死んだフリとか、タチの悪い小芝居だぜ、ハレヤ」
「生首の貴様が何を言うか!」
笑い声のする方を見ると、棒の先に午羅雲の頭が乗っていた。どうやらスクワイアーが修理をしている最中のようだった。
「どうしちゃったの、それ?」
「名誉の負傷ってやつさ。オレのおかげで、胤泥螺は次なる高みへと覚醒したんだぜ?」
「フンッ、単なる偶然よ! 百歩譲って、怪我の功名じゃ!」
「いやいや、オレの捨て身の攻撃があってこその勝利ですよ!」
午羅雲の言葉に、顔の右半分を包帯で包まれた胤泥螺がニヤリと笑う。
「相違ない。午羅雲には足を向けて寝られぬ」
胤泥螺の言葉に午羅雲が得意満面で笑みを浮かべ、霧冷陽はさも面白く無いといった様子で腕を組んで鼻を鳴らした。
「トトさまも彌吼雷さまも、不死身なのです!」
「流那鈴も最強不死身の鋼鉄ボディが欲しいの……」
「これは困りましたな! 可愛らしいお二人を、無骨な機械仕掛にして差し上げるのは気が引けます!」
「オレの手は、美を生むためにある。任せろ、流那鈴」
「その無駄口を永遠に塞ぐのが先じゃろう!」
再び、その場が笑いで包まれる。凪早ハレヤの首筋に抱きついたままの蔦壁ロココも、小さく笑い声を漏らしていた。
「魔人は討伐したんだね? 十痣鬼も解放された?」
そっと離れた蔦壁ロココが「うん」と頷く。
「すべては、彌吼雷どののおかげだ。十痣鬼を開放し、魔人を父上から引き剥がしていただいたからこそ、我らの勝利がある」
車椅子の皇空理布の傍らに立つ皇子空風円が、恭しく頭を下げる。胤泥螺と雨巫女髻華羽もそれにならい、霧冷陽と真茱鈴と流那鈴も頭を下げた。
「んああ〜、そんなのどうでもいいよ。俺は、やるべき役目を果たしただけだから! それに……」
すぐ横で横たわったままの、竜をチラリと見やる。
「紅梨沙理さんがまだ……」
言いかけたその時!
眠っていた竜がカッと目を見開き、身をくねらせて宙に浮いた。
真茱鈴と流那鈴が悲鳴を上げ、胤泥螺が即座に剣を抜き放つ!
「お待ちなさい! 様子がおかしいですわ」
見ると、竜の頭上には輝く天使の輪が見て取れた。
「これは……精霊? 精霊でございますね?」
雨巫女髻華羽が驚いたように声を上げる。
「間違いありませんわね。精霊反応が出ていますわ」
「紅梨沙理は、精霊になったと? しかしなぜゆえ?」
「んああ〜……ミュリエルさんの『奪還器』を使ったんだ。ずっと眠っちゃってたけど」
「……じゃあ、上手く行ったのね?」
「もちろんさ! ……っと、紅梨沙理さん、うなじのところに青い十字架の紋様があるはずだからさ、それをタップしてみてよ」
凪早ハレヤの言葉に、竜はクルリと一回転してみせると、尻尾の先でポンと自分のうなじの辺りを叩いてみせた。
するとその身体が光に包まれ、すとりと、女性が床に降り立った。長いストレートの黒髪に、巫女装束。床に腰をついて、驚きの表情を浮かべていた。
「……私は……いったい……?」
満面の笑みを浮かべて、真茱鈴と流那鈴が一斉に紅梨沙理に抱きつく。
「紅梨沙理先生なのです!」
「手品みたいなの……」
「紅梨沙理よ、無事に戻ったか……!」
「おお、空理布……」
弱々しく車椅子に腰掛ける皇空理布が手を伸ばすと、紅梨沙理が駆け寄ってその手を取った。
「十痣は……?」
「皆、解けている。すべては彌吼雷さまのお力だ」
凪早ハレヤの方を振り返り、空理布の手を握ったまま深々と紅梨沙理は頭を下げた。
「十痣鬼を浄化していただいただけでなく、私のような咎人まで、思し召しを……心より、感謝いたします」
紅梨沙理の言葉に、ミュリエルが得意気に高笑いを上げた。
「オーッホッホッホッ! あたくしの性質転換が完璧だという証拠ですわね!」
「さっすがミュリエルさん!」
「ありがとう、ミュリエル」
「何はともあれ、万事解決じゃ!」
「すべてのことが、最高の結果に収まりましたこと、嬉しく思います」
「皆の力があればこそだ」
皆が一斉に歓喜に沸き立つ。雨巫女髻華羽も紅梨沙理のそばに寄ると、喜びを噛み締めるように抱き合った。
胤泥螺は一歩下がってその様子を見守り、真茱鈴と流那鈴が両手で何度もハイタッチを繰り返していた。
歓喜の輪の中で、凪早ハレヤと蔦壁ロココも顔を見合わせて微笑み合う。
「……凪早くん、立てる?」
「んああ、全然大丈夫だよ!」
腰を上げる蔦壁ロココにつられて、凪早ハレヤも立ち上がった。「う〜〜ん」と両手を突き上げ背伸びをすると、久々の重力の感触がヒシヒシと全身に感じられた。どうやら、浮遊力は掻き消えているようだ。
「戻ろう、凪早くんの世界に。わたしたちの役目はここまでだから」
蔦壁ロココはそっと小さな声で囁くと、スマホを取り出し、部屋の隅へと凪早ハレヤを促した。
「んああ……」
ポリポリと頭を掻きながら、凪早ハレヤが紅梨沙理と蔦壁ロココを交互に見やる。
その様子を見守っていたミュリエルが、部屋の中央へと進み出てきた。
「お待ちなさいな、ロココちゃん。ひとつ確認したいことがございますの」
「……何?」
怪訝そうな表情で、蔦壁ロココが振り返る。凪早ハレヤはなぜか、ホッと胸を撫で下ろした。
蔦壁ロココに頷くと、ミュリエルは紅梨沙理に視線を向けた。
「紅梨沙理さん、でしたわね? あなたが17年前に産んだというお子のことですわ。ここにいるロココちゃんが、その子かもしれないと、こっちの尻軽唐変木がのたまっておりますのよ」
驚きの声を上げる一同の視線が、ミュリエルと紅梨沙理と蔦壁ロココに集まった。
「……ほう、通りでのう。ひと目見た時、どこか見たことのある面影だと思うたわ。特にその……灰色の瞳がな」
皇空理布ですら、弱々しい口調ながら、蔦壁ロココの顔をしげしげと眺めている。
しかし紅梨沙理は、そっと目を伏せると、小さく首を横に振った。
「名前が……名前が違うております。あの時、私が『空羽絽良という名前だけは変えないで欲しい』とお願いしたところ、『しかと、引き継ごう』と申されておりましたので……」
紅梨沙理の言葉に、杜乃榎の一同から落胆の声が漏れる。しかしミュリエルには、簡単に引き下がる素振りがない。
「名前が違っているというだけで、簡単に引き下がってよろしいんですの?」
ミュリエルの挑発的な口調にも、紅梨沙理は目を伏せたまま、顔を上げようとしない。まるで、現実から目を背けているかのように、凪早ハレヤには感じられた。
「……紅梨沙理さん。あなたは魔人に魂を売り渡してまで、子をお探しになられたのでしょう? その理由をお聞かせくださいな」
「……ええ、それは、あのお方が……」
昔を思い出すような表情で、紅梨沙理が顔を上げる。
「……あのお方が、『私は異世界の狭間を統べる者────。もはやこの地に来ることもなかろう』と申されておりましたからです」
その言葉に、蔦壁ロココが目を見開いた。サンリッドっとスクワイアーですら、ビクッとして居住まいを正した。
「私が魔人に魂を売り渡したは、娘がこの世界ではない、どこかもわからぬ異世界に旅立ったと知っていたからこそ……。そうでなければ雨巫女を辞した折に、娘を探す旅に出ていたでしょう。たとえ一人でも」
「『異世界の狭間を統べる者』って、フィクサーじゃん!? リリーのことでしょ?」
「リリー……? フィクサー……」
凪早ハレヤの言葉に、紅梨沙理も驚いた表情になる。
「大きな鎌の、サイスを持った女の人! 蔦壁は赤ん坊の頃に、その人と過ごしてた記憶があるんだよ!!」
「大きな鎌……!」
蔦壁ロココを見つめたまま、紅梨沙理が立ち上がる。フラフラとしながらも、ゆっくりと蔦壁ロココに近づいていく。
「確かに、その通りでございます。大きな鎌を振るわれ、どこからともなく天空城に現れて、私と数日をお過ごしになり……! あの時のことは忘れも致しませぬ。娘とともに過ごした短い季節の中に、あのお方が突然……フィクサーと名乗る、あのお方だけが現れて……」
「やっぱりそうじゃん! 紅梨沙理さんは蔦壁のお母さんだよ!」
凪早ハレヤがニコニコとして蔦壁ロココの顔を覗き込む。蔦壁ロココは言葉を失って、蒼白な顔で小さく首を振っていた。
「その灰色の瞳、髪の毛のツヤ……一目会ったあの時にもしやと……ですが、名前が……名前が……」
蔦壁ロココの前で立ち止まり、唇を震わせる紅梨沙理。
そんな二人の横に、ミュリエルが、クマのぬいぐるみをキュッと抱きしめて寄り添った。
「いいえ、名前はしかと引き継がれておりますわよ」
驚いた表情で、二人がミュリエルを見つめる。
「『蔦壁ロココ』はハレヤの世界での仮の名前ですわ。マーカスがリリーからそのまま引き継いだ名は────『ロココ・ランカナル・アンドリアルモア・ウルベスムーン』ですもの」
「……だったら、違くない?」
首を傾げる凪早ハレヤを、キッとばかりにミュリエルが睨みつけた。
「頭一文字ずつだけ並べてご覧なさいな」
「ロ・ラ・ア・ウ……?」
再び首をひねった凪早ハレヤに、ミュリエルがイラッとばかりに顔を歪める。紅梨沙理と蔦壁ロココは「ハッ」として、お互いの瞳を見つめ合った。
「……あああああっ! 組み替えると『アウロラ』だね!!」
「ほう? ならばやはり、私の異母姉上ということか」
皇子空風円が飄々とした笑みを浮かべ、皇空理布が「ふうー」と大きく息を吐き出した。
「フィクサーはその言葉通り、しかと引き継がれたのですわ」
「たしかに、引き継ぐとはいえ、少しも変えないとはおっしゃっておりませぬな!」
サンリッドの声に、一同が頷いた。
「初めてお会いした時に、心にズシッと来るものを……まさか、そんな、本当に……」
まだ信じられぬという表情の紅梨沙理に、凪早ハレヤがビッと親指を立ててみせた。
「蔦壁を抱きしめてあげてよ! 『細くて優しくて安心するのがお母さん、柔らかくていい匂いがするのがリリー、厚くて硬くて臭いのがマーカス』なんだってさ!」
誘われるようにそっと腕を伸ばし、蔦壁ロココを抱きしめる紅梨沙理。蔦壁ロココは、手にしていたスマホを、ポトリと落としていた。
「魔人に魂を売り、それ以来、ただただ娘に会いたいと願う日々を……」
「この細くて優しい温もり……?」
言いながら、その肩口に顔を埋め、震える両腕を紅梨沙理に回した。
「……お母さん……」
「……闇に堕ちた私の願いを叶えてくださった、天の神よ……この御恩は一生を賭して……」
二人して抱き合ったまま、崩れ落ちるようにして跪く。
雨巫女髻華羽がそっと二人の肩を抱き、「雨巫女のご加護のあらんことを」と呟いた。
「魔人に願いし夢が叶った、というわけですか」
「認めたくないものですわね。悪魔術が人を幸せに導くこともあるなんて」
「今は喜びましょう。いたずらな天の思し召しを」
ミュリエルがクマのぬいぐるみをギュッと抱きしめ、「フフッ」と笑う。その横で、サンリッドとスクワイアーが片膝を付いて十字を切り、天に祈りを捧げた。
凪早ハレヤは蔦壁ロココのスマホを静かに拾うと、感涙にむせぶ二人からそっと離れた。
「……しばらく、そなたの従者をお借りしたい」
凪早ハレヤの横に皇子空風円が近づいて、小さく声をかけてくる。
「うん、オッケイ! 従者じゃなくて、マスターだけどね。蔦壁が異世界ウォーカーで、俺はその従者なんだ!」
「ほう? では、そなたの大切なマスターをお預かりしよう。なにせ、いろいろせねばならん事が山積みなのだ」
「んああ、そうしてもらえると嬉しいな。俺としても、キミになら安心して任せられるし」
「ふふふ、荷が重いと感じることはある」
「大丈夫さ! だってあんな怖い顔した空理布さんでさえ、キミにすべてを託したんだから!」
「良き臣あればこそ。だが、期待を裏切らぬよう精進するつもりだ。彌吼雷……いや、凪早ハレヤよ」
「よろしくね〜」
凪早ハレヤは皇子空風円とコツンと拳を合わせると、部屋の隅へと歩いて行く。その肩で、グスタフが「チッ」と舌打ちをした。
杜乃榎の者は皆、紅梨沙理と蔦壁ロココを取り巻いて、祝福の言葉を述べている。彼らにしてみれば、あるべき姫が国へ戻ってきたのだ。
しばらく皆で、その喜びを噛み締めているだろう。
「あなたにしては、なかなかの洞察力でしたわよ」
クマのぬいぐるみを抱きしめたミュリエルが、凪早ハレヤにコツコツと近づいてくる。
「サンキュー。ねえ、俺は元の世界に戻るよ。ミュリエルさんなら、帰還ゲートを呼び出せるよね」
蔦壁ロココのスマホを指し示す凪早ハレヤに、ミュリエルは驚いた顔をした。抱きしめるクマのぬいぐるみも、真っ直ぐな瞳で凪早ハレヤを見据えている。
「アナタ……ご自分でおっしゃっていることがよく分かっていて?」
「んああ? うん、たぶん」
ミュリエルは「フン」と鼻息をつくと、凪早ハレヤの手から奪い取るようにしてスマホを手にした。
「帰還ポイントの使用は一度切り……今生の別れとなっても、あたくしを恨まないでくださるかしら?」
「だ〜いじょうぶだよ。こう見えて、性格はさっぱりしてるんだ!」
「見たまま、ですわ。別に今すぐでなくてもよろしいのじゃありませんこと? この世界でもっとゆっくりしても……皆、歓迎してくれますわよ?」
「俺は蔦壁の従者だからさ! この世界と蔦壁を、元通りに戻すお手伝いをしたまでだよ。だからね、もうここから去らないと! それが異世界ウォーカーの果たすべき使命さ!」
得意気に言い放つ凪早ハレヤに、ミュリエルは小さく溜め息を吐き出した。
そして小声で何事か詠唱すると、白い光が現われる。スマホをその光にかざすと、すぐに白い光は渦となった────。
「ありがと。また会う時まで、ツケにしといてよ」
「覚えておきますわ。いいえ、絶対に忘れませんわ」
「じゃあな、ハレヤ」
肩に止まっていたグスタフが、蔦壁ロココの方へと飛び去っていく。
凪早ハレヤがビッと親指を立てると、ミュリエルは少しだけ寂しげな表情をしてみせた。
「アナタという従者を得て、ロココちゃんは幸せ者ですわ」
白い渦に消えた凪早ハレヤに、ポツリとミュリエルが呟いた。その後ろで、サンリッドとスクワイアーが恭しく頭を下げる。
ミュリエルが手を横に払うと、白い光の渦は、音もなく掻き消えた────。
<最終章 終>
うんうん、ようやくひと通りの事が収まりましたかね~? ところで、狭紆弩はどうなった~?
『浮遊力に取り憑かれたら何かと捗った』本編はこれにて終了です。
最後にエピローグが1話だけありますので、どうぞそちらもご一読いただければ!




